静かの海、浮かぶ宝石に

いおにあ

第1話 日常


 おーい・・・・・・


 どこか遠くから、声がする。


 おーい・・・・・・


 懐かしい声だ。でも、この声は誰のものだったかな。思い出せない。


 おーい・・・・・・そろそろだよー・・・・・・

 

 ・・・・・・なにがそろそろなのかな。


 ぼんやりとした意識が、霧が晴れるように徐々にはっきりとしていく。それにともない、結衣ゆいの思考もまた、形のあるものになっていく。


 ・・・・・・ああ、夢か。

 

 そう悟った瞬間、結衣は目覚める。そう、今の懐かしい声は、ぐっすりと眠っている間に見ていた夢の残照ざんしょうに過ぎなかったのだ。


「ふぁぁぁ~・・・・・・」


 盛大にあくびをしながら、ベッドの上で半身を起こす。起き上がった拍子に、ふかふかの掛け布団が、ベッドの下へとずり落ちる。


「む・・・・・・眠い」


 だけれどもう起きなきゃ。今日も仕事があるし。


 でも仕事の前に、まずはめしだ。結衣は、のそのそとした動きで、ベッドを出る。


 結衣の部屋は、いかにも“女の子らしい”ものであふれかえっている。数多あまたのぬいぐるみが、所狭ところせましと並んでおり、もこもことした山を形成している。 パステルピンクのカーテンが、光を受けてあわく輝いている。壁紙には、お気に入りの熊のキャラクターの自作の絵が、描かれている。


 咲菜さくなからはよく「女の子っぽすぎんでしょ~」とからかわれる。「わたしたち、女の子だからいいでしょ」と結衣はいつも返答する。


 ちなみに、そう言う咲菜の部屋はやたらと男の子っぽい。ぬいぐるみなんてひとつもなくって、調度品といえばお気に入りのマンガが無造作に並べられている本棚くらい。装飾のない壁には、日付だけを記したカレンダーが、素っ気なく掛けられているだけだ。絵が趣味なのだが、描いた絵はすべて結衣か瑞希みずきにあげるので咲菜の部屋には一枚も残っていない。


 かくのごとく、咲菜の部屋はシンプルだ。片付きすぎて、ちょっと殺風景にさえ思える。とはいえ、瑞希の部屋のように散らかりすぎているのも考えものか、と結衣は思う。 


 整理整頓が極端に苦手な瑞希の部屋は、とにかくものが山積している。以前は結衣や咲菜が掃除していたのだが、三日もすれば、あっという間に元に戻ってしまう。「散らかすのも個性のうちだよ~」なんて瑞希はうそぶく。いや単にだらしないだけだろう。結衣も咲菜もそう突っ込むのだが、ここまで長年変わらないのだから、もうどうしようもないのだろう。


「さてと。まずは食堂に行かなきゃね」 


 結衣は、部屋を出る。



 階段を下りると、今日の料理担当の咲菜がすでに台所に立っていた。コトコトとスープが煮込まれている鍋。トントントンと包丁とまな板が奏でる小気味よいリズム音。咲菜の得意とするあっさり系の朝食で、今日の一日は始まるだろう。


 結衣は、エプロンを着けて料理中の咲菜の背に話しかける。


「瑞希ちゃんは?」

「まだ寝てんじゃね」

「でしょうね・・・・・・」


 瑞希は完全な夜型なので、いつも朝は遅い。一方で超がつくほどの朝型なのが咲菜だ。その間に位置するのが結衣で、毎晩十一時頃には寝て、朝七時に起床が基本だ。


「結衣。わりーけど、料理終わってもまだ起きてこなかったら、瑞希を起こしてくんない?」

「いいわよ」


 これまでの生活で瑞希が朝食まで起きてこなかったのは、七割程度。つまり三割の確率で、朝食に間に合うのだ。


 だが、今朝はどうやら七割の方らしい。


「ということで、結衣。配膳しているあいだに、瑞希を起こしといて」

「はいはい」


 結衣は階段をのぼり、瑞希の部屋に向かう。


 あいわらず乱雑な、瑞希の部屋。散らかり具合にますます磨きがかかっている。


 結衣ゆい溜息ためいきをつく。というか、瑞希みずきはどこにいる?この前〈ワールド〉を旅行したときにしこたま買い込んできたスナック菓子の包装紙に、書物、座布団ざぶとん・・・・・・あらゆるものが山積するこの部屋のどこかに、物に埋もれて眠っているのだろうけれど。


