第4話「波乱の幕開けかのぅ」

 「……よし、バイス。焦らずゆっくり飛んでみるんじゃ。無理せんでいいぞ」


 わしは、バイスと名付けた漆黒のワイバーンの背中にそっと手を当てる。

 昨日からの看病で、バイスの傷はかなり回復した。まだ所々に痛そうな痕があるものの、飛行はできるようじゃ。あちこちで闘争をくぐり抜けてきたらしく、人間に簡単に懐くような性格でもないが……わしなりに信頼関係は築けてきたように思う。


 「わしは、お主を“飼い慣らす”つもりはない。いっしょに旅してくれるなら助かるが、嫌なら自由にして構わんぞ」


 低く唸るバイスは、わしの言葉をどこまで理解しているのか。そこそこ知能が高い魔物と聞くが、実際のところは分からん。

 しかし、鼻面をひくひくさせながら、明らかに攻撃の意志は薄い。少なくとも敵としてわしを見てはいないらしい。


 「お互い、変な縁ができたもんじゃな。……ヘヘッ、よかったら、わしの旅に付き合ってくれ」


 バイスは少し顔をそむけて、ツンとした仕草を見せる。が、そのあと翼を広げて軽くはばたいた。これを“了承”と見なしていいのか……わしは苦笑しつつ、バイスの背に飛び移る。ゆっくりと浮き上がる感触がたまらんのう。


 「おお、やっぱり迫力あるわい。風と魔法で自力飛行するのと違って、こうして魔物に乗ると景色がまた違うのう」


 わしの呟きをよそに、バイスはしぶしぶ付き合うという感じで、低空を旋回する。それでも降りようとしないところを見ると、まんざらでもないのかもしれん。



 やがて見えてきたのは、高い城壁を持つ大都市“ゲルムント”。商業の要所として多くの行商人が集う反面、治安の悪化が噂される場所でもある。

 門の前には長蛇の列ができており、警備の兵士が数名、厳しい表情で出入りを監視していた。


 「さすがにワイバーンで乗り込むと騒がれそうじゃな。バイス、一旦あちらへ降りるぞ」


 わしはそっとバイスに合図を送り、城壁から少し離れた草地へ着地した。すると門番の兵士たちが一斉にこちらを見て、慌てた様子でわらわらと駆け寄ってくる。


 「お、おい! そこの老人! ワイバーンなんか連れて、どういうつもりだ!」

 「危険だぞ、近づくな!」


 口々に叫ぶ兵士を前に、わしは両手を挙げて無害をアピールする。


 「落ち着いてくれんかの。わしはただの酒売りじゃよ。こやつ――バイスは確かに魔物じゃが、きちんと手懐けとる。暴れはせんはずじゃ」

 「ワ、ワイバーンが大人しい……? 信じられんが……」


 唖然とする兵士に、わしは笑みを浮かべる。せっかくならここで売り込みのチャンスを狙うか。


 「ところでの、わしは“ネイマン”という名で酒を売り歩いておる。もし喉が渇いているなら、試供品もあるぞい?」

 「い、いや……まずは隊長の指示を仰がないと。いやでも、こんな魔物は滅多に見ないし、門の中には……」


 わしがウフフっと含み笑いをしたところに、分厚い甲冑をまとった兵士の隊長らしき男がやってきた。彼は兵士たちを制止し、バイスを一瞥する。壮年の男で、かなりの経験を積んだ雰囲気じゃ。


 「何やら騒ぎがあると思えば……見慣れぬ爺さんがワイバーン連れとはな。すまんが、状況を説明してくれ」

 「わしは行商人のネイマン。途中でこやつを助けたんじゃ。怪我をしていたところを縁あってのう。で、商売のためにゲルムントへ入りたいんじゃが……やはりダメかの?」


 隊長は厳しい顔のまま腕を組んだ。


 「正直、気軽に受け入れるわけにはいかん。最近この街は荒れているんだ。悪魔族の密偵だの盗賊だの、ろくでもない連中が暗躍している。危険な魔物が入れば、住民が怯えるのは当然だろう」

 「ふむ、なるほど。わしもそういう状況なら仕方ないと思うが……せめてわしだけでも入れんかの? バイスはここに待たせておく。見張っていてもらって構わん」


 わしが振り返ると、バイスは尻尾をゆるりと振りながら、こちらをじっと見ている。警戒されるのは分かっているのか、妙に大人しい。

 それを見た隊長は少しだけ目つきを和らげた。


 「……そこまで言うなら、私も門前でごねるわけにはいかない。分かった。あんたは街に入ってよし。ただし、ワイバーンはこの外で待機。それに兵士を数名付けさせてもらうぞ」

 「了解じゃ。ありがたい。バイス、お主はここでゆっくりしておれ」


 わしが声をかけると、バイスは一瞬鼻を鳴らすものの、暴れだす気配はない。ちらりと隊長が安堵の表情を浮かべたのを見て、わしはホッとする。


 「助かったわい。変な誤解を受けずに済んでよかった。お主もご苦労じゃな、隊長さん」

 「街の平和を守るのが仕事だからな。ところで、あんた、本当にただの行商か? そこまで冷静にワイバーンを御するなど、並の人間じゃない気がするが」


 問い詰めるような隊長のまなざし。わしは少しだけ肩をすくめた。


 「なに、わしは年季だけは入っとるからの。酒造りとちょっとした魔法をかじっているだけじゃよ。ほれ、門の外でも構わんが、試飲してみるかの?」

 「……ずいぶんのんびりした爺さんだな。まあ、すぐにってわけにはいかないが、後ほど休憩のときにでももらおうか」


 そう言って隊長はわずかに笑みを見せた。わしも、こういう融通の利く人間なら話が早いと思いながら、城門をくぐる。



 門を抜けた途端に飛び込んでくるのは、人と馬車の喧騒だ。石畳の広場を取り囲むように市場が開かれ、色とりどりの露店が並んでいる。

 しかし、どこかざわざわと落ち着かない空気があるのも事実。すれ違う旅人の中には、武装した者やひそひそ声で何やら相談している者も見受けられた。噂に聞くとおり、街には妙な緊張感が漂っている。


