3両目
鉄道館のエントランスホールは新幹線ホワイトとでも例えるべき真っ白で統一されていた。3階辺りまでと思われる高い吹き抜けのような天井と、随所に新幹線や鉄道車両を模した飾り付けが素敵だ。
さほど大きくないが存在感のあるクリスマスツリーの前で立ち止まり、ぼんやりとそれを眺める姿をそのままにして、係員へと先ほど購入したチケットの使い方とパンフレットを2部受け取るとその姿が動くまでをじっと待った。
「ぼんやりしてごめんなさい、チケット……」
「もう購入済みですよ。こちらパンフレットです、さ、時間も少ないですし、行きましょう」
「えっと……ありがとう……」
影のある笑みにふと理由を尋ねたくもなる。
でも、それは今ではないと心の中に押さえ込んで、スマホ画面に映し出されている3Dバーコードを入場口スキャナーに翳し入場口を潜ると中へと足を踏み入れた。
小さな通路の先には機関車と新幹線の試験車両類が十分な感覚を開けられて並んでいる。新幹線の現代の白から鉄と油に塗れた往年の漆黒で満たされた空間、綺麗に磨かれて今すぐにでも釜に火や通電の架線が引かれ、足元のレールが路線にくっついたなら走り出してしまいそうなほどの美しい車輛に魅入るように足が止まる。
二人でその3両をしばらくじっと見つめていた。
鉄道の始まりは機関車からは誰でも知っていることだろう。石炭を燃やし、水を水蒸気に変えて圧力でもって動輪に伝え、そして鼓動を刻むように人の背丈ほどもある大きな動輪を廻して進んでゆく姿は大人になった今でさえ心にグッとくるものがある。機械であることを全面に押し出したその力強いフォルムから、夢想の汽笛の音が当たりに響き聞こえて我に返る。
慌てて隣を見ると同じようにじっと機関車に魅入っている、その姿にふと鉄道車両のような人だなと印象を抱いてしまった。
アルバイトから今の地位へ、今でこそ女性社員も男性社員も半々までとなった我が社だが、入社した頃は女性の数は圧倒的に少なかった。それは自らが入社した際に社史の説明に付随した集合写真が物語っていたものだ、数百名の社員の左端に数十人の女性が所在なさげに集まっていたのを覚えているし、説明会に顔を見せたこの人は「私はこの隅っこでした」なんて笑いながら言っていた。
女のくせに、女だてらに、が職人気質強い現場や工場で無残りとして溢れていた頃から、周囲の会社が変わりゆく中でも、対応に遅れをとった我が社は時代の波に追い付いてはいけず、かなり致命的な、それこそ、瀬戸際の瀬戸際まで、追い詰められた。
そんな時でさえ窄まる事なく、前へ、前へと戦い抜いたのがこの女桀だ。
大口契約を4件連続してものにし、それでもって我が社は息を吹き返したと言う訳だ。社の工場で気難しいことで有名な古株の工場長から【やくざの姐御の如く背中で語り魅せる女】だと侮蔑でない敬愛の念を抱いた言葉からも、その培い成してきた事柄の多くを悟った気もする。
同期や後輩の多くが寿退社や一身上の都合で辞めていく中でも、1人まっすぐに突き進んで道を開き続けた。デジタル化はもちろんの事、一度は現場を離れた人達の復職支援や子育て休暇などなど、今の社会制度へと合う社内変革を推し進め、多少ゴリ押しな面も否めないところもあったが、巻き込んだ人々と共に働きやすい環境を作り上げた。
機関車のように荒削りの力強さで事を始め、電車のようにスムーズに加速してゆき、時代に合わせる速度を模索し、そして、その先の未来へと事を進めていくその姿勢がマッチした。敷いたレールもダイヤグラムも要点を押さえた最短コースであり、【もしも】に十分に配慮可能な事柄ばかりのち密さも兼ね備えて。
でも、今の姿はそうではない。立ち止まる姿はやがてこちらを忘れたかのように歩き始め、その後ろ姿は地元の寂れた地方線路の駅脇で揺れる細い茎の笹百合のように、大きな機関車と新幹線の間でほんの少し揺れているようにも見える。
何かこう胸騒ぎはするのだが、それを上手く言葉にする術を持たない我が身が情けなくなりながら、その後を邪魔にならないようにゆっくりとついて行く。整備工場のような長大な吹き抜けの大空間に数多くの往年の車両達が並ぶエリアで、看板車輛とも例えられる団子鼻の可愛らしい0系新幹線には目もくれずに、少し先にあるシャープな形となった300系と呼ばれる車両の前で歩みが止まった。立ち姿さえも様になる人だと思いながら近づくと、やがて、その目の隅に小さく輝くモノが見えた。
涙の雫だった。
前照灯の光に照らされたソレは宝石をつけているかのように輝いて綺麗だった。すんなりと声をかけてしまうほどに魅入られてしまう。
「どうされたんです?」
その言葉にその肩が震えた。
こちらへと振り向いた顔の表情は例えるもののない複雑な表情、やがて目に溜まっていた涙が筋となって流れ落ちたので、咄嗟に胸の内ポケットからハンカチを取り出して差し出してしまうほど、先ほどまでの生気を帯びた面影は消え失せていた。
「ごめんなさい……、ちょっと……」
ハンカチを受け取りながら紡ぎ出される声の弱々しさに驚く、人にはあまり見られたくない姿だろうと、周囲を見渡してみると屋外に休憩用の展示車両を示す掲示があった。
