幸福を呼ぶ犬~フクとおばあちゃんのとある日常~(短編)

幸原風吹

幸福を呼ぶ犬~フクとおばあちゃんのとある日常~

 ボクは柴犬のフク。

 幸福の福から取ったんだって。

 大きな家で、おばあちゃんと一緒に暮らしてるんだ。

 おじいちゃんは病気で死んじゃった。

 だから今は、老人一人、犬一匹の生活。それはそれで楽しいけどね。

 おばあちゃんは今、ボクと散歩するのが一番の生きがいらしい。

 毎朝、土手の道を散歩していると、色んな人がボクたちに声をかけてくれる。

 おばあちゃんは世間話をするのが好きみたい。

 ボクも名前を呼ばれたら、ワン!と吠えて尻尾をフリフリさせる。

 可愛いですね、と言われると、おばあちゃんはニコニコ笑顔になる。

 それを見て、ボクも最高のキブンになる。

 ボクは今、とっても幸せ。

 この家の犬になれて、本当に良かったと思う。


「おや? あの子たち……」

 おばあちゃんが急に立ち止まった。ボクはおばあちゃんが見ている方へ視線を向けた。

 河川敷で数人の男の子たちが、一人の小柄な男の子を取り押さえている。

 逃げ場のない小柄な男の子は、背中を押されて、川へと落ちた。服を着たまま、びしょ濡れで倒れ込む。

 それを見ている男の子たちが、指をさして笑っている。

 おばあちゃんが、眉を吊り上げ、大きな声で叫んだ。

「あんたたち、なんてことしてるの!」

 おばあちゃんがリードを強く引き、小走りで河川敷の階段を下りていく。

 男の子たちが次々と、ヤバイ!逃げろ!と慌てて走り去る。

 取り残された小柄な男の子が、濡れたまま、ふらふらと立ち上がった。

「あんた、大丈夫かい?」

 おばあちゃんが小柄な男の子の両肩を掴んだ。

 ボクは男の子の匂いを嗅ぎ、身体をすり寄せ、クゥンと鳴いた。

「だ、大丈夫です……」

 小柄な男の子は、か細い声で返事をした。

「服汚したんでしょう。お家に帰りなさい」

 小柄な男の子は首を振り、下を向く。

「いえ、服が乾くまでここに居ます」

「何言ってるんだい。風邪引くじゃないか」

「自分で洗濯出来ないし、着れる服、これしかないから」

 よく見ると、男の子の髪はボサボサ、服もヨレヨレで、伸びきっている。

「何があったんだい?」

「臭いし、汚いから川で洗えよって、クラスの子たちに無理やり押されて……」

 男の子は、しゃがんで背中を丸めた。

 おばあちゃんは溜息をつき、男の子を見つめる。

「うちにおいで」

「で、でも……」

「ここに居たって良いことなんかありゃしないよ。ほら、おいで」

 おばあちゃんが、男の子に手を差し伸べる。

「迷惑だし……」

「なーんも、迷惑じゃないよ。子どもなんだから甘えていいんだ。いいから、来なって」

 おばあちゃんが男の子の腕を引いて、立ち上がらせる。

「あんた、名前は?」

「高橋咲也です」

「じゃあサクヤって呼ぶよ」

「はい」

 サクヤ君がトボトボと歩き出す。どうにも浮かない顔だ。

 大丈夫、心配しないで――そう思いながら、ボクはサクヤ君の隣に並んで、ワン!と吠えた。


「あの……ありがとうございます」

 シャワーを浴びて、居間へとやってきたサクヤくんが、おばあちゃんに頭を下げた。

 着替えた服もサイズがピッタリで、とてもよく似合っている。

「うんうん、カッコいいねぇ」

