第1話 過ち

一年前――

僕は光り輝く世界を知らなかった。ただただ薄暗い灰色の世界の中で、生きる意味なんて考えずぼんやりと日々を送っていた。学校では平凡な一般生徒で、目立たずに教室の隅でノートを書いていた。

ノート……そう。僕が毎日書いていたノート。

誰にも見せなかった秘密のノート。

それを書いている時だけは、僕は別の世界に居られた気がした。自分の心を知ることができたんだ。時と共にモノクロになっていった外の世界を見ることを、僕は諦めた。

向き合ったのは自分自身であり、内側の世界だった。

ノートに自分の理想を書き始めてからは、学校でも家でも、暇な時間があれば無我夢中で書いていた。そのせいか、僕が学校の誰かに話しかけられることは少なくなっていった。

たった一人を除いて――


「あっ。また書いてる。ねぇねぇ今度は何書いてるの?ドラゴン?それともサラマンダーってやつかな?」

真っ直ぐ伸びている綺麗な髪、ボブヘアーの女子が、無心に一生懸命ノートにイラストを書いている僕を覗き込む。

夜真那 彩華(やまな あやか)。彼女は誰も触れない僕のノートをしきりに見ては話しかけてくる。

僕が言える立場では無いが、他の人とは違う、少し変わった人だと思った。

けれど、自分の創造に興味を持ってくれることは素直に嬉しかった。本当に嬉しかった。

でも、何故か僕は素直になることが出来なかった。

「夜真那さん。勝手に見ないでって言ったよね?」

「だって、面白いんだもん。これ魔法使いのキャラでしょ?名前なんて言うの?」

彼女がこうやって話しかけてくるたびに胸が高鳴るのにそれを隠そうとして、素っ気ない態度をとってしまう。

思えば、僕の失敗はそういう小さな積み重ねからだったのかもしれない。


「あいつ最近マジでいい子ぶってるよな。偽善者、ほんとキモイ。」

僕がその言葉を耳にしたのは放課後だった。

机の中にしまってあった本を取りに教室に戻ったら、教室の中から扉越しに話し声が聞こえた。

「あいつモテるからって自分のこと偽ってさ。何が良いんだろうね。」

女子三人の話し声。おそらく、クラス内で目立っているあの三人だ。

僕はその中に入る勇気なんてなくて、断念して本は取らずに教室をあとにしようとした。

けれど……

「あの男子も変だよね。毎日毎日ノートになんか書いてさ。怖いんだけど(笑)」

僕はその言葉を聞いた瞬間体が動かなくなってしまった。無意識に目を見開き、自分の服を力いっぱいギュッと握っていた。こんなに悔しいのは、自分が馬鹿にされたからではない。ノートを書いている男子、そこから偽善者やらなんやらで繋がる人なんて彼女しか思い浮かばない。

「……もう。関わらない方がいいな」

夜真那がまた僕に話しかけて、またこうやって悪口を言われるんだったら、僕から断ち切った方がいい。

その判断が正解か不正解か、僕は最後まで分からなかった。


「もう知らない!!」

ある日、夜真那は怒ったように叫び教室を飛び出していった。理由は明白で、僕のせいだ。

――今日の昼休み、彼女が珍しく僕にノートを見せた。そのノートには僕と同じように見たことの無い生物の絵が沢山描かれていた。

「ねっ。どうかな、どうかな!私も真似して書いてみちゃった。これが私のお気に入り!手から宝石を出せるの!素敵でしょ?」

返答を期待している彼女は満面の笑みを浮かべた。

だが、僕の脳裏にはあの日のことがこびりついている。僕は返事を返すことが出来なかった。

「ねー、また無視ぃ?なんか感想ちょうだいよっ頑張って考えたんだよぉ?」

「そんなの……どうでもいいよ。」

喉を締め付けられているような声で、僕は振り絞って言った。俯き、彼女の顔を見ないように。

「な……なにそれ。」

夜真那の声は震えていた。

「酷いよ!な、なんでそんな事言うの!?最低!!」

彼女が珍しく大声をあげた。教室に残っていた他の生徒がこっちを困惑したような表情で見る。

彼女の表情は見えない。いや、見れない。

「もう知らない!!」

彼女は僕の机に自分のノートをバン!っと叩きつけ、教室を飛び出した。

これで、これで良いんだ。みんなに嫌われて欲しくないから。彼女が虐められることのないように、こうするのが正解なんだ。

……僕は知らなかった。これが最大の誤ちだったということを――


放課後

その後、彼女と話すことはなかった。僕は、彼女が自分の机に置いていったノートを放っておくわけにもいかず、カバンに詰め学校をあとにした。

傘にあたる雨の音が騒がしい。今日は珍しく天気が荒れ、豪雨であった。

僕はなるべく濡れないよう小走りで帰宅していた。青信号を待ち、走って横断歩道を渡る。

向こう側についた時、後ろから男子数人の声が聞こえた。

「今日の昼休み、夜真那やばかったな!?」

「大人しくて、優しいあの夜真那をあんな怒らせるなんて、あいつ何やったんだろうな。」

……僕は惨めだ。夜真那が傷つかないようにと言っておきながら、自分が夜真那を傷つけてしまった。僕は後ろを振り返り、話していた男子の方を見ようとした。

……と、その時。さっき自分が渡ってきた横断歩道上に、ひとつのノートが落ちていた。

無惨にも雨に打たれびしょびしょに濡れてしまっている赤いノート。

赤いノート……。夜真那のノートだ!!

カバンから落としてしまってたんだ。

昼休みの記憶が蘇り、罪悪感と、自分の無力さに襲われた。

気付いたらノート目掛けて走っていた。

あれは、夜真那が僕なんかのために頑張って考えてきた想像が詰まってるんだ!絶対に明日返すんだ!そして今度は言いたい。夜真那に……。

「とても面白くて魅力的だ」って。

素直な僕の気持ちを伝えたい!

横断歩道上、ノートに駆け寄りノートを拾い上げるために屈んだ瞬間……

背後から大きなクラクションが鳴り、無慈悲にも僕は車に轢かれてしまった。

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