第三節:最終結果発表 ─ 大逆転勝利
月代はまるで全身から血が抜けていくような感覚を覚えながら、壇上の電光掲示板を見つめていた。
発表される得点は、専門家による講評とネット投票の合算。
いつもならば彼女の精緻な筆致が評論家から満点に近い評価を得るのは当然だったが、今回ばかりは様子が違う。
根岸が予想以上にネット票を伸ばし、守屋も若年層を中心に“泣ける”と爆発的人気を博している。
高らかに響いた司会の声が、三人の心を乱すように淡々と数字を読み上げていく。
やがて張り詰めた沈黙のなか、最終結果はこう示された──1位、根岸 千夏。
月代は自分の作品『破れた繭の、朝』がもっとも完成度の高い人間ドラマだと信じていた。
たとえば冒頭で主人公が“重たい家族の期待を背負い、あえて冷たい雨のなかに立ち尽くす描写”など、「私の最高傑作」と胸を張れる出来に仕上げたつもりだった。
しかし、スクリーンにはわずかな得点差で根岸の名が映し出されている。
傍らの守屋も、ネット投票の最終スパートで抜ききれなかったらしく、苦笑いのまま立ち尽くすばかりだった。
根岸は、あまりに劇的な逆転劇に唇を震わせている。
彼女の人間ドラマ『きらめきの、裏側で。』では、SNSで“いいね”を集めなければ自分を肯定できなかった主人公の叫びを生々しく綴った。
誰かに好かれたい一心で、夜な夜な自撮りを投稿し続ける少女の孤独。
“友達だと思っていた人のリツイートに裏切られる”痛み。
それを克服していく過程を、飾りのない言葉で書き上げたのだ。
<< 通知が鳴らない時間は、呼吸が止まるみたいだった。だって、生きてる証拠が見えないんだもん…… >>
彼女の小説に散りばめられたこの種の一行は、拙いようでいて読む者の心をつかむ。荒削りな分だけ血が滲むような“本音”が若者のみならず多くの読者を揺さぶったらしい。
一方、守屋はまさか自分が“泣かせ”に挑むなど夢にも思わなかったという。
今回の『僕は笑うために、泣いたことがある』で、漫才師を志す青年が母の死を乗り越えながら観客を笑わせる日々を描いたその筆致は、これまでのコミカルさを活かしつつも、裏に横たわる哀しみをしっかりと見据えていた。
<< 笑いってのは、涙の裏返しなんだぜ。ほんとにしんどいとき、俺は人前で冗談ばかり言ってたんだ >>
そんなセリフが物語の終盤に差し込まれ、まさに“守屋節”としか言いようのない軽妙さが哀切と混じり合って、多くのファンを泣かせた。
それでも最後の総合点では、届かなかった。
結果発表を聞いた瞬間、三人のあいだを一瞬だけ静寂が通り抜ける。
月代は悔しげに目を伏せ、守屋も拳をぐっと握ったままだ。
だが、二人とも根岸の勝利を否定することはなかった。
根岸がまるで怯えるように立ちすくむ姿を見れば、そこには確かに“彼女が本当に捨て身で書き上げた証”が浮かび上がっているからだ。
「おめでとう……」と月代が切り出す。
続くように、守屋は「はは、やるじゃん」とわざと砕けた調子で言った。
根岸は震える声でか細く礼を述べるが、その瞳には驚きと涙が混ざったまま。
「こんな形で私が一番になるなんて……」と何度も呟く彼女に、主催者がさらに追い打ちをかけるように声を投げかけた。
「なるほど、こういう“魂”が必要だったわけだ。月代は才能に溺れ、守屋は慣れすぎた手法に寄りかかっていたのかもしれない。その点、根岸さんは浅いと言われ続けていた分、血を吐いて自分をさらけ出すしかなかった。素晴らしいじゃないか。お前たちが書いた物語こそ、文学界を生き返らせる力になる──そう思わないか?」
その言葉に、根岸は青ざめた顔で俯くだけ。月代と守屋は主催者を睨むものの、状況を覆す術は何もない。
熱狂と紙一重の残酷さの中で生まれた“勝者”が、ここに誕生したのだ。
斯くして、“最後の審査”は終わりを告げる。
轟くような拍手も、狂喜の叫びもないまま、根岸の勝利がモニターに映し出されたまま消えていく。
──その先で待ち受けている運命は、たとえ勝者といえど決して明るいものとは限らない。
それでも、この地獄の果てを生き抜く者が選ばれた事実だけは、冷厳なまでに動かしようがなかった。
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