第二節:執筆体制 ─ 作家ごとの選択
白熱球がわずかに揺らめく廊下を抜けた先、四人の作家はそれぞれの執筆ブースへ戻っていく。
大きく書かれた「バカミス or 本格推理」の文字が、頭の奥に居座って離れない。
ここから先は誰にも頼れない。
どちらを選び、どう書くか──二者択一の重みが、はっきりと彼らの肩を圧していた。
月代 祐紀(本格推理を選択)
月代は古めかしい机に向かい、資料を並べていた。
単行本や推理小説の理論書、そしてノートパソコン。
その視線は冷静に手元のメモを追っているが、その呼吸音にはかすかな緊張が混じる。
<< 雪深き山荘に閉ざされた七人。そして、真夜中に一人が殺された。足跡なき密室、消えた鍵──これは計算された殺意なのか……? >>
彼女の“冒頭”はすでに形になりかけている。本格推理にふさわしいシリアスな導入と、密室を巡る論理。
「……トリックを組むのは、やはり手間がかかるわね」
月代はメモ帳を捲りながら呟く。
紙の端には、雪山に閉じ込められた登場人物の相関図やタイムテーブルがびっしりと走り書きされていた。
そこへ添えられた赤ペンの矢印は、犯人の嘘と真実が複雑に絡み合う線を示している。
「手堅くいくべきか、もう少し冒険するべきか……」
彼女の文体は淡々としているが、心の内側では大きな葛藤が渦巻いていた。
あまりに完璧に作り込みすぎると、“地味”と評されるかもしれない。
それでも、月代は“これが私の勝ち筋”と信じてペンを走らせるのだ。
静謐な筆致の先にあるものは、人間の闇を剔抉する王道の推理劇。
その隅には神代の姿が朧げに浮かんでいる。
かつての大御所もまた純文学と歴史を巧みに融合させた名手だった──だが、時代に合わずに退場してしまった。
月代は不安をかみ締めつつも、自分は引き下がらないと決意を新たにする。
守屋 漣(バカミスを選択)
守屋の執筆スペースは妙に散らかっている。
缶コーヒーの山や、メモ用紙に大きな字で書き殴られたギャグアイデア。
その合間から顔を出すスマホをチラチラ見ながら、守屋は得意げに笑みをこぼす。
「やっぱオレはバカミスでしょ。ネットでウケれば勝ち、専門家? まあ嫌われるかもだけど、関係ねぇし」
<< “被害者の首がザリガニに挟まれていた”だと!? そんな無茶苦茶な事件、聞いたことないって……あ、犯人はタコ介!? なんでタコが喋ってんだよ!>>
というふざけた一文が、既にパソコンの画面に踊っている。
「いーね、いーね、盛り上がるじゃん! 事件の動機は“なんとなくムカついた”とかでいいんじゃないの? あはは」
守屋の文体は軽妙で、思いつくままに書き散らしているように見えるが、その意図は明確だ。
“若い読者の爆笑”をとるための仕掛けを、まるで漫才師のように連打していく。
主人公役の“名探偵”は勘だけで解決し、真相が破茶滅茶でも勢いとノリで押し切る。 しかし、その裏で守屋は小さく眉をひそめる。
「トリック、何も考えてないけど……ま、いいか」と言い聞かせながらも、内心では専門家からの酷評を想像して、微かな焦りを感じていた。
「でも、バカミスでバズらなきゃこのゲームでは生き残れない」と、歯を食いしばる。
根岸 千夏(悩んだ末にバカミスを選択)
根岸はタブレットを膝に乗せ、画面に向かって盛んに指を走らせていた。
SNSでファンとやり取りしつつ、執筆アプリを開いては閉じるを繰り返している。
「はぁ……本格は無理でしょ、構成とか全然わかんないし。だったらバカミスでバズ狙うしか……」
彼女の苦しげな声が小さく響く。
とはいえ、ライトでノリ重視の作風ならば得意かと思いきや、“推理”と聞くだけで萎縮している面もある。
<< #アイドル殺人事件 #嘘でしょ 全員アイドル衣装で推理? もうわけわかんないけど、バズりそうだからアリかも! >>
原稿にはそんな短いフレーズが入り、カラフルな装飾文字も散りばめられている。まるでSNS投稿の延長線上にあるような文章。
テンションは高いが、どうやって物語を組み立てるかは定まっていない。
「うう、これ絶対“設定が浅い”って叩かれるんだろうな……でも時間がないし……」
根岸はやけっぱちのようにスマホを掴み、「#バカミス書くぞ #応援して」と呟きかける。
運営ルールに抵触しかねないので一旦手を止めたが、「ギリギリまで拡散したい」という誘惑に駆られ、手が震える。
もしアンチが増えて炎上しても、“話題になれば勝てるかも”という狂気じみた賭けが脳裏をかすめる。
「怖い……でもやるしかない」
そんな思いが、彼女の瞳に曇りを宿らせていた。
高森 雄一(本格推理を選択)
静かな個室の一角、いつもは陽気な高森が険しい顔をしていた。
机の上には「暗号」「古城」「連続殺人」とメモされたキーワードが散らばる。
「バカミスでハジけるのもありかと思ったけど、守屋くんと根岸さんには敵わないだろうし……ならやっぱ無難に本格か」
しかし、王道の本格という方針を決めたはいいが、“無難すぎる”の反省が彼の頭をよぎる。
まさに前の恋愛テーマで不発に終わったばかり。
「俺は冒険活劇が得意だったのに、いつの間にか“新鮮味がない”って言われて……ちくしょう、何か新しい仕掛けが欲しいな」
呟きながら、パソコンに向き合う。既に文章の一端は書き始められているようだ。
<< 古い塔に隠された暗号。ひとつずつ解かれるたび、新たな犠牲者が出る──。王道ゆえに油断は禁物、誰が嘘をついている? >>
テンポの良い筆致で読みやすさを意識しているが、得意の冒険色を混ぜるかどうかで躊躇している。
あまり変な方向へ行き過ぎると、守屋や根岸の“バカミス勢”に負けてしまうかもしれない。
かといって、保守的になりすぎれば“また地味”と叩かれる。
“デスゲーム”のプレッシャーは重く、彼の手を鈍らせる。
「……何か一発、強いアイデアが欲しい」
そう呟く言葉は弱々しいが、ここで生半可に終われば脱落は確実だ。高森は唇を噛み、画面を睨む。
こうして四人はそれぞれの執筆ブースで、まるで違う戦場を思わせる苦悩と向き合いはじめる。
バカミス or 本格推理という分岐に身を投じたことで、彼らの創作スタイルの違いは決定的になった。
月代は密室殺人と人間ドラマの融合に集中し、守屋は思い切り笑いを狙うバカミス世界へ飛び込んだ。
根岸はSNS受け最優先のコメディパワーを模索し、高森は無難からの脱却を願いながら正統派ミステリを描こうとしている。
この差異が、今後どんな衝突やドラマを生むのか──。
館の廊下には張り詰めた空気が漂い、監視カメラがそれを冷たく見下ろしていた。
締切まで、そう長くはない。
彼らの執筆体制はすでに動き始めたが、その行き着く先には“脱落”という崖が口を開けている。
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