第4話 決裂する友情、迷い始める心
学園祭が終わり、教室にはまだポスターや装飾が残ったままになっていた。
いつもなら片付けを率先してやるはずのカビコの姿が見えず、ノビオは少し落ち着かない。
「カビコ、今日は休みかな」
草太にそうつぶやくと、彼は首をかしげる。
「昨日までは普通に登校するって言ってたんだけどな。ちょっと探してみるか」
ノビオと草太は廊下や部室を回ったが、カビコの姿は見つからない。
そのうちに午前の授業が始まってしまい、ノビオは少し焦る気持ちのまま席に着く。
お雑煮先生のホームルームがひと段落しても、カビコはまだ来ない。
「連絡、来てないのかしら。カビコさん、どうしたんだろうね」
アンナが気遣うように声をかけると、ノビオは言葉に詰まりながら机を指でたたいた。
「あいつ、体調を崩したってわけでもないと思うんだけど…わからないや」
午後になってようやく教室に戻ってきたカビコを見つけたノビオは、迷わず声をかける。
「どこに行ってたんだよ。心配したんだぜ」
カビコは鞄を机に置いたまま、低いトーンで答える。
「ちょっと、話したくないことがあって。ごめん」
角餅の表面がどこかくすんでいるように見えた。
ノビオは気になって仕方ないが、食い下がることもできずに黙り込む。
その日の放課後、ようやく二人きりになれたのは誰もいない校庭の隅だった。
「カビコ、何かあったなら話してくれよ。俺、力になりたいんだ」
ノビオがやわらかく体を近づけると、彼女は強い調子で言い返す。
「そうやって、また優しくするんだね。…アンナのことだって、はっきりどう思ってるのか自分でもわからないんでしょ」
ノビオは「な…なんでアンナの名前が出てくるんだよ」と戸惑うが、カビコの瞳は揺らがない。
「学園祭のとき、あんたはずっとアンナのことばかり気にしていたじゃない。見てればわかる」
きっぱりとしたその口調に、ノビオは何も言えなくなる。
たしかにアンナが目の前にいると、心が浮き立つような感覚があったのは否定できない。
ふと吹いた風に、カビコの角ばった形がわずかに震える。
「放っとくとカビが生えるなんて体質、どうせ目立たない地味な餅だよね…って、いつもどこかで思ってるんじゃないの」
その言葉は自嘲気味で、ノビオははっとする。
「そんなふうに思ったことない。俺はただ…」
必死に否定しようとした瞬間、カビコはぽろりと言葉を落とす。
「アンナみたいに甘くて可愛い餅が、うらやましくて仕方ない。それを見てるあんたが…ほんとは一番きらい」
ノビオの胸には、重苦しい衝撃が走る。
言いかけた言葉がうまく形をなさないまま、二人の気持ちはすれ違ったままのように見えた。
「きらいって…そんな」
ノビオは柔らかい体を強張らせながらも、何か言い返そうと口を開く。
しかしそのとき、遠くから威圧的な声が聞こえた。
「そこにいたか、ノビオ」
鏡餅のガクが、頭のミカンを傾かせながら二人に近づいてくる。
彼は高級感のある光沢をちらつかせるように目を細めていた。
「ちょっとした用があるんだがね。アンナのことで君に頼みたいことがあって」
カビコは「私には関係ないみたいだから」と小さくつぶやき、そのまま踵を返す。
ノビオは思わず呼び止めようとするが、言葉をかけるタイミングを逃してしまう。
ガクはそんな様子など気にせず、笑みを浮かべる。
「実は今度、アンナさんと放課後に会う約束をしてるんだ。二人きりだとなにかと困る場面もあるだろうから、料理部員の君に協力をお願いしたい」
ノビオはその意図がつかめず、首をかしげる。
「えっと…なにをすればいいのか、よくわからないんだけど」
ガクは余裕の笑みを浮かべながら、頭のミカンを手で優雅に支える。
「そこはまぁ、僕が気前よく買ってあげた食材を使って、彼女の好みの料理を振る舞ってほしいわけだ。アンナさんも、餅料理が得意な君を頼りにしてるみたいだからね」
ノビオはまんざらでもない気持ちになったが、どこか妙な引っかかりを感じる。
