第二話

 当時の大石さんは中学二年生だったという。祖父はすでに鬼籍に入っていたが、フサさんはまだご存命だった。大石さんの家族と同居し、日々の生活を共にしていた。


 祝日だったその日は学校が休みで、時刻は昼の二時を少し過ぎていた。

 たまたま大石さんは居間でフサさんとふたりになり、ほとんど会話がないまま炬燵こたつに入ってテレビを観ていた。退屈な番組に思わず欠伸がでたとき、フサさんがぶつぶつとその話をはじめた。


「わたしが十二、三歳の子供やった頃の話なんやがな……」


 その頃のフサさんは山間やまあいの中規模集落の一郭で、祖父母と両親、それからふたりの兄弟と一緒に暮らしていた。本来ならもうひとり兄がいたのだが、数年前に熱病を患って亡くなっている。


 集落の南方と北方には緑深い連山がそびえていた。その裾野が集落のすぐそばに迫っており、集落には季節を問わずによく風が吹いた。南北の連山の合間を風が吹き抜け、それが集落をかすめていくのだ。ただし、毎日のように風が吹くものの、さほど強く吹くわけではなかった。


 フサさんいわく、

「そりゃあ、ときどきは強い風が吹きよった。そやけど、そがいなんは稀なことや。おおかたは稲が傾ぐ程度の穏やかな風やった」


 集落を吹き抜けていく風には、山神にからんだ謂れがあった。南北の連山を統べる山神の和魂にぎたま荒魂あらたまが、集落に風を吹かせているというものだ。

 和魂が司っている東から吹く風を「いわい風」とよび、荒魂が司っている西から吹く風を「いたみ風」とよんだ。

 祝い風が多く吹く年は吉とされ、悼み風が多く吹く年は凶とした。吉の祝い風を家の中に呼びこむために、集落にある茅葺かやぶきの家のほとんどが、東側の壁に戸口を設けるつくりだった。


 北側に聳える連山の麓には、山神を祀っている神社も鎮座していた。そこはフサさんの祖父が、神主として従事していた場所でもある。

 神社では春先と秋口に和魂と荒魂にちなむ祭りが行われた。春には祝い風を起こす和魂に感謝を示して「魂崇たまかさ祭り」、秋には悼み風を起こす荒魂を敬って「魂鎮たまじめ祭り」。


 その連山の一部が地滑りを起こしたのは、夏がそろそろ終わるという頃だった。


「長雨が続いとるときやったな。南の山が地滑りを起こしよったんや」


 連山の一部が雨によって崩れ落ち、大量の土砂や倒木が集落を襲った。いくつもの家が押し潰され、数十人にのぼる怪我人が出たうえに、ある家族においては全員が命を失った。


「地滑りが起きたんははじめてのことやったし、その年はたまさか悼み風がよう吹いとった。そやから、あがいな噂が広まったのやろう」


 地滑りからしばらくして、集落でこんな話が囁かれるようになった。

「あがいな地滑りが起きたんは、きっと悼み風のせいや」

「今年は山で猪や鹿をようけえ狩った。荒魂さんの怒りをうたんや」

「そや。荒魂さんが怒ってはるから、悼み風がよう吹いたのやろう」

 ゆえに地滑りという凶事が起きてしまったと、集落のみなは荒魂に畏れおののいた。


 みなで話し合いがなされたあと、荒魂を鎮める祈祷が捧げられた。祈祷は神主であるフサさんの祖父が担った。すると、その年にはよく吹いていた悼み風が、徐々に例年ほどの風へと落ち着いていった。


 しかし、悼み風が弱まっただけでは、心からの安堵には至らなかった。再び凶事が起きるのではないかと、集落の人々は不安に苛まれていた。

 そこで、今度は祝い風への一策を講じた。縁起のいい祝い風をより多く招き入れて、集落に吉事をよび寄せようというのだ。吉事が増えれば、凶事はもう起きないと信じた。


 集落の東には小規模であるものの雑木林が広がっていた。その雑木林が東から吹いてくる祝い風を妨げているに違いない。ならば雑木林をなくしてしまうことができれば、祝い風が現状よりもよく吹くようになるだろう。


