第二節:執筆開始 ─ 作家たちのアプローチ
窓のない合宿所の廊下を抜けた先には、それぞれ個室の執筆ブースが並んでいた。
狭いながらも最低限の執筆環境は整えられており、古風な木机と薄いカーテン、それに小さな給湯器があるだけの殺風景な部屋だ。
外に出ようとしても扉はロックされ、開閉時には監視カメラのレンズが動く音が聞こえる。
まるで囚われの身のようだ、と誰もが感じつつも、今は目の前の「異世界ファンタジー」という課題に集中するしかなかった。
神代 泰蔵はブースの椅子に深く腰かけ、眉間に皺を寄せながらペンを走らせている。
彼のノートには、砂漠の風景や古代オリエント風の装飾が細かく書き込まれ、考証とも思える資料の切り抜きが貼られていた。
「やはり舞台は“砂海(さかい)の地”……。この地に古の王朝があったという設定で……。」
彼は口の中で呟きながら、まるで歴史文献を紐解くような筆致で執筆を進める。
途中、彼の原稿から一節を覗くと、硬質な文体が目に飛び込んできた。
<< 荒涼たる大地の果て、砂塵の波間に、かすかな風の啜り泣きが聞こえた。 その声は遠き王都の亡霊を呼び覚ますかのように、どこまでも寂寥を帯びていた…… >>
「ふん、あまりに軽率な“転生”だの“チート”だのを書くわけにはいかん。今どきの若輩が好む要素など無粋だろう……」
そう呟きつつも、神代は筆を止める。彼は“ファンタジーらしさ”を盛り込むことにまだ抵抗を覚えているようだった。
一方、隣室の月代 祐紀はノートパソコンを開き、画面を凝視していた。
彼女は細かなプロットを整理しながら思考を巡らせている。
「ここは“転生”の設定を入れないと読者が納得しないのかしら……。いや、でも私は心情重視で書きたいし……。」
悩んだあげくにタイピングを始めると、画面には穏やかながらも重みを感じさせる冒頭文が流れ始めた。
<< 目を覚ましたとき、そこは雪に閉ざされた廃城だった。何故か、私は“領主”を名乗るしかなくて──。 記憶の断片が飛び散るなか、唯一確かなのは、この地を統べる義務を負ったという事実だけだった…… >>
月代は打鍵を止め、自分の文章を読み返す。
「……王道の冒険シーンは少なめにして、主人公の孤独を掘り下げるべきか……。でもネット読者がどこまで受け入れてくれるか……」
静かに息を吐きながら、彼女は“異世界ファンタジー”という課題と自分の作風との折り合いをつけようと必死だった。
守屋 漣は軽快な足取りで自分のブースを出入りし、廊下を往復してはドリンクを補充している。
妙に上機嫌で鼻歌すらもれる。
「おれは最強の竜騎士になる! はい、OK、バッチリでしょ~。だって読者は爽快展開を望んでるわけだし、細かい理屈とか要らないっしょ?」
自作の原稿をモニターに映して、軽快に読み上げる。
<< “何もない”はずのクラス転移で、俺だけ竜騎士の称号ゲット!? ま、楽勝っしょ! あれ、みんな普通の戦士なのに、なんで俺だけドラゴン召喚スキル持ってるんだよ? まあいいか、モテそうだし! >>
守屋は満足げに頷くと、奥歯で軽くペンを噛みながらニヤリと笑う。
「これなら読みやすいしバズるし、絶対ネット投票も上がる。神代先生がどう書こうが、月代さんの内面描写がどうだろうが……俺には勝てないだろ。へへっ」
自信たっぷりの口ぶりだが、その裏にある“もし負けたら”という恐怖を誤魔化しているようにも見えた。
根岸 千夏は小さな椅子に座り、スマホの画面をなんとか確認しようとしているが、Wi-Fi接続は監視下に置かれ、SNSは満足に動かない。
「くそ、電波あんまり入んないじゃん……。でもまあ、書くしかないか」
彼女のテキストエディタには軽快な女子高生口調が踊っている。
<< あれ? スマホ圏外じゃん! てかココ、どこなの!? うっそ、剣と魔法とかマジであるの? ちょっとインスタにUP──できないとか最悪!>>
「タイトルは……『ギャルJK、剣と魔法の世界に放り込まれたら』でいいっしょ。勢い大事!」
根岸は軽いタッチの文章で一気に書き進め、合い間に「映えポイント」をブツブツ呟く。
「でも設定が浅いってまた叩かれるかな……。いや、SNS映えする場面多めで乗り切ろう。ほんと、今回だけは負けらんないし……」
自信に満ちているようで、どこか焦りが滲む。彼女はちらりと廊下を見やり、誰かがこっそり覗いていないか警戒する。
その頃、牧瀬 穂乃果は自分のブースで暗い顔をしていた。
薄暗い卓上ライトの下に置かれたノートには、すでに禍々しい想像図が描き込まれている。
「……やはり、私が書くと血まみれになる。こんなの“ファンタジー”でいいのか……」
しかし止まらないペン先が形作るのは、おぞましい転生儀式のシーンだ。
<< 夜空が呪われた月の色に染まるとき、生贄は自らの血を滴らせ、禁忌の呪文を唱える。 その魂が闇の深淵に引きずりこまれたとき、邪神のまなざしが、世界に終焉をもたらすと信じられていた…… >>
「……ダークすぎる、よね。でも、私にはこれしか書けない。もしウケが悪くても……仕方ないわ」
独り言はどこか震え混じり。
ホラーへのこだわりを捨てられないことを自覚しているのか、ペン先からわずかな迷いがにじんでいる。
高森 雄一は部屋の奥で腕組みをしつつ、ゆっくりとパソコン画面を眺めていた。 「王道冒険……王道冒険ね。『勇者と宝珠の大冒険』だなんて、そのまんまだけど……これでいいか。読者を楽しませることこそ僕の仕事だろう」
彼の執筆ファイルには、少年漫画めいたテンションを感じさせる文章が並ぶ。
<< 広がる草原の向こうに見える光。それは伝説の宝珠へ続く、希望の道だった。 仲間たちは笑顔でうなずき合い、いざ魔王の城へ──! >>
しかし高森はマグカップを口に運びながら首を傾げる。
「うーん、これじゃあ目新しさがないかもしれない。もう少しひねった要素を入れるべきか……。でも下手に斬新を狙って失敗するのも怖いし……」
彼は無難さを重視するか、冒険的に挑戦するかで葛藤している。
大衆向けの筆致に定評はあるが、“デスゲーム”という重圧がそう簡単に割り切らせてはくれない。
こうして六つの執筆ブースでは、それぞれが自分らしい“異世界ファンタジー”を模索していた。
廊下に出るときは周囲の様子を探るように視線をさまよわせ、互いの部屋から漏れてくるキーボードの音や、紙をめくる音に神経を尖らせる。
何かを企んでいそうな守屋の笑い声や、スマホを睨みながら舌打ちする根岸の気配が漂い、落ち着かない空気が充満していた。
そして誰もが心の奥底で理解している。―――“今回、もし書き損ねたら、あるいは書き方を間違えたら、命取りになる”と。 密室に押し込められた作家たちの筆は、ある者は強気に、ある者は怯えながら、しかし確実に動き始めた。
この最初の対決で生き残れるかどうか、その不吉な運命を占う執筆が、いままさに始まったのだ。
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