第三節:迷走と試行錯誤
薄暗い廊下の先にある控室では、それぞれのブースがぴりぴりした空気を帯びていた。
バカミスか本格推理か──既に方針を決めて書き始めたはずの四人が、思いもよらぬ行き詰まりに襲われている。
月代 祐紀──「静寂の密室」
月代のブースでは、紙に走るペンの音がやけに空回りしている。
「……密室トリックはこうして、しかし犯人の動機が弱いかもしれないわ……」
小声の独り言は、文学的な気品と苛立ちを同時に孕んでいた。
机の上には登場人物と時間表を示すカードが並び、赤や青の線で繋がれている。
モニターには彼女の本格推理作「静寂の密室」の文章が映し出されていた。
<< 雪深き山荘に、七人の男女が集められた。
足跡なき廊下で響く悲鳴。 消えた鍵、そして一人の死──。
「これは、計算された殺意……それとも偶然の悪夢?」
無口な探偵役の瞳は、静かに暗闇を見据えていた。>>
「もっと人間の闇を描き込まなくちゃ、本格は論理がすべてじゃないの。けれど……ロジックと心理、噛み合わせるだけで脳が焼けそうよ」
唇を噛みながらカタカタとキーボードを叩く月代は、綿密さと文学性の狭間で苦悩していた。
かつて恋愛小説で地味と言われた痛みが甦り、「今回は派手さが足りないかも」と焦りを覚える。
だが、“完璧主義”の性分はそう簡単に曲げられない。
守屋 漣──「名探偵バカ一代!? ~爆笑トリック大作戦~」
一方、守屋の執筆部屋からは時折、笑い声にも似た奇妙な独り言が漏れる。
「いいぞいいぞ、これならネットが爆笑してくれるはず……でも、推理要素が皆無かも? ま、いっか!」
陽気な声とともに画面を眺めれば、そこに記された文章はまさしく“バカミス”のオンパレードだ。
<< “被害者の首がザリガニに挟まれたまま発見された”
名探偵バカ一代は、さも得意げにタコ介を指差す。
「オマエが犯人だろ! だってタコはハサミ持ってないけど、なんとなく怪しいし!」
タコ介は叫んだ。
「俺、茹でられるのだけは勘弁してくれ!」>>
「ははは、もうメチャクチャ。まぁいいじゃん、ウケればなんでもアリでしょ?」
守屋は椅子を揺らしながらスマホを確認し、SNSの下書きに“#バカミス 書いてるなう”と打ち込みかけて止める。
ルール違反をギリギリ回避しているらしい。
心のどこかで「専門家に酷評されるかも」と分かってはいるが、彼の表情はまだ強気だ。
「重苦しい推理なんてオレに似合わないし、バカ要素全開で勝負するしかないだろう?」
根岸 千夏──「#犯人はアイドル!? ありえねー真相を追え!」
廊下を挟んだ隣のブースで、根岸はスマホを握りしめながら顔をしかめていた。
「もう……どうやって“推理”っぽくすればいいわけ? うち、ただのドタバタ劇になりそうなんだけど……」
タブレットには彼女の原稿が映し出され、カラー文字や絵文字が散りばめられている。
<< ライブ会場に倒れる人気アイドル。
#え、マジで事件!? と騒然となるファンたち。
「もう真相とかどうでもいいじゃん、可愛ければOKっしょ?」
リーダーアイドルがそう呟いた瞬間、SNSが大炎上……! >>
「はあ……これ、ちゃんと推理になるのかなあ。きっと“設定が浅い”とか言われるよね……」
根岸はSNS画面を開きかけたが、詳細を漏らすのはルールに抵触する恐れがあり、仕方なく閉じる。
「けどバカミスでバズるなら、やっぱアイドル要素は欠かせないっしょ。いまさら本格なんて書けないし、いけるとこまでやるしかないよ……」
手が震えるのは、前に“浅い”と酷評された悪夢が脳裏にちらつくからだ。
しかし若さゆえの勢いは彼女を突き動かす。
必死に文章を連ねながら、画面へ迷いをぶつける。
高森 雄一──「暗号塔に眠る殺人ゲーム」
古風な木の机に資料を積み上げた高森は、重いため息を繰り返す。
「俺が本格を選んだのはいいけど……やっぱりまた“無難”とか言われるんじゃないか? ああ、頭が痛い……」
モニターの文章はテンポが良いものの、どこか安定しすぎてインパクトに欠ける雰囲気を漂わせている。
<< 霧に包まれた古塔の扉が軋む。
そこには血文字で書かれた暗号があった──“最初の犠牲者は誰だ?”
