怪物の血

@shati_umino

怪物の血

「なんで血は赤いのに、ここは青いんだろ」

 オクトの声に、器具を片付けていた手を止めて振り返った。

 天井に一つだけ取り付けられた豆電球が照らす薄暗い室内に、声の主の姿は見えない。視線を下げると先ほどまでと何一つ変わらない、後ろ手の姿勢で椅子に縛り付けられた男がいる。腫れ上がった顔を下に向けて泣きながら「ごめんなさい」と「許してください」を何度も呟いている。依頼主に送るため、右耳は最初に切り取っていたが、あとはそれほど大したことはしていない。五体満足でいる分、前回の人間よりも随分綺麗な状態だと思う。今日のオクトはぼんやりしていて、どうやら気が乗らなかったらしい。

 オクトは男の真後ろにしゃがんでいるようだ。椅子の隙間から、オクトが履いているブーツが見えていた。

「どこ?」

「ここ。血管?」

 オクトは男の手首に浮かぶ血管を見て、疑問を抱いたようだ。血管の色なんて私は気にしたことがなかった。

「だっておかしいじゃん。青く見えているのにこうやってさ、」

「ぐわぁぁぁぁああああああ」

 オクトが少し動いたのが見えた。同時に、男は顔をのけ反らして大きく口を開け、自由な両足をばたつかせた。額には脂汗が浮いている。必死の形相で漏らされた男の叫び声は、コンクリート打ちっぱなしの無骨な四方の壁を揺らしたが、私たちの仕事部屋は地下にあるため、外には決して聞こえない。

「あれ、切れないや」

 道具を並べていた机の上からハサミが消えていた。ここにないということは、オクトが今使っているはずだ。

「よいしょっと」

 オクトの呑気な掛け声と共にバチン、と刃が合わさり、血溜まりの中にベチャッと何かが落ちた。椅子の男は「あ、あ、あ」という音を断続的に繰り返す。男の開きっぱなしの口から涎が垂れ、床に落ちた。汚い。

 オクトは男の背後から横にずれ、電球に照らされるように男の手の位置を調整した。

 しげしげと、自らが作った傷の断面を眺めるオクトは、どこから見ても普通の青年だ。まんまるの頭にさらりと流れる黒髪、大きい瞳、小さな顔。可愛らしい部類に入るのだと思う。年齢はわからない。おそらく二十代前半だとは思うが、十代だと言われても納得できるほど、幼い言動が目立つ。まともな教育は受けていないと言っていた。

「ほら、赤い」

 オクトは笑いながら「ね?」と切った小指の断面を私に見せてくる。わざわざ説明してくれなくても、人間の血が赤いことくらい私だって知っている。

 私は先ほどのオクトの質問に答えるべく、本で学んだ知識を披露することにした。

「血管には動脈と静脈があるの。血は酸素を運んでるんだけど……、酸素ってわかる?」

「吸ってるやつでしょ?」

「そう。生物が生きて行くのに必要なものね。で、動脈は酸素が多くて、静脈は酸素が少ないの」

「なんで?」

「……そういうものなのよ」

 血液は体内を循環しているだとか、心臓に向かう血液と心臓から出てくる血液があるだとか、オクトはそんな話にきっと興味がない。

 ふーん、と答えたオクトはどうでもよさそうにハサミを弄り始めた。シャキン、シャキンと刃の音が鳴るたびに、椅子の男は体を揺らして怯える。男が動くたびに、様々な液体が床に散って、私は顔を顰めた。臭い。汚い。早く掃除したい。

「で?」

「青く見えているのはその内の静脈。酸素が少ない血管ね。ここからは光の反射と可視光線の話になるけれど……。まだ聞きたい?」

「うーん、いいや」

「そう。ハサミを返して」

「はーい」

 予備動作も無しにオクトがダーツのようにハサミを投げる。ハサミは私を掠めて後ろの壁に当たって机の上に落ちた。私はそれをゆっくり拾い上げ、消毒液を吹きかけつつ汚れを丁寧に拭き取りカバンにしまう。部屋を見回す。男以外、忘れ物はない。

 オクトは先ほど切り取った男の小指を弄っていた。断面をじっと見つめてはひっくり返して滴る血を眺めている。

「オクト、そろそろ出るわよ。掃除屋には連絡済みだから」

「うーん……」

 クルクルと男の小指を回していたオクトは、唐突にそれを床に投げ捨てた。人体から切り離された小指はただのゴミにしか見えない。依頼主に送る右耳に添えてやろうかとも思ったけれど、送料が増えるかもしれないし、何より触りたくなかったので辞めた。

