第3話 ぬくもりにつつまれて

 雪が積もる中をどんどん歩いてマンションに戻る。スーパーのお惣菜も凍りそうな寒さだ。

「冷えた? お風呂入る? 俺のトレーナー着る?」と光一郎は早口で言う。

「え? あ、後でいいよ? 先に入って」

「あ、でもタオル…ないんやった」と慌てる。

「コンビニで買えばよかったね」

「あぁ…。ほんまに」

「先、ご飯食べよう。お腹空いた」と結子がお惣菜を取り出す。

「そうしよう」と言いながら、ご飯を冷凍庫から取り出して、レンチンを始める。「ご飯冷凍してるの?」

「うん。一気に炊いて、冷凍しておくねん。そっちの方が面倒臭くないから。佐田さんは料理とか得意なん?」

 結子は首を横に振る。実家から通っているので母親に甘えっぱなしだ。

「だから振られたのかな」

「え?」

「なんか…セックスしたかっただけみたい」と結子は俯いた。

「…そ、そんなん、男は…まぁ、そうかも…でも…佐田さんは悪くないから。振られた理由なんか探さんでいいから」

 必死でそう言ってくれる光一郎の頬が赤い。寒さで鼻も赤いから酔っているみたいに見える。結子が何か言おうとした時、レンジの音が鳴る。ご飯が温められたようだ。

「食べよう。せっかくエビチリ買ってきたし」

「うん。あ…卵焼き作れるよ? 卵焼き器ある?」

「そんなんない…けど、買っとく」

「わざわざ…」

「また遊びに来たら? っていうか、来て」

 強引に言われて、結子は頷いた。ときめきがあるのか分からないけど、何だか肩の力が抜ける相手だった。


 ご飯を食べながら、テレビを見る。ニュースでは大雪の話をしている。どこもかしこも雪が降っている。帰宅時間と重なり大変なことになっているようだ。

「あー、帰らんくてよかったな」

「うん。見ず知らずなのに…ありがとう。倒れた私に優しくしてくれて。でも…どうして声かけてくれたの?」

「どうしてって…。倒れたら、普通助けへん?」

「…どうかな。倒れた人が恥ずかしいとか…思ったりして、私は手助けできないかも」

「あぁ、そっかあ。でも佐田さん、全然、起き上がって来んから心配した」

「あ、うん。なんかいろんな感情で動けなかった」

「まぁ、それは分る」

 結子にはお茶碗やお皿を貸して、光一郎は惣菜の蓋にご飯を乗せた。

「彼女とかいないの?」

「いたら、呼べへんよ」

「そっか。付き合ったことは?」

「高校の頃はあるけど…やっぱり遠距離は難しかったな。電話もお金かかるし…会うのも年に二、三回で…。お互い新しい人と出会える環境やったし」

「辛かった?」

「うーん。まぁ…うん。辛かった」

「私も辛い」と言って結子は涙を零した。

「そんだけ好きやったんかあ」

「ううん。好きじゃない」

「へ?」

「好きじゃないよ。でも向こうも好きじゃなかった。遊ばれたの。付き合ってなんかなかったの。好きになれると思ってたのに…ただの遊びで…」

「…それは辛かったな。そんな男、早めに辞めれてよかったやん」

「…うん。分かってる。それなのに、どうして辛いんだろうね」

 結子は誰かに聞いて欲しかた。そしてその答えを分かっているのに納得できない自分が苦しい。

「それは相手が悪いだけやん。いい人見つけたらええし…」

「いい人ってどこにいるの?」

 照れて自分を差している顔を見て、結子は思いきり笑ってしまう。

「失礼やなぁ。結構、いい男やと思うで」と顔をさらに赤くして言う。

「本当? 遊ばない?」

「一筋やで」

「即答でそういうところが怪しい」

「ほんまやし」

「なーんか、関西弁ってずるい」

「えー、なんで?」

 柔らかく聞こえるその言葉も笑顔もエアコンの風も何もかも温かかった。うっかり固まった心まで解凍されそうになる。

「っていうか、私のこと好きなの?」

「好きやで」

「え? どこが? いつ好きになんかなったの?」

「じゃあ、俺のこと嫌い?」

「嫌いじゃ…ないけ…ど」と結子は困ってしまう。

「可愛いなぁって思った」

「可愛い? こけたから?」

「あー、それはそう。歩きにくそうにしてるなぁと思って見てたから」

「怖いよー」

「ごめん。淋しそうな横顔見えて…」

「え? いつから」

「大学出た時に…。すごく哀しそうな顔してて、気になって」


 結子は確かに俯いて歩いていた。歩きにくいから足元を見ていたというのもある。それだけじゃなくて、胸が苦しかった。愛し愛されると思っていたのに、あっさり捨てられた。

『別れよう』

 突然の言葉に驚いた。

『後輩が告白してきたから…』という理由だった。

 結子は言葉を失うと

『だって、いろんな子と付き合いたいじゃん』と言われた。

 そんな男と付き合った自分が悪いのだ。悪いのだけれど、と結子は何も言えなかった自分が悔しかった。

「今日、言われて。別れようって。何も言えなくて」

「そっか」

「…こうして柳田君と楽しい時間過ごしてても、苦しい気持ちがまた出て来て」と結子が言うと、光一郎はなんとも言えない顔をする。

「佐田さんは幸せになるよ。俺が…する」

 突然の言葉に結子は驚いて目を大きくした。

 大雪で外は寒いのに、エアコンが効きすぎているのか、結子も熱くて顔が赤くなる。

「これからも…遊びに来てよ」

「うん」

 光一郎がまた柔らかく笑って「じゃ、一緒にタオル買いに行こっか」と言う。

 結子はその一言で救われた。


 その日買ったタオルの一本は結子専用になった。雪が降り続く夜、温かい部屋で、結子と光一郎は一緒のベッドで眠った。光一郎は何もせずにただ抱きしめてずっと髪を撫でてくれた。繰り返される暖かさは心地よかったけれど、キスぐらいしてもいいのに、と結子は思いながらゆっくり瞼を閉じた。耳を澄ませば雪の音が聞こえそうな気がしたけれど、光一郎の手が止まると穏やかな寝息が聞こえてきた。

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