「外に休める車両があるみたいですよ、時間も時間で人も少ないですから、そこでちょっと一息つきましょう」
手を伸ばしてそちらへ案内しようとすると、その手の袖を子供のように掴まれた。いよいよ心配になってくる。掴まれたままにゆっくりと連れ立って屋外の休憩車両の新幹線へと入り、そして綺麗に整えられていた三列シートへと座って貰う。途端、堰を切ったようにハンカチで目頭を覆いグッと唇を噛み締めて肩を震わせ涙を抑える姿にかける言葉が見つからず、自販機で暖かな飲み物を二つほど購入して戻り終える頃には短時間で持ち直したようで、少し化粧を崩して多少グズグズと鼻を鳴らしてもいたが、落ち着きは取り戻していた。
「お茶とレモンティー、どっちでいいです?」
「どっちでも……」
「じゃぁ、レモンティーをどうぞ、私はお茶で」
差し出したものを受け取ってお礼を伝える姿はいつもの通りに思えても瞳の奥には不安のようなものが揺らいでいるのが理解できた。
渡された黄色のそれの蓋を開けるでもなく、じっくりと眺めていて、私はお茶を飲みながら静かな車内でじっと次の言葉を待った。
「今日ね、父が倒れたの……」
「倒れた?」
「ええ、朝に小金井の母から電話が入って……。母から容態はかなり良くないと聞いたの、でも、母から電話を奪い取った父から、帰ってくるなって、培ってきた努力を無駄にするなって言われてしまって、なんとか一日頑張ったんだけど、助手席から新幹線って看板を見たら思わず懐かしい記憶が蘇っちゃった」
「どんな思い出が?」
「え?」
「看板を見て蘇るなんて、よほどの大切な思い出でしょう?」
「変なところ気にするのね、流してくれて構わないのに……そう、大切な思い出よ」
座席をリクライニングさせ、しっかりと背を預けて深い息を吐き出してから、ゆっくりと口を開いた。
「父は普通の商社に勤めていて転勤も海外出張もざらだった。単身赴任を選んで私と母が東京で過ごせるようにしてくれていて夏休みや冬休みになるとね、父が帰ってくるのではなくて、私たちが新幹線で父の単身赴任先に行ったの、ちょうど立ち止まったあの車両が多かったわ、駅に着いて降りる度に首を長くして待ちわびたように嬉しそうに微笑んでくれていたっけ。冬休みはクリスマス頃に行くことも恒例で帰りにプレゼントを買って貰って楽しかったな。でも、仕事にはストイックな人だった。仕事に就くようになってからは色々相談にも乗って貰ったりもしたわ。本当にできる男だから自らに甘えも妥協も許さない面もあったけど……」
「なるほど、部長の仕事への厳しさはお父さん譲りって訳ですか」
「そうよ、母が病気になっても、自分の体調が酷く悪くても徹底的に戦い抜いた人、そんな父が好きでもあったし嫌いだった。思春期になった時は反抗もしたわ、母をないがしろにしたみたいに思えてしまって……。まぁ、反面教師みたいなものね、仕事一筋なんて時代にそぐわないでしょ」
「確かにお父さんそのままでしたら、今の時代にはアウトですよね。だれもついてきません」
「でも、今日は仕事を取った。母から聞いた容体はかなり深刻なのに、父はその程度のことだから気にすることは無いって……それに言い返せなくて……」
「不器用ですね」
「え?」
「いえ、なんでも。あ、ちょっと桂川精密さんに電話してきます、さっき、連絡が欲しいとメールが入っていましたのを忘れていました」
「それはまずいわ、うん、ここで待ってるわね」
デッキスペースへと向かいながらにふっと立ち止まって振り返った。
この新幹線の車内でどれほどの人が同じような思いを抱きながら、仕事に精を出したのだろう。きっと数多くのドラマのような苦しみも悲しみもあったはずだ。きっとそれ以上の幸せもあったに違いない……。そんな中、一人で戦う人は少なかったはずだ、彼女のようにずっと会社の先端を走ってきた人なら、ましてや、男社会の中を戦い抜いてきた人なら、他人の為には力を尽くしても、自分の事はおざなりにしてきたはずだ。変革をもたらすためには根回しをしてもある種の恨みを買う。
それを一身に受けて戦い抜いてきた彼女なら猶更だろう。躱す術も逃がす術も持ち合わせていたとしても、できるだけのことをしてしまうのは良く理解できる。
厳しい以上に優しいのだ。
人間性を持ち合わせているが故に……。
働きやすくなった会社で旗振り役を担った人が休みにくいのでは本末転倒ではないかと思う。責任感がどうとかではなくだ。機関車の頃の社会人と新幹線の今の社会人は求められているものが違うと思う。
誰かの不幸の上に他人の幸せがあるというのなら、それが善意であっても間違っているに違いない。
デッキに出た私は懇意にしている桂川精密の桂川社長に連絡を入れた。数個の新製品を作る際に徹底的に遣りあった仲で仕事だけでなく友人としても親しくもある。歳はかけ離れているが二人目の親父のような人でもある。
上司が部下を困らせるように、部下にだって上司を困らせる特権を有している。
どんな最新の車輛だって壊れる、それを牽引することも時には必要なのだ。
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