温もり
「じゃあ、また来ますからな。」
気の抜けた声が聞こえる。
声の先にいるのは、30代ぐらいの、どこにもいそうな身なりの女だった。
「すみませんねえ先生。いつもお父っつぁんの体をみてもらって。」
「なに、そんな気を使わんでもよろしい。わしだって、好きでやってるのですからね、へ、へへ。。。」
そう返事を返したのは、榎本孝衛門である。彼は、この龍砦長屋のみならず、周りからそこそこ知られている町医者であった。なんでも、「頼られたら、その患者がどこへ住んでいよう駆けつける」といわれており、
診察も的確であり、患者がどんな容体でもお茶を濁さず、しっかりはっきりと言い、何より、
「一度頼み込むと、どんなことがあろうと都合を空けて必ず駆けつける」
ということもあって、孝衛門は「知る人ぞ知る名医」と言われていた。
榎本はさっきの女と別れると、そのまま迷わずある場所へ向かう。
その場所は、広い龍砦長屋の中でも一番端、よく日の当たる、明るい場所であった。
最も、その中に住む人間は、決して明るいとはいえない人物だが、、、
榎本が障子を開けると、その男はいた。
背丈は六尺(180cmぐらい)はある大男で、筋肉質で、たくましい体をしている。
顔はよく整っており、体とは対照的に、とても愛らしい
滝吾郎である。
滝吾郎は6畳ばかりの床に、大の字になって眠っていた。
仕事場には、商売道具のやすりや続飯(米を潰して糊にした物)、紐やら凧糸やらが散乱していた。
おそらく仕事が良いところまで進んで、一休みするために眠っているのだろう。
「こりゃあ驚いたねえ、、、珍しい寝方しとるなあ」
榎本は癖になっている髷をかき、不思議なものを見るような目つきでそれを見つめていた。
「これじゃあ、話をしようにもできんなあ、、、」
そう、榎本がここに訪ねてきたのも、休息するためである。治療がひと段落すると、榎本は必ず滝吾郎の家に出向き、他愛もない世間話や、仕事中の滝吾郎にちょっかいをかけるなどしておちょくったりする。そしてそれが一日の楽しみの中の一つなのだ。
「さて、、、どうしたもんかなあ、、、」
すっかり話す気できた榎本は、部屋を見渡す。余計なものが何もなく、至って簡素である。
ふと、滝吾郎を見る。
滝吾郎は実に気持ちよさそうな寝顔をしている。さらさらとした、質の良い髪の毛には、すっかり寝癖がついている。
口は小さく丸く空いており、よだれを垂らしている。
孝衛門はふと、滝吾郎の手に目をやる。太いが、指が長くてスラリとしていて、
そして、小さく開いている。
彼はそこに指を入れてみた。なぜ入れたいと思ったのかわからんが、きっと興味本位であろう。
すると、指をぎゅっと握ったのである。
もちろん、滝が意図して握ったわけではない。彼は自然に孝衛門の指を握ったのである。
これではまるで赤子である。赤子にしては少々大きすぎるが。
しかし榎本が驚いたのは、それもあるが、何より手の温もりであった。
尋常じゃないほど温かいのである。例えるなら、限界まで温めたカイロだ。
「随分とぬくてえなあ、、、」
すると榎本は今度は、滝吾郎の顔に注目した。そしてその大福のようにもちもちした肌を突いてみる。
ぷにぷにしていて、手ほどではないが温かい。
寝ている滝吾郎は、ううんとうなってそっぽをむいた
すると、孝衛門の中に、よからぬ考えが浮かんだ。
(こりゃあ、こいつで暖取れるんじゃないか?)
最も、孝衛門にはそんな趣味はない。ましてや男とそういうことをするなど、もってのほかである。
しかし五年以上の付き合いで家族以上の仲の滝吾郎になら、何も抵抗感はなかった。
孝衛門は滝吾郎の体にそっと触れる。紺色の着物の上からだが、手に体温が伝わってくる。
(こりゃあいいや、、、)
孝衛門は薬などいろんな商売道具が入った木箱を置いて横になった。
そして、着物を身につけて大の字になっている滝吾郎の上から、のしかかるようにして覆い被さった。
孝衛門の体が、温かい滝吾郎の温もりで包まれた。
「ああこりゃあ、、、いいなぁ」
このまま寝れるやつだ、孝衛門は温もりで朦朧とする意識の中でそう思った。
やがて孝衛門は、滝吾郎の胸に顔をうずめて、意識を手放した
それからいくつ時が流れただろうか。時刻はとっくに九ツ半(13時ごろ)になっていた。
「うんん、、、んん、、、」
すっかり心ゆくまで寝た滝吾郎は、すっかり目が覚めた。
ふわぁとあくびをする。それによって目に涙が溜まった
「ちと、、、寝過ぎたかなぁ。」
滝吾郎はそういうと起きようとするが、なぜか体が重い。
「おかしいなぁ、、、どっか悪いんかな?」
滝吾郎は寝起きであまりよく回らない頭でそう考えたが、
やがて自分の体の上に、何かがのっている事をみとめた。
「、、、? ああ!」
のっていたのは、言わずもがな孝衛門であった。滝吾郎の腹の上に顔を乗せて、
スースー寝息を立てて寝ている。
「またなんでこんな、、、んもお、、、」
滝吾郎はすっかり困り果て、どうすれば良いのか混乱していた。
やがて考えもまとまり、眠っている孝衛門をみて、小さく微笑した。
「しばらくこのままにしてやろうかな、、、」
滝吾郎はそう思うと、挙げていた首を下げ、再び目を瞑った。
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