謎解き作家
EPOCALC
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はい、夫はよく謎解きを作っておりました。
夫とは大学の頃から付き合っていましたが、当時から脱出ゲームが好きでたびたび一緒にいきました。夫は中学時代からパズル雑誌や謎解きの本を読み漁っていたので謎解きはお手の物。ちょっとした脱出ゲームならいつも15分程度でクリアしてしまいました。夫に置いてきぼりにされそうになったことは数知れません。
夫自身もよく謎解きを作っていました。私の誕生日に謎解きをプレゼントしてくれたこともありました。10題ほどにわたる連作で、それだけで十分お金のとれるのような非常に手の込んだものです。私自身は特に謎解きが得意というわけではなかったのですが、その謎解きの鮮やかさは素人目から見ても素晴らしい出来でした。それの答えですか?一週間くらいかかってたどり着いた答えはプロポーズの言葉でしたね。こんなにまどろっこしいことしなくていいじゃないと私が怒ったせいで喧嘩になっちゃいましたが、良い思い出でした。
夫の様子がおかしい事に気づいたのは、半年前くらいのことでした。夫は仕事の人間関係でノイローゼ気味でしたので、気分転換に一緒にフレンチのレストランに行きました。コースの前菜、スープ、メインまで運ばれてきたところで夫がにやにやと笑い出しました。何かあったの、と私が問うと夫はこう言いました。
「まだ確定じゃないんだけど、このコースの答えは多分"イタリア"だよ。フレンチなのにおかしいねえ。デザートにババロアが来れば正解だ」
夫はフレンチのコースをパズルとして「解いて」いたのです。そして夫の言った通りコースの最後にババロアがやってきました。
私はなにか怖ろしいものを感じずにはいられませんでした。ええ、次の日そのレストランに問い合わせたんですが、コース料理にパズルなんか仕込んでいないと。夫は存在しないパズルを解いて、しかもその「正解」を解答したのです。
そこから夫の謎解きは日増しにエスカレートしていきました。朝の新聞の見出し、スーパーでの特売品の配置、通勤電車の乗客たちの服装――夫はそれらに必ず「答え」を見出しました。
「この電車の車両番号と広告の配列を見てごらん、ほら、これの答えは"この路線で来週水曜日に人身事故がある"ってことだよ。」
そしてその通りになるのです。こうなっては私も夫のことを信じるしかありませんでした。ただ、夫自身が何を信じているのかは分かりませんでしたが。
夫の謎解きはやがて、私たちの生活そのものを侵食し始めました。ある夜、夫は唐突に起き上がり、リビングの棚を引っ掻き回し始めました。夫の手は震え、額には冷や汗が滲んでいました。
「聞いてくれ、わかったんだ。この家そのものが実は一つの謎解きなんだ。家具の配置、窓から差し込む光の角度、時計の針の動き……解かなきゃ、今すぐに!!」
私は呆然として、夫を止めることができませんでした。彼の中で何かが決定的に壊れてしまったのだと気づきながらも、それを修復する手立てが思いつかなかったのです。
その夜、私の制止も空しく、夫は家中の家具を動かし、壁紙を剥がし、床板を叩いて音を確かめつづけました。朝日が差し込み始めたころ夫はようやくおとなしくなりましたが、血走った目でこう言いました。
「もうすぐ。答えはもうすぐ」
それから数週間、夫は自分の部屋に閉じこもり外界との接触を断ちました。食事を運ぼうとドアをノックしましたが一切返事がありません。そっとドアを開いた隙間から彼の部屋を覗くと、虫のようにびっしりと文字や図形が並んだメモが小さな山のようになっていました。それを一瞥するだけで息が詰まるような感覚に襲われたのをよく覚えています。食事は部屋の前に置きましたが、一切手を付けている様子はありませんでした。
そしてある晩、夫は部屋からのそのそと出てきました。やせこけた夫は部屋の隅に積み上げられた山から一枚の折りたたまれた紙を抜き取ってきて、それを私に差し出してきました。
「これを読んで。君にも分かるはずだ。答えがどこにあるのかが」
私は震える手でメモを開きました。しかし、中身を読んでいるうちに、文字が揺れ、意味が霧散していくような錯覚に襲われました。すると突然メモそのものが生きているかのように脈動し始めました。私はぎゃあと叫び声を上げてメモを投げ出しました。
その瞬間、夫は微笑みました。穏やかで、そしてどこか遠い微笑みでした。
「君にはまだ早かったみたいだね。でも大丈夫、僕は先に行くよ」
それが夫の最後の言葉でした。翌朝、夫は忽然と消えていたのでした。
夫がどこに行ったか、心当たり?それはありません。部屋の中にはメモ帳とフケが散らばっていただけで、具体的に行き先を示すものはありませんでした。このメモ帳の山を解けば分かるのかもしれませんが、今の私にはそもそも何を解けばよいのかさえ分からないのです。
あの日以降変わったことですか。些細な点で良ければ一つ気になったことがあります。家の窓から見える景色が微妙に変わった気がするのです。朝、カーテンを開けるといつもの街並みが広がっているんですが、どこか違和感があるのです。遠くのビルの配置が少しずれているようにも見えますし、空の色も時々妙に鈍く濁っているように感じます。気のせいと言われれば気のせいなのかもしれませんが。
でも、この景色を眺めていると、何かが私に囁いているような感覚に襲われるのです。「ここにも謎がある」とでも言うように。
。
謎解き作家 EPOCALC @epocalc
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