「おーい瑞希。どこいるのー?」


 呼びかけてみると、ゴミでできた海のような部屋の一角がガサリと動いた。そこか。結衣は歩み寄り、上に乗っていたフィギュアやらマウスパッドやらを脇にのける。下から出てきたのは、丸まった掛け布団。もぞもぞと動いている。どうやら、この下にいるようだ。 こういうとき、瑞希に手心てごころを加えてはいけない。結衣はその布団を無造作につかみも引っぺがす。


「あわわわわわわわっ!?」


 素っ頓狂な声を上げながら、瑞希の姿が出現する。淡い水色のボサボサの髪の毛。パステルグリーンの瞳。童顔な面立ち。


「瑞希。朝食ができたわよ」

「はーい・・・・・・でもちょっと待って。まだ眠い・・・・・・あと五分」

「待たない。さ、行くわよ」


 ガラクタの山から瑞希を強引に引き上げ、立たせる。「む~」と不満げながらも、渋々しぶしぶ結衣のあとをついてくる瑞希。


 二人は、ダイニングへと向かう。



 今日の朝食は、ご飯に味噌汁という和食スタイルだ。やはりこのスタイルが一番落ち着くのは、結衣たちが日本人という設定だからだろうか。


「いただきます」「いただきます」

「むにゃー、眠い~・・・・・・」


 瑞希は半分眠っている状態で、もぞもぞと食事を口に運んでいる。こういう感じなので、瑞希に朝食担当は任せられない。必然的に彼女は、夕食担当となる。


 朝食が終われば、今日の仕事が始まる。


「それで結衣。今日の仕事は?」


 咲菜が質問してくる。なんだかんだで、三人の中では一番のしっかり者の結衣が、仕事内容を管理している。


 結衣はタブレットを取り出し、確認する。


「ええっとね・・・・・・午前中は久しぶりに観測ね・・・・・・それから午後は〈ワールド〉の修正作業・・・・・・」

「了解。んじゃ、とっとと支度しますか」

「ん~、お布団入りたい・・・・・・」

「こら瑞希。とっとと準備を始めるわよ」


 こうして、三人の一日は始まる。



 観測室に入るのは、いつ以来だろうか。途方もない年月があっという間に過ぎていって、その間に数え切れないくらいにここで観測を繰り返したが、それでもなぜかいつも新鮮な気持ちで、この仕事を始められる。


「おー、これまたでけえじゃん・・・・・・」


 巨大スクリーンに映し出された白色矮星はくしょくわいせいを見ながら、咲菜が感心する。


「前回より随分と小さくなっていったわね・・・・・・このままだとこの星の寿命は・・・・・・瑞希、計算をお願い」

「あいあいさー」


 やる気のない声を出しながら、瑞希はこの星についての計算を即座に始める。日頃の自堕落な生活からは信じられないくらい早く、正確な計算を瑞希は行う。


「はあ・・・・・・でも、うちらのこの“観測”て、なんか意味あるのかね。いつもご大層に記録ばかりして・・・・・・」

「咲菜。もうその愚痴にも似た問いかけ、何百万回めよ」

「いいじゃん、別に。何億回いったって。たださ、こうして恒星とか惑星とかの記録だけしても、誰も読んでくれないんじゃねーのかな、て」

「あら、そんなことはないわよ。遠い未来、どこかの誰かが、見つけてくれるかもしれないわよ」

「未来っていってもね・・・・・・今ここが、十分すぎるほど未来なんじゃないのかな」

「いいえ。まだまだ未来はずっと先のはずよ」


 スクリーンに浮かぶ白色矮星に見とれながら、結衣は確信をもってそう伝える。


 自分たちを生み出した人類は、悠久ゆうきゅう彼方かなたの昔に、とっくに滅亡しているだろう。だが、それでも結衣たち記録用AIは、こうして宇宙の神秘を探り続けねばならないのだ。

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