ガクがわざわざ自分を呼び出してまで頼むなんて、一筋縄ではいかないだろう。
「わかった。やるだけやってみるけど…アンナ、なんて言ってるの」
彼がそう問うと、ガクはわずかに口の端を上げる。
「ああ、彼女は“ノビオが来るなら嬉しい”と喜んでいたよ。だから期待に応えてくれないと困るんだ」
その数日後、放課後に約束の教室を訪れると、なぜかアンナの姿はなくガクだけが待っていた。
「変だな…アンナ、遅れるって連絡でもあったか?」
ノビオが尋ねると、ガクは「さあね。僕は聞いていないが、彼女も忙しいのだろう」と言葉を濁す。
それでも食材はたくさん用意されていて、ノビオはしかたなく調理を始める。
何度もラインでアンナにメッセージを送るが、一向に既読もつかない。
「おかしいな。アンナが来るはずなのに」
その様子を横目で見ていたガクが、やや勝ち誇ったように笑う。
「残念だな。これだけの食材が無駄になるとは。君の腕前を見せてもらうつもりだったのにね」
言葉の裏に何かを感じ取ったノビオは、まるで餅同士がべたつくような嫌な予感に駆られる。
「ガク…本当はアンナを誘ってなんてなかったんじゃ…」
そこまで言いかけた瞬間、勢いよく扉が開いた。
「ノビオ、大丈夫か?」
草太がすたすたと入ってきて、ノビオの袖を引っ張る。
「アンナ、今ぜんざい先生と一緒に家庭科室で待ってるよ。お前が来ないって言うから心配してたってさ」
ガクが一瞬動揺したように目を見開く。
ノビオは「は? 俺はここでガクと待ち合わせだって聞いて…」と草太を見つめる。
草太は少し険しい顔でガクをにらむ。
「どうも変だと思って探したんだ。案の定、お前はここにいたし、アンナはあっちにいる」
ガクは気まずそうにミカンを手で押さえながら、わざとらしく肩をすくめる。
「ふん、そういうすれ違いもあるものだね。まあ僕の手違いということにしておいてくれ」
ノビオは怒りを抑えきれず、「最初から俺を引き離そうとしたんだろ」と口に出す。
そのとき、ガクの声に冷たい響きが混じった。
「丸餅アンナは僕が手に入れる。それまでに君が邪魔をするなら、もっとやり方を考えてもいいんだよ」
言い争いが激しくなりそうだったところへ、草太が割って入る。
「そこまでにしとけよ、ガク。…ノビオ、さっさとアンナの所に行ったほうがいい。気にしてたから」
ノビオはひとまずその場を離れ、家庭科室へ急いだ。
草太がいなければ、どれほど揉めていたかわからない。
足早に廊下を進みながら、ノビオの頭にはカビコとのケンカのことがちらついていた。
自分はアンナに本気なのか、それともカビコのことをどう思っているのか。
何も整理できないまま、彼の心は優柔不断なまま漂っている。
家庭科室に入ると、アンナが「ごめん、ノビオ。連絡もらってないけど大丈夫かなって」と申し訳なさそうに話しかけてきた。
ぜんざい先生が優しい声で続ける。
「ノビオくんもガクくんも早とちりをしたんでしょう。こういうときこそ、話し合わないとね」
ノビオは申し訳なさと安堵が入り混じるように息を吐く。
心の中では、カビコの言葉とガクの嫌がらせがずっと絡まっていて、自分でも自分の気持ちがどこにあるのかわからない。
柔らかな丸餅の体を持て余してしまうほど、今のノビオは揺れていた。
草太が遅れて入ってきて、アンナとぜんざい先生に一礼する。
「とりあえず二人でゆっくり話してくれば? 俺は先生と食材の片付けを手伝うから」
ノビオはそう言われても、立ち上がる気力がわかず、その場で視線を落とすだけだった。
カビコとの決裂、ガクの巧妙な嫌がらせ、そしてアンナへの思い。
すべてが重なり、ノビオの心はごちゃごちゃに渦を巻いている。
草太のさわやかな香りさえ、今はどこか遠くに感じる。
何が本当で、どこからすれ違ってしまったのか。
決裂しかけた友情と迷走し始めた気持ちが、ノビオの柔らかな生地を引きちぎるように苦しめていた。
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