第四節:主催者の暴露と結末
根岸は痩せた胸を震わせながら、通された部屋の奥にそびえる黒い椅子を見つめた。その椅子に腰掛ける人物は、片手で仮面を外しながら、穏やかとも嘲笑ともつかぬ笑みを浮かべている。
先ほどまではモニター越し、あるいは壇上から声のみで支配してきた“主催者”が、今この場所で直接対面するのは、根岸に与えた「優勝者の特権」ゆえだった。
「ああ、君か。若いし、正直いままで馬鹿にしていたが……なかなか良かったよ。血を吐くように書いていただろう? まさか大衆がここまで熱狂するとは思わなかった」
主催者は心底おもしろがるようにゆっくりと言う。
その言葉の合間、鼻先にかかった冷たい響きは、おそらく今まで見てきた“悪趣味なデスゲーム”をすべて正当化できると信じているようだった。
根岸は唇を噛みしめ、かすれた声で問いかける。
「このゲーム……いえ、この殺し合いのような勝負はいったい何だったんですか。どうして、こんな――」
相手は神代 泰蔵を嘲笑したときと同じ、薄い笑みを浮かべる。
「たとえば文学賞だの何だのと偉そうに語ってみても、読者は新しさを欲している。紙媒体の衰退やネット社会の過剰な“いいね”文化。どいつもこいつも紋切り型の小説ばかりで、読者に刺さる本物の言葉がない。だから、血を賭けてもらったまでだよ。おかげで神代のような昔の権威も掃除できたし、君のような新星が誕生した」
根岸はその残酷な論理に身震いしながら、守屋や月代のことをかすかに思い出していた。
どれだけ試行錯誤して書き上げても、結果を大衆と専門家の“血の投票”で突きつけられ、その挙げ句、敗れた者は報われないまま消えていく――。
その事実に強く反発したいのに、優勝者という立場が彼女の口を重くする。
「他の人たちは……」
根岸はなおも聞きたいことを飲み込みながら、ぎこちなく次の言葉を探す。
「さあね。死んだかもしれないし、生き延びているかもしれない。だが最終的に“スター”として世界を射止めるのは、君のような血塗れの書き手だろうね。いずれにせよ、私の“実験”は見事に成功した。ネットの視線はこのゲームに釘付けだし、かつての文壇の頂点にいた者はもう時代遅れ。そのおかげで、こうして華々しい結末が生まれたわけだ」
そう言うと、主催者は黒い椅子から立ち上がり、まるで古くなった舞台衣装を脱ぎ捨てるように肩をすくめた。
カメラと配信装置らしき機器がずらりと並ぶ影で、真っ赤なランプが静かに点滅している。
どうやら、この一連のやり取りさえ世界に向けて垂れ流されているのだろう。 根岸は震える声で問いかける。
「それで……あなたは、この先もこんなことを続けるつもりですか?」
主催者は一瞬だけ嘲笑を消し、根岸を値踏みするような視線を投げる。
「さてね。私の役目はほぼ果たしたとも言える。血を滴らせれば、新たな才能は隆起する。大衆は本当に怖いくらい食いついてくれたよ。みんな、背筋を凍らせながらも興奮していた。君は見事だった。……君がそれを受け入れて生きていくなら、それはそれでいいんじゃないか?」
根岸はその場でついに目を閉じた。
犠牲になった作家たちの姿が脳裏に浮かぶ――神代の冷ややかな視線、牧瀬の静かな狂気、高森の穏やかな笑顔。
それに、背後で息を凝らす月代や守屋の幻のような鼓動までも感じてしまいそうだった。
しかし根岸は俯いたまま、声を殺して言葉を絞り出す。
「……わかりません。これが本当に勝利なんて、私には言えない。だけど……書き続けるしかないんですよね。私にはもう、それしかないから」
主催者は心底満足そうに微笑み、拍手すらしないまま部屋の隅へ視線を流す。
そこには次の企みをほのめかすように並んだモニターがあり、そこに映る数多の“いいね”やコメントの奔流がまだ画面を覆っていた。
「さあ、もう行くといい。外では騒ぎになっているだろうさ。だが君は勝者だ。胸を張って世界に出ていけばいい。まあ、その世界が優しいかどうかは別問題だけどね。はは、面白い……」
根岸は答えず、ただ部屋から逃げるように去っていく。
扉の向こうに人影は見えないが、遠くから拍手か歓声か、あるいは悲鳴が混じった混沌めいた響きがかすかに聞こえる。
そして主催者は独り言のように呟いた。
「古い殻を打ち破った新しいスターが爆誕した。これで文学界もまた少し動き出すだろう。神代がいなくなったのは痛快だったな。老害には退場がお似合いというわけだ。……さて、次はどんな手を打とうか」
鮮やかなライトが落ち、モニターのランプが静かに瞬く。
取り残された部屋には、誰のものとも知れぬ執筆用のノートが散乱している。
そこに記された言葉の断片は、血にまみれた悲鳴か、あるいは人間の渇望か。
やがて、無機質な電子音だけが室内を満たして消えていった。
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