第2話 焦げつく想い、カビコのゆらぎ

朝のホームルームが終わると同時に、クラス中がにぎやかな声に包まれる。


「あの子、転校してきたばかりなのにもう人気者なんだね」


いつもは教室の隅で静かにしている草餅の草太が、珍しく目を輝かせて言った。

ノビオもつられて視線を向けると、丸餅アンナの周りに数人の同級生が集まっている。

彼女は真っ白な表面をやわらかく揺らしながら、まるで生まれつきのアイドルのように微笑んでいた。


「ほんと、すごい人気だな」


ノビオがそうつぶやくと、となりの席で机に教科書を並べていた角餅カビコが小さく鼻をならす。


「ふん…べつに普通じゃない?あんこ入り餅って珍しいからみんな物珍しいだけよ」


そう言いながらも、彼女の声はどこか落ち着かない。

ノビオは「あ、そうかもね」と相づちを打ちながら、まばらに散っている消しゴムのカスをなぜか指先で集め始める。


放課後になると、アンナのまわりにはさらに多くのクラスメイトが集まっていた。

その中心にいたのは、頭にミカンをのせた鏡餅の餅ヶ崎ガク。

高級感のある光沢を誇示するような立ち振る舞いが、何かと注目を集めている。


「丸餅アンナさん、よければ今度僕と放課後に…」


ガクは丁寧そうな口調を装いながらも、その言葉にはどこか上から目線の響きがある。


「…放課後に、何をするの?」


アンナは一瞬首をかしげたが、興味をそそられたらしく、小さく微笑んだ。

その様子を見たクラスメイトたちがざわつき始める。


窓際でその光景を眺めていたカビコは、視線をそらして教室を出ていった。

ノビオは声をかけようとしたが、あっという間に廊下の角を曲がられてしまう。


「どうしたんだろう」


隣にいた草太が心配そうに言うと、ノビオはわずかに首を傾げる。

いつもツンとした態度のカビコだが、今日はやけに尖っているように感じた。


その日の帰り道、ノビオはカビコと一緒になるタイミングをうかがいながら昇降口まで向かった。

ところが、彼女はすでに上履きを脱ぎ捨てるように下駄箱に入れ、そそくさと外へ出ていく。


「ちょ、ちょっと待ってよ…」


ノビオが慌てて駆け寄ると、カビコは振り向かないまま言葉を投げる。


「アンナのこと、好きなんでしょ?」


その低い声に、ノビオは反射的に言い返す。


「そ、そういうわけじゃないよ。まだ知り合ったばっかりだし」


カビコは踵を返して少しだけ顔を向ける。

角ばったラインがわずかに震えているのがわかった。


「じゃあ、なんでこんなにモヤモヤするのかな…」


それだけ言って、彼女はまた歩き出す。

ノビオは追いかける言葉を探せず、行き場のない焦りが胸のあたりでくすぶるのを感じる。


翌朝、教室に入ったノビオは、まだカビコが来ていない席を見て落ち着かない気持ちになる。

そこへ草太が声をかけてきた。


「カビコの奴、最近なんだか元気ないよな。知ってるか?」


ノビオは「うん…」とだけ答えるが、詳しいことは自分にもわからない。

一方、アンナは相変わらず人気者で、最初は興味なさそうにしていたカビコの友人たちも、いつの間にかアンナに話しかけているようだ。


休み時間、偶然廊下でカビコを見つけたノビオは、思いきって声をかける。


「昨日はごめん。何も言えなくて…」


カビコはノビオの顔を見ないまま、少しだけ肩をすくめる。


「こっちこそ、変なこと言ったかも」


その言い方はまるで、彼女が自分を責めているように聞こえた。


「気にしないで。俺…どうしたらいいかわかんなくてさ」


ノビオの言葉に、カビコはしばし黙り込む。

角餅の表面に微妙なシワが寄っているのが見えた。


「…あんこ入り餅って、甘くて羨ましいよね」


ノビオはその言葉に引っかかりを覚えたが、どう返せばいいのかわからない。


一方、教室の一角ではガクがアンナと親しげに話し込んでいた。

甘い香りに上品な高級感が混じるような雰囲気に、まわりの生徒も「お似合いかも」と噂している。


「ガクさま、さすがに目立ってるわね」

「ああいうイケメン餅とあんこ餅の組み合わせもアリかも」


何気ない声がカビコの耳にも届いたようで、また一つ小さくため息をつく姿が見えた。

ノビオはふと視線が合ったカビコの表情に、熱っぽい焦燥感のようなものを感じる。


その日の放課後、誰もいない調理室でカビコが一人、鏡を見つめている姿をノビオは見かけた。

まるで自分の角ばった形や微妙にできかけた斑点でも確かめるように、爪先でそっと生地の表面を触れている。


「長く放っておくとすぐにカビが生えるってわかってる。だけど…」


微かな独り言が冷えた空気に溶け込む。

ノビオはドアの陰でその声を聞き、息が詰まるような気持ちになった。

彼女のもどかしさをどう受け止めたらいいのか。

それすらわからないまま、ノビオはそっと扉を閉じる。


明日になれば、またいろんな出来事が転がり込んでくる。

カビコの胸の内には、焦げつきそうな想いがあるのかもしれない。

アンナの甘い香りが、さらに学園の空気をかき混ぜようとしているのも確かだ。

ノビオは自分の柔らかさに頼るだけでは解決できないことがあると知りながら、どうにかして角が立たないようにと考えてしまう。

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