第3話 対抗戦に向けて

「みんな、無事、参加報告が終わったよ。これで、私たちは、晴れて今年の対抗戦のメンバーだ」

 日野先輩がみんなを見回した。

「今年の対抗戦メンバーは、3年の私、日野と岡崎、1年の天見、伊山そして柊だ。2年倉木は女子の補欠になる。

 試合は、8月6日。それまで、どうか力を合わせて、頑張ってほしい。それぞれに都合はあると思うが、やっぱりやるからには、優勝を目指したいんだ。みんな、頼めるかな」

「いいっすよ、先輩。私もやるからには、全力でないと、気が済まない質ですから」

と、美紅は一歩前へ出る。

「自信はないけど、全力でやります」

 ソラがそう言うと、次に、みんなの視線は柊に向く。

「僕も、できるだけ頑張りますよ」

 その言葉を聞いて、先輩たちはほっとした様子だった。

 岡崎先輩がみんなに言った。

「私は、小学校で百人一首の大会出たことあるの。だから、今回、私ができる限り、みんなのコーチをするわ。多少厳しいことを言うかもしれないけど、競技かるたの世界は、実はとても厳しいものなの。優勝を目指すと言うことは、やっぱりそれだけのものが必要よ。そこんとこ、覚悟はしてね。

 大会は8月、あと3か月ほどしかないの。だから、これからは、放課後、毎日出来る者で練習したいの。和室を取っておくから、そこに来て。もちろん、できる時でいいから。ただ明日の土曜、朝から一度集まってもらえるかな。まずかるたの基本を説明したいの」

 みんな、真剣に話を聞いた。船がいよいよ動き出したのだ。

 三校対抗戦まで3か月以上ある。まあ何とかなるかな。

 ソラは、みんなの顔を見回して、そんなふうに思っていた。

 熱い夏は、まだまだずっと遠くに感じていた。


◇◇◇◇◇

「やっと決まりました」と会長が伝えにきたのは、締切日の放課後遅く、もう職員室にも人がまばらになった頃だった。

 日野と岡崎が、嬉しそうにメンバー表を差し出す。

 俺は、メンバーを見て驚いた。あれ、一年生が3名、しかも俺のクラスの奴が2人もいるじゃないか。伊山はまあわかるとして、天見は意外だった。いつもニコニコしているが、そんなに目立たない、こういうところへ出て行く感じには見えなかったからだ。

「おい、日野、無理して引っ張ってないだろうな」

「はい、みんな自分から進んで」

 そういった後、ニヤっとしたのが曲者だ。副会長の岡崎は横でただ微笑んでいる。

「まあ、それならいいんだけど。で、今年はどうなの?」

「今年は例年以上に甲子社が力入ってるって聞いてます。去年、うちにも負けて、最下位になっちゃいましたからね」

「この対抗戦って、最下位の学校が次の年の種目を決めるんだろ」

「そうです。去年はうちに決定権あったから大道芸で勝負したんです。それでも2位止まりでしたけど」

「大道芸同好会が2人しかいませんでしたからね」と岡崎が言う。

「上賀茂って、どんなことでも、ほんと一生懸命にやるよな。去年もあの皿回しとか、全力で練習してきてたもんな。私も練習したけど、あそこまではできなかったもの」

「ええ、あそこは伝統の上賀茂魂っていうのがありますからね。それにやられました」

「そうなのか、まあ、うちの生徒は、あまり熱く団結ってタイプじゃないみたいだしな」

 俺がそう言うと、日野が不敵な笑みを浮かべ言った。

「まあ、鴨高は『個の自由』が気風ですから。でも今年はうちがとりますよ。うちには、この結愛がいますから。勉強の得意な甲子社さん、こういうのなら、有利と決めたんでしょうけど、うちの結愛が、かるた競技の経験者だってことは、わかってなかったみたいですね。優勝したら、結愛、何年振りになるかな?」

「えーっと、もう調べないとわからないぐらい。歴史的ってことは確かね」

「そういうことで、先生、明日から練習始めるんで、よろしくお願いします。差し入れなんかあると、助かります」

 報告を済ませた2人は、さらっと差し入れの催促をして職員室を出て行った。

 俺は、改めてメンバー表を眺める。

 柊もか……。ちょうど良かったと言うところかな。仕方ない、帰りに、なんか差し入れの飲み物でも買っておくか……。


 翌日の土曜日、朝から対抗戦メンバーは学校の和室に集まっていた。

 ここは茶道部も活動する畳の部屋だ。茶道部の活動は週1回なので、茶道部顧問に断りを入れて、活動日以外は、ほぼいつ使ってもいい許可はもらった。部屋の真ん中に百人一首がすでに用意してあった。俺は、国語科とはいえ、かるた競技は全くの素人。みんなの後で話を聞くぐらいしかできそうにない。

