かとか

池田春哉

火と歌

「さてさてみなさんこんばんは! 火曜日が始まりましたねー!」

 指で弦をはじくと、ぴゅんと音が転がり落ちた。

 音符の転がった先には長机があり、マイクとカメラが置いてある。その奥の大きなモニターにはアニメチックに描かれた女の子が映っていた。

 彼女は白い着物に紺色の半纏はんてんを羽織り、頭にはねじり鉢巻きを巻いていた。半纏には色とりどりの花の模様が描かれている。私がデザインしたアバターだ。

「あ、チャンジャさんこんばんはー。え、ずっと思ってたことがある? 火曜日あと二時間しかないじゃんって? あはは、やっとツッコんでくれた! 待ってたんですよー」

 私の笑い声が壁に貼り付けられたクッション材に吸い込まれる。パイプ椅子がひとつ軋んだ。

 明るい部屋の真ん中に座っている私を除くとここには誰もいない。私のためだけに用意された防音室なのだから当然だ。

 そんな特別扱い、絶望でしかないけれど。

「わんこインさんこんばんは。実家の子猫の調子はどう? あ、NAHAさんこんばんはー。北海道はまだ寒そうですよねえ。あれ、近視性遠視さんはじめましてかも? トーカっていいます。よろしくお願いします」

 普段より少しだけテンションを上げて私は話し続ける。この部屋には私一人でも、私は独りじゃなかった。

 私が笑うと、モニターの中のトーカも笑う。

 トーカは胸の前にアコースティックギターを抱えている。ここだけは私の手元にあるものとまったく同じものだ。

 アバターの映し出されている放送画面の右側にはコメント欄が置かれていた。

 視聴者の入力したコメントがそのまま時系列順に映し出され、それに応えることで会話もすることができる。

 今はコメントのほとんどが『こんばんは』か『おじゃまします』だ。

「うんうん、みんな今日も元気そうで何よりですね!」

 私がマイクに向かって話しかけると、私の分身がモニターの中で笑顔を見せた。分身というにはちょっと可愛くしすぎちゃったかも。

 こほん、とひとつ咳払いをする。

「えっと、今日は始める前にみなさんにひとつお知らせがあります」

 私がそう告げるとコメント欄が勢いよく流れ始めた。

『!?』『え、もしかして』『なんだなんだ』『……結婚?』『おめでとう!』などの言葉が目に入る。

「ちがうちがう」とトーカは首を横に振って苦笑した。

「実は前から考えてたんですけど、今年の夏でこのチャンネルを開設して一年なんですね。ありがたいことに再生回数や登録者数もけっこう伸びてきてるんです。ほんと私みたいな素人の歌をいつも聴いてくれてる皆さんへお礼がしたいなって思ってて」

 一度、言葉を切る。次の言葉が出てくるのに少し時間がかかった。偉そうに聞こえませんように、と気を遣いながら話を続ける。

「それでですね、今度ここでオンラインライブみたいなことをやりたいなって思うんです。いつもは一時間の放送なんですけど、できれば二時間くらいで。曲数も結構そろってきたし……どうでしょうか?」

 一瞬の静寂ののち、コメント欄が今日一番の激流となった。

『やったああああ!』

『最高かよ』

『トーカ単独ライブマジ?』

『今年の夏は熱くなりそうだ……!』

 次々と現れては流されていく言葉の数々に、安堵と喜びで頬が熱くなる。

「みんなほんとにありがとう。詳細はまた決まり次第お知らせしますね。お楽しみに!」

 いまだ勢いの収まらないコメント欄から一度目を離す。 

 そして私はギターを握り直した。いつもより少しだけ力が入る。

「さてさて今日も元気にやっていきましょう。一曲目はやっぱりあの曲!」

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