濡れ猫

西順

濡れた猫を電子レンジで乾かす

 これは私見だが、実家を出た男と言うものは、実家に寄り付かないものだ。それが家で待っているのが、変人の家族となれば尚更だ。


 俺は母子家庭で育った。母1人子1人の、ありふれた貧乏家庭だった。それがいつからか大金持ちとなったのだから、運命とは呪われている。


 小学生の頃だ。学校から帰ってくるのと行き違いで、母は夜の仕事へ出掛ける。それが我が家の当たり前だった。


 ✗ ✗ ✗


「こんにちは」


「おう、ボウズ、今帰りか」


 土砂降りの夏の日だ。俺がアパートに帰ると、家から出てきたのは、母ではなく借金取りをしている893だった。母は人が良いので借金の連帯保証人となる事がしばしばあり、小学校に上がる頃には、借金取りが家にいるのは普通になっていた。


「ボク、今からお母さん仕事だから、大人しく家で待っていてね?」


 借金取りの後ろから、母が顔を出し、いそいそと出掛ける準備をして出ていった。


「お前の母ちゃん、いい女なのに、残念だよなあ」


 俺を見ながら借金取りが言う。コブ付きの女は、生き辛い時代だった。まだ若かった母なら、俺と言う存在がいなければ、もう少しマシな人生を送れた。と家にやって来る借金取りたちは口々に漏らしていた。俺が小学生だから、何を口にしたところで、理解出来ないと思っていたのだろう。実際は理解していた。借金取りたちが、俺が帰る前に、母と何をしていたかも。


「た、ただいま!」


 その日の母は、いきなり帰ってきた。借金取りも驚きの早さだ。何か忘れ物でもしたのか? と声を掛けようとした母の腕には、ずぶ濡れの子猫が抱き抱えられていた。真っ白の子猫。


「どうしたの?」


「捨てられていたのよ」


 ベタな展開だったが、人の良い母に放っておくなど出来るはずなく、その子猫を助ける為に、家に舞い戻ってきた母は、びしょ濡れの子猫をすぐに乾かす為に、何と電子レンジに入れたのだ。


「ちょっ、何やっているの!?」


「え? これで猫を乾かそうと……」


 当時変な都市伝説が流行っていた。アメリカでの話だ。シャワールームで猫を洗った婦人が、その猫を乾かす為に、電子レンジに猫を入れた話だ。そんな事をすればどうなるか、普通の人なら理解出来る事でも、俺の母には理解出来なかったのだ。聞きかじった話に翻弄されて、子猫は「んぎゃっ!」と言う短い鳴き声を上げて、電子レンジの中で息を引き取った。


 自分の行いで子猫を殺した母は、その日仕事にも行かず、ずっと泣き続け、そんな母に愛想を尽かした借金取りは、早々に家から引き上げ、俺はその日1日、母が泣き止むまで慰め続けたのだった。


 ✗ ✗ ✗


 翌々日の事だ。朝方、母が上機嫌で帰ってきたのは。もっと子猫の事を引きずるかと思っていたから意外だったが、その理由はすぐに判明した。母は胸に子猫を抱いていたのだ。それもあの猫そっくりの真っ白な子猫を。


「どうしたの?」


「あの子猫が生き返ったのよ!」


「は?」


 あまりにも馬鹿げた発言に、とうとう母の頭がおかしくなった。と思った俺だったが、そもそも母は頭がおかしかったと思い直し、どう言った経緯でその子猫を手に入れたのか、話を聞いた。


 母の話は脈絡なく予想外の方向に突き進む傾向があるので、聞き取りに時間が掛かったが、要約すれば、『店に来た客に貰った』と言うのが正しいようだった。


「なら生き返った訳じゃないじゃないか?」


 と尋ねれば、


「その人、宗教法人の偉い人みたいでね、その場で呪文を唱えて、猫を生き返らせてくれたのよ!」


 との話だ。ああ、ペテンに掛けられたのか。と状況を理解した俺だったが、母に騙されたんだよ。と言うのは忍びないと思い、


「そう、良かったね」


 なんて安い言葉でその場を濁し、いつものように学校に向かった。


 ✗ ✗ ✗


 放課後、家に帰ってきたら、見知らぬ老人が母と歓談していた。


「誰?」


「ほら、子猫を生き返られせくれた!」


 破顔する母と、それをにこにこと下衆な顔で見詰める老人。ああ、この家はもう終わったのだ。と俺は理解した。


「母がお世話になったそうで」


「ふむ。貴女に似て利発そうなお子さんですな」


「そうでしょう!」


 嬉しそうな母だったが、老人は明らかに俺を警戒していた。


 ✗ ✗ ✗


 それから人生が一変した。母はその老人の愛人となり、その宗教法人の人間しか生活していない町に引っ越す事になった。


 老人はどうやらその宗教法人の宗主様とか言う偉い人だったようで、前々から気に入っていた母を手に入れる為に、あんな手の込んだペテンを企てたようだった。


 そんな老人は、母を手に入れると言う念願を叶えた事で、幸運の糸が切れたかのように、母を手に入れて数日でぽっくり逝ってしまい、他の人が宗主様となった。


 その宗主様も母を愛人として囲い、その宗主様も1年経たずに死に、また新たな宗主様に代替わりしても、母の愛人の座は盤石で、そして宗主様は誰も彼も死神から逃れられなかった。


