どこかでだれかの物語が進んでいる。
@offonline
注文の多い死にたがり
死ねば楽になるのではないか。
朝方、テレビから熊に襲われて怪我をしたというニュースが走る。
凄惨な死に方は嫌だな——と、朝食のトーストをかじりながら思った。
楽に死にたい。楽になりたいから死にたいと思う。だが、死ぬにしても楽をしたい。
考えるだけなら
男にとってそれは精神の安定を図る呪文に過ぎない。口に出せば後戻りができない気がしてくるくらいには小心者。
頭の中で、心の中で、反響させる。
死というものを考えると言い知れぬ焦燥と不安に悩まされた思春期がある。
社会人になり三十路をいともたやすく通り過ぎると、死に方を模索する行為に怖気づいてしまった。
妙に生々しくて、笑い飛ばせなくなる。
楽に死ねる方法にすがる人の気持ちが理解できる。死ぬことによって自分の人生に値を付けたいという小さい欲望が、死という終わりを醜くしているようだった。
男は理不尽な日常に身を置いている。
自分の都合で世界が回ることはなくなった。
全ての時間は社会が、ひいては会社に支配されている。
都合の良い駒として扱われている自覚も芽生えていた。身の丈に合わない仕事を割り振られ、できないと叱責される。
期待している、信頼している。
乱用された言葉の切っ先は鋭利に男の心を傷つけたが、それは慢性化し頑固な鈍痛になった。
死ねば楽になる。
南無阿弥陀仏と念じればと同じ利用方法になっている。
男はしかし、現状に不満があれど変化に対して億劫になっている。
行動力がない。
今の痛みを許容し、焦燥に身を焦がしながらも駒として生きているのは自分自身の不甲斐なさである自覚もあった。
死ねば楽になるという呪文の効果は長くない。
ほどなくして怒りが湧く。
理不尽でとびきりに身勝手な怒りに身を委ねる。
自分は悪くないと心の中で発狂し、胸部の燻りを鎮火させようとする。
うまく行ったためしはない。
無常にも時間だけを浪費して、無駄にしてはならないと焦る。
何をするべきか考えて、何もせずに不眠の夜を過ごし、凝り固まったままに社会へと飲み込まれていく。
酒や煙草など体のいい自殺の手段だった。
過剰に摂取するでもないがやめる気もない。死ぬための努力というわけだった。かといって健康診断の数値には目を通し、まだ大丈夫だと安堵の息を漏らす。
常に変化を望んでいる。
男の胸の内は新しいことへの好奇心があった。
現実において男はやりたいことを模索しているだけだった。
何も残らない人生を歩んでいた。
一人暮らしで賃貸に住んでいる。交流は一切ない。家と会社を往き来するだけだった。もちろん、男は立ち寄りたい飲食店や行ってみたい観光地、海外旅行にも眼が向く。ただ、目線だけだった。
毎日、自動車で同じ道を進むばかりだった。
二十年も暮しているが、この町のことなど何も知らなかった。
交通事故に合うことばかりを妄想した。痛くなければそれでもいいや、と利己的な解釈にあぐらをかいた。
大人になり獲得した経験は、諦める理由を見繕うことだった。
男はその日が何の日なのかわからなかった。ただ曜日は把握している。木曜日だった。その日は雨が鬱陶しく、自動車から視界を奪おうと騒がしい限りだった。
男の唯一の取り柄は同じ道路を走ったことにより、意識を集中せずとも運転できることだった。
不慮の事故で死ぬことを考えながら運転をした。男は自分が加害者になるという発想を持たなかった。
男は傘も差さずに走っている女性を見た。薄暗い中で発光していると思えるほどに白い装いは異質だった。
男は柄にもなく、事件のにおいを嗅ぎ取っていた。
住宅地の中央線のない見通しの良い直線道路。
自宅アパートまで一キロもない。突き当りを左折すればいい。
変化のない世界だったはずなのに、その事実が揺らいだことで男は言い知れぬ不安を感じた。
平穏だった領域が侵されようとしている。面倒なことにならなければいい。そう思った。
白馬に乗った王子様が優しく無償の愛情を捧げてくれることを夢見ておきながら、日常に湧いた不可思議には忌避を認めた。
女性を抜き去った。
突然、車道に飛び出すとか、何かしらのアクションを警戒したが何もなかった。ただ、雨の中で詳しい容姿を確認できなかった。
女性は何かしらに追われているのではないかというほど必死に身体を動かしていた。焦っているのだ。ただ、そのちぐはぐな動作が、移動速度に比例していない。もっと効率的に身体を動かすべきだ。
パニック状態ならば、人はどういう動きを見せるのかわからないものだ。男は仕事で追い込まれたときの不出来さが過った。胸が苦しくなる。忌々しい記憶のそれは、身動きが取れなかったり、逆に焦って意味のない行動ばかりになってしまうことだった。
