怖い人
みららぐ
怖い人
「いらねーよ新人なんか!」
緑に囲まれた小さな町工場の中で、同じ部署のリーダーが工場長にそう言った。
俺がこの工場に雇われて、今年で5年が経つ。
俺がいま呼ばれている6帖ほどの小さな打ち合わせ室にも、工場から機械の作業音が鳴り響いている。
そんな中、工場長がリーダーを宥めるように口を開いた。
「いやね、
「じゃあいいじゃねーかよ!何でわざわざ新人なんか入れるんだよ!」
「でもここ数カ月くらいずっと彼、残業続きじゃない。毎日8時半に出勤して、お昼の12時に休憩に入った後は長い日で夜中の1時までやってるでしょ。彼には負担が大きすぎると思ってね、会社側としてはシフト制にしてあげたいんだよ」
万が一身体を壊して入院されたら困るからね、と。
60代前半の工場長はそう言うと、リーダーから俺に視線を移して、「間宮くんはそれでいいでしょ?」と聞いてくる。
…確かに、最近の俺は毎日何時間もの残業が続いていた。
俺がこの工場の中で担当している業務は、NC旋盤という精密機械で精密ねじを加工するものだ。
主に車の部品などを製造する機械だが、毎日必ず入ることになっている精密ねじの注文は、基本的に納期が二日後になる為、全て翌日出荷であり、加工している数も毎日200~300本とかなり多い。
その上、俺には自動で加工してくれるNC旋盤のプログラム作成の業務もあるため、この作業に3時間は時間を潰されてしまう。
しかし、それでも俺はリーダーと同じで新人を雇われることには反対だ。
確かに新人が来れば俺の仕事も減って残業も無くなるが、そうなるまでに新人教育で時間が更に奪われてしまう。
だから俺は…
「すみませんがお断りさせて頂きます」
「えぇ!?なんで!」
「そもそもこんなにじっくりと話しているヒマも俺にはありません。仕事に戻ります」
工場長にそう告げると、そのまま打ち合わせ室を後にした。
******
しかし、そんな打ち合わせから約2週間後。
俺はいつものように紺色の作業着を着て帽子を被り、工場内に入った。
そして、工場の出入り口付近に置いてあるはずのニトリル手袋を箱から2枚取り出そうとしたけど、箱の中はカラン、としている。
…またか。手袋が無くなるのは本当に早いな。
俺はそう思うと、工場の一角にある資材置き場から、1箱100枚ほど入っている新しいニトリル手袋を箱ごと出した。
そして早速両手に装着していたら、その時いつものNC旋盤の前に見慣れない女が立っているのが視界に入った。
「…?」
その女は真っ黒の長い黒髪を結ばず、前髪も長く、俺たちと同じ帽子を目深に被っている。
最初はその女を見て不思議に思ったが、俺が女に声をかける前に工場長が俺に声をかけて来た。
「あ、間宮くん!」
「?」
その声に工場長の方を見ると、工場長はご機嫌な様子で俺に言った。
「突然だけどね、やっぱりNC旋盤に新人さんを雇うことにしたから」
「…は、」
「名前は
「えっ、あの…!」
工場長はそう言うと、俺の返事も聞かずにそのまま「じゃあ任せたよ」と去って行ってしまう。
いや、待てって!俺この前断ったよな!?
