第3話 忌まわしき伝説
さらに二件の死亡報告が届いた。
どちらの現場にも、またあの赤い涙を流す少女の版画が落ちている。
警察内部はさすがに不穏な空気に包まれ始めたが、捜査本部からは「オカルトに振り回されるな」という厳しい注意が飛ぶ。
森山健二はそれを聞いて表情を曇らせたが、周囲の意見を無視するわけにもいかない。
それでも、工藤彩音の協力を得て独自に調べることだけは諦めなかった。
その朝、森山は工藤とともに古い町並みが残る一角を訪れた。
ここには代々続く版画工房がいくつか点在している。
二人が向かったのは、そのうち最も伝統があると聞く谷口広志の工房だった。
軒先には控えめな看板がぶら下がり、中に足を踏み入れると、墨やニスの香りが淡く漂ってくる。
奥から姿を見せた谷口は、浅黒い肌に無骨な手をした寡黙そうな男だった。
工藤が「警察ですが、最近の事件について少しお話を伺いたいんです」と声をかけると、彼はわずかに眉をひそめるものの、取材慣れしていないせいかぎこちない動きで奥の作業場へ案内した。
そこは古い版木や刷毛が整然と並び、版画制作の工程が一目でわかるほどに整理されている。
森山は壁にかけられた色褪せた版画をちらりと見やりながら、単刀直入に切り出した。
「赤い涙を流す少女の版画について、ご存知ありませんか」
谷口は森山の顔を見ずに、黙り込んでしまう。
工藤が少しだけ声を和らげた。
「たとえば古い技法とか、昔の伝承とか。実は誰かがこの工房を訪れて、その版画を探していたのではないかという情報がありまして」
谷口はため息混じりに喉を鳴らし、口を開いた。
「ここでそんなものを扱ったことはない。けれど、似たような話は聞いたことがある」
森山と工藤は身を乗り出して耳を傾ける。
谷口は渋い表情を浮かべながら、視線をどこにも据えられないまま言葉を継いだ。
「昔、大きな屋敷で悲惨な事件があったと聞いた。幼い娘が酷い目に遭い、逃げ場もなくて、最期には泣きながら命を落としたそうだ」
彼は一息ついて、少し震える声で続ける。
「その娘が死ぬ間際に流した血の混じった涙を、見ていた誰かが版木に刻み込んだ。そういう噂があるんだ。実際に作品を見た者がどれだけいるかは知らないが、いつの時代かに血の涙を刷り込んだような版画が世を騒がせたことがあるってね」
工藤は血の気の引く思いだったが、あえて穏やかな口調を保ち、さらに問いかける。
「では、その屋敷の娘が今の赤版画の少女だと?」
谷口はうなずきもせず、まるでそれ以上話せないとでも言うように黙り込む。
森山が近づき、低く静かな声で尋ねた。
「もしそれが事実なら、今起こっている連続殺人は作品が意図的に世に放たれた結果なのか。それとも、版画が勝手に人を殺しているのか」
谷口は明言を避けるように、視線を作業台の方へ落とした。
工藤は口を開こうとしたが、そこへ電話の着信音が響く。
森山の携帯だ。
捜査本部からだろうかと画面を見ると、知らない番号が表示されている。
出てみると、もう一人の被害者が出たとの通報だった。
現場には例のハガキが置かれているらしい。
電話を切ると、森山は目を閉じて息を整えた。
また誰かが死んだ。
しかも少女が血を流す版画が必ず残されている。
もしかすると本当に、人間の手を離れた何かが動き始めているのではないか。
彼は嫌な予感を振り払うように、工藤に短く合図を送り、谷口に一礼して工房を出た。
後ろ姿を見送る谷口の目には、憂いとも恐れともつかない複雑な色が宿っている。
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