第2話


 ……フレディ……


 そっと、頬に触れられた。

 瞳を開くと、心配そうに黄柱石の瞳がこちらを覗き込んでいる。

 彼の顔が見えた時、フェルディナントは深い息をついて目を閉じていた。

「……だいじょうぶ? ……ごめんね、起して……少し魘されてるみたいだったから……」

 背中に、変な汗を感じた。額にもだ。魘されていたという自覚がはっきりあった。

 ゆっくりと、上半身を起こす。水を取りに行こうとすると、ネーリがシーツの上についたフェルディナントの手を押さえた。

「そこにいて、フレディ。僕が持って来る」

 ネーリがすぐベッドを降りて、裸足のまま、そこにあったテーブルの水差しからグラスに水を注ぎ、持って来てくれた。

「……ありがとう」

 フェルディナントはゆっくりと、冷たい水を飲んだ。

「……こわい夢を見たの?」

 半分ほど注がれた水を飲んだあと、しばらく目を閉じて心を鎮めるように押し黙っていたフェルディナントに、十分時間を与えてからネーリがそっと、聞いて来た。

「……何か、言ってたか?」

 ネーリは首を振る。

「そうか……」

 グラスを受け取る。グラスはそのまま、サイドテーブルに置いておいた。

「……ありがとう。悪かったな、起してしまって」

「全然気にしないでいいよ。僕もいつもフレディ起こしちゃってるもの」

 ネーリの自分を起こす理由を思い出して、フェルディナントは唇の端を動かし、小さく笑った。いつもの、こちらの心が温かくなるような、笑い方じゃない。

 本当は笑えないほど心が怯えているのに、ネーリに大丈夫だと言おうとして、笑いかけているのが分かって、ネーリはそんなことしないでいいよ、と言葉で言おうとしたが、上手く言葉にならず、思い切ってフェルディナントの頭を抱えるように、抱きしめてみた。

 どんな夢だったか、分かる。

 勇敢なフェルディナントをここまで怯えさせる悪夢など一つしかない。

 その報せを、フェルディナントが聞いた時、一体どんな気持ちが一番最初にあったのか。

 絶望なのか、嘘だという疑念なのか、とても信じられなかったのか、それは決して分からないけど。

「……ネーリ?」

 胸の中に抱きしめられるようにされて、フェルディナントが小さく声を返す。

「……あのね、フレディ……こういう時まで、僕を安心させてやらないと、とか思わないでいいから。気にしないで、落ち着くまでこうしてて。僕も不安な時、フレディがこうやって抱きしめてくれるとすごく安心するんだよ。だからフレディも嫌な夢見た時くらい、安心するまでこうしてて」

 優しく、背を撫でられる。

「……ぼく、こういう時温かいもの飲むと心が落ち着くよ。何か淹れて来ようか?」

 声を出さず、フェルディナントは小さく首を振った。

 ネーリの身体に腕を回して、温かさを感じると、嘘みたいに先ほどの嫌な悪寒が消えてしまった。

 単純だな、俺は。今度は無理などせず、普通に笑えた。

「わ!」

 抱きしめていたネーリの身体を自分の隣に引き倒した。彼は驚いていたが、フェルディナントは構わず彼の胸に顔を埋めたまま、また眠る体勢に入った。目を瞬かせてその様子を見ていたネーリは、もう、彼が大丈夫なようなので安心し、彼も眠りを続けることにした。いつもはフェルディナントがこうやって腕に抱きしめてくれるけど。

(今日は逆だね)

 フェルディナントの金髪を指で優しく撫でていると、このまま眠れそうな、まったりとした空気だったのに突然彼が「冷たい」と声を出した。どうやら床をぺたぺた裸足で歩いていたネーリの足が触れたらしい。

 もう季節は冬だ。

 冷たい床に触れると一瞬で足など凍える。

「ほんとだ。フレディの足あったかい」

 嫌がるように逃げたフェルディナントの足を追ってくっつけて、ネーリがくすくすと笑っている。

「冷たいってば」

 怒るように言葉は言ったが、声は優しい。フェルディナントは笑ってくれたし、一度は逃げた足が今度は自分からネーリの足に、温もりを与えるように絡まって来る。くすぐったくてネーリは笑った。咎めるフリをして、もう一度、フェルディナントの頭を胸に強く抱きしめる。もういつものフェルディナントだ。

 でも、見えない所にいつも、痛みや悲しみは寄り添っている。

 きっと完全に消し去ることは出来ない。

 ……それでも、なるべく奥深くに、眠らせておけますように。

 フェルディナントの頭を抱えるようにして、優しく髪を撫でながら、ネーリはいつしか、眠りに落ちていた。


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