…だけど工場長はたまにこういうところがある。人の話を聴いているようであまり聴いていない。というよりも、俺の意見をスルーされたのかもしれない。
っつか、精密機械触らせんのに普通20の女を雇うかね。
そして結局工場長は事務所に戻ってしまい、俺は仕方ないから目の前の女に声をかけた。
「…あ…間宮です。よろしく」
「…よろしく…お願いします…」
「えと、楠木さん。NC旋盤は初心者?」
「…はい」
って、思わず流れで聞いてしまったけど、20ならそりゃそうか。
しかし声をかけたはいいけれど、この女、ハッキリ言って覇気がない。
初日だから緊張してるのかどうかは知らないが、女でも多少明るいヤツじゃないと俺も教育がしにくい。
精密機械を動かす新人なら絶対男だろうと思っていたが、まさかこんなに若い女を連れてくるとは…。
俺は今年で32になるから、ちょうど一回りほど離れてんのか…きっつ。
「…じゃあ早速いろいろ教えるから、ついて来て」
俺は楠木さんにそう言うと、全く気が進まないながらも教育を開始した。
…………
俺が普段扱っているNC旋盤は、幅約3メートル、高さ約2メートルほどの大きな精密機械である。
この機械は、円柱状の鉄の資材を機内の「チャック」と呼ばれる主軸台で固定し、同じ機内に備え付けられてある刃物台にそれぞれ合った小さな刃物を取付け、あとは機械がプログラム通りに加工する、というもの。
自動だから機械操作さえ覚えればあとはラクではあるが、たぶん、女には難しい仕事だと思う。
俺は工場内にある部品置き場まで足を運ぶと、同じく一緒にやって来た楠木さんに言った。
「NCで使う刃物は基本、この引き出しに全部入ってるから」
「…」
俺はそう言うと、その引き出しを開ける。
NCで使う刃物は1cm~2cmくらいの大きさのものが主で、形も三角やら四角やら色々あるから、一見刃物とは思えないようなものばかりだ。
でも引き出しの中を見て見ると、ちょうど普段よく使う刃物が残り少なくなっていたから、俺はそれに気が付いて楠木さんに言う。
「…あ。刃物が少なくなってきたら、遠慮なく事務所で注文していいから。刃物が無くなったら仕事出来なくなるし、納期も遅れたらマズイでしょ」
「…はい」
俺はそう言うと、楠木さんを連れてそのまま事務所に行く。
ついでに注文の仕方も教えておこう。
そう思って、事務所内に入ると、中にはいつもの購買担当のおばちゃん(通称、タケちゃん)が居た。
タケちゃんも工場長と同じ60代前半で、気さくな性格で話しやすい。
「タケちゃん、注文お願い」
「はいはい、今日はなぁに?」
「NCの刃物。…いつものやつね」
「ああ、あの三角の形のやつね。はいよ、注文しておくわ」
俺の言葉にタケちゃんはそう言うと、手元でその刃物の型番をメモする。
俺がいつも注文しているから、細かく言わなくても「いつもの」で伝わることも多いのだ。
そしてメモをし終えたタケちゃんが顔を上げた時、俺は楠木さんを隣にしてタケちゃんに言った。
「それからタケちゃん、この子なんだけどね」
「?」
「今日からNCに配属された新人。楠木さん。20なんだって」
そう言って、仲良くしてやって、と。
タケちゃんに紹介する俺。
そんな俺の隣で、相変わらず楠木さんは静かに突っ立ったまま。
何だか気味が悪いな、と思ったその瞬間、タケちゃんが少し戸惑うように言った。
「?……あ、ああ。…新人、さん?へ…へぇ、そうなの」
「?」
「ま、まぁ間宮くん。とりあえず注文しておくから、来たらまた伝えるわね」
タケちゃんはそう言うと、そそくさと自分のデスクへと戻ってしまう。
…何だか、いつものタケちゃんと様子が違う。
いつもなら新人さんがここに来ると、「よろしくね!」なんて気さくに離し始めるのに。
ま、いいや。とりあえず仕事に入らないと加工時間が無くなってしまう。
俺はそう思うと、楠木さんを連れて事務所を後にした。
…………
その後は楠木さんにかんたんに加工の手順を教えながら、とりあえず今日は俺の後ろで作業の様子を見てもらうことにした。
楠木さんに色々おしえていたら、半日ほど時間をとられてしまった。
途中お昼休憩の時間になって、楠木さんに「お昼に行っていいよ」と言ったけれど、休まずに仕事を続ける俺に気を遣ってか、楠木さんは結局全く休憩に入らず、ずっと俺の背後で作業の様子を見ていた。
多分楠木さんは真面目な人なんだろうけど、ただただ立ち尽くしていて、俺の説明に一切メモも取らないから本当に気味が悪い。
前髪が長いのと帽子のツバに隠れているのもあって顔が半分見えないし、楠木さんがどんな顔をしているのかも未だによくわからない。
わからないことがあれば聞いてくれていいけれど、彼女はそれも無い。
…こんなんで本当にこの仕事が出来るのかな。
そう思いながらいつものように黙々と仕事を続けていって、そこから何時間も経って、ようやく楠木さんが帰る17時半になった。
…でも、彼女はまだ帰らない。
「あの、楠木さん今日はもう帰っていいよ?疲れてるでしょ?」
「…」
「今日は初日なんだし、俺は残業しなきゃいけないけど、楠木さんまでする必要ないから。定時で帰りなって」