「まさか、これは遊びなんかじゃない。生き残るためには解くしかないんだ……!」>>
「王道の推理展開で読者を引き込みたいが、ここで新鮮味を足さないと次も危ういよな……」
高森はそう呟きながら、何度もプロットを見直す。
冒険活劇風の派手な演出をどれほど加えるべきか悩んでいるが、やり過ぎればバカミス寄りになり守屋や根岸に埋もれてしまう恐れも。
「くそ、ここで火を噴かないと……また中途半端に終わるかも。どうすりゃいいんだ……」
憂鬱に視線を伏せた高森の表情には、これまで経験したことのない崖っぷち感が滲んでいた。
そんな四人の焦燥は、さらに別の場面で顕在化する。
深夜、控室の自販機前でばったり顔を合わせた月代と守屋は、互いの執筆に口を挟まずにいられなかった。
「ずいぶん笑いに走ってるようね、守屋さん。あまりに筋が破綻すると、読者が呆れないかしら?」
月代の口調はどこか上品だが、棘が潜んでいる。
「へへっ、地味な本格よりはウケるでしょ。専門家には嫌われるかもだけど、票が集まりゃ勝ちじゃん?」
守屋は缶コーヒーをぷしゅっと開けて、わざとらしく笑う。その笑い声に、月代はわずかに眉をひそめる。
「……でも、票が集まった先で“脱落”を免れるとして、その先はどうなるんです? 本当にあなたの書きたいもの、わかってるの?」
「大丈夫大丈夫! 書きたいことは“読者に楽しんでもらう”ただそれだけだよ」
守屋は肩をすくめて月代を見返す。張りつめた空気が生まれかけたが、そこへ偶然通りかかった根岸が、ぎこちなく声をかけた。
「……あ、あの、月代さん。あたしもバカミスやってるけど、推理要素がスッカスカでヤバいかも……」
「根岸さん……あなたはSNSを使うのが上手い。もしそれで票を稼ぐ気なら、それも戦略の一つ。でも、粗が目立ちすぎると危険よ。読者は意外と厳しいわ」
月代の言葉に、根岸はしゅんと項垂れる。
「やっぱり……」と小声を落とした。すると守屋が軽く笑って肩を叩く。
「まあまあ、気にすんなって。バカ要素全開でドカンとやっちまえば、読者にウケるはずだろ?」
「そ、そうかなあ……でもアンチ増えるの怖いし……」
沈んだ根岸の表情に、わずかの揺らぎが見える。
月代は何も言わずに視線を伏せ、再び自分のブースへ戻っていった。
一方、廊下の曲がり角では、高森が悩ましげにファイルを抱えてうろついていた。 「このままじゃまた“平凡”とか言われる……。でも冒険要素を足したら、バカミスと被るかもしれないし……」
誰に聞かせるでもなく呟いたその声は、まるで必死に自分を奮い立たせるように震えている。
こうして四人の執筆は、それぞれの思惑や苦悩が入り乱れ、明るい未来を見通せない状態に陥っていた。
月代は論理を組み立てすぎてパンク寸前、守屋はテンション頼みで筋が崩壊寸前、根岸はSNS映え優先で推理不足、高森は無難さから抜け出せず苦しんでいる。
控室に充満する緊張は、まさに“迷走と試行錯誤”の極み。
各々が抱える不安と野心が交錯し、どこかで小さな衝突の予兆が芽生えている。
「俺はこのままじゃ終われない……」
「もっと派手に書かないと……」
そんな呟きが静かに飛び交い、消えていく廊下。監視カメラの赤いランプがじっと彼らを見つめていた。
締切は刻一刻と迫る。果たして、誰が踏み止まり、誰が崩れ落ちるのか。
四人の息遣いだけが、そこに鳴り響いていた。
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