 「まずは宿を確保して、今日のうちに酒の噂を広めたいところじゃな。……ウフフッ、目立つ場所はないかのう」


 人混みを縫うように進んでいると、雑踏の中から急に声をかけられた。


 「そこのご老人、すみません。小さな宿を探しているなら、うちの宿はいかがですか?」


 見ると、まだ若い娘さんが客引きをしている。腰にはエプロンを巻き、どことなく真面目そうな顔つきだ。


 「おや、助かるのう。ちょうど泊まるところを探してたんじゃ。わしは行商人での。酒を売って歩いとる」

 「まあ、お酒ですか? 実はうちの宿のお客さん、最近はなんだか荒っぽい人も多くて……もし差し支えなければ、飲めるお酒があると喜ぶかも」


 ふむ。渡りに船じゃな。人が集まる場所なら“ネイマン酒”の存在をアピールしやすい。わしは娘さんの案内を受け、宿へと足を向ける。


 「にしても、最近この街は騒がしいようじゃが、何かあったのかね?」

 「聞いた話だと、どうも悪魔族の手先が潜り込んでいるとか、盗賊団が暗躍しているとか……。どの噂が本当かは分からないんですけどね」


 そう言いながら、娘さんは周囲を窺うように視線を泳がせる。さぞ物騒な感じなんじゃろう。

 わしとしても巻き込まれるのは面倒じゃが、商売をするにしても治安が悪いのは困りもんじゃ。


 「なんにせよ、皆ピリピリしとるようじゃな。わしみたいな年寄り行商がいるくらいで、少しは和んでくれればいいんじゃが……ムフフ、実際はどうなるかのう」


 そうこう言っているうちに、娘さんの宿の看板が見えてきた。見た目は小ぢんまりとしているが、掃除が行き届いていて清潔そうだ。玄関をくぐると、中からふわりと温かい空気が漂ってくる。


 「ようこそ、ここがうちの『アヴニール宿屋』です。親が切り盛りしているんですけど……よかったら早速、お酒を見せていただけませんか?」

 「もちろんじゃよ。わしの“ネイマン酒”はここに……」


 わしは懐の亜空間への入り口をそっと開き、瓶を取り出す。すると、娘さんは目を丸くして拍手するような勢いで驚いた。


 「わっ! どうやって出したんですか、それ!? なにも持ってないように見えましたけど……」

 「ちょっとした手品みたいなもんじゃよ。そこらの商人には真似できんがの。……ハハッ、まあ味がよければ何も問題ないじゃろう」


 わしは瓶の栓を抜き、試しに小さなグラスに注いで娘さんに渡す。娘さんは恐る恐る口に含むと、目を輝かせて息を飲んだ。


 「すごい……! 香りが豊かで、まろやかな口当たり。こんなお酒、初めてです……!」

 「気に入ってくれたか。そりゃよかった。うちのバイスにもいつか味見させたいんじゃが、あれは魔物じゃからのう。どうなるかは分からんが……」


 そう言って、わしは小さく笑う。すると娘さんは「バイス……?」という顔をしたが、すぐに気を取り直した。


 「これ、お客さんに出したらきっと喜びますよ。ネイマンさん、この宿に宿泊されるなら、わたしもお酒の宣伝に協力します。お代はどうしましょうか?」

 「宿代なんかはあとでまとめて精算するから、まずは試飲会でも開いてみようかの。人が集まれば、わしの酒も売れやすいじゃろうし」


 娘さんが「ぜひぜひ!」と頷くのを見て、わしはほっと胸をなでおろす。とりあえず宿も決まり、商売の足場も作れそうじゃ。

 しかし、街の様子からして、近々“トラブル”に巻き込まれる可能性があるのう。悪魔族か盗賊か、どちらにせよ厄介ごとは避けたいが……。


 「ま、気に病んでもしょうがない。わしは酒を売るのが仕事じゃ。バイスも、あとで様子を見に行かんとのう。フフッ、よほど退屈しておるんじゃなかろうか」


 そう思いながら、わしは娘さんから鍵を受け取り、宿の部屋へ足を運んだ。窓の外を見下ろせば、多くの人が行き交う大通りがある。市井の活気と不穏な影が入り混じるこの街で、わしの“ネイマン酒”はうまく広まるんじゃろうか……。


 「さて、気合いを入れて明日からの試飲会、がんばるとするか。……よし、やるぞ。フフッ!」


 わしは膝を伸ばし、気持ちのいい笑みを浮かべる。慣れぬ大都市の空気は張り詰めているが、それを吹き飛ばすくらいの“うまい酒”があれば、きっとみんなの顔もほころぶはず。

 そこに、バイスの低い唸り声が聞こえてきそうな気がした。まるで「油断するなよ」と言わんばかりに……。



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