女性を見て過去が追撃を加えてくる。慌てて意識をそらす。苦痛から逃げようと躍起になり女性のことはすぐに忘れた。
アパートに到着する。玄関口には舗装されたばかりの駐車場がある。すでにいくつかの自動車が駐車されていた。
部屋番号で割り振られている。それらの自動車を見た。人物を思い描くことはできなかった。集合住宅という狭い括りの中で肩を寄せ合っている。男は隣人を知らない。
わずかに安堵があった。
親しくなってしまえば、日常の生活すらも苦痛になるかもしれない。
取り繕いながら世間話に興ずる自分を想像して、怖気が走った。
バックで駐車した。ヘッドライトで照らされた玄関口が我が家だった。
鍵を開けて入室する。賃貸であろうともテリトリーにもぐりこむと男は安心感を覚えた。
衣類を脱ぐ。一週間ごとに洗濯している。洗濯用に分別し室内に吊るしておく。
「湯をはる元気もないから軽く身体を洗うか」
わざわざ声に出した。出すだけで行動するべきだという意欲がわく。
自分自身とのコミュニケーションの一つだった。
シャワーだけは浴びるべきだ。
そう宣言することで、ようやく男は狭い室内でやるべきことをなそうという意識に切り替え行動できる。
すると外で悲鳴があった。性別の識別はできなかった。悲鳴かもしれない、と思っただけだった。
何事かあったのだろうか。
男は事件かもしれないと思ったが、とくに興味を刺激されたわけでもないのでシャワーを浴びた。
シャワー中、今度は地震が起こった。揺れは小さく、男を楽しませることはなかった。
シャワーをすませ着替えをする。
夕食の準備をする。冷凍食品を取り出すためキッチンへ向かい、冷蔵庫に酒がないことを認める。
呑みたい気分だった。
雨はまだ降り続いているようだった。幸いなことにコンビニは近い。
五分も歩けば到達できる距離だ。
ふと、女性のことを思い出した。
あのまま走るとコンビニにたどり着けるだろう。
丁字路を右だ。男の家とは反対方向。目線を向けると煌々と光る看板を確認できる。
男は逡巡したが、諦めた。雨の中、酒を買いにコンビニにいく元気がなかった。
夜にコーヒーを飲みながら、冷凍炒飯を食べた。
チェアに腰かける。パソコンの次に高い家具に身を預けながら、一番部屋で高価なパソコンで映画を見る。
動画配信サイトで、目についたものをクリックした。
さらに動画投稿サイトを開き、ジャズも垂れ流しにする。
なるべく心を無にするよう心がけていた。たとえ玄関口がノックされようと虚無となった。
未来も過去も考えない。
今を常に思う。
映画の内容を覚える気はなかった。
死に向かうための浪費だった。
みすぼらしい言い訳の果てのささやかな抵抗が死に向かって時間を無駄にすることだった。その行為すら男は言い知れぬ衝動に吐き気を我慢する。
解放されたいのなら、いっそ何もかも捨て去ってやり直すこだってできる。
男はその言葉を免罪符に、辛い日常を謳歌している。これからも言い訳を言い続ける人生になると諦めていた。
1.5倍速で映像の流れを追うだけだった。コストパフォーマンスを気にするほど良い人生ではないと自負している。だが、どこかで特別でありたいという少年らしい欲望を捨てきれていなかった。
その日、二十二時を過ぎたころ合い。恋愛映画らしきものを消費していた。そのため、窓ガラスを突き破ってきた血みどろの女が、部屋の中央にあった机を破壊する様を見逃がした。
騒音によりヘッドホンを外した。振り返ろうとチェアごと回ると、すでに女が目の前に迫っていた。襲い掛かってきているのだろう。そんな感想が脳内に漏れた。
目の前に広がる不可思議な光景はすぐに切り替わり、破壊された部屋が視野に収まる。突風が顔を揺らす。女は消えていた。視界の切り替わりの速さにめまいがしてくる。
今度は蹴りだされた右足が自己主張をしていることに気づく。材質の良くわからない黒のパンツスタイル。真っ白いはずのスニーカーは赤黒く染色されていた。赤黒い液体が滴り落ちる。
左に窓があった。おそらく、もう跡形もない。
少年と断言できるほどあどけない人の形が視界に登場する。
黒い髪の毛は耳まで伸びている。ショートウルフカット。濡烏は実に艶やかものだが、瞳の深紅が人ではないという感想を男に植え付けていた。
白皙にしてはうっすらと発光しているのではないかと思えるほどの白亜があった。首には真っ赤なベルト。まるで飼われていることの証明のように、憎たらしいほどの自己主張をしている。その下部にはよくわからない英語のプリントされた白地のシャツと、よれよれの深緑ジャケット。丈も合わず、なによりも似合っていない。ちぐはぐ。着せられていることがすぐにわかった。
