第5話 とろける告白、そして…

正月の行事がひと段落しようとしていた頃、餅学園では最後のメインイベントとして書き初めコンテストが始まろうとしていた。

校内放送が「これより書き初めコンテストの開催です。参加者はステージへどうぞ」と響き渡り、体育館には続々と生徒が集まる。

ノビオは迷っていたが、気づけば筆と紙を握りしめてステージ袖に立っていた。


「あんまり上手く書ける気はしないけど…」


それでも彼の中で、何かを表現しなければいけないという衝動がじわじわ膨らんでいた。


舞台の真ん中にはガクの姿があった。

頭のミカンをきっちり整え、堂々たる鏡餅オーラを放っている。


「皆さん、お待たせしました。まずは僕が書き初めを披露します」


ガクは筆を一振りし、高貴な雰囲気に似合う凛々しい文字を勢いよく描いた。


「ここに“美”という字を示そう。鏡餅一族として、華やかさを追求する姿勢は変わらない」


その言葉に観客は「さすがガク様」と盛り上がる。

しかし、ノビオはどこか冷たい光を帯びたガクの笑みに不安を覚えた。


そこへ、アンナが小走りで登場する。


「あ、ガクくん…勝手に先に書き始めちゃったんだね」


焦っている様子のアンナに、ガクはゆっくり振り向き「いいんだよ。次は君が書いてくれるだろう」と笑みを投げかける。

さらに、その背後にはカビコの姿も見えた。

けれど彼女はステージの片隅に立ち尽くすだけで、視線を合わせようとしない。

ノビオは一歩踏み出そうとしたが、足がすくんで動けない。


先にステージへ呼ばれたアンナは、緊張した面持ちで筆を握る。

客席からは「アンナちゃん頑張ってー」「甘い香りも応援してるよ」といった声が飛び交い、柔らかな空気が広がる。

しかし、ガクは「今度こそ僕と一緒に最高の絵を描こう」と強引に肩に手を回し、アンナの動きを制するように筆を上から握った。


「ちょっと…ガクくん、これじゃわたしの字にならないよ」


アンナが困惑する様子を見て、ノビオは胸がむずむずしてならなかった。


「おい、ガク。アンナが嫌がってるの、わからないのか」


気づけばノビオは、ステージへ飛び出していた。

ガクは小さく鼻を鳴らしながら、その筆を手放そうとはしない。


「君には関係ない。あんこ入り餅を引き立てるのは、鏡餅の僕だ」


ノビオの視界が一瞬熱を帯びるようにゆらぎ、「関係ないわけないだろ…」という言葉が自然とこぼれ落ちた。


その瞬間、会場がどよめく。

ガクもアンナも、そして観客までもがノビオを注視している。

ノビオは自分の体がぐっと柔らかく伸びていくような感覚を覚えた。


「アンナと…それからカビコと、俺はちゃんと向き合いたいんだ。誰にも邪魔されたくない」


唇がかすかに震えながら、懸命に言葉を捻り出す。

ガクは怒りを含んだ目で睨みつけるが、ノビオの気迫に押されて筆を握った手がわずかに緩んだ。


アンナはそっとガクの手を外し、ステージを降りるように二人に目で合図する。

ガクが「冗談じゃない」とつぶやき、まだ言い足りなそうにしているのを草太が羽交い締めする。


「これ以上は見苦しいぜ、ガク。お前だって鏡餅のプライドがあるんだろ」


ガクはしばらく硬直していたが、やがてミカンを押さえたまま観客の注目が自分から離れたことを悟り、口をつぐむ。

その後ろ姿を見届けたノビオは、まっすぐにアンナのほうを振り返った。


「アンナ…ごめん。俺、今まで何もわかってなかった」


ノビオは大勢の視線が集まっていることにも気づかないほど必死だった。


「好きとか嫌いとかじゃなくて、君のことを大事だと思う。だからガクに振り回されてる君を放っておけないんだ」


アンナの目が潤むように細められ、「わたしも…ノビオがいないと寂しいって思ってた」とかすかに頷く。

ただ、その瞳には何か物足りなさのようなものが滲んでいるようにも見えた。


すると、ステージの隅で見守っていたカビコがゆっくり近づいてくる。

角ばった形の肩が小刻みに揺れていて、ノビオの声にならない期待と不安が混ざり合った心を刺激する。


「…偉そうなこと言うじゃん。でも、アンナのことも私のことも本気でわかってないくせに」


その言葉にノビオはぐっと息を呑む。


「ごめん。俺、カビコの気持ちから逃げてた。知りたくないわけじゃないけど、どう向き合えばいいかわからなかったんだ」


会場がしんと静まる中、カビコは少しだけ顔を背けてから口を開く。


「わかんないなら、ちゃんと聞いてよ。あんたなんか嫌いになれないんだから」


その一言にノビオの胸が大きく弾んだ。

同時に、アンナの視線もカビコへ向けられ、ふわっとした空気が二人の間に流れる。

アンナは「カビコちゃん…」と小さくつぶやき、まるで応援するような眼差しを向けていた。


「結局はノビオがどっちを選ぶかってこと? まさか三角関係ってやつ?」


カビコがわざと冷たい調子で言うと、ノビオは困った顔で俯いた。

しかし、次の瞬間には勇気を振り絞ったように頭を上げる。


「どっちを選ぶ…じゃなくて、俺は二人とも大事なんだ。アンナは、これからも一緒にお菓子作りをしたいし、いろいろなアイデアを試してみたい。カビコは昔からの幼なじみで、大切な存在なんだ。少なくとも逃げるのはやめる」


ノビオは顔を赤くしながらも、柔らかい体全体でその言葉を支えているように見えた。

アンナはほんのり笑みを浮かべ、「それでいいんじゃないかな。わたしも、友達としてはもちろん…ノビオともっと仲良くなりたいし」と、そっと言葉を返す。

一方のカビコは、「…ま、あんたにしてはマシな答えかもね」とつぶやいたきり下を向いた。

けれど、その表情はどこか安堵に満ちているように見えた。


張り詰めていた緊張がほぐれたのか、会場からは拍手が巻き起こる。

草太が「お前ら、やっとスッキリした顔したな」と笑い、あべかわ先輩が「若いっていいねえ」と微笑む。

ぜんざい先生が「いろいろ騒ぎはあったけれど、みんな成長したんだね」と優しく声をかけると、ノビオはあらためて大きく一礼をした。

ステージの中央には、ポツンと未完成の書き初めが置かれている。

ノビオは筆を取り、「俺、書きたい言葉を見つけたかも」と呟く。


そのまま一心不乱に筆を走らせると、“未来”という二文字がすっと白い紙に刻まれた。

甘くて伸びやかで、けれど角もきちんとあるような、不思議な力が宿った文字だった。

ガクはその文字を見やりながら、何も言わずにステージを後にする。

カビコとアンナは、ノビオの後ろ姿をじっと見つめていた。

三人の視線が交錯する一瞬、ふんわりとした温かさが舞台上に漂った。


ノビオは肩から力が抜けたのか、少しだけ体をくたっとさせてから大きく息を吐く。

ステージの上で起きた出来事は観客を驚かせたが、彼らが描き始めた新しい関係は、ここからどんなふうに伸びていくのか。

少なくとも、その場にいた全員が、餅らしい甘さと柔らかさと、時に角ばった熱さを心に刻んだはずだ。


書き初めコンテストはそのまま終わり、勝敗なんてどうでもよくなるほどに会場はほのぼのした空気で満ちていく。

ノビオが新たに踏み出そうとした一歩は、確かに今、その足元をとろけるように温かく支えていた。

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