第3話「黒い翼と出会ったのじゃ」

「……ひとまず、あの黒いのは敵か味方か見極めんとな」


わしは、街道から少し外れた丘の上で、じっと空を見つめていた。先ほど行商人たちと別れた直後に目撃した“黒い影”が、どうやらこのあたりで滞空しとるらしい。巨大な翼をひらめかせながら、時折低空飛行している姿はまるで猛禽かドラゴンの亜種のようにも見える。


「もしわしが何もせんと、この先の旅人や村が襲われたらたまったもんじゃない。かといって、むやみに仕掛けるのも面倒じゃのう……」


ため息をつきつつ、わしは腰に手を当てる。すると掌が触れた先が空間ごと歪むような感触を得た。これは“わし専用の亜空間”へとつながる小さな入り口。並大抵の魔術師では扱えん高度な空間魔法じゃ。わしはここに大量の酒と道具を保管しておる。


「さて、どうしたものか……。ま、酒を取り出すほどの事態にはならんかもしれんがの」


わしは杖を片手に、勢いよく地面を蹴って小高い岩の上へと跳んだ。頭上に広がる青空を一瞥しながら、少しずつ魔力を高める。突如として、風がごうっとうなり声を上げた。


「よし、来たな――」


黒い影が素早い動きでこちらへ急接近してくるのを感じる。翼を何度かはばたかせ、鋭い目つきでわしを睨みつけると、荒々しい咆哮をあげた。


「グルルァァァッッ……!」


「こりゃワイバーンの亜種かの。しかも随分でかい。下手なドラゴンより迫力あるじゃないか」


漆黒の鱗に覆われたその巨体は、人ひとりを軽々と呑み込んでしまいそうな鋭い牙を持っていた。目を血走らせるように見開いているから、威圧感も相当なもんじゃ。


「なにをそんなに怒っとるんじゃ。わしは酒屋じゃぞ、獲物じゃないわい」


そう言っても通じるはずもなく、漆黒ワイバーンは咆哮とともに一気に突進してきた。大きな翼で上昇気流を作りだし、わしの頭上から狙うように爪を振りかざしてくる。

わしはひと呼吸で魔力を込め、杖を振り上げた。


「悪いが、わしはそこそこ忙しいんじゃ。加減はしてやるから、大人しくなりんしゃい!」


空気がビリビリと震えるほどの風圧を引き起こし、わしはワイバーンの巨大な攻撃を杖先から生み出した衝撃波で受け流した。

金属がこすれるような甲高い音が響き、ワイバーンの体が横合いへと吹っ飛ばされる。さすがに驚いたのか、獰猛な瞳が一瞬ひきつった。


「グ、グルル……!」


「おお、耐えおったか。こやつ、なかなかタフじゃのう」


さらに威嚇するように翼を広げたワイバーンは、再度突っ込んでくる。わしは今度こそ強めの魔力を開放し、杖に込めた風の奔流で相手の足元をさらうように吹き上げた。

ワイバーンは足場どころか翼ごとバランスを崩し、ゴロゴロと地面へ転がっていく。その衝撃のせいか、岩肌に大きな爪痕が走った。

それでもまだ立ち上がってくるあたり、大したしぶとさじゃ。だが、その身体には無数の小傷やかさぶたが見受けられる。どうやらこの子、今までも何度も戦いを繰り返してきたらしい。


「さてはどこかの縄張り争いに負けて、こんなとこに流れ着いたか? 怪我だらけじゃの」


わしはため息をつきながら、杖を勢いよく振り下ろす。大気を操る魔法による衝撃が、ワイバーンの巨体を押さえつけるようにのしかかる。


「グルル……グルルァ……!」


地面に伏せられ、か細く鳴くワイバーンを前に、わしは杖を下ろす。殺すつもりはなかったし、ワイバーンがそれを理解したかどうかはともかく、先ほどの殺気はだいぶおさまったようじゃ。