 岡崎が、まず競技かるたの説明をする。基本は、こうだ。

 試合は、まず100枚あるうちの50枚を自分と相手に分けて、自分の25枚を3段に並べる。簡単にいえば、この25枚を早く無くした方が勝ちだ。相手側の札を取れば、自分の札を1枚渡す。読み手が読む歌は上の句から読まれるが、取り札は下の句しか書いていないから、読み始めたら、できるだけ早くその下の句をとる。テレビなんかでババンッと素早くやりあうのを見たことがあるが、あれがすぐにできるとは到底思えなかった。

 取り方は、とにかく札を競技線の外に出せばよくて、目的の札あたりを全部バッと払ってでも、その札が外へ出ればいい。お手つきは、違う陣の札を払ったときと、空札(どちらにもない残りの50枚の札)なのに払ったときで、そのときは相手から1枚もらうことになる。

「まずは、やってみましょう」ということで、2人1組になり試合形式でやってみる。

日野と伊山、岡崎と天見が向かい合う。今日は倉木が来ていないので、残った柊の相手は、俺の出番となる。

 互いに向かい合って、25枚の札を3段に並べると、まずはじっくりと場所を覚える時間がある。

 読み手はタブレットのアプリ、岡崎がスタートさせた。まず、始まりは札にない歌、序歌が読まれる。序歌というのは、これから始めますよ、という合図のようなものだ。

『難波津に(なにはづ) 咲くやこの花 冬ごもり いまを春べと 咲くやこの花 いまを春べと 咲くやこの花』

 この次からだ。

『君がため……』

 上の句の出だしが読まれた瞬間、バン! と払う音がした。岡崎だ。

 あまりの速さに驚き、余計に焦った。確か、下の句が……、

『我が衣手に……』と下の句が読まれてやっとわかる始末だ。

 わが、わが……あった、自分側にあった。手を動かそうとした時、柊が先に払った。やられた。これはいかん。

「はい、先生、1枚」

 柊が、真面目な顔で1枚渡してくる。

 これはまずい。俺は気合を入れ直し、前傾姿勢で、グッと前の札を睨みつけた。

 やがて、決着がついたとき、1時間近くがたっていた。あっという間だった。俺は、なんとかギリで柊に勝った。危なかった。昨夜寝る前に、ちょっとは見とこうと、百人一首を予習しといて良かった。ふう〜とため息をつきながら他の2組を見ると、伊山が畳を叩いて悔しがり、天見は、ふにゃーと力尽きたかのように情けない顔をしている。どちらも先輩の貫禄勝ちというところだった。

「どう、まずちゃんと歌を覚えてないと勝負にならないの、わかったでしょ」

 岡崎が、みんなを見回して言う。

 伊山が、「うー」と、ため息とも唸り声ともつかない声を出した。天見に至っては声も出せないようだ。

 そんな2人を見て、岡崎先輩はにこりとして言った。

「でもね、この百首を丸々全部覚えなくてもなんとかなるのよ。例えばこの札、

『せをはやみ いわにせかるる たきがわの われてもすゑにあはむとぞおもふ』

 実は百首の中で、『せ』から始まるのはこの歌だけなの。わかる? だから?」

「おう、『せ』って言ったら、『われても』の札を取ればいいんだ」

 伊山が納得顔で言った。

「そう、そのとおり。というわけで、『上の句』が読まれ始めてから、取ってもいい『下の句』が決まるまでの先頭の数文字のことを『決まり字』と言うの。この『決まり字』は、1文字から、6文字。だから、まずはこの『決まり字』だけを覚えればなんとかなるってことになるのよ」