「どうしたんですか、この服……」

「孫の服さ。あげるよ」

「えっ、いいですよ、そんな……」

「もう着ない服だから、貰っておくれ」

「あ、はい。そういうことなら……」

 サクヤ君が、その場へ座り込んで、物珍しそうに辺りを見回す。

 おじいちゃんのコレクションの鳥の剥製とか、掛け軸が気になるみたい。

 ボクも最初はびっくりしたから、気持ちは分かるよ。

「仏壇のお菓子、食べるかい?」

 そう言って、おばあちゃんは受け皿いっぱいにお菓子を入れ、テーブルに置いた。

「はい!」

 サクヤくんは目を輝かせて、口いっぱいにお菓子を詰め込んだ。

「おいしい……ゴホッゴホッ」

 喉に詰まらせたので、麦茶をガブガブと飲む。

「ふふっ、そんな急がなくても、全部あんたのだから、ゆっくり食べな」

 おばあちゃんが、サクヤ君を微笑ましく見ている。

「あの……どうして、僕に優しくしてくれるんですか?」

 サクヤくんは、拳をギュッと握りしめて、真剣な顔でおばあちゃんを見た。

「さっきのサクヤが、フクと同じ瞳をしていたからさ」

「フクって?」

「うちの犬の名前さ」

「あぁ、なるほど」

 ボクはサクヤくんの傍でゴロンと寝転んだ。

「その子はね、雨の日に河川敷で拾ったんだ」

「野良犬だったんだね、キミ」

 サクヤくんはボクの背中をそっと撫でた。

「かなり弱ってたよ。自分は独りぼっちで、どこにも居場所が無いって顔してさ……」

「そうなんだ……」

 まるで自分みたいだ――そんな表情をしている。

「まぁ、そんなフクも、今ではこの通り」

 ボクはワン!と吠えて、尻尾をフリフリさせた。

おばあちゃんは口角を上げてニヤリと笑う。

 サクヤ君はそれを見て、クスっと笑った。

「サクヤ、あんたも独りじゃないんだよ」

 おばあちゃんがサクヤ君の肩をポンと叩いた。

「はい」

 サクヤ君は照れ笑いを浮かべている。

「よし、身体も綺麗にしたし、次は髪を切ろうか」

 おばあちゃんが、ハサミを取り出して、チョキンと音を鳴らす。

「いえ、そこまでしてもらわなくても……」

「ふん、あたしの腕を舐めてもらっちゃ困るね」

「あはは……」

「ほらほら、外に出て」

 サクヤ君は苦笑いをしながら、縁側から庭へと出た。


 おばあちゃんが庭でサクヤ君の髪を切っている。

 ボクは縁側に寝転びながら、その光景をただぼんやりと眺めている。

「あんたの親、どうしているんだい?」

「お母さん、仕事が忙しいみたいで、あまり家に居なくて……」

「だからあんた、こんなことになってるのかい」

「はい……」

 チョキチョキと髪を切る音だけが響く。

「いいんです、僕が我慢すればいいだけですから」

 おばあちゃんの手がピタリと止まった。いつもより低めの声で呟く。

「それは、違うよ」

「えっ……」

「あんたは幸せになっていいんだ」

「おばあちゃん……」

「今からでもいい、変えてごらん。目の前のこと。これからのこと。分かったかい?」

「はい……」

「声が小さいよ」

「はい!」

 サクヤ君が今までで一番大きい声で返事をした。

「はい、終わったよ」

 手鏡を見たサクヤ君が、目を見開いて驚いている。

 それはそう。おばあちゃんのヘアカットはピカイチだもん。

 切ってもらって良かったね、サクヤくん。

 