中学生みたいだ、と微笑ましさすら湧く。無垢な子供の美しさが眩しい。
思ったよりも冷静な脳みそに、自嘲すらこぼれそうになった。
あいにくと身体は正直者だった。震えているばかりで腰を上げるどころか、声帯が仕事をしない。全身が言うことを聞かない。
眼球も可動域を絞りすぎている。女性らしき存在がどうなったのかを収める職務を放棄している。
少年が部屋の中央に寄ると、右手に小さな十字架を握っていることに気づいた。
注目していると右耳が音を拾う。ようやく顔が向いた。
男の部屋1Kだった。つまり窓の反対こそが部屋の出入口であり、廊下にキッチンがある。扉は破壊され、壁はくぼみ、建造物の骨格が見えている。
爆心地みたいになっている。そこにもがく女性だったもの。白い衣類が身体にくっついているように見える。
暴れているのに衣類に乱れがない。身体の動きに沿ってそれらが動く。
手足との隙間など皆無。その服自体が皮膚に思えた。
男はようやく、女性らしきものの頭部に着目した。
卵型の白い陶器がろくろの上に乗っているようだった。装飾は真っ赤な唇と真っ白い歯。およそ顔面を構築するパーツとして心もとない。その中心部は窪んでいた。何かがめり込んでいるようだった。
男は視線を左右に振った。
少年が右手に握る十字架らしき道具の先。暴れるものの移動することができない卵の中心があるように見えた。
男には見えない何かがある。
少年は立ち尽くし男を見ていた。
男は見惚れた。黒い髪の毛が照り返している。瞳の中に夕暮れが広がっている。白い肌は病的であるほど。そして、熟れた柘榴のような唇が映えた。
人の形をしている。だが、男にはそれを少年と題する別の物体に思えてならなかった。
美術品を鑑賞するかのように、男は感嘆を吐息に溶かした。
異物だった。
望んでいた世界が開けている。
卵型の何かは動かなくなる。
次の瞬間には霞のように消えた。少年の興味は男に向いている。
男は何を話すべきかを考えた。あにくと声はまだストライキ中のようだった。
男は逡巡する暇もなくなった。
少年がじっとこちらを見つめていた。呼吸を忘れる。ぞっとするほどに美しい。凶器だった。目をそらすことができない。焦点がずれていく。乾いた瞳を潤すためのひとまたぎ。
首筋に吐息が当たっていた。
肩に違和感があった。
視野に赤いものが飛んだように見えた。痛みが走る。冷たい。寒い。激痛になる。右手が動かない。身体が不自由になる。
頭だけは冴えていた。
噛まれた。という表現するよりかは食べられたのだと男は察した。
幸いなことに痛みはすぐに鈍化していった。麻酔処置されたようにどこか他人事になった。全身が弛緩していくことを実感する。
若いころ、盲腸になったことを唐突に思い出した。
死が身体を熱くする。
求められたのだと確信した。初めて射精した時を思い出していた。あの時の興奮と羞恥と幸福感が膨れ上がってきたようだった。
息が乱れる。勃起している。今、男は強く生を実感した。
「ありがとう」
ようやくに声は仕事をした。おそらくに、笑っていることだろう。伝えることができた。達成感があった。少年の笑顔が向けられていることに幸福があった。
男は安らかだった。滅多にない死に方を迎えた。
言い知れぬ射幸心による興奮を享受した。少年の真っ白い肌を染める鮮血が自分のものであることに、男は心底愉快な気分となった。
「どういたしまして、おじさんも美味しいよ!」
なんと溌溂な声なのか。潤んだ瞳に遊び心が揺れている。柔和な笑顔の口元から、少女のような弱弱しい色気が漂ってくる。
男の肉はたるんでいく。男は征服され、服従に酔いしれた。
素晴らしい。男はこんな死に方を予想していなかった。
死を持って、人生に価値をつけてもらった気がした。
男はうそぶいていた死を迎えることになった。
最後の最後に、順風満帆を味わった。
「記憶を消す方法、教えたよな」
「あい!」
「……余計な仕事を増やしやがって。結界張れば絶対バレないってわけじゃないんだぞ」
「ごめんなさい、張り切りすぎました!」
「首輪付きが単なる化物じゃないってことを常に心がけろ」
「はい!」
「返事だけはいいんだよな、こいつ……おい、荒らすなよ」
「ふふっ!」
「それ以上食うなよ、処理班に後はまかせんだからな……ったく。食い殺された男がする顔かよ」
「いいなぁ。食べた甲斐がありました!」
「うるせぇ、てめぇは仕事増やしただけだ、猛省しろ」
「そんなぁ~」
どこかでだれかの物語が進んでいる。 @offonline
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます