変化球のテーマ - バカミス or 本格推理
第一節:二者択一の衝撃
その日、館の広間では、どこか沈んだ空気が張り詰めていた。
恋愛小説の審査が終わってからまだ間もないというのに、みな疲れ切った表情をしている。
神代と牧瀬の脱落が続き、すでに作家は四人──月代 祐紀、守屋 漣、根岸 千夏、高森 雄一だけだ。
それぞれが警戒を緩められないまま、次の指令を待っていた。
広間の中央に据えられた大型スクリーンが、不意に淡い光を帯びる。
その瞬間、低い機械音が響き、主催者の声が場内に流れ出した。
「第三のテーマは事前発表の通り、バカミス もしくは 本格推理──いずれかを選んで小説を書いていただきます」
まるで大仰な劇の幕開けを告げるような響きだった。
途端に、月代が静かに息を呑む。
その横で守屋は口元をほころばせ、根岸は目を丸くし、高森はうつむいて唸り始める。
四人の目はスクリーンに注がれているが、誰もが心の中で同じ疑問を抱いていた。
「バカミス? 本格推理? 両極端すぎる……」
月代は控えめに声を落とし、唇を噛みしめる。
「どちらか選べと言われても……私の得意分野は、本来“人間ドラマに寄ったミステリ”だから……でも、バカミスは絶対に向いていない。かといって本格推理を突き詰めるとなると、緻密なトリックに手間取るし……」
途中で言葉を切り、自身の過去を思い返す。
かつて本格を試みたとき、綿密に組み上げすぎて読者が置いてきぼりになった苦い経験がある。
それでも、「書きこなせないわけじゃない」と言い聞かせるように、月代は眉を寄せた。
一方、守屋はスクリーンの文字──「バカミス or 本格推理」──を見上げながら、どこか楽しげにつぶやく。
「バカミスか……これはウケそうじゃない? まあ、本格に挑戦してみるのも面白いけどなぁ。けどオレは笑いをとったほうが票を稼げるし……ネットの若い子たちには絶対こっちだよな」
守屋は軽く肩をすくめる。
さも当然という顔だが、その瞳の奥には密かな迷いの光がある。
なぜなら「バカミス」という名称のわりに、その手加減の難しさも理解しているのだ。
ふざけすぎると本来の“推理”要素が崩壊し、専門家に叩かれる可能性が高い。
だが、今までも“量産型”と揶揄されながらもネット票で勝ち上がってきた守屋にとって、その路線を変えるほうがよほどリスクだろう。
根岸は目の前のスマホをぐっと握りしめたまま、落ち着かない様子でキョロキョロと周囲を見回している。
「ど、どうしよ……本格推理なんて構成とかロジックとか、絶対大変だし……かといってバカミスって“笑わせる推理”なんでしょ? SNSではバズるかもしれないけど……また“浅い”って叩かれそうだし……」
小さく震える声が聞こえる。先の恋愛テーマでも拡散力を頼りに乗り切った彼女だが、
専門家からは手厳しい評価を受けたばかりだ。
もし今回も“中途半端”だと見なされれば、一気に落ちる危険がある。
「私、ミステリなんか書いたことないのに……」
根岸は、またしても厳しいジャンルが来たと嘆きつつ、それでもSNSで「#次のテーマ #迷子なう #救い求む」などと呟けばいいのかと考えては、まるで現実逃避のようにスマホを見つめた。
「……これは、難しいな」
ぽつりと呟いたのは高森だ。すでに腕を組んで、視線は床に向けられている。
「バカミスは盛り上がるだろうが、守屋くんと根岸さんが得意そうだし……一緒に被ったら負けるかも。じゃあ本格を選ぶか……でも本格で月代さんと真正面から勝負するのも大変だなぁ」
高森は正直、どちらでもそこそこ書ける自信はある。
しかし“そこそこ”ではトップを狙えないのが、このデスゲームの怖いところ。前回の恋愛では“無難”の限界を思い知ったばかりだ。
「……ここで冒険しなかったら、また埋もれるだけ。だけどリスクも大きい」
念仏のように口の中で反芻しつつ、高森は苦々しい顔でスクリーンを見やった。
すると、再び主催者の声が場内に流れ、四人を一斉に沈黙させる。
「ルールはこれまでどおり。いずれかを選び、書き上げていただく。締切は1週間後、文字数は1万文字以上。ネット公開後、読者投票と専門家評価を合算し、下位者には“脱落”が待ち受けている。では、健闘を祈る」
わずか数行のアナウンスを最後に、スクリーンは闇へと沈んでいった。
四人はその暗幕のような映像をじっと見つめる。
誰一人、簡単に動き出せない。 守屋は肩をほぐすように回し、明るい声を装って言う。
「よし、やるか! バカミスに突っ走って……いや、どうするかな。ま、あとで考えるか」
軽口めいた言葉とは裏腹に、その笑みはほんの少し固い。
月代はそんな守屋を横目に見つつ、「王道で行くなら、私には本格以外ないわね……」と小さく呟き、黙り込む。
根岸は誰にともなく「うう、もう嫌だ……でもやるしかない……」と顔を覆い、高森は深く息を吐きながら「さあ、どう出るかな……」と自問を繰り返していた。
廊下の奥ではスタッフが無言で見張っている。
ここでは誰もが逃げられない。
二者択一の重圧が、ただでさえ神経をすり減らした彼らをさらに追い詰めていく。
「バカミスか、本格推理か……」
その言葉が、四人の脳裏を不気味なリフレインのように行き来する。
締切までは、決して十分とはいえない時間。作品に着手すれば一気に引き返せなくなる。
ならば、どちらを選ぶか。まだ誰も書き始めようとはせず、ただ視線だけが互いを警戒し合う。
選択を誤れば、即ち“脱落”。 先に神代と牧瀬を飲み込んだ、このデスゲームの無慈悲さを思えば、軽々しい判断はできなかった。
そうして四人は、あのスクリーンが沈黙したままの広間で、静かに息をひそめていた。
妙な風が吹きつけるかのように、長い沈黙が続く。
だが、この密室での決断は避けられない。
“バカミス”という笑いの嵐を巻き起こすか、あるいは“本格推理”という緻密な謎に挑むか。
それぞれの選択が明暗を分けることになる――その確信だけは、痛いほどに胸を突き刺していた。
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