俺はそう言いながら、黙々と作業を続ける。
でも背後に建つ楠木さんは、俺がそう言っても何故かその場を動かない。
…何だ?楠木さんを見れば見るほど不気味な女に見えて仕方がない。
楠木さんはいったい何を考えているんだろう。
……まさか。…まさか……。
俺はNCの前に立ちながら、機械の加工が終わるのを待つ。
NCの機械にはドアがついていて、そのドアに備え付けられている窓から中の加工の様子が見える造りになっている。
でもその窓すら俺はもう直視することが出来ない。
…だって窓には、相変わらず俺をじっと見つめる楠木さんの姿が反射して映るから。
「…っ、」
そこから時間が経つにつれて、工場にいた他の従業員が次々と帰っていく。
いつも、俺以外にこんなに長時間残業をするヤツなんてほとんどいない。
気がつけば、機械の窓に反射して映る楠木さんの目が、大きく開かれていた気がして思わず恐怖に怯えた。
…もう後ろすら振り向けない。
早く離れてくれ。お願いだからもう帰ってくれ。
しかし、そう思いながら仕事を続けていた、21時を過ぎた時だった。
「間宮さん」
「っ…!?」
次の瞬間、背後にいたはずの楠木さんが、いつのまにか俺の隣に立っていた。
そのことに驚いて思わず俺が後ずさると、楠木さんが言う。
「お疲れ様でした。あなたのお仕事、今日一日で拝見させて頂きました」
「…?」
楠木さんは昼間とは打って変わってハッキリした口調でそう言うと、被っていた帽子を取る。
そして、長い髪を後ろで一つで結び、長い前髪をヘアピンで留めると、言葉を続けた。
「まだわかりませんか?私です」
「…!!」
「本社勤務、人事部課長の
岸方さんはそう言うと、「騙したみたいですみません」と謝る。
俺が働く工場は、県外に本社が存在している。
岸方さんは何かあるとたまにこうやってこの地方の工場に来る、30代の女性上司だ。
だけど一方、突然すぎるよくわからない展開に、完全に頭上に「?」を浮かべる俺。
…楠木さん…じゃない?え、元々岸方さん?…え?
そして、何が起こってるんだ?とわけがわからない俺に岸方さんが言葉を続けた。
「間宮さん、仕事が出来る割には最近残業があまりにも多すぎますよね?他の従業員は皆さん残業しても1時間ほどなのに、何故かあなたは夜中までかかっている」
「…っ、」
「そこで、それでも新人さえ受け入れないというあなたの意見を聞いた工場長から相談されたんです。工場長はNC未経験なので、残業の対策がこれ以上わからない、と。だから今日は、間宮さんには私とは内緒で見学させて貰っていました」
他の従業員は私が来ることを知っていたので、タケちゃんは私を見て動揺してましたけどね、と少し笑う岸方さん。
その岸方さんの説明を聞いて、ようやく理解する俺。
…そうか。タケちゃんは、岸方さんを「楠木さん」と紹介する俺に動揺していたんだ…。
俺はそのことに気が付くと、なるほど、とほんの少し緊張の糸がほどける。
……しかしまさか楠木さんの正体が岸方さんだったとは…。
いや、言ってくれよ。
俺はそう思いながら、未だ少しだけ緊張感を残したまま、言った。
「…で?どうですか?俺の仕事を一日見学した感想は」
「…」
「なんにも対策なんて得られなかったでしょ。別にいいですよ、俺はこのままで」
「…」
「残業してる俺が別にいいって言うんだから、もう」
放っといて下さいよ。
…しかし、俺がそう言おうとした時だった。
次の瞬間、岸方さんが俺の言葉を遮るように口を開いた。
「終わってますよね?」
「…は?」
「間宮くんのお仕事、本当は定時の時点でもうとっくに終わってますよね?」
「!!…っ、」
岸方さんはそう言うと、バン!とNC旋盤の「異常停止ボタン」を勢いよく押して加工を止める。
このボタンを押すと、機械の動きが全て一瞬で止まるようになっている。
「な、なにを…っつか、終わってるんだったら定時で帰りますよ、俺だって」
「…」
「わけわからないこと言わないで下さい。こっちは一生懸命夜中まで仕事してるのに」
しかし俺がそう言うと、「異常停止ボタン」に手をやったまま岸方さんが言う。
「他にも!…おかしいことはまだあります。
一つは、最近異常なまでに減りが早くなったニトリル手袋の存在です」
「!」
「従業員の人数はここ何年もずっと変わらないのに、最近異常なまでに減りが早い。特に男性が使うLサイズ。3カ月に1回のまとめての注文が、最近は数週間に1回のペースです」
「…っ」
「もう一つは、間宮くんが今朝説明してくれたNCの刃物の減りです。
確かに頻繁に使うものではありますが、今の受注量から見てもこんなに刃物を注文するペースが多くなるのは異常です」
岸方さんはそう言うと、戸惑って目を逸らす俺をじっと見上げる。
でもここでまだ頷かない俺は、戸惑ったまま岸方さんに言った。
「だ、だから何だって言うんっすか。手袋は皆が頻繁に交換しているからであって、NCの刃物もプログラムをちょっと変えるとすぐ使えなくなったりしてっ、」
そう言って俺が色々言い訳を並べていると、その瞬間岸方さんが俺の言葉を遮るように言った。
「それです!」
「…は?」
「間宮さんは、NCのプログラムを作成することができますよね?
