第三節:恋愛小説完成・公開
夜が明ける頃、施設の廊下は張り詰めた空気に満たされていた。
まもなく締切。恋愛小説を完成させねばならない五人の作家──月代、守屋、根岸、牧瀬、高森は、それぞれの執筆ブースで自分の物語を最後まで磨き上げる。
神代の空席が思い出されるたびに、不穏な寒気が背を走る。
それでもペンを置くわけにはいかない。
やがて朝日が差し込む頃、全員が小説を投稿し終える。
ネット上に公開された五つの恋物語は、すぐに読者と専門家たちの目にさらされていくことになった。
月代 祐紀は、冷静なまなざしをモニターに落とす。
彼女の新作『キスより遠い隣人たち』は都会の孤独と、大人の切なさを描き切った純文学調の恋愛だ。
冒頭にはこんな一文が据えられている。
<< 降り続く雨のなか、彼女は傘をささずに立っていた。その理由を知りたくなるほどに、彼女の瞳は孤独を宿していた…… >>
地味だという烙印を押されそうな文体は、しかし月代にとって武器でもある。静かな筆致で人の心の裏をえぐり出すのだ。
「読者がどれほどついてきてくれるか……」
彼女はそう呟き、唇を結ぶ。もう引き返せない。
専門家の評価を信じたいが、SNSで派手に盛り上がるかどうかはわからない。
それでも月代は「やるだけやった」と自分に言い聞かせた。
守屋 漣のブースからは、いつもの軽妙な独り言が聞こえていた。
彼の作品『おれに惚れるな! でも惚れちゃう!?』は、ハイテンション学園ラブコメとしてネット公開直後から読者数が爆発。
<< 放課後の教室で、可愛い後輩にいきなり告白!? ちょ、俺、そういうの慣れてないんだけど……いや、嘘。慣れてたり? >>
守屋はパソコンの画面に浮かぶコメントを見て、軽く笑みを浮かべる。
「ほらな、いけるって……」
しかし、それは一瞬だけだ。
すぐに彼は小さく息を吐き、「でも“浅い”って言われたら、どうすんだよ」と無意識に呟く。
いつも余裕に見える彼だが、このデスゲーム下では恐怖の重みを無視できなくなっているようだった。
根岸 千夏の『#片想いハートブレイク 〜スマホ越しのあの人〜』も、ネット上ですぐにバズを起こしつつあった。
<< “好き”の気持ちはどこから始まる? スマホ通知に心が弾むたび、私の胸は痛くなる。これが片想いってやつ? >>
若い読者層を中心に「わかる」「エモい!」と盛り上がっているのがコメント欄から見て取れる。
だが根岸の顔はどこか冴えない。
「今度こそ、“浅い”じゃ済まされないよね……」
彼女は呟く。SNSを使いたい衝動をこらえながら、どうにか目の前の画面を更新し続ける。
投票が伸びれば生き残れるかもしれない。
けれど、その評価はただの勢いなのか、それとも作品の真価なのか。
根岸自身が曖昧に感じているのが皮肉だった。
中堅ホラー作家・牧瀬 穂乃果は、もはやブースの椅子に寄りかかるようにして虚空を見つめていた。
投稿したばかりの『死神がささやく夜に』は、「恋愛」というにはあまりにダークで、血と狂気がにじむ内容だ。
<< 愛してる、だから壊したい。あなたを我がものにしたいなんて言えない──。この鎖が、私たちを永遠に結ぶと信じたいのに…… >>
公開されるや否や、「怖い」「恋愛って感じじゃない」「ホラーだ」と敬遠する声も散見されるが、同時に「闇堕ちラブ、いい」「ゾクゾクする」と絶賛するコアファンもいる。
賛否両論が渦巻くなか、牧瀬は青ざめた顔で「もう、どうにもならない……」と細い声を漏らした。
恋愛テーマに合わせようとしても、結局ホラーの血がにじむ。
それが功を奏すのか、それとも命取りになるのか。
大衆娯楽作家・高森 雄一は、「ここまで来たら大衆路線を信じるしかない」と自分に言い聞かせるように呟いた。
新作『君の笑顔を守りたい』は、誰もが予想しやすい王道路線のラブストーリー。
<< 大丈夫、勇気を出して告白すれば、明日から新しい世界がきっと開ける。そう信じて、一歩踏み出そう…… >>
読みやすく感動しやすいが、“定番過ぎる”という声も出るだろう、と高森自身が薄々感じている。大きな波は起こせないかもしれない。
しかし、ここで冒険をすれば自分らしい良さを失うかもしれない──その葛藤を抱えたまま、小説は既に公開されていく。
「どうなるか、もう分からないな」と、高森は自嘲気味に笑っていた。
こうして五人の恋愛小説は揃って世に放たれた。
読者や専門家の反応は、早い者では数十分もしないうちにコメントとして現れ始める。
月代の作品には「文章が美しい」「読後に胸が締めつけられた」という称賛が書き込まれ、守屋の作品には「面白い!」「テンポが最高!」というポジティブな声が殺到する。
根岸のSNS寄りな恋愛にも「共感できる」という若者の書き込みが一気に増えていく反面、「やっぱり浅い」と厳しい声も混じる。
牧瀬のダークな愛の物語は「不快」「グロい」と叩かれながらも、「唯一無二」「背筋が凍った」というマニア層の支持を得ている。
高森の王道ストーリーは「安心して読める」「ハッピーエンドで良かった」と穏やかな評価が並び始めるものの、「インパクトに欠ける」「地味」とも囁かれだした。
書き手たちは、公開直後の評価に一喜一憂する。
しかし皆わかっていた。
この後に控える正式な投票や専門家の講評が運命を左右するのだと。
すでに失った神代の影が重く漂うなか、「誰が生き、誰が落ちるのか」という恐怖が心を締め付ける。
それでも作家として“書いたものを世に出す”という行為には、小さな高揚感がある。 五人はそれぞれのブースに戻り、モニター越しのコメント欄やランキングを凝視し始めた。
画面の向こう側には、読者たちの感想が刻々と流れ込んでいる。
軽口を叩く守屋ですら、唾をのみ込む音が聞こえるほど緊張しているのがわかる。
「誰が読み、誰が投票するか──それ次第で、この先の命運が決まるんだ」
根岸は震える声で言い、SNSの通知音を聞くたびにびくりと肩をすくめた。
月代は静かにモニターを見つめ、わずかに眉を寄せる。
「想定より若い読者の反応が薄い……やはり地味かしら。でも、専門家の点数で挽回するしかないわね」
独り言めいた言葉に、誰かが応じることはない。
みなそれぞれの世界に没頭していた。 やがて廊下のスピーカーから機械的なアナウンスが流れた。
「本日の投稿作品を確認しました。評価と投票結果の発表は3日後。このデスゲームにおける脱落者は一人。健闘を祈ります……」
乾いた声が響くと同時に、五人の作家はこわばった顔を見合わせる。
次に消されるのは──自分かもしれない。 作品はもう送り出してしまった。
あとは祈りながら、もがきながら、結果を待つしかない。
五つの恋物語が世界に広がってゆく一方で、誰かの命が断たれる日も近づいてくる。それがこの場所で課された、取り返しのつかない“契約”なのだ。
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