第二節:作家たちの迷いと決意
部屋の空気は重く、三人の作家はそれぞれ視線を伏せていた。
目の前に提示された“人間ドラマ”という最終課題は、これまで書いてきたファンタジーやミステリの延長線にはない。
己の過去や本音をさらけ出す――その意味を噛みしめるたび、彼らの胸にはざわつくような痛みと迷いが広がっていく。
「……こんなに自分のことを書くのは、正直気が進まないわ」
月代 祐紀は机に両肘をつき、低く洩らした。
芥川賞を受賞したこともある彼女にとって、“内面描写”や“心理の掘り下げ”は得意分野のはずだ。
しかし、今度ばかりは単なる技巧では逃げられない気がしていた。
文学的な比喩や美しい文体が、かえって“狙いすぎ”だと見なされるかもしれない。
その警戒心が、ペンを走らせる手を鈍らせる。
「いやあ、どうしようかな……俺がしんどかったことなんて、普段はネタにしちゃうんだけどな」
そう苦笑いしながら肩をすくめたのは、若手人気作家の守屋 漣。
派手なエンタメを書き続けてきた分、深刻な過去を語ることにためらいがあった。
おどけることでしか向き合えなかった悲しみがある。
だが今回ばかりは茶化してはならない、という直感がある。
笑いと涙をどう融合すれば本物になるのか、彼はもどかしく天井を睨んだ。
「……私、書けるんですかね、こんなの」
根岸 千夏は、震える指先でノートPCのキーボードをそっとなぞる。
これまでSNSの“いいね”に支えられてきた自分が、本当に痛みや孤独を文字にできるのか。あまりに裸の言葉を出してしまえば、面白おかしく加工してきた“ネットでの自分”が壊れてしまうのではないか――そんな恐怖に苛まれる。
しかし、いま書かねば、生き残る道はない。
それが分かるからこそ、彼女の視線はノートPCの画面に据えられている。
三人は同じ部屋に詰め込まれているわけではないが、同じ施設のどこかしらでそれぞれの執筆ブースにこもっている。
廊下ですれ違ったときや、唯一の休憩スペースで顔を合わせたときに、無言のうちに互いの苦悩を感じ取る。
誰もが、“もう後には退けない”という空気をまとっていた。
月代は薄い原稿用紙を何枚も並べ、ペン先を軽く噛む。
(私の苦しみを、文学的に美しく書くことはたやすい。でも、それだと“本音”なんて伝わらないかもしれない。テクニックばかり先行して、結局は作りものだと見抜かれてしまう……)
彼女は一度息を呑み、紙に向き合う。
下手をすれば“狙い過ぎだ”と批評家たちに叩かれる危険がある。
それでも書くしかない。
自分の言葉を遠回しにせず、むきだしの感情をぶつける――それは月代にとって未知の挑戦だった。
一方、守屋は軽快なタッチでパソコンのキーを叩きつつも、時おり苦い表情を浮かべる。
「泣きたいような話を書いても、俺の読者は混乱しないかな……? いや、そんなこと気にしてる場合じゃないんだけど」
呟いては笑おうとするが、笑いはどこか空回りしている。
ギャグを入れて中和しようとするたびに、胸の奥から生々しい記憶が蘇ってきて、指が一瞬止まる。
そこに自分が隠し続けた悲しみが横たわっているのを、彼は感じていた。
根岸はスマホの電源をオフにし、無理やりSNSから自分を引き離した。
いつもなら「#執筆なう!」と投稿して応援を募るところだが、この“デスゲーム”の最終課題を、本当に軽く扱っていいのか――そんな自問が止まらない。
(いままで“浅い”って叩かれてきたけど、じゃあ本当の私って何なんだろう……書けば、それが伝わるのかな)
苦しかった過去、SNSの闇、ずっとごまかしてきた孤独――すべてをさらけ出すなんて恐ろしい。
でも、根岸は必死にノートPCの画面と向き合う。
そうしなければ“ここ”で終わってしまう、と分かっているからだ。
そんな三人の姿を、監視カメラの奥で誰かが眺めている――その気配だけが常に張り詰める閉鎖空間。
デスゲームを仕切る主催者たちは、果たして何を求めているのか。
かつて大御所の神代が「異世界なんぞ書けるか」と反発して消されたときから、このゲームの真意は薄ら寒い影を落とし続けている。
月代は息を整え、初めの一行をペン先に託した。
守屋は不自然なほど笑いを押し殺しながら、自身が経験したあの出来事を、そっと文章に変えようとする。
根岸はSNSがない静寂のなかで、まるで初めて文字を書くかのように、恐る恐る指を動かしはじめる。
全員が自分の“かけがえのない傷跡”を原稿に落とし込むため、必死にもがいていた。
文学性か、エンタメ性か、それとも己の痛みそのものか。
どれをどのように見せれば、自分の言葉として本当に届くのか――誰も確かな答えを持っていない。
だが、このデスゲームの結末が迫る今、引き返すことはできない。
その夜、三人の執筆ブースには灯りが消えずに残り続けた。
ペンの走る音とキーを打つ音が、どこか切迫した音色を帯びて響く。
書けば書くほど自分自身がむき出しになっていく。怖い。
しかし書き止めることはできない。
まさに“命を賭ける”に等しい覚悟を試されているのだ、と誰もが気づいていた。
やがて、かすかな物音に月代がふと顔を上げる。
遠くの廊下を行き交う警備員たち、そして響いてくるは守屋のか細い苦笑か、あるいは根岸の押し殺したすすり泣きか――それすらも判然としない。
しかし、その不確かな気配だけで、三人がそれぞれ血を吐く思いで執筆を続けていることが伝わった。
「……書くしかないんだものね」
月代は小さく呟き、また紙に向かった。 守屋は下唇を噛んで肩を震わせ、ふと手を止めては、“過去の自分”を思い出す。
根岸はノートPCの画面に滲む涙を拭おうともせずに、文字を綴る指先を止めようとはしなかった。
それぞれの想いが交錯する“人間ドラマ”の執筆――しかし、まだその物語は形になり始めたばかり。
三人は自分が書くべき“本当の声”を探しながら、暗い孤独な夜を越えていく。
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