刀自売は、讃岐国の国府周辺に住まう小さな土豪・布敷氏の一族の娘だ。

 ただし刀自売の家自体はそのうち鵜足郡(現丸亀市・宇多津町周辺)に住んでいた分家の分家にすぎず、何の財力もないごく平凡な家である。

 ただそれでも嫁いだり嫁がれたりで本家や他の分家と結構な縁が出来ており、現在では刀自売の一番上の伯父が本家の当主、一番下の叔父が山田郡(現高松市)の分家の当主というつながりになっていた。

 そんな一族の中で別々の家に二人の「刀自売」がいるのは、全くの偶然のことからである。

 女性が軽んじられた時代ということもあってか、娘に対する両家の名づけは実にいい加減なものであった。そこで当時よく使われていた「刀自売」をかぶっているとも知らずにつけてしまったのである。

 これが現代のように人も書簡も頻繁に往来していればすぐに分かっただろうが、汽車も自動車も郵便も電話もないこの時代ではどだい無理な話だ。

 結局普通に見られる名前とあって見過ごされてしまい、同名であると気づかれたのは二人が一歳の時に班田(口分田の支給)を行う際に戸籍が見直され、それぞれのさとに照会が行った時のことだった。

 しかしさすがに名前が定着した今になって変えるわけにも行かぬし、さりとて従姉妹同士という血縁の近さなので区別しないわけにも行かぬ。

 そこでやむなく同名のまま通すことにし、必要な場合だけ郡名をつけて「鵜足の刀自売」「山田の刀自売」と呼んで区別していたのである。

 これだけならただの珍事にすぎないが、これが一族のつき合いに思いがけぬ影響を与えた。疎遠となっていた山田郡の叔母夫婦が刀自売の両親と仲を深め、たびたび家族連れで往来するようになったのである。

 そもそも叔父は鵜足郡と山田郡の間にある国府を中心に商いをしている行商人であり、遠からぬ鵜足郡にも来ることがあった。そんな中で時折手伝いとして家族を同道させることもあったため、このようなつき合いが生じるのも決して不思議なことではない。

 最初こそ刀自売も親戚に会えて小づかいももらえると喜んでいたが、ここに物心ついた従姉妹の山田の刀自売が加わった途端に一転して地獄となった。

 山田の刀自売はわがままに育っており、またひどい癇癪持ちで嫉妬癖のある問題児だったのである。しかも最悪なことに外面がよく、大人の前ではいい子を演じていると来た。

 ここまで来ると親の育て方が云々育ちが云々というより、元々の人間がねじ曲がっているとしか思えぬ。

 普通なら関わりたくないと思う相手だろうが、刀自売は外面に見事に騙されつき合ってしまった。

 そこからはもう最悪最低である。大人が見ていないところでの陰湿ないじめが始まったのだ。

 それも肉体的なものではなく精神的なものである。おとなしい性格なのを「暗い」「辛気くさい」、冷静なのを「澄ましている」「お高く止まっている」と言うのはもはやお決まりで、ささいな失敗をあげつらうわ趣味嗜好を否定するわの上しまいには人格否定と、およそ我々が今「いじめ」と聞いて思いつくものは全てやり尽くしたと言っていい。

 さらにわがままと癇癪もぶつけて来て、散々悪さをした挙句全て刀自売のせいということにしたり、刀自売がいじめに反抗したり自分よりよいところを見せたりすれば手を上げることさえあった。

 ここまでやって両親たちが気づかぬわけがないと思うだろうが、この手の子供の奸智をあなどってはならぬ。おのれの子を「いい子」と信じたい親の心理に巧みにつけ入り、眼をくもらせるのである。