 私がそんなことを考えている間に、オクトは血溜まりの中に落ちた小指を厚底のブーツで踏みつけていた。何度も踏みつけ、靴についた血を床に擦り付けながら首を傾げる。

「うーん……」

「そんなに不思議? 血が赤いことなんて今更じゃない」

 こんな仕事をしていれば、毎日様々な人間の血を見ることになる。善人悪人問わず、処理してきた人間の血は全て赤かったはずだ。

「青いって言われたんだ」

「何が?」

「俺の血。ココロが無いから青いって。カイブツだから青いって。でも、俺の血も赤いはず。みんなそれを知らないのかな」

 そう言うとオクトはどこからか折りたたみナイフを取り出して開いた。刃先が、電球の光に反射して鈍く光っている。

「こうやって、見せてあげればいいのかな」

 オクトはナイフを何の迷いもなく、自らの左腕に振り翳した。

「オクト!」

 骨が軋む音が聞こえた気がした。気付けば私はオクトの細い手首を掴んでいた。

「痛いよ、エイト」

「あ……、ごめん。……痛かったよね、大丈夫?」

「ん、大丈夫だけどさ。エイトは力が強いんだから気をつけてよ」

 ごめんと言いながらも、私はオクトから手を離せなかった。血を見たいがために腕を切られてはたまらない。オクトの血は、見たくない。震える手でオクトからそっとナイフを奪うと、そこでようやく彼を離した。私が馬鹿力で掴んだオクトの手首には、少し跡が残ってしまっていた。優しく、優しくと頭の中で唱えながら彼の手首をさする。オクトは私にされるがまま、さすられ続ける自分の手首を見ていた。

「オクトの血は赤いよ。人間だもん。青いって言った奴らはオクトのことが怖くてそんなことを言っただけ。だから気にしないで」

「うーん……」

「それよりほら、掃除屋が来ちゃうから片付けなきゃ」

「はーい」

 話に飽きたのか、それとも元々どうでもよかったのか。オクトは素直に従った。彼が何を考えているのかは、誰にもわからない。

 オクトは私が差し出した拳銃を受け取ると、椅子の男の前に立ち、片手で構えた。男は縛り付けられているにも関わらず、椅子ごと揺れて暴れる。「嫌だ」「許してくれ」「やめてくれ」と大きな声で繰り返す。叫び続けたせいで枯れた声と、ギコギコ鳴る椅子の音が耳障りだった。

「オクト」

 急かすように声をかけたが、オクトの思考はどこか遠くに飛んでいた。視線は男を通り越して遠くを見ている。もう一度声をかけると、オクトは思考を飛ばしたまま機械的に男の眉間に照準を合わせた。長年の慣れからくる動作だ。袖口の隙間から、オクトの手首が見えた。私がつけた跡の下に血管が浮かんでいる。

 赤い血が流れているのに青い血管。理由なんて気にしたこともなかった。色の違いなんてものは私には見分けられないから意味がない。オクトの血が赤だろうが青だろうが意味はないが、なんとなく悲しくなってしまった。

「……オクトの血は、赤いんだよ」

 思いがけず、情けない声になってしまった。慌てて誤魔化そうとしたところで、聞いていないと思っていたオクトが口を開いた。

「でもさ、エイト」

「……何?」

「俺の血は青いんだ。うん。青いんだよ。だってなんかカッコいいじゃん。カイブツってことでしょ? だったらエイトも一緒じゃん。俺とエイトにはおんなじ青い血が流れてるんだよ」

「……そうだね」

 パン、と乾いた音を残して、部屋はようやく静かになった。


 根城としている街に戻ると、深夜だからこそ同業者たちで溢れていた。酒、タバコ、血、腐ったゴミ。臭くて汚くてたまらない。早く家に帰りたかったが、のんびりと歩くオクトの後ろに我慢してつき従う。ギラギラした趣味の悪いネオンの下で、遠巻きにぶつけられる視線が煩わしかった。「化け物」「怪物」と囁き声にしては大きな声が聞こえてきた。

「エイト。なんかうるさいや。全員殺しちゃっていい?」

「オクト。我慢して」

「みんないなくなればいいんでしょ?」

「誰かれ構わず殺しちゃダメよ。いつかお客さんになるかもしれないんだから。仕事がなくなったら困るでしょ? 社長にも怒られちゃう」

「はーい。エイトの言うとおり。でも、俺はカイブツだからね。命令されるのは好きじゃないなぁ」

 顔を後ろに向けたオクトが目を細めて私を睨んだ。彼の黒い瞳に見つめられると、それだけで体が言うことを聞かなくなる。ジワリ、と汗が滲んだ。

「……わかってるわ」

「ならいいけどー」

 視線を外されて、ようやく息ができた。じっとりと濡れた手で額を抑える。顔が熱い。きっといつもより赤くなった顔は、前を歩くオクトには絶対気づかれないけれど、それでも隠したかった。

 初めてオクトを見たのは、手術台の上だった。私はベルトで頑丈に縛り付けられたまま、いつも通り行われるであろう改造手術を、天井のライトを見ながらぼんやりと待っていた。「さぁ、始めようか」と見慣れた執刀医が私の上にかがみ込んできた瞬間、彼の首が飛んでいった。生温かい液体が私の顔と体にかかったと思うと、手術室には叫び声が響き渡る。一つ、また一つと叫び声が消えていき、気付けば、手術室に残っている人間はオクトだけだった。

