episode.01 バァルの失敗
「…嘘だろ、マジかよ…」
朝の柔らかい光が差し込む大広間で、バァル様が信じられないような表情を浮かべていた。私は、たまたまその場面を目撃してしまった。推しの一人、バァル様が、うっかり大事な装飾品――屋敷の美しいアンティークの花瓶を手元から滑らせ、床に落として割ってしまったのだ。
「どうしよう…やっちまった…」
バァル様は、普段の自信満々な態度をどこかに置き去りにしたかのように、目の前の割れた破片を見下ろして動けなくなっている。
ああ、こんな姿、ファンには絶対に見せられないだろうな…。バァル様はイベントではあんなに堂々としてて、自信たっぷりに毒舌を浴びせるのに、こういうちょっとしたミスには弱いんだな。なんだか、ちょっと可愛い…。
でも、こんな時に私がどうにかフォローできないかな?そう考えた私は、こっそり行動に出ることにした。
破片を一瞥し、修復するための材料や工具が必要だとすぐに気付いた私は、そっと倉庫に向かい、修復用の接着剤や道具を揃えて戻ってきた。バァル様が焦っている間に、そっとその道具を彼の近くに置いておいた。彼が気づく前に、私は再びその場を離れ、陰から様子を見守ることにした。
「あれ、バァル君。どうしたの、こんなところで。」
ベル様が、大広間の扉を優雅に開けて登場した。いつものように余裕たっぷりの態度で、彼は割れた花瓶とバァル様を見つめ、ニヤリと笑みを浮かべた。
「やらかしたみたいだね?」
「うるせぇ…!黙ってろ!」
バァル様は焦って言い返すが、普段のような切れ味はない。完全に動揺してるんだ。
「ははは、そんなに焦らなくても大丈夫だよ。ラフィーを呼んでみよう。彼ならすぐに何とかしてくれるはず。」
ベル様が手際よくメモを書き、近くのメイドに言ってメモを渡すよう指示をする。しばらくして、ラファエル様が大広間に登場した。状況を一瞬で把握したようで溜息をつきながら、
「バル兄、馬鹿なの??」
ラファエル様が割れた花瓶を一瞥し、周囲を見渡した。そして、彼は私がそっと置いておいた修復のための道具に気付き、バァルを見ながら、
「もー、仕方ないから直してあげるよ。」
ラファエル様は、私が用意していた材料を手に取り、器用に修復作業を始めた。さすが、彼はどんな状況でも無駄のない動きだ。メイドたちに指示を出し、手際よく進めていく。
その時、ふと背後から聞こえてきた声に私は振り返った。
「何やってるんだ、お前ら。」
低く抑えたトーンで話しかけてきたのはファス様。貴族のような雰囲気を持ちながら、どこか冷たい印象を崩さないファス様が、大広間の扉の近くに立っていた。彼は、あくまで興味なさそうに見えるけど、その眼差しは全てを見透かしているようだった。
「ファス聞いてよ、バァルがやっちゃったみたい。」
「ほう。まぁ…どうにかなるだろう。大丈夫だ、バァル。」
「そうだねぇ、ラフィーいるから大丈夫、大丈夫」
そんな会話の中、杏慈様が声を上げる。
「バァルくんだから、仕方ないよね」
ファス様は視線を上げて杏慈様の方に目をやった。杏慈様はいつも飄々としていて、何を考えているのか分からないことが多いけど、ファス様とは妙に馬が合っているようだ。
ファス様の視線を受け、杏慈様が軽く肩をすくめると、ファス様は少し口元を緩めた。彼らは何やら小声で笑い合っていた。まるで、この小さな騒ぎも二人にとっては面白い娯楽の一部にすぎないように見えた。
その間も、ラファエル様は冷静にメイドたちに指示を出しながら、手際よく花瓶の修復作業を進めていた。壊れた花瓶は、まるで何事もなかったかのように見事に元通りになっていく。
一方、大広間では、修復がほぼ完了していた。
「さすがだな、ラフ。」
バァル様が安堵の表情を浮かべながら呟く。その瞬間、バァル様はふと何かに気付いたかのように周囲を見回し、少し戸惑った顔をした。
「なんか…誰かが…助けてくれたのか?」
彼の呟きは、周りには届かないほど小さかったが、私は彼の視線が私のいる方向に一瞬向けられたのを感じた。彼はまだ私には気づいていないだろうけど、無意識に私の存在を感じ取ったのかもしれない。
その間、ラファエル様とメイドたちは、修復を完璧に終えた。花瓶はまるで最初から壊れていなかったかのように元通りになり、部屋の雰囲気も元の優雅さを取り戻していた。
「よし、これで完了っと。」
ラファエル様が最後の確認を終えると、ベル様が拍手をしながら近づいてきた。
「さすがだね、ラフィー。まるで初めから壊れてなかったみたい。」
「まぁ、これぐらいは当然だし。」
ラファエル様は淡々と答える。バァル様はその様子を見て、ようやくほっとしたように肩の力を抜いた。
「ふぅ…助かった。マジで焦ったわ。」
バァル様は大きく息を吐き出しながら、少し笑っていた。でもその後、再び少しだけ目を細め、何かを考え込んでいるようだった。まさか、自分の背後で私がフォローしていたことに気付き始めている…?
「…ま、いいか。」
彼は軽く肩をすくめてその考えを振り払ったようだったけど、その時確かに、バァル様は一瞬だけ私の方に視線を向けた気がした。普段は気づかれない存在の私だけど、これから少しずつ、彼らに認識されていくのかもしれない。
なんだか胸がドキドキしてきた…。
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