策略と陰謀

第一節:評価の行方 ─ 上下を分けるポイント

施設の中庭は薄暗い光に沈み込んでいた。

神代 泰蔵が退場してから、わずか数日のことだというのに、すべてが変わってしまったように感じられる。

重厚な扉が開き、残された五人──いや、まだ神代の気配はどこかに漂っているようで、月代 祐紀や守屋 漣たちは彼の不在を嫌でも意識してしまう。

だがデスゲームは続く。次は誰が落ちるのか。

そんな恐怖を飲み込むように、廊下を歩む足音だけが響いていた。


 控室の一角では、月代がスマートフォンの画面を凝視している。

そこに映し出されているのは、自分の恋愛小説『キスより遠い隣人たち』への評価コメントだ。


「“文章は美しいけど、ちょっと地味”“泣けるけど華やかさが足りない”……まあ、想定の範囲内ですね」 


月代は小さく息を吐く。

その手元には自作の一節が手書きで綴られたノートがあり、そこには雨に打たれる女性の姿が、緻密で詩的に描かれている。


<< 降り続く雨のなか、彼女は傘をささずに立っていた。その理由を知りたくなるほどに、彼女の瞳は孤独を宿していた…… >>


「大衆ウケするかはともかく、専門家の評価はわるくない。……でも、それで勝ち残れるかどうか」 


誰に言うでもなく、月代は呟きながらノートを閉じ、眼鏡のブリッジを押し上げた。脳裏には、同じように地味だと評されながらも最後には大成した作家の名前がちらつく。

だが――神代もまた、かつてはその筆力を讃えられながら、ここで脱落してしまったのだ。


 「守屋が若年層から票を集めてるんだって? そりゃあまあ、わかるよな」 


そう言って入ってきたのは、スーツ姿の大衆娯楽作家、高森 雄一。

彼の新作恋愛小説『君の笑顔を守りたい』は、決して悪い評価ではない。

が、それほど盛り上がっているわけでもないらしい。


「“読みやすい”“安心できる”というコメントは頂いてる。けど、爆発的な反応には結びつかないね。無難すぎるって言われたよ」 


高森は苦笑を浮かべる。彼が持っているタブレットには自作の冒頭が映し出されている。


<< 大丈夫、勇気を出して告白すれば、明日から新しい世界がきっと開ける。そう信じて、一歩踏み出そう…… >>


「王道中の王道だし、いまさら新鮮味もないかもなあ……」 


ぼやく高森の顔には疲労の色がにじむ。

さらに彼は、ふと周囲を見回して小さく声を落とす。


「しかしさ、裏で工作してる奴がいるんだろ? 守屋にステマの噂があるだの、根岸がSNSでルールギリギリの拡散してるだの……。こういうの、マジで疲れる。俺は公正に評価されたいけど、それじゃ勝てないのかもな」 


高森は誰にともなくつぶやくが、答えはない。

ここは策略と疑心暗鬼が渦巻くデスゲームの会場だ。

甘い理想など通用しないかもしれない。


 一方、その“ステマ疑惑”の張本人・守屋 漣はといえば、廊下を軽快な足取りで歩いていた。

スマホをちらちら確認しながら、小声で自作『おれに惚れるな! でも惚れちゃう!?』のヒロイン台詞を口ずさんでいる。


「こっちは“ヒロインかわいい!”“ハーレム展開最高”とかのコメントで溢れてる。……いやー、ネット投票サマサマってか。やっぱラブコメはこうでなくちゃねぇ」 


口調は軽妙だが、その瞳の奥にはわずかな焦りが見える。

自分の作品が「軽いだけだ」「キャラがステレオタイプ」と批判されていることも、知ってはいるのだ。


「そうはいっても、今の世の中、売れれば正義でしょ。……おっと失礼、これ守屋漣流のやり方ですから」 


守屋はそう口にして、廊下を離れ執筆ブースへ入っていく。

次のテーマまでに、もっと“インパクト”を稼がなければという思惑がちらつく。

彼のスマホのメモ帳には、すでに次の作品案らしき“バカ要素満載”のネタがぎっしりと書き込まれていた。


 控室では、新鋭作家・根岸 千夏が自分のスマホを見ながら、半泣きのような表情を浮かべている。


「“キャラはかわいいし面白いけど、またしても設定が浅い”“リアルなJK感はあるけど、恋愛としては微妙?”……まじかー。あーもう!」 


彼女の恋愛小説『#片想いハートブレイク 〜スマホ越しのあの人〜』はSNSで大きくバズり、若者の間でトレンド入りしている。

けれど、専門家の声は辛辣だ。


「こんなんじゃ、また最下位争いに巻き込まれちゃうじゃん。……でも、SNS拡散しか私に武器ないし……」 


根岸は机に突っ伏して、しばらく唸る。

すると、スマホの通知音がチリンと鳴り、「#投票お願い」のタグがさらに盛り上がっているのを確認して、少しだけ顔を上げた。


「まだ……やれるよね……」 


牧瀬はどこか物憂げな表情を浮かべているものの、彼女は確かにここに“まだいる”。先刻、ネットでは「牧瀬の作品は恋愛じゃない」と散々叩かれていたが、それでも強烈なコア支持層はいる。

