第2話 一躍有名人!?
開けてもいないのにパンドラの箱が開くことがある。最後に希望が入っているというけれど、災厄を振り切って希望を手に入れる自信なんて、僕にはない。でも運命ってやつは向こうから急にやってきて一瞬のうちにすべてを変えてゆくのだ。
風呂から上がるとテレビの前で家族が凍り付いている。僕はそのとき、知らぬ間に温めていた不発弾が爆発していたことに気づいた。なんと僕がテレビに映っていたのだ。
僕が風呂に入るまで、リビングでは理想的な一家団欒が繰り広げられていた。珍しく両親が早上がりで、食卓にはどこかからもらってきたバウムクーヘンなんかも置かれてて、雛乃もテレビを見ながらゲラゲラ笑っていた。
それがわずか数十分で一変するとは。僕はまさかインタビューが本当に放送されるとは思っていなかった。テロップには「高校二年生、妹のスピーチを聴きに東京へ」と書かれていて、両親は湯のみ茶碗を手に持ったまま、目が点になっていた。雛乃もテレビに釘付けだ。
司会者のウメコが僕の発言に「何なのよそれ」とツッコミを入れると、テレビのスタジオが大爆笑に包まれる。他にインタビューされた人は「しゅうとめを憎んでいる」とか「会社の元上司が」とか、学生なら「体育の鈴木先生」とか、確かに憎む対象になりそうな人の名前を挙げていた。「いするぎさん」と答えた僕だけが不自然なほど浮いていて、ウメコとアシスタントのひろりんにひたすらオモチャにされていた。
己の醜態を直視できず部屋に戻ろうとする僕を、両親は無言で引き留め、それから数十分懇々とお説教が続いた。両親の話はほとんど頭に入らなかったけど、自分で蒔いた種がすくすく育って僕を縛り上げたことに、後悔の思いが湧き上がった。
「お説教は終わった?」
部屋のベッドで漫画を読んでいた雛乃は、階段を上がってきた僕にいたずらっぽく微笑んだ。
「お兄ちゃんが言ってた、いするぎさんて誰なの? 心当たりは?」
「僕も本当に知らないんだ。第一僕に殺したいほど憎んでいる人がいると思うか?」
雛乃は僕に疑いを向けた。普段雛乃が見せない鋭く厳しい視線に一瞬たじろぐ。
「あんまりその名前を探らない方がいいと思う。よくないことが起こる気がするんだ。隠密行動禁止だよ。嘘ついたらハリセンでボンと叩くからね」
枕を僕に投げつける雛乃に「わかった、わかった」と言うと、ようやく雛乃は満足したように、「約束だよ」と言った。そして大きなあくびをして、にこやかに僕を部屋から追い出したのだった。
翌日僕は時の人になっていた。「あの人がいするぎさん?」、知らない生徒が教室を覗き込み、僕の顔を見るなり物珍しそうに見て笑う。なぜかスマホで写真を撮ろうとしている生徒もいる。僕を待ち受け画面にしても運気は上がらないよと伝えたかったけど、やめておいた。廊下ですれ違う上級生には「調子乗んなよ」と謎の言いがかりをつけられるし、先生たちの視線もどこか冷たい。雛乃からは「しばらく他人の振りでお願いね」とメッセージが来た。僕が何か悪いことをしたのだろうか。まったくテレビって恐ろしい。
「おっすー、浩介」
声を掛けてきたのは、親友の内川優作。日焼けした肌を半袖から露出して、爽やかに朝の挨拶をした。バドミントン部に所属して日々スポーツに汗を流す優作に、悩みの影などまるでない。僕が楽しい学校生活を送っているのは、だいたい彼のおかげだ。
「お前を見て笑ってる奴らがいっぱいいるんだけど、何かあったのか?」
テレビ番組の内容を簡単に話すと優作は快活に笑った。笑い事じゃないと抗議する僕に、彼は「悪い悪い」と再び大きな声で笑う。
「それにしても、本当にその人に心あたりはないのか。昔の知り合いとか」
いするぎなんて珍しい名前の知り合いがいたら忘れるはずがない。
「この学校にいするぎさんていないのかな。探してみようぜ」
優作が楽しそうに言うけど、僕は笑って断る。それは雛乃から禁止されている行為だ。でも行動力おばけの優作の力を借りて「いするぎさん探し」をするのも悪くない。勿論雛乃には内緒で。それは好奇心ではなく、事件を収束させるために行うのだ。「いするぎさん」をさっさとを探し出せば、きっと元の平穏な生活に戻れる。
少し気乗りしなかったけど、その日から僕と優作の「いするぎさん探し」が始まった。全校生徒の名簿を見れば一瞬でわかるかと思ったけど、個人情報があるからと先生たちは名簿を見せてくれない。しかたないから同級生からしらみつぶしにあたっていったが、三百人ほどいる二年生にいするぎ姓はいなかった。
「やれやれ。これじゃ時間がかかりそうだな。雛乃ちゃんに頼むのはどうだ」
「それは絶対ダメだ。いするぎ探しをしないと約束したんだ。もし嘘をついたら針千本だ」
「だれが針千本だって?」
振り返ると雛乃がそこに立っている。ばっちり今の会話を聞かれてしまったようだ。弁解の暇なく僕は雛乃に問い詰められる。妹に壁ドンされてもなんのありがたみもない。
「お兄ちゃん、私言ったよね。隠密行動は禁止だって。何やってるの?」
僕はお白洲にしょっぴかれた罪人のように、雛乃に一部始終を話した。もちろん、好奇心でないところを強調した。すると雛乃は一応納得してくれたようで、
「なるほどね。確かに火消しは必要かもしれない。それじゃ私も手伝うよ。友だちに聞いてみるね。あと私生徒会長と知り合いだからいするぎって名前がいないか聞いてみるよ。三年生は優作さんの人脈を使えばすぐ終わるでしょ?」
雛乃はてきぱきと僕たちに行動計画を話した。さすが頭の冴えた我が妹は有能だ。僕たちは「はい、はい」と彼女の指示通りに動くことにした。
一週間後、僕たちはファミレスに集まり結果の報告会を開いた。そこには優作の幼馴染の山田メグも来ていた。バレー部の彼女はすらりと長い足を持て余しメロンソーダを飲んでいる。自分が変な会合に巻き込まれたことを怪訝に思っているようだった。
「それじゃ、結果を発表します。我が高校にいするぎという名前の生徒は、いませんでした」
雛乃の言葉に僕たちは薄い拍手をする。徒労は、終わったのだ。いするぎ探索の終盤、僕たちの探偵行動は教師の知るところとなり、二度ほど職員室に呼び出しを受けた。「女子生徒が怖がっている」とか「ストーカー疑惑がある」とか散々な言われようで、めげた。
「いするぎさんがんばってー」とからかい半分で声をかけられることも多かった。僕の名前は由緒正しい藤原だと忸怩たる思いでしばらく生活していたけど、一週間もするといするぎ呼びもすたれてきた。しつこい少数民だけが「おい、いするぎ」などとからかいを込めた言葉で僕をそう呼んだけど、ほとんどの人の記憶からは失せていた。
「私なんていするぎさんの妹とか言われて笑われたんだからね。私は殺したいほど藤原浩介君を憎んでいます。ということで、お兄ちゃんに責任をとってもらいます、久しぶりにパフェおごりね」
「私もー」
「メグ先輩、このいちごマシマシバナナサンデーおいしそうですよ!」
「おお、いいね。浩介、私もこれにするー」
雛乃とメグが同調して僕からお金をまきあげようとする。まったく、いするぎ事件はぼくにとって苦い経験となったのだった。
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