 しかも刀自売の両親も叔父夫婦も家族の和が乱れるのを嫌っており、何か家族の中で大きな問題が起きてもなあなあでごまかしてしまうという癖があった。

 要は事なかれである。さらに理由が「騷ぎがあると里の人から嫌われる」というもので、世間体を気にしてのことだとも知れたのだから救いようがない。

 当然のごとく、刀自売が一連の被害を訴えても何もしてはくれぬ。それどころか、

「お前にも悪いところがあったのだろう?」

「君にも何かあったんじゃないのかね」

 これまたありがちな被害者責めの言葉が返って来る始末である。

 そんな中、仕返しの機会がめぐって来た。ある時行われた、一族の集まる宴の時のことである。

 ここには伯父である本家の当主もやって来る。普段全く会わないが、自分の両親も相手の両親も当てにならないとあっては外に頼らざるを得ぬ。それに一番の権力持ちとなれば、どんな悪童であろうと勝てまい。

 もっとも山田の刀自売もさるもの引っかく者である。いつもより警戒して尻尾を出さなかったが、それが逆に重荷となり爆発、よりによって当主から声の聞こえる場所でいじめを始めた上に癇癪を起こした。

 こうなればこっちのもの、戸惑う当主に山田の刀自売の悪事を全て述べ必死に被害を訴える。

 その横で山田の刀自売は、今までの「いい子」像が水泡に帰すかと冷汗を流していた。

 刀自売が自分に追い風が吹くことを確信し、当主の顔を見上げた時である。

「駄目じゃないか、従姉妹同士でけんかなんかしちゃ」

 その口から、ひどくのんきな言葉が飛び出した。

 これには刀自売のみならず、山田の刀自売まで唖然としたのは言うまでもない。

 この男、相手が子供だと思って事態を完全に矮小化している。やられた側はもちろんのこと、やった側もいじめだときちんと理解しているだけに想定外にもほどのある発言だった。

「みんなの前でみっともないぞ。互いに謝って仲直りなさい」

 当主はほうけている二人を立たせ、無理矢理に謝らせようとして来る。

 不本意極まりなかったが、一族の長に言われてはどうにもならぬ。

「……ごめんなさい」

「……ごめんなさい」

 顔をうつむけて露骨に形ばかり頭を下げて謝るのに、当主は、

「ほらほら、仲よしの印に手と手を取りなさい」

 そう言って二人の両手を取り、無理矢理手を合わさせた。当時はまだ習慣として存在しなかったが、事実上の握手だと言っていい。

 当主だけがよいことをしたと言わんばかりに能天気に笑いながら席に戻る中、目を盗んで山田の刀自売は手を払って来た。いや、彼女がやらずとも刀自売の方がやっていただろう。

 山田の刀自売はむすりとして悔しそうに眼をぎらぎら光らせ、不満をあらわにしていた。望んでもいないのに「仲直り」させられて勝手に「仲よし」にさせられた上、このせいでしばらく好き勝手が出来なくなるとなれば面白いわけもない。

 刀自売の方も不満ではあったが、それ以上に失望の念からひどく暗い顔となっていた。せっかく勇気を持って直訴したのに、その果てがこれなのだからどうしようもない。

 当主自身は実にいい気なもので、これだけの偽善をはたらき子供たちを傷つけておきながら、酒に酔い歌などひねって次は誰が詠めかれが詠めと調子に乗っていた。

 重苦しい空気の中山田の刀自売と別れた刀自売は、手を出せない鬱憤をためにためた彼女の怨みがましい視線に射すくめられながら、宴を何とかやり過ごすしかなかったのである。

 その後恥をかかされた仕返しとばかりに山田の刀自売のいじめと癇癪はますますひどくなり、刀自売はさらに苦しめられ続けた。

 それも相手が病に倒れたことで終わりになったが、今度は両親が一緒に見舞いに行こうと誘い始める。

「仲よしなんだからお見舞いくらいしてやりなさい」

 本気で「仲がいい」と思っているのかそういうことにしたいのかは知らぬが、とにかくしつこかった。

 だが刀自売も人の情がある以上、病で弱っていることを楯にされてはいつまでも拒絶出来ぬ。

 結局ほぼ強制的に引きずり出され山田郡までたどり着いたのだが、ここでも口を開けば「二人は仲よし」の前提で話をされ続け、ついに嫌気が差してしまう。

 そこで道に迷ったことにして自宅へ戻ってしまおうと、道がうねって来たのをいいことに隠れながら街道を何とか引き返すのに成功した。

 そして気づかれていないか振り向いたところで、あのありさまとなったのである。

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