彼女の恋愛ホラー『死神がささやく夜に』は「怖すぎる」と敬遠する層もいる反面、「狂気の純愛がたまらない」という支持票が根強い。


 最後に、中堅作家の月代が廊下を一歩踏み出す。

静かな足取りで、ふと壁に設置されたモニターへ目をやる。

そこには投票数と途中経過のコメントが断片的に表示されていた。


守屋がぶっちぎりの勢いでネット票を稼いでいる一方、月代の作品には“強い物語性を感じるが重たい”という声が混ざり合っている。

高森は“地味”、根岸は“薄い”、そして牧瀬には“恋愛じゃない”という烙印。 


月代は小さく苦笑する。


「おかしいわね。大御所の神代先生が消えた今、専門家好みの私が上手くやらなきゃ……けど、それでも読者の圧倒的支持を得られないんですもの」 


ふと頭をよぎるのは、“狡い手段”を使おうとする誘惑だ。

ステマやネガキャンで点数をコントロールする。

そんなささやきは日々聞こえてくるが、月代は震える唇を噛み締める。


「でも、私はそういう書き方をしてきたわけじゃない」 


頬にわずかに赤みが差し、視線を落とす。彼女が小声で口にするのは、神代の名。


「先生……あなたはあれほどの文芸力を持ちながら、最初に退場した。それがこのゲームの恐ろしさなんですね……」


 そう、神代はもういない。だが神代の影響から逃れられない作家たちが、ここに集まっている。

デスゲームはまさに“評価の残酷さ”を見せつけ、容赦なく作家を削ぎ落としていくのだ。 

月代、守屋、根岸、高森、牧瀬も――。 廊下のスピーカーが鳴り始める。


「ただいまより、中間評価を公開します」


乾いたアナウンスに続き、それぞれの作品評がスクリーンに映し出されていく。


「月代の作品は芯をついた人間ドラマだが、華やかなエンタメ性に欠ける」

「牧瀬のは“恋愛”と呼べるのか? ダークすぎる」

「守屋のは軽く読みやすいが、中身が薄い」

などなど、毒にも薬にもなる言葉が列挙される。

その一つ一つが、作家たちの胸を抉った。


 さらに放送が続く。


「なお、得票数では守屋 漣が圧倒的首位。一方、根岸 千夏はSNS拡散により健闘中。月代 祐紀は専門家による高評価で伸びているが、ネット票がやや伸び悩み。高森 雄一は“安定感があるがインパクト不足”との指摘が多く、伸びを欠く模様。牧瀬 穂乃果は「怖すぎる恋愛」で賛否両論。」 


映し出された順位表を、五人それぞれの視線が睨みつける。

守屋は「よし!」とガッツポーズしながらも、専門家からの酷評を気にしているのか唇を曲げる。

根岸は「SNSでまだまだ拡散するし!」と自分に言い聞かせ、指を震わせながらスマホを操作。

高森は「うーん……」とうなり、月代は無言でランキングを見つめた。 


恋愛小説の評価は、単なる結果だけではなく、それぞれの作家の“性格”や“戦略”を映し出していく。

得票数がすべてとは限らないが、ここでは得票が勝敗を分ける一要素。 

神代のいない今も、彼の存在は作家たちの心をかき乱す。

大御所でも容赦なく切り捨てられた事実は、彼らの筆先を重くし、あるいは策略へと走らせる誘因になっている。

そして、この“陰謀の章”がどこへ行き着くのかは、まだ誰にもわからない。 

扉の向こうで、主催者の不気味な視線だけが、作家たちの焦りと疑心を嘲笑っているようだった。

彼らの命運は、わずかに開いたスクリーンの“ポイント”という数字に翻弄されている。

次なる脱落者は、果たして誰になるのか。切れ味鋭い筆先が血を流す時、誰の名が呼ばれるのだろうか。


――そんな暗い予感を振り払うかのように、月代はノートを握りしめた。

ここは粛々と、己の文学を貫くしかないのだと信じて。 

一方で守屋と根岸は、それぞれのスマホ画面を睨んでいた。

どちらも違うやり方で“票”を稼ごうとしている。

高森は考える。自分は“無難”では勝ち残れないかもしれない、次こそはもっと大胆に挑まなければならない、と。 

牧瀬は、自分の書いた恋愛が決して一般受けしていないが、一部ファンから熱狂的に支持されている現実を知っている。


そして次の結果発表までは、まだ時間がある。 

こうして五人、──その誰もが、まさに“評価の行方”に魂を引き裂かれようとしていた。 

戦いはまだ終わらない。

否、それどころか次なる陰謀の芽が、至るところで音もなく成長し始めているのだ。

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