新訳赤ずきん

楽天アイヒマン

新訳赤ずきん

 昔々、ある北欧の小さな街。そこに貧しい少女がいました。彼女は毎日毎日マッチを売っていました。なぜ子供のうちから働いているかというと、母親が病気で亡くなり、家に帰ると酒に酔った父親が暴れて、少女に嫌なことをするからです。そんな家にいたくもないので、少女はこうして毎日毎日マッチを売って、日銭を稼いでいました。

 そんな生活もしばらく続き、少女が12歳になった年のクリスマスのことです。その日は特にマッチが売れず、少女は途方に暮れていました。周りには幸せそうな家族が行き交っています。雪がちらついてきたせいで、どいつもこいつも足早に歩いています。きっと彼らには優しい家族がいて、帰りを待っているのでしょう。それに対して自分はどうでしょう。生きるのに精一杯で、誰も信用できる人がいない。そう考えると何だかとても嫌な気持ちになってきました。

 もう全部燃やしてしまおう。そう思い、マッチに火をつけました。すると目の前に、幼い頃の記憶がありありと浮かび上がりました。まだ穏やかだった頃の父、ケーキを焼いてくれた母。少女は驚くのを忘れて、その幻を食い入るように見つめていました。気づいたらマッチの火は消え、それと同時に幻も消えてしまいました。周囲を見回しましたが、みんな知らん顔をして歩いています。どうやらこの幻は少女にしか見えていないようでした。

 もう一本マッチを擦ってみました。今度は少女の記憶にも残ってない、祖父と祖母が赤ん坊を抱いている幻が浮かび上がりました。おそらくその赤ん坊は少女自身なのでしょう。癖っ毛がそっくりでした。

 私にもこんな時期が、愛されていた時期があったんだな。そう思うと不思議と涙が出てきました。

 少女は次々とマッチを擦りました。現れる幻はどれも幸せだった頃の思い出ばかりです。今の自分にはない温かい家庭の姿が浮かび上がってきます。ますます強くなる雪が、少女の体温を奪っていきます。しかし幻に夢中になった少女にはどうってことありません。少女の足元にはマッチの燃え殻が散らばっていきましたが、すぐに雪が覆い隠してくれます。道ゆく幸せな人々は、少女に目もくれず足早に家族の元へ急ぎます。

 少女は思いました。私の幸せは過去にしかない。道ゆく人々は、幸せな未来が待っている。違う場所で生まれただけで、これはあまりにも不公平じゃないか?

火が消えるたびに少女の心は暗く冷たくなっていきました。マッチも残りわずかです。きっと家では父親が、全身から怒気を迸らせて待っている。そのことを考えると、もういっそ死んでやろうと思い立ち、残っているマッチを全て飲み込みました。

まず食道にマッチが突き刺さり、食道を通過したマッチは胃の中で溶け出し、リン酸が胃壁から吸収されていきました。

 体がだんだんと暑くなり、そのあと急激に冷たくなっていきます。うずくまる少女に、待ちゆく人々はあいも変わらず知らんぷりです。止みどころを失った雪は小柄な少女を覆い尽くしてしまいました。

 これで明日のことを心配せず、お母さんのところに行けるんだ。だんだんとゆっくりになっていく心臓の音を聞きながら、少女はゆっくりと目を閉じました。


「起きなよ。」

そんな声が聞こえた気がして、少女は目を覚ましました。

目の前は火の海でした。大人も子供も、みんな火と戯れていました。少女の周りの建物は崩れ落ち、半径五メートル以内のレンガは全てガラスのようにバリバリ輝いていました。犬は燃え、赤子は燃え、大人は燃え、みんな馬鹿の一つ覚えみたいに叫んでいました。ぼうっと空を見上げると、大量のチリが巻き上がり、歪な雲を作っているのが見えました。そこから灰だか雨だかわからないものがゆっくりと降ってきます。

 何だか楽しくなってきて少女は歌いました。これが雨ならあまりに綺麗すぎる。恍惚の中で少女は歌い続けました。焼け爛れた喉から絞り出す歌は、もはや歌とは言えないノイズそのものでしたが、そんなの構いませんでした。

 全ては燃えて、黒く焦げていきます。聖者やホームレスなど、少女が美しいと思ったものだけがガラスになっていきます。

 少女は歌い続けました。しかし、体力の限界はすぐ訪れて、疲労は彼女の膝を容赦無く折りました。

 雨はますます勢いを増し、街を洗い流していきます。少女の体は端から崩れ、バラバラになっていきます。薄れていく意識の中で少女は思いました。


 ムカつく奴らは全員殺した。欲しい奴らは全員ガラスの中に閉じ込めた。ここが天国だって。地獄だって。そんなの構わないじゃないか。


「おい、ンゾカ、手を止めるな。」

『すいません監督。』

アフリカのダイヤモンド採掘場で働かされているンゾカは朝から晩までずっと働いています。もらえる給料は雀の涙ほど。兄弟を養うため、毎日毎日働いてばかりです。生まれてこの方楽しかったことなんてありません。何のために生きているか分かりやしない人生でした。

 ぼんやりした頭で川底を漁りながら、ふと思い出しました。そういえば今日は自分の誕生日だった。何かいいことがあればいいのに。

 その時、今まで感じたことがない手応えを感じました。慌てて網を引き上げると、今まで見たこともないダイヤの原石が現れました。

 深い海のように青く澄んだダイヤの原石は、太陽の光を浴びて、まるでウインクをするようにきらりと輝きました。強く握ると薪がはぜるような音と、少女のかわいらしい声が聞こえてきます。

ンゾカは熱に浮かされたようにダイヤを見つめていると、現場監督が目ざとくその様子を見つけて、駆け寄ってきました。

『ンゾカ、お前すごいな!!そんな原石初めてみたぞ。』

 監督はンゾカの小さな手のひらからダイヤをひったくると、太陽にすかしながらため息をつきました。

 『おいンゾカ、お前もう帰っていいぞ。これで今日は美味いものでも食え。』

 そう言って監督はしわくちゃのお札を何枚かンゾカに握らせると、小躍りしながら事務所へ歩いていきました。

 ンゾカはお札を握り締め、家へと走り出しました。あのダイヤを見た瞬間、無性に母親に会いたくなりました。それにこうも思いました。あのダイヤは残酷なほど綺麗だった。人が触れていいものじゃない。綺麗なものには怨念が詰まっていると、信心深いおばあちゃんが言っていた。あのダイヤは宝石商に買われて、どこに辿り着くかはわからないが、きっと良くないことになる。

 家に向かって走り出したンゾカのポケットから、数本の焼けこげたマッチがポロポロとこぼれ落ちた。それに気づかないまま、少年は家路を急いだ。


 持ち主を必ず不幸のどん底に落とすダイヤモンドがあります。それは「フランスの青」、「王冠のブルーダイヤモンド」、「タベルニエ・ブルー」など、さまざまな別称がつけられている『ホープ・ダイヤモンド』と呼ばれるダイヤがそれです。1645年にインドからヨーロッパに持ち込まれて以来300年。絶えず持ち主は不幸・不運に見舞われます。

1645年、宝石商のタベルニエが鉱山で青いダイヤモンドを購入します。最初の持ち主、ルイ十四世は国家の財政悪化に悩まされ、子どもや孫に先立たれてしまう。ダイヤを受け継いだルイ十六世の妃のマリー・アントワネット、断頭台の露と消える。1792年新政府の王室財宝庫から盗難。それからも不幸の連鎖は止まりませんでした。

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