 オクトは手術台の私に気付くと、目を見開いた。パチパチと二回瞬きをした後、ニヤリと笑ったかと思うと「来る?」と私に手を伸ばした。彼は人間の血に塗れて輝いていた。こんなにも綺麗な人間がいるのかと、一目で彼に恋をした。心臓が激しく脈打って、私はここで死ぬのではないかと思った。彼の手を取る以外、残りの人生の使い道がわからなかった。

 今の組織に連れ帰られてすぐにオクトの相棒に任命された。新しい上司は私の姿に臆することなく、むしろ心底同情しているような顔で「御愁傷様」と声をかけてきた。けれど、私は飛び上がりそうだった。人殺しをするオクトの姿を一番近くで見られることが嬉しかった。

 私はオクトの八番目の相棒だ。だからエイト。相棒になった時にオクトに命名された。ワンからセブンはオクトによって殺されたらしい。死因は様々だったけれど、どの死体も無惨な姿だったようだ。前任たちが殺された理由はオクトにしかわからない。オクトは「なんとなく」「ムカついて」、そのようなことを言っていた。

「お前怖くないのか?」と、異形である私を気遣う同僚たちに何度言われたことか。

「コンビを解消してやろうか?」と、私の有用性に気づいた上司に何度言われたことか。

「私はオクトの相棒がいいんです」と、彼らの言葉を私は何度否定したことか。

 私は、オクトに殺された元相棒たちが羨ましい。

 短い人生の最後にオクトを見ながら死ぬことができるなんて!

 私の瞳が最後に写す景色が、あの美しい姿だなんて! 

 彼らももしかしたら私と同じだったのではないだろうか。オクトは相棒たちの願いを叶えてやっていたのではないだろうか。少なくとも私は彼に殺されたい。この、美しい怪物に殺されたい。

 私がこんな人間の恋のような感情を抱いていることは誰も知らない。後ろからはオクトのまんまるの頭がよく見える。右巻きのつむじですら愛おしく、思わず口元が緩んだ。

 ふと、私とオクトの影が見えた。二つ並んで前に伸びる私たちの影は、何一つとして同じところがない。こんなことでもオクトとの違いを見せつけられた気がして、さっきまでの浮ついた気持ちが沈んでいく。

 私の気持ちの変化に気づくことなく、オクトは前を向いたまま、後ろを歩く私に話しかけてきた。

「エイトー。お腹すいた。マグロ食べたいな」

「……いいけど。私はカニがいいな」

「よし、食べに行こ!」

 突然振り返ったオクトに右腕の一本を取られる。私はますます赤くなったはずだ。心臓がそれぞれ好き勝手に跳ねて身体中がうるさい。

「ちょっと、オクト!」

「何? 文句ある?」

「腕、濡れちゃうよ」

「いいじゃん、別に。相棒なんだからさ」

 相棒。オクトから言われたのは初めてで、立ち止まってしまった。顔が熱い。

 すると、下からオクトに顔を覗き込まれた。意地悪そうに笑っている。

「あはは。瞳孔まん丸。驚いた?」

「もう! オクト!」

「あはは。たぶん顔も赤いんでしょ? 元から赤いからわかんないけど」

「うるさいうるさい! 行くよ!」

 私はさらに二本の腕をオクトの腕に絡ませた。もはや意地だ。三個ある心臓が頭の中で飛び跳ねている。九個ある脳が全てオクトのことを考え始める。

 私を見て無邪気に笑うオクトはただの青年にしか見えない。彼を知らない奴らは、私の姿を見て怪物だと怯える。けれど、無邪気な青年は簡単に人を殺す。怪物は人間の仕組みを説く。見た目なんて、何の意味も持たない。そんなことはわかっている。でも、何かにつけて見せつけられるオクトと私の違いはいつも私を悲しくさせた。

 人間の血は赤く、私の血は青いらしい。色の違いを識別できない私にはよくわからないが、オクトの血と私の血の色が違うのはなんだか嫌だった。

 私はオクトが怪物と呼ばれていることを知っていた。そしてそれが実は嬉しかった。人間のオクトと怪物の私が初めて同じだと言われているような気がしたから。

 怪物の血は青いのだ。オクトは自分の血が青いと言った。私と一緒だと言ってくれた。

 オクトがそう言ったのだから、誰が何と言おうと、オクトと私には同じ青い血【怪物の血】が流れているのだ。

「ねぇエイト。明日は休みがいいな」

「ダメよ。二件入ってる」

「えぇー、めんどくさいよ。疲れたよ」

「頑張って。ほら、今日はデザートも頼んでいいから」

「やった! 絶対だよ。ほら早く行こう!」

 デザートにはしゃぐオクトに引っ張られながら、街を駆ける。私も浮き足立っていた。

 ネオンの光で伸びたオクトと私の影が、一つに重なった。

 

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