「よし、もう暴れるな。……体のあちこちに酷い傷があるのう。ちょっとじっとしておれ」


わしは亜空間の入り口を開き、そこに手を突っ込む。並の魔術師には使えん便利な魔法のおかげで、あらゆる荷物を手元に取り出せるのじゃ。傷薬や絆創膏代わりの布切れ、そして彼の痛みを和らげるための簡易治癒の道具なんかもここにある。


「いいか、噛みつくんじゃないぞ……ほら、これでも舐めて落ち着け」


わしは魔物の体質でも害にならんように調合した薬入りの水を、こぼさないよう注意しながら差し出す。ワイバーンは最初こそ唸っていたが、わしが完全に敵意を失っていると気づいたのか、ちらっとこちらを見やりながら薬の入った水を飲み込んだ。


「うむ。傷を治せば、またどこかへ飛んでいくじゃろう。もし気が向いたら、わしに協力してくれてもええがの」


そう言ってわしが治癒魔法を施すと、ワイバーンは少し苦しげな呼吸をしながらも、心なしか痛みが和らいだのか静かになってきた。

大型の魔物が人間に懐くなんぞ、そうそうないことじゃ。じゃが、この子がもし縄張りを追われた身ならば、手を差し伸べてやってもいいかもしれん。なにしろ、世界を飛び回るわしにとって“乗り物”になりそうな魔物は大歓迎じゃからの。


「……ガハハ。酒を売り歩くじいさんが、あんたみたいな見た目を連れてたら、さぞ物珍しいじゃろうな。どうじゃ、わしと一緒に世界を見んか?」


ワイバーンは、依然として警戒はしているものの、大きな瞳を細めてこちらを伺うように見ている。敵意というよりは、少し興味を抱いたかのような表情じゃ。


「名前は……まだ決めてないが、そのうち考えてやる。傷が治るまで大人しくしとるんじゃぞ。逃げたければ逃げてもいいが、どこにも居場所がないなら、わしが手配してやるわい」


わしが肩をすくめて笑うと、ワイバーンは低く声を鳴らして空を仰ぎ見た。やがて、深いため息のような吐息をもらすと、そのまま地面にドカリと伏せて動かなくなる。どうやら無理して飛ぶほどの体力も残っていないらしい。


「ふむ……さては当分、看病が必要じゃな。わしの旅の途中で無理やり連れ回すのも酷じゃが、治るまで一緒に居るのも悪くないかもしれん」


わしは亜空間から取り出した布をワイバーンの傷口に巻きつけつつ、ふと笑みをこぼした。まさか旅の序盤で、こんな“空飛ぶ相棒”候補と出会うとは。ここ数日は、宿もない荒野をうろつくことになりそうじゃのう。


「けど、まぁ……面白そうじゃ。ガハハ!」


荒涼とした丘の上で、わしは自由に使える風魔法と亜空間を駆使しながら、ワイバーンの手当てを続けた。小一時間もすれば、多少は動けるようになるかもしれない。それからが肝心じゃ。もしこやつがわしを認めてくれるなら、一緒に大空を駆け抜ける日が来るかもしれん。


「さて……酒も山ほどあるから安心せい。わしの亜空間には、まだまだ入れられる余裕もある。お主みたいにでかい胴体は、さすがに丸ごと入れられんが……ふむ、ゆくゆくは新しい収納術でも探求するかの」


そんなことをぼやきながら、わしはワイバーンをなだめ、荒野の夜を迎える準備をする。旅立ち早々に現れた黒い翼。これが吉と出るか、凶と出るか。



夜風が吹き抜ける岩場の上で、わしはほのかな星明かりを見上げながら、漆黒のワイバーンの寝息を聞いた。その姿は先ほどの猛り狂う怪物というよりも、すっかり疲れ切った旅人のように見える。

わしの“ネイマン酒”を、いずれこの子も飲めるんじゃろうか? いや、魔物の舌に合うかどうかはわからんが……。

そんな取り留めのない想像に耽りながら、わしはそっと笑みを浮かべる。明日になれば、また新しい景色がわしらを迎えてくれるじゃろう。


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