「大人たちがそがいな話をしとったわ。それからみんなで協力しうて、雑木林を伐採することになったんや」


 集落に住む人々のかては農作か狩猟で、林業に携わっている者はいなかった。樹木の伐採には不慣れな者ばかりだったが、それでも半年ほどの時間をかけて、ついにはすべての樹木を切り倒すことができた。

 あとに残ったのは年輪をさらけだした切り株だけで、ほどよい祝い風が季節を問わずによく吹くようになった。


 さいわい伐採した雑木林の樹木は、質のいい木材として高く取引された。また、祝い風が稲をうまく育ててくれるのか、それまでにないほど実りが豊かになった。おかげで集落の暮らしはいっきに向上した。


 集落のみなは自分たちの判断は正しかったと確信した。雑木林の伐採には苦労を強いられたが、その甲斐あって祝い風をうまくよびこめた。もう集落が凶事にみまわれる心配はないだろうと、ようやく心から安堵した。

 ところが伐採から五、六年が経ち、フサさんが十七、八歳に成長した頃に、みながおかしい気づきはじめた。


「それは月日が経たんとはっきりせん異変やった。そやから、気づくんに何年もかかってしもうた」


 その異変とはこういうことだった。

 集落には初子を待望している若い夫婦だったり、次子や三子を望んでいる夫婦などがいた。当時は今より子供が多い時代であり、四子や五子を考えている夫婦だっていた。ところが、雑木林の樹を伐採してから以降、集落にひとりも子供が生まれていないのだった。


 毎日の食事に困るような貧しい地の女性であれば、栄養不足という事情から子を授かれない場合もある。しかし、集落の人々の暮らしは安定していた。伐採した雑木林の樹はすでに売り切っていたものの、稲の豊作は続いており、少なくとも食うに困るなんてことはなかった。

 にもかかわらず、子供がひとりも生まれていないのだ。


「祝い風が吹きすぎとるからやと、わたしの家族は言うとったな」


 雑木林の伐採する話が出たさいに、それはよくない策だと、わずかではあるが異を唱える者がいた。山神を祀っている神社の神主だったフサさんの祖父もそのひとりで、祖父の影響から祖母や両親も伐採の中止を集落のみなにうったえていた。

 実際に伐採がはじまってしまえば、協力しないわけにはいかなかったものの、最後まで中止すべきだと反対していた。


 そうやって伐採に反対していたフサさんの家族は、集落に起きている異変は祝い風が原因だと断じたのだった。伐採に最も難色を示していた祖父は、集落のみなにこんな話を聞かせた。


「祝い風と悼み風のどっちにかたよってもいかん。凶事ばっかし起きるん不幸やが、吉事ばっかしちゅうのも具合が悪い。自然の摂理におうとらんさかいな。吉凶はどちらが欠いても、自然の摂理が狂うてまう。あがいなことをして祝い風を不自然に呼びこんだら、摂理が狂うてしもうて、きっとなにか起こりよるやろうとは思っとった。そやけど、甘くみとったようや。子がなせんくなるとは、思いもよらなんだ……」


 さらに祖父はこんな話もした。


「凶事が起きるのが凶事やない。自然の摂理が狂うのが、ほんまの凶事なんや。子をなして種を繋いでいくっちゅう営みは、すべての生物においてえらい重要なことや。そやけど、自然の摂理が狂ってもうた地では、そこに住む生物の摂理にも狂いが生じてまう。そやから、きっと子をなせなくなってしもうたんやろう」

 もう滅びるしかないわ……、最後にそうつけ加えた。


 フサさんは祖父のその話をしたあと、どこか投げやりな口調で言った。

「子供が生まれてこんのや。そりゃあ人も集落も滅びるわ」


 新しい命が生まれないとなれば、人は老いて衰えるばかりとなる。人々はゆっくりと老いさらばえていき、とうとう集落から人がついえてしまった。住む者が衰亡した集落が存続できるはずもなく、さほど月日が経たないうちに朽ち滅びた。


 今では地図に集落の名すらも記されていない。かつてそこにあった人々の暮らしは、跡形もなく消え去ったのだった。


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