第4話

姉が死んだ。


いつも太陽のような笑顔を浮かべて弱味を絶対に見せない人だった。

十一歳の時に事故で両親が亡くなってから、六歳離れた姉が養ってくれていた。

兄が一人いたらしいが、もうどこにいるかはわからないと言った。


高校を中退して、アルバイトをしながら懸命に学校に通わせてくれた。

『夜空は何も気にしなくていいよ』

『今日も元気で学校に行ってきな!』

そう言われてはいたが、朝から晩まで働き通しの姉の姿を見て、どうにかしたいと思っていた。

『夜空にはお腹いっぱい食べさせてあげたいんだ』

それが、姉の口癖だった。



『……ごめん、何も出来なくて』


『何言ってんの。家のこと、全部やってくれてんじゃん』



それくらいしか出来ることはなかった。

けれど、直接的な役には立っていない。

痩せていく姉を見ながら妙な胸騒ぎを感じていた。


高校に進学せずに働きたいと言っても、姉は『絶対に高校に行って』と譲らなかった。

お金の面を考えると公立高校に入りたかった。

勉強をして、制服も卒業生から貰えるように手配した。


高校に通い始めて、やっとアルバイトができる。

少しでも姉が楽になるように……。

バイト先で面接を受けて、学校帰りと土日フルで入れるように。

けれど、家に帰ると倒れている姉の姿を見つけた。


肩を揺らしても、目を覚ますことはない。

触れた皮膚の冷たさに息が止まった。

どのくらいそうしていたかはわからない。

けれど、震える手で救急車を呼んだ。


(嘘だ……嘘だ。全部)


今日の朝まで、笑顔だった姉は呆気なく死んだ。



「真昼姉ちゃん……なんで」



病気を隠していたのだと知ったのは、大分後だった。

医師は苦しそうな顔で説明してくれた。

そして彼は「助けられなくて、すまない」と呟いた。


それしか耳に入らなくて、ただ「ありがとうございます」と言った。

家に帰ってから、姉の荷物を開けて一通の手紙を見つけた。


通帳の場所、暗証番号。そこには必要な情報がすべて書かれていた。

何枚も何枚も……震える手でページを捲る。

そして最後の一枚に書かれていた言葉に絶望した。

姉の想いを受け取るのと同時に現実を叩きつけられた。


「       」


いつ書いたのかはわからないけれど、まるでこうなることがわかっていたみたいだった。

腹立たしさと悲しみと、不甲斐なさが押し寄せてきて喉が痛んだ。

ポタポタと紙の上に落ちた涙でインクが滲んでいく。


(…………苦しい)


体が重たい。胸が締め付けられて仕方ない。

フラリと立ち上がった。もう何も考えたくはなかった。


外には雨が降っていた。傘をさすことも忘れて歩き続けた。

流れていく涙は雨粒と共に消えていく。

何も考えずに暗闇を歩いていく。

ふと、橋の上を歩いている時に引き摺られるようにして下を見た。


太陽に照らされている時とは違う、黒く揺れる水に強く惹かれた。

涙はもう止まっていた。


冷たい指先を伸ばして吸い込まれるように落ちていった。



大きな音、打ち付ける痛み。

体が沈む感覚はどこか心地いい。

不思議と恐怖は感じなかった。

そして腕を強く引く何かと共に体が上に上がる。

咳き込みながら顔を上げれば、夜空に浮かぶ月と共に彼女がいたんだ──。



「井崎……少し話せるか?」


「…………」


「お姉さんが亡くなったんだってな」


「…………はい」


「大丈夫か?」


「まぁ……はい」


「困ったことがあったら言えよ? 力になるから」


「……。はい」



違和感を抱えたまま扉を開けた。

クラスメイトも事実を知れば、「力になるよ」「何かあったら言って」と言うだろう。

けれど、実際その何かを言えば困惑するのだろう。

それが分かっているからすべて偽善に見えるのだ。


それは誰だって同じだ。

ツキノのように実際に手を差し伸べてくれる人は限りなく少ないだろう。


昔から特殊な環境下にいるせいか、そういうことには敏感だった。

いつのも帰り道から違う道を歩いていく。

アルバイト先に選んだのは普通の飲食店だった。


学校帰りから二十時まで。

それから土日は朝から晩まで……。


家に帰るのが怖かった。

覚えることが多過ぎて、何も考えずに済んだことが救いだってかもしれない。

真っ暗になった空、ぼんやりと灯りが灯る街灯。

どこかから聞こえる笑い声が耳に入る。


ふと、足を止めた。


家に帰りたくなくて、再びあの橋へと向かった。

期待があった訳ではないが、気になって仕方なかった。


昨日とは違う心持ちで川を眺めていた。

今日は快晴だったからか、また昨日とは違う景色が広がっていた。


(落ち着く……)


あの人がここを通るとは限らない。

けれど……。

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