第四節:作品完成・公開

締切日。

まるで死刑台へ向かうかのような重々しさを背負って、三人の作家は自分の作品をアップロードした。

ネットに公開された瞬間、コメント欄には次々と書き込みが流れ込み、徐々に盛り上がりを見せ始める。

そこには、三者三様の“人間ドラマ”が詰め込まれていた。


 まず目を引いたのは、月代 祐紀の『破れた繭(まゆ)の、朝』だ。 

その冒頭は静謐な文体で始まる。


<< 生まれた家が何より重荷だった。愛されているふりをすることが、いつしか習慣になっていた── >>


 深い内面への問いかけと、詩的な情景描写が続き、読者をじわじわと追い詰めるように感情を揺さぶる。

ページをめくるたび、突き刺さるような心理描写がぶつかってくるのだ。

公開直後から「文章力が凄まじい」「心にずしりと来る」と専門家筋を中心に高い評価が書き込まれたが、一方で「重過ぎて読むのがしんどい」「もっと分かりやすいドラマ展開がほしかった」と若い読者層の一部には敬遠される声も混じる。

月代は配信されたコメント欄を見つめ、微かな笑みを浮かべた。得意分野で手ごたえを掴んだものの、“わかりやすさ”に欠けるという評価がどう転ぶか、今は誰にもわからない。


 一方、守屋 漣の新作『僕は笑うために、泣いたことがある』は、今までの守屋作品と雰囲気が全く違う。 しかし、彼の文体はやはり軽妙さを残している。


 << 芸人を目指していた父の背中は、笑っていたはずなのに、どうしてか、ほんの少しだけ寂しそうだったんだ。オレはその時初めて“笑い”を武器に生きてみようって決めた。──だけど、笑うことすら辛い日もあるなんて、あのときのオレは想像もしてなかったんだよね >>


 冒頭から独白に近い形で、父親との思い出に踏み込み、笑いと涙の境目を行き来させる。

その行間には、守屋が必死で隠してきた過去の悲しみが滲んでいた。

ネットのコメント欄は「まさか守屋先生の作品で泣かされるなんて…」「ここ、めっちゃ切ないのに最後ちょっと笑えるしズルい」という反応であふれている。

当の守屋は執筆ブースの端末で反応を見て、苦笑いしながら呟いた。 


「……やっぱり“泣かせ”って合わねぇな、オレ。でも、こういうのもアリかもな」 


いまだにギャグ混じりの語り口は健在だが、彼の目には微かな赤みが差している。

エンタメ作家としての矜持は守りつつ、今まで避けてきた悲痛な部分を初めてえぐり出した。

その成果がどう評価されるか、守屋自身も心が定まらない。


 そして、根岸 千夏が投稿した『きらめきの、裏側で。』。 読者の多くは「どうせいつものSNSノリでしょ?」と軽い気持ちで開いたようだが、その冒頭はすぐに意表を突く。


<< 通知音が鳴るだけで、生きてる気がした。だって、ほんとの私はすごくちっぽけで……SNSで承認されることでしか、自分を好きになれなかったから── >>


 語尾に絵文字や流行りの口調が散りばめられていない。

代わりに、自分の孤独やコンプレックス、過去の傷を生々しく告白していくストーリーが続いていく。 

かつて炎上した時の苦しさ、クラスメイトに言われた心無い言葉、それでも“いいね”を集めることだけに必死だった日々……。

そういった暗い記憶をさらりと描きながら、根岸はこれまで封印していた“痛み”を前面に押し出す。


 「……やっぱ、きつい……」 


モニターの前で息を整える根岸。

SNSでバズり狙いの作品ばかり書いてきた自分が、まさかこんな本音だだ漏れの物語を投稿するなんて、かつての自分なら思いもしなかった。


ところがコメント欄を見ると、「めっちゃリアル」「こんな根岸先生初めて」「今まで浅いとか言ってごめん…これ、本当に刺さる」と熱狂的な反応が増え始める。

もちろん「荒削り」「もう少しプロット作り込めば?」という辛辣な意見もあるが、今まで以上に支持する声が大きく感じられた。 

根岸は震えるように息をつきながら、ようやく微笑む。


「……これでダメなら仕方ないよね。でも、うまくいくかもしれない……」


 公開されてから数十分もしないうちに、SNSやレビューサイトは三者三様の人間ドラマに関する話題で沸騰しはじめた。 


「月代さんの小説、読み応えありすぎ! でも頭フル回転だわ……」

「守屋作品なのに、こんなに感動するって反則だろ」

「根岸先生、めちゃ変わった? まじで泣いた。SNSでいいね稼ぐために書いてるだけだと思ってたけど、違ったんだな……」


 しかし、称賛だけではない。

「月代さん、うますぎてなんか作り物感あるっていうか、“純文学ごっこ”に見えちゃう……」 

「守屋、泣かせ路線やりすぎ。ちょっとベタすぎない?」

「根岸さんのはまだまだ雑。重いテーマ触れてるけど、浅さ残ってるじゃん」


 三人とも一筋縄ではいかない評価を受け、そして読者や批評家たちはいつにも増して、この“デスゲーム”最終決戦を見届けようと狂乱していた。

なにしろ、これに敗れれば作家生命どころか、文字通り命の終わりに近い“罰”が待っているのを知っているのだ。


月代はひとつ吐息をつくと、原稿を見返す。

「破れた繭(まゆ)の、朝」に込めた自分の痛みが、読者に届いているのかどうか。

高い評価をもらいつつも、“うますぎる”という反応が吉と出るか凶と出るか……そこが不安だった。


守屋は嘘みたいに黙りこくり、コメント欄を淡々とスクロールしている。

「笑わせることしかできない」と思っていた自分が、“泣かせる”物語を作った。それがヒットしつつも、どこか気恥ずかしさを拭えないようだ。

根岸は“#きらめきの裏側”というハッシュタグがバズっているのを確認して、心を強く持とうとしている。荒削りだと言われようが、これが自分の最善だと信じているからだ。

そして、どこかで「神代先生が消えた理由は、きっとこういう“変化”から逃げたからかも……」と考え、少しだけ彼に思いを馳せる。


 かくして、三人の“人間ドラマ”は表舞台に出揃った。

どれが読者の心を最も動かすのか。各自にとって手応えはありながらも、不安が拭えない。 

だが、すでにエントリーボタンは押され、締切の鐘は高らかに鳴り響いた。

あとは、前例のないほど苛烈な評価がなされるのを待つしかない。 

――この後に待ち受けるのは、絶望か、それとも……。三人はそれぞれの席で息を呑みながら、画面の向こうから押し寄せる賞賛と批判を静かに迎え入れた。

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