おさんの恩返し

田島絵里子

第1話

「おさんのおんがえし」

 おなか、へった。

 きつねは、よろよろと道を歩いていました。今年の山には、何も食べるものがありません。えものを探して里山を下り、こんな町中までやってきたのです。

 ここ数日、お腹はぺこぺこで、もう、背中とくっつきそう。その上、人間がやたらと多くて、たびたび身をかくさなければなりません。


 しばらく歩くと、ガヤガヤと人がさわいでいます。

「いのししだ」

「あの川に、落ちたぞ」

 見ると、いのししが、やはりエサをさがしに町へ出て、足をすべらせたようです。

 犬かきでおよいでいるいのししを、人間たちがとりかこんで、ながめています。

 きつねは、息をのんでそれを見ていました。猟師がやってきました。

「これは、いいえものだ」

 そう言うと、どすん! 銃をうって、いのししをたおしてしまいました。

 きつねは、ふるえあがってしまいました。

 すぐ、里山に帰ろう。

 くるりと背を向けて、里山のほうへと帰りかけましたが、お腹はどんどん、へっていきます。ちいさな公園にさしかかりました。もう、一歩も歩けない。

 そこへ、ゴミ箱に、ご飯ののこった弁当を見つけました。

 しかし、その弁当は、ヘンな味がしたので、きつねは、むねがムカムカしました。それでもきつねは夢中で弁当をたいらげ、ふたたび歩き出しました。ところが歩いていくうちに)、お腹が、キュウッと痛み出したのです。

「いたいよう。くるしいよう」

 力が出ません。

 きつねはそのまま、道にたおれてしまいました。

 近づく人間の足音が聞こえます。人影がかすかに見えます。

 逃げなきゃ。

 きつねは頭をもたげましたが、力が入りません。

 すると、すぐそばで女の人の声がしました。

「たいへん! 悪いものを食べたのね! よしよし、助けてあげるよ」

ふうわり。からだが浮かびました。人間の匂いがしました。ぎゅっと、からだを抱かれて、暖かくなりました。声は続きます。

「おまえに、名前をつけてあげる。女の子だから、おさんなんて、どうかな? 昔話に、おさんぎつねの物語があるんだよ」

 きつねはうなずきました。おさんぎつねなら知ってます。五百匹もの手下をしたがえる、きつね)界の女ボスです。信じてみよう、おさんは思いました。

おさんのおんがえし その2

 その女の人が連れてきた場所には、オリや鳥かごがいっぱいありました。

 女の人は、犬のデンスケや猫のアネゴ、インコのピコをしょうかいしました。みんなは、おさんにおどろいて、ぎゃるんぎゃるん、ぐるぐる、キチキチ大騒ぎ。

 振り返ったおばあちゃんが、おさんを見つけるなり、女の人に言いました。

「おや、ともえかい。どこでそんなの、拾ってきたんだい」

「道ばたで……、苦しんでたから」

「まさか、その野生動物を治せっていうんじゃないだろうね」

 おさんは、ともえさんに、ぎゅっと抱きしめられました。

「お願い、 助けてあげて」

「ダメだよ。十九にもなって、なにを子どもみたいなことを言ってるんだい。また山に返した後、意地悪な人につかまって、皮をはがされてしまうかもしれないよ」

 ともえさんは、足を踏ん張りました。

「おさんは、そんなにバカじゃない!」

「そうかい? おばあちゃんの見立では、くさったのこりものをあさって、腹をこわしたバカ、としか思えないがね?」

 おばあちゃんは、口をへの字に曲げました。

 あんまりな言い方をされて、おさんは、身を縮めました。

 動物たちが、キロキロとおさんを見つめています。

「ここ、どこなの?」

 おさんは、デンスケに聞きました。

「動物病院。動物をなおしてくれる場所だよ」

 デンスケの答えに、おさんは首をかしげました。

「動物病院? お腹をこわしたわたしも、なおしてくれるのかな」

「どうかね。ムリじゃないの」

 デンスケが、からっとした口調で言いました。

「人間にかわれていたら、そんな苦労はしなくて済むのに」

 おさんは震えあがりました。人間にかわれる! じょうだんじゃありません。

 ともえさんは、おばあちゃんにいっしょうけんめい話しています。

「ねえ、もう足手まといにはならないわ。鳥小屋のフンだって、もっとちゃんと片付ける。お願いだから、助けてあげて」

 おばあちゃんの顔を見て、おさんは落ち込むのを感じました。その顔は、おさんを助けたいと思っていません。

しかし、おばあちゃんは、仕方なさそうに言いました。

「おまえももう来年には、二十歳だ。そこまで言うなら、治してやろう」

 おさんは、ありがたく思いました。

「ちょっとがまんするんだよ」

 おばあちゃんから苦い薬を飲まされてしまいました。それからしばらくすると、あれほど痛かったお腹が、スッキリしたのです。

「よかったね、おさん。もうのこりものなんか、食べちゃダメだよ」

 ともえさんは、おさんをじゅうぶん食べさせて、里山のふもとまで送ってくれました。

 おさんは、元気よく里山へと帰りながら、思いました。

 ともえさんのおかげだ。きっとおんがえしするぞ。

 おさんは、ひとすじに里山の頂上へとむかっていました。

 その里山には、ホコラがあって、そのなかにお地蔵さまがいらっしゃるのです。とても大切にされているので、お地蔵さまはまっしろにおけしょうをされ、女の子のワンピースを着せられていました。