「良かった〜」

 天見と伊山が元気を取り戻して顔を上げた。

「そこで、その『決まり字』を覚えやすく、まとめたのがこれよ」

 岡崎は1枚の用紙を配った。そこには「決まり字」が1字から6字まで、まとめて表にしてあった。

「みんなが覚えやすいように、決まり字の語呂合わせも載せといたわ」

「『足、ながなが』かあ。『足』ってくれば、下の句は『ながなが』だもんな、これいい、岡崎先輩、神だよ!」

 伊山が立ち上がって声をあげた。

「まずは、『決まり字』の1字は、7句あるから覚えてみて。

 最初は、好きな歌とか、そういうのから覚えてみるのもいいわよ。細かいことは、それからね」

 みんなで1時間ほど「決まり字」を覚えて札をとる練習をした。

 そこでの、思わぬ発見は、柊だ。柊は、すでに百首の歌を全部覚えていたのだ。みんなが何でだと聞くと、

「中学の国語で幾つか覚えさせられたんだよね。で、なんか気にいっちゃって、残りも全部覚えた。もともとおばあちゃんとよくやっていて好きだったから」

と言う。みんなは、ただただあきれた。

 やっぱりな、強いと思った。ほんと勝っといて良かった。

 と、密かに胸を撫で下ろす。

 岡崎から、決まり字を見たら下の句が見えるぐらいになること、札をとる練習も必要だとの話を聞いて、その日は終わった。

 生徒たちが、賑やかに騒ぎながら帰っていく。柊も、ちょこんと俺に頭を下げて出て行った。

 まあ、大丈夫そうだな。ここで活動できるんだから。

 俺は、まずは国語科の威厳を守れたことにホッとしながら、そんな生徒たちを見送った。

 岡崎は別格として、日野も会長の責任感もあって、今年が「かるた競技」とわかった時から練習をしているという。柊も、すでに歌は覚えているし、後は、伊山、天見の2人次第で今年の対抗戦、面白くなりそうな気がしてきた。

 その日から伊山や天見たちが、時間があれば単語カードを出して決まり字や歌を覚えるのに精を出している姿を見るようになった。たまに放課後の練習を見に行くと、いつも和室には誰かがいて練習をしていた。

 今日も日野、岡崎、伊山、天見の四人がやっている。

「みんな、頑張ってるな」

「当然ですよ。1年生も上手くなりましたよ」

 日野の言葉にすかさず、伊山が手を挙げてアピールする。

「先生、いつでも挑戦受けて立ちますよ。もうバッチリですから」

と、腕を大きく振って札をはらう仕草をする。

「まあ、スピードだけなら美紅も大したもんだな」

 日野の言葉に伊山は、畳に並んだ札に向かって派手にダイブしてみせる。

「うわ、やめてよ、美紅、せっかく位置を覚えてたのに」

 天見が口を尖らせて文句を言うと、伊山は笑い出し、それにつられて皆も笑ってしまう。

「調子はどうだ?」

 俺は、横にいた岡崎に声をかける。

「いいですよ。1年も熱心にやってくれるし」

「私もね」日野が胸を張るようにして応える。

「柊は来てないのか?」

 俺が聞くと日野は少し顔を曇らせて言う。

「彼だけが、あまり顔見せないですね。頑張るって言ってくれたんだけどな」

「まあ、忙しいんだろ。あまり無理を言うなよ」

「わかってますって。私、きちんと個人の意思は尊重しますから」

「ああ、頼む」俺は、自信を持って胸を張る生徒会長に、思わず笑ってしまう。

「ああ、先生、なんか馬鹿にしてません?」

 笑って突っかかってくる会長の攻撃から逃れようとして、天見にぶつかってしまう。

「うわ、すまん天見、これは日野が悪いんだ」

「あ、大丈夫です先生、じゃあ、私、お先に失礼します」

 天見は、そう言うとメンバーに明るく挨拶を交わし、急いだ様子で部屋を出て行った。

 俺がそれを見送っていると、岡崎が教えてくれる。

「ソラは、家に門限があるらしくって、いつも活動は5時までなんです。6時までには帰らないといけないって……」

 ……天見は、時々自分のことを「ボク」と言う時がある。髪はショートで、ひょろっとした体型、友達といるときは明るくニコニコしているが、一人でいると上着のポケットに両手をつっこんでぼんやりとしていることがある。そんな彼女を見ていると、どことなく不安定さを感じる。俺の経験上、自分のことを「ボク」という女子は、成長の中でちょっとうまくいってない場合が、ままある。

 それは、女性としての自分を無意識に否定しているように思えるのだ。

 俺が、そんなことをぼんやり考えていると。

「先生! 私と勝負してください。うまくなりましたよ」

と、伊山が呼びにきて、俺はたちまち練習に駆り出された。

 もちろん、俺の勝ちだ。俺も、きちんと札を覚える練習はやっているのだ(笑) 

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