間宮さんが使っているNCは自動で加工できる機械だから、複雑なプラグラムをパソコンから機械に取り込んで、機械はそのプログラム通りに動きます。間宮さんはそれが一から出来ます。
だから怪しいと思っているんです。あなたはもうNCにもすっかり慣れているから、色んな知識もあるし細かい調節も出来る」
岸方さんはそう言いながら、俺を見上げたまま譲らない。
そんな岸方さんと、俺はもうまともに目を合わすことが出来ない。
だけど…
「…で、結局なにが言いたいんすか。意味がわかりませんよ」
それでも俺がそう言って鼻で笑って見せると、次の瞬間、岸方さんが再び口を開いて…今度は少し震える声で言った。
「あなたはずっと…何を…」
「…」
「いや。“誰を”、加工しているんですか?」
「!!」
岸方さんはそう言うと、「異常停止ボタン」にやっていた右手をそのまま機械の正面にあるドアノブに移動させる。
しかし今機械の中を見られるわけにいかない俺は、思わずその手をぐっと掴んだ。
「っ…やっぱり、私の考えは当たっているんですね?」
「…っ、」
「これ以上あなたの好きなようにはさせません。私が証拠を見つけて、上に報告させて頂きます!」
もうあとがない俺に岸方さんはそう言うと、その手にぐっと力を入れて、機内の加工の状況を見ようとする。
男の俺の力に、岸方さんが敵うわけがないと思っていたが、岸方さんはその華奢な体の割にはかなり力が強い。
空手か柔道でもやっていたのだろうか。
「…っ、」
いくら力を入れても岸方さんは譲らず、思わず俺の力が緩んだ時だった。
「っ、!?んんっ…!!」
「!」
次の瞬間、岸方さんの背後から見慣れた人物の手が伸びて来て、手元の薬品を含んだガーゼで岸方さんの口を強引に塞いだ。
その間、俺の目の前で岸方さんは酷く暴れ藻掻いていたが、一方の俺はほっと胸を撫でおろし、その光景をただただ見つめる。
そしてだんだん岸方さんが抵抗しなくなって、ぐったりしてきた頃…俺はそのガーゼを手に持った人物、同じ部署のリーダーにお礼を言った。
「…ありがとうございます」
「念のために隠れといて良かったな。岸方が妙なマネをしているから見張っていたが…」
「その割には少し遅かったっすね。もう少しで機内、見られるとこでしたよ」
「悪かったな。岸方が話を焦らすからよ、」
リーダーはそう言うと、もう完全に動かなくなった岸方さんを抱えて言った。
「っつーかお前、タイムカードくらい定時に押しとけよ。また新人を入れるだの何だの上が騒ぎ出すからな」
「わかってます、」
「さて。コイツどうするよ?まずは切断か身体検査、どっちがいい?」
「…」
リーダーのそんな問いかけに、少し黙り込む俺。
傍から見ればあまり気が乗っていないように見えるかもしれないが、俺はこの瞬間が大好きだ。
俺はニッコリ笑顔を浮かべると、リーダーに言った。
「切断でお願いします」
「おう、」
「ズタズタに刻んでやって下さい、リーダー」
「任せておけ」
…ああ、今夜も何時に帰れるかわからない深夜残業コースだな。
俺はそう思うと、鼻歌を歌いながらNC旋盤の機械を再び動かし始めた…。
END
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