 夕暮れ時。

 居間でまったりしていると、ふと、インターホンが鳴った。

 ボクは両耳をピクピクと動かして、ワン!と吠えた。

 うたた寝をしていたサクヤ君が、むくりと起き上がる。

 台所で夕飯の支度をしていたおばあちゃんが、手を止めて、玄関へと向かった。

「あの……高橋咲也の母ですが」

 若い女の人の声。

「あぁ、お母さんね。ちょっと待ってて」

 おばあちゃんが、大声で叫ぶ。

「サクヤ~、お母さん、迎えに来たよ」

 サクヤ君が勢いよく立ち上がった。

「お母さんだ!」

 サクヤ君の声が、弾んでいる。

ボクは、サクヤ君と一緒に玄関へと向かった。


 玄関先に立っているのは、しかめ顔のお母さん。何だかソワソワしていて、落ち着きがない。

 サクヤ君は、少しずつお母さんに歩み寄り、そっと顔を上げた。

「あのね、お母さ……」

 パチン、と頬を叩く音が鳴り響く。

「あんたのせいで、恥かいたじゃない!」

 尻もちをつくサクヤ君。

 違う、そうじゃないよ――ボクはお母さんに向かって、ワン!と吠えた。

 おばあちゃんが、咄嗟にサクヤ君を抱きしめる。

 サクヤ君は、ガタガタと震え、怯えている。

「わざわざ部長に謝って、時間作って迎えに来てやったの! お母さんに迷惑かけないでよ!」

 鬼の形相でサクヤ君を睨む。

「子どもに当たるのはよしなさい」

 おばあちゃんが真顔で、お母さんを窘めた。

「なんなんですか。こっちは命がけで働いてるんです」

「ふん。子どもを不幸にさせてまで、やることかね」

 お母さんの顔が、途端に引きつる。

「なによ、なんなのよ。全部私が悪いみたいに。もう嫌。もう疲れた……」

 お母さんはその場でぺたんと座り込み、泣き崩れた。

「養育費はまともに貰えないし、会社は休みくれないし、生活費や学費のことだって……」

 お母さんは肩を震わせている。

「馬鹿だね、あんた……一人で背負う必要ないのに」

「ううっ……」

 おばあちゃんは、泣いているお母さんの背中を優しく撫でた。

「ちゃんと食べて寝て、休みなさい。これからのこと考えるのは、その後でいいから」

「ぐすっ……」

 お母さんが、涙目でおばあちゃんを見る。

 ボクは、ゆっくりとお母さんに近づいて、クゥンと鳴いた。頬に零れ落ちる涙をペロペロと舐める。

「慰めてくれるの……?」

 お母さんが、優しくボクの頭を撫でた。

 今なら、お互いに本当の気持ちが言えるはず――ボクはワン!と吠えた。

「あのね、お母さん」

 サクヤ君は、お母さんの手をギュッと握った。

「洗濯の仕方教えてよ。ご飯の作り方も覚えるからさ」

「サクヤ……」

「もう一人で苦しまないで」

「ごめん、サクヤ。ごめんね……」

 お母さんは、サクヤ君を強く抱きしめた。

「大好きだよ、お母さん」

 サクヤ君がお母さんの耳元で囁く。

 良かったね――ボクは舌を出して、目を細めた。

「さぁ、ご飯の時間だよ。手伝っておくれ」

 おばあちゃんが気を利かせたようにポツリと呟く――母と子は声を揃えて、はい、と返事をした。


「今日は、本当にありがとうございました」

 玄関先で、親子が深々と頭を下げる。

「ふぅ~、お腹いっぱい」

 サクヤ君がお腹をポンポンと叩いている。

「また遊びにおいで」

「いいんですか……?」

 お母さんが、おばあちゃんの顔を不安げに見つめる。

「老いぼれはね、話し相手が欲しいんだよ」

 おばあちゃんが口角を上げてニヤリと笑う。

「はい! ではまた今度……」

「フク、バイバイ。またね」

 おばあちゃんが、手を振って、親子を見送った。

「さて……片づけるとするかね」

 玄関の戸が閉まり、ボクらはそそくさとその場を後にする。

「楽しい一日だったねぇ、フク」

 たまにはこういう日も良いね――老人一人と犬一匹は、目を細めて笑い合った。

 こうして、少し変わった一日が終わりを迎えた。


      

                  終

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幸福を呼ぶ犬~フクとおばあちゃんのとある日常~(短編) 幸原風吹 @yukiharahubuki

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