 おさんは、そのお地蔵さまを見つけると、手を合わせました。

「どうか、ともえさんに、ごおんがえしができますよう」

 するとお地蔵さまが、

「これこれ。きつねどん」

「ひゃあ」

 おさんは腰を抜かしました。

「おどろかんでもいい。おまえのことは、見守っていた。

 見守っていてくれたと知って、おさんは少し安心しました。


「だが、おまえのようなけだものでも、おんがえしをしたいという、その心がけは立派なもの。願いをかなえてやろう」

 お地蔵さまのことばを聞いて、おさんは、思わずシッポを地面にぱたぱたさせました。

「どうすれば、ごおんがえしできましょうか」

「それはの、化け学を学ぶことじゃ」

「バケガク?」

「化ける学問じゃ。おぬしの場合、会ったことのある人間にだけ、化けることが出来るのじゃ。変身し、ともえさんの困りごとを片付けてやるがよい」

 おさんは、顔をかがやかせました。

「はい! わかりました!」

 おさんは、お地蔵さまの厳しい教えのもと、あるときは滝に打たれ、あるときは、谷や山をかけめぐり、一生懸命、化け学を学びました。こんなことが、なんの役に立つのかわからないけれど、アリを一匹ずつひろいあげて川の向こうへ渡してあげたこともありました。

 そうこうしているうちに、あっというまに、一年が経ってしまいました。お地蔵さまは、満足げに言いました。

「おまえも、もう一人前の化けきつねじゃ。ここに魔法の葉っぱがある。これがあれば、出会った人間の持っている道具もふくめて化けられる。これで、おんがえしをするがよい」

 おさんはシッポを、たたた、と地面に叩きつけて、そのまま里山を下りていきました。

 するとどうでしょう。

 ちょうどともえさんが、町内のお掃除をしています。しかし、左の人差し指に包帯をしています。

 町内会長の竹本おばさんが、ともえさんに言っています。

「どうしたの? そのケガは」

「しくじったんです。消しゴムはんこづくりに……」

「そんなケガじゃ、大掃除はムリよ。お帰りになって」

 おさんの目が、かがやきました。さっそく、化け学がいかせる!

 ともえさんは、竹本おばさんに言われるまま、しおしおと家に戻っていこうとしていました。角を曲がったとたん、おさんは、えいやっとともえさんの姿になりました。竹本おばさんが掃除にもどるところを、背後から、

「ばあ!」

 と声をかけたので、竹本おばさんはひゃあっと悲鳴をあげました。

「な、なんですか。ともえさんじゃないですか。帰ったはずじゃ?」

「わたし、ケガがなおりましたので、掃除をきちんとしようと思いまして」

 左手を見せ、ちょっとおすましして、おさんはそう言いました。

「そ、そうなの? ムリしないでね」

 竹本おばさんは、親切に言いました。

 ところが、竹本おばさんの悲鳴を聞きつけて、角の向こうに消えたはずのともえさんが、もどってきました。自分そっくりの人が、ほうきでいそいそ、地面をはいて(いるのです)。おどろいて立ちつくしました。

 竹本おばさんは、また悲鳴を上げました。

「わあ、ともえさんが、ふたりいる!」

 おさんは、あわてました。これではおんがえしになりません。おさんは、気がとがめました。ほうきをなげだして、説明しようとしました。

「いえ、実は……」

 そのときです。

 ふがふが、ぶじゅー。

 ブタのような鳴き声とともに、毛むくじゃらのラグビーボールみたいなものが現れました。目が血走り、すごいスピードで走ってきます。

「いのししだぁ!」

 竹本おばさんは、今度こそ、ほんとうに悲鳴を上げました。いのししは、まっしぐらに、ともえさんめがけて、突っ込んできます。みるみる大きくなってきました。あと3メートル、あと2メートル。あらい鼻息がせまってくるのです。

「ケーン!」

 おさんは、ドシンとともえさんをつきとばしました。まさにギリギリ! イノシシは、ビュッと、車のように、おさんとともえさんのそばを、とおりすぎていきました。

 急ブレーキをかけ、ふりかえったいのししは、真っ赤な目でおさんをにらみつけました。おさんは、ごくりとツバをのみこみました。いのししには、きばがあります。おさんには、化け学しかありません。

 いのししは、地面)を二、三度蹴りました。馬が走りたくてたまらないときにするのと、まったく同じしぐさでした。

 このまま、つっこんできたら、おさんといえども命はありません。

「この人を、助けてあげて!」

 たまらず、ともえさんが、叫びました。いのししは、フウッ? と息をはくと、頭をともえさんに向けました。

 なんとかしなくては。

 あせるおさんは、お地蔵さんの言葉を思い出しました。

 ――出会った人間のすべてに化けられる……。

「ケーン!」

 おさんは、魔法の葉っぱを取り出しました。くるりと一回転。そのとたん、一年前に出会った猟師の姿に、変身していました。

「これを見なさい!」

 手に持っているのは、鉄砲。

 それを見て、いのししは、ためらいました。

 おさんは、カチリと銃のげきてつをあげます。

「命がおしかったら、さっさと山へ帰れ」

 イノシシは、しゅんとうなだれ、目の色もふつうに戻って、山へと戻っていきました。

 すっかりぽかんとしてしまった竹本おばさんに、おさんはいままでの話を聞かせてあげました。

「そんなに気をつかわなくてよかったのに」

 ともえさんは、笑って言いました。

「もう山から下りないように、わたしからいのししに、よく言って聞かせます」

 おさんは、しっかりとそう約束しました。

 それから、このあたりでは、いのししやきつねが、生ゴミを食べたり、畑を荒らしたりすることが、なくなったということです

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おさんの恩返し 田島絵里子 @hatoule

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