第二節:裏工作・思惑の激化
寂れた廊下の電灯が淡く瞬いている。
神代 泰蔵の不在が、なおさら不気味な陰を落としているように感じるデスゲーム会場で、作家たちは次なる瞬間を息を詰めて待っていた。
恋愛小説の得票締め切りが目前に迫る中、誰が次に落ちるのか──無慈悲な恐怖がひしひしと迫っている。
「つまりさ、オレのラブコメにケチつけるヤツがいるなら、それ相応の対処をしてあげようって話だよね?」
守屋 漣の声が、薄暗い空間に不穏な響きを落とす。
彼の小説『おれに惚れるな! でも惚れちゃう!?』は若者を中心に大人気だ。
それでも守屋の笑みに焦りの色が混じるのは、批判されれば評判が落ちるかもしれないという不安があるから。
「ネットで“軽いだけ”とか言われるけど、黙ってられないからさ。裏アカ作ってちょっと反論投稿しちゃったり。……ついでに、他の作家にマイナスコメントぶっこむのも、まぁ戦略?」
いつも通り軽妙な口調だが、眼差しは落ち着かない。
SNSを用いたステマやネガキャンを噂されはじめた守屋が、どこまで本気で仕掛けているのかは分からない。
ただ彼の指先がスマホをいじるスピードは、どこか必死さを感じさせる。
一方で、その被害を受けつつあるらしいのが月代 祐紀。
彼女は控室の隅でタブレットを見ながら、静かに息をついている。
「……『文章はいいけど暗い』『華やかさに欠ける』。なるほど、ラブコメ派と真逆の評価をされるわけね」
『キスより遠い隣人たち』が醸し出す静謐な世界観は、専門家には好評だが、若年層には地味と見られがち。
神代があっさり退場した今、結果に直結する“数字”への危機感が募る。
「でも……こんな裏工作じみたこと、くだらないわね」
そう呟きつつも、彼女がノートを開けば詩的な文章が綴られている。
<< 降り続く雨のなか、彼女は傘をささずに立っていた。その理由を知りたくなるほどに、彼女の瞳は孤独を宿していた…… >>
“内容で勝負”を貫きたい。
けれど、このまま“地味”で片づけられるのは危険だ。
月代はノートを閉じ、険しい表情で息を整えた。
同じ控室の片隅では、根岸 千夏がスマホの画面と格闘中。
「#投票お願い……えーと、次はどんなハッシュタグがいいかな……。こっちはルール違反にならない程度にアピールしなきゃ」
『#片想いハートブレイク 〜スマホ越しのあの人〜』は若者のSNSでバズっているが、専門家からは「浅い」「安直」と叩かれる。
首の皮一枚つながっているような危うさを、根岸は痛感していた。
「“もっと中身を濃くしろ”ってコメント、いまさら無理だよ。そりゃ神代先生レベルでも落ちるんだもん、私だっていつ落とされるか……」
唇を噛みながら、拡散用のツイートを打ち込む。
スマホを置けば、心が落ち着かなくなる。
躍起になって投稿を重ねる自分に、わずかな恥ずかしさすら覚えるが、やるしかない。ここはデスゲームだ。
一方、廊下を行き来する高森 雄一は、電話に向かって苦い顔をしている。
「……いや、申し訳ない。王道ラブストーリー『君の笑顔を守りたい』、そこそこ好評なんだけど“無難すぎる”って言われててさ。少しテコ入れできないか? うん、編集部とか書店の人脈使えない?」
神代の脱落を見た後では、正々堂々だけでは勝ち残れないかもしれないと考えるようになったのだろう。
高森は水面下で好意的なレビューを拡散しようと試みていた。
「ステマって言われるのは本意じゃないけど、ここで落ちるわけにいかないんだ……。すまない、頼むよ……」
そう耳打ちして通話を終えると、彼は顎髭を撫でながら大きくため息をついた。
「しかし、これは作家がやることなのか……?」と自嘲気味に呟きつつ、それでも電話を握る手は離さない。
そして守屋が、そんな高森にひょいと声をかける。
「お疲れっす、高森さん。調子どう? 俺はあいかわらずネットのほうで盛り上がってるっぽいわ。ラブコメ最高、みたいな感じで。……月代さんのは重いから、大衆には刺さらないだろうなあ」
悪びれもせず言い放つ守屋。
高森は「確かに……月代さんは文学寄りだしな」と口を濁す。
守屋は軽くスマホを振ってみせる。
「みんな色々してるみたいだけど、この勝負、盛り上がったもん勝ちだよね? やっぱ得票、稼いだヤツが強いんだからさ」
そして少年じみた笑顔を見せつつ廊下を去る。
その背中を見送る高森の目には、うっすらと嫉妬の色も混じっているようだった。
――そっと一息ついた月代が、その守屋の背後を少し遠目から見ている。
「ステマやネガキャンでしか得票を伸ばせないのなら、私は……」
けれども神代があっさり脱落した事実が、月代の背中を冷やす。
文学を貫けば報われるのか。
報われずに切り捨てられるのではないか。
迷いと矜持の板挟みだ。
「……やはり書くしかないわ。評価は天に任せる。神代先生のように、誇りだけ失わないようにしないと」
その瞳には淡々とした決意が宿る。
もし彼女が裏工作に踏み出したら──それは月代自身が一番怖れていることでもあった。
一方で、牧瀬は、恋愛ホラー路線の『死神がささやく夜に』が不気味に支持を集めており、メインストリームからは外れているものの、コアなファンからの熱い票があるとも噂される。
彼女が本当に下位に沈むのか、あるいは意外な善戦を見せるのか。
誰にもわからない。
「あなたのラブシーン、まるで死体みたいね……」
先日そう囁かれた根岸は、いまだに鳥肌が立つ思いだ。
「もし牧瀬さんがこのまま生き残ったら……?」
不気味さに身震いする一方で、同じ“脱落候補”として親近感のようなものもあるのかもしれない。
締め切りまでのわずかな時間、廊下を行き交う作家たちの足音はどれも落ち着かない。
神代という大樹が消えた今、誰が次に墜ちるかはわからない──それを決めるのは読者投票、専門家評価、そして密かに蠢く裏工作。
そんな様子を、主催者はカメラ越しにじっと見つめている。
「……次の犠牲者が出るのは、いつかな」
黒い監視カメラのレンズが、不気味に光った気がして、月代はそっと廊下の壁を振り返った。
そこには誰もいないはずなのに、何かの気配だけが色濃く漂っている。
こうして、恋愛小説がまだ最終決着を見ていない中で、それぞれの思惑と裏工作がいっそう加速していく。
高森は遠慮がちにステマを頼み、根岸はSNS拡散をさらに強化し、守屋は裏アカを駆使してライバルを落とそうとし、月代は最後まで“文学”を信じるのか迷いつつ自分の道を貫こうとしている。
牧瀬は自分のダークな恋愛路線に賭けているはずだ。
決して純粋なラブロマンスではないかもしれないが、現時点で「脱落決定」など、まだ誰にもわからない。
そして扉の向こう、主催者が低く嘲笑しているかのように、館内放送が流れ始める。
「投票締め切りまで、あとわずか。最後まで油断なさいませんよう……すべては読者の、そして専門家の評価次第です」
その声に冷や汗を浮かべながら、作家たちは各自の方法で“工作”や“執筆の手直し”に力を注ぐのだった。
神代の幻影を拭えぬまま──それが、この冷酷なデスゲームで生き残るために必要な行為なのかもしれない。
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