 ✗ ✗ ✗


 母が町に引っ越してきて5年が経った。その頃には、宗主様ではなく、母が畏怖の対象となっていた。皆が母の顔色を窺い、母に目を付けられると死ぬと、まことしやかな噂が流れるようになっていた。


 そして母は宗主となった。担ぎ上げられた。と表現する方が正しいが、とにかく母が宗主となってからの、その宗教法人の躍進は目覚ましいものがあった。


 別勢力であった宗教法人を、母は夜の店時代に獲得した会話術で、そのトップと渡り合い、次々と飲み込んでいき、母が宗主を務めるようになった宗教法人は、拡大の一途を辿っていった。


 その頃から、いつも金銀宝石を身に付けるようになった母に嫌気が差し、俺は母に保護された白猫と共に、大学に進学すると言う形で、都会に逃げ込んだ。


 ✗ ✗ ✗


 それから10年━━。母の訃報が俺の下へ届いた。医者の話では、日頃からの不摂生のせいであったそうだ。


 老猫となった白猫を伴い、町に戻ってみると、町は更に発展して市となっており、県から支店経済都市認定される程の発展ぶりだった。様々な企業から、支店や支社、子会社などが市に誘致され、母はその都市を見守る聖母と呼ばれ、市民から愛されていたようだ。


 電車で地元の駅に下りるなり、俺と猫を市長が出迎えた。そのまま高級車で母の豪華な私邸に送迎された俺は、母の死に顔を拝むと、私邸で母の弟子を名乗る顔の良い男たちと会食させられ、今後、俺がこの宗教法人を継ぐように記された、母の遺書を見せられた。


「俺が宗主になって、嫌じゃありませんか?」


「宗主様のお導きですから」


 弟子たちはにこにこしてそのように口にはしていたが、目の奥が笑っていなかった。


「分かりました。では一旦私が宗主となり、後日新たに宗主を決めさせて頂きます」


 この言葉は弟子たちを奮起させるには十分だったらしく、俺は弟子たちから盛大なもてなしを受けたが、俺には元から弟子の誰かを宗主にする気などなかった。


 ✗ ✗ ✗


「新たな宗主を決めました」


 数日後、これ以上もてなしを受けては、極楽から帰ってこられないと感じた俺は、弟子や関係者たちを集め、地元テレビやネットなどでも中継し、誰にも文句を言わせない状況で、次の宗主を指名した。


「次の宗主となるのは、この白猫です」


 俺の発言にざわつく一同は無視して、俺は話を続けた。


「この白猫は、母とこの宗教を繋げてくれた正しく幸運の招き猫です。母の幸運は、この猫と出会った事から始まりました。母を幸運に導いたこの猫こそ、皆を幸運な人生へと導いてくださるでしょう。私はこの猫を永久宗主とし、この猫の死後も、この白猫が宗主であり続け、皆を幸運な人生へ導く方になれると信じています」


 俺の宣言は、地元で侃々諤々かんかんがくがくな議論を呼ぶも、結局、母の弟子たちの誰が宗主となっても、何かしら悪い噂が立つだろう。との話となり、それならば幸運の白猫の方がマシだ。と言う話でまとまり、無事に白猫はこの宗教の宗主となった。


 ✗ ✗ ✗


 それが間違いじゃなかった証明のように、宗主が白猫と言う宗教は珍しい。と話題となり、世界中のメディアから取材が入り、更に市は発展していく事となる。


 もう老猫であった白猫は、それでも3年生き、その息を引き取った後も、永久宗主として守護神となり、この宗教法人を見守っていく事に、この頃には異論を唱える者はいなくなっていた。


 俺は猫の最期を看取ると、この市からも宗教法人からも離れ、小学生の頃に住んでいた町に帰ってくると、公務員として、新たな人生を始めたのだった。同僚の1人はあの白猫グッズを喜んで身に付けていたが、俺があの会見に映っていた事など、欠片も覚えていなかった。俺の人生なんて、その程度で良いのだ。


 了

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