一 〈根ノ国〉からの来訪者
一
参拝なら、裏の階段を上がった先の社ですよ。
そういういつも通りの声掛けをした相手は、
顔は、よく分からない。ただその目の色だけは、はっきりと分かる。
じゃり、と、足元で砂利が音を立てた。この屋敷へと続く道にある鳥居を抜け、石段を上がって、そして辿り着く人は少なくない。本来はまだ続く石段をのぼった先にあるのが『
そういう人に、志明はいつも同じ声掛けをするのだ。それが、先のことばである。
「咬積神社に、用事ではなく」
「はい」
「
言い終わるよりも前に、志明はそのことばを遮った。竹箒を手にしたまま、きょろきょろと周囲を見て、誰もいないことを確認する。
空は真っ黒に塗りつぶされて、月もない。太陽がなければ月も輝くことはないのだから、当然ながら〈
「誰から聞いた、それ」
刀よろしく竹箒を持ち、その柄の先を突き付ける。真っ直ぐ、その喉のところへ。
いくら白刃ではなくとも、喉を潰されればどうなるかは分かっているだろう。けれどもそれが理解できているのかいないのか、平然とした顔どころか、どうしてそんなことをされるのか分からないというような顔をしている。
「聞かなくとも、知っていて。あの、自分は、
あお、という名前でも、その目はあかだ。
赤い目を見ていると、どうしても〈骸ノ影〉を思い出す。時折混じっているのだ、真っ赤なぎょろりとした目を輝かせるものが。
「あのさ、人に聞かれると困る。悪いけど、さっさと中入って」
どうせもう、門はくぐっているのだ。門をくぐれたということは、蒼に敵意はないということになる。だから溜息を吐いて、志明はぐいぐいとその背中を押して、屋敷の中へと押し込むことにした。
庭の片隅で息を潜めている夜行性の獣が、ぐるると声を上げている。昼も夜もないのだから夜行性も何もないが、つまりそういうものだけが生き延びたということだ。夜目の利かない獣はこの闇に適応できず、ひっそりと姿を消してしまった。
太陽が死んで、何年になるだろう。かくいう志明も、とうに『夜明け』を忘れてしまった。
「あ、そうそう。僕は
「十七。それが何か」
「いや別に。じゃあ僕のひとつ下か、大して変わらないね」
靴脱いで上がってと促せば、蒼はおとなしく従っている。物珍しいという様子で周囲を見ているのは、こんな大きな純日本家屋という風情の屋敷だからだろう。そういう目で見られるのは今に始まったことではない。
暗がりの中、蒼の赤い目だけはやけに目立っている。人間の目が〈骸ノ影〉のように光るはずもなく、ただ珍しいがために目を惹くのだろう。
「今、火をつけるから」
マッチはどこにやっただろうかと、戸棚を探る。ようやく探し当てたそれを擦って火を付ければ、蒼の赤い目がその火に照らされてやはり目立った。
畳の上に、腰を下ろす。自分の髪を踏みそうになり、志明はひとつに結っている髪を振り払った。蒼は戸惑っている様子ではあったが、志明に「座れば」と言われると、おとなしくそれに従っていた。そうして見れば、ようやく蒼の顔がはっきり見える。
男か女か、そういうものがはっきりとしない。髪の長さも肩くらいのもので、どちらとも言い辛い長さだ――と、自分のことを棚に上げて志明は考えた。
「あのさ、答えたくなかったら答えなくて良いんだけど」
このことばは、一応の前置きだ。
「君、〈根ノ国〉の関係者だろ」
蒼が息をのみ、そして志明を警戒するような空気になった。
隠すつもりがないのか、そもそも隠すことが下手なのか。どちらなのかは志明には分からないが、ともかくこれで明白だ。
「そうだとしたら?」
「別に何も」
行儀が悪いとは分かりつつ、志明はあぐらをかいて、足に肘をついた。さらりと落ちてきた黒い髪を振り払って、蒼の様子を観察する。
橙色の光に照らされて、蒼は口をへの字に曲げていた。ぐるぐると何かを考え込んでいるのだろうことは分かるが、この後どういう行動に出るのかは分からない。
「何も?」
「あ、別に君を信用するとかそういうのじゃないから」
蒼が〈根ノ国〉の関係者だろうが何だろうが、本当のところは志明にはどうだっていいことなのだ。すべては蒼が陽新の門をくぐれた、このひとことに尽きる。
「だって君、僕に敵意ないし。敵意あったらそもそも、門くぐれないからね」
「門、というと」
「君が普通に入ってきた、あの門」
咬積神社に行くつもりが、陽新の屋敷の門をくぐってしまうというのは、よくあることなのだ。それがよくあるのもどうかと志明は思うが、どうやら間違えてしまうらしい。
だからこそ、敵意あるものはすべて弾く。そういう風にできているのだと、志明は兄から聞いていた。
「まあつまり、僕はうちの神様を信用してるってだけ。分かった?」
「一応」
「で、返答は」
先ほどの問いをなかったことにするつもりはなく、志明は蒼に返答を要求した。蒼は再び口をへの字にしていたが、ぶんぶんと首を横に振ってから口を開く。
「……自分は確かに、〈根ノ国〉の関係者、だけど」
「はい」
「敵意は、ない」
「敵意はないけど、〈白焔〉に用事はあるって、どういう状況?」
赤い目をしている時点で、蒼は自分から〈根ノ国〉の関係者であることを白状しているようなものだ。彼らの瞳は〈骸ノ影〉と同じ。もっとも、その色の濃さは様々あるが。
「〈根ノ国〉は、騙された」
「ふうん」
騙された。とりあえずそのことばを信じても良い。
「で?」
けれど、だからどうだと言うのだろう。騙されたのか、それは仕方なかったね。そんなことを志明が言うとでも期待しているのか。
そうであるのならば、呆れるしかない。騙されていようが何だろうが、〈根ノ国〉がしたことは何も覆らないし、その時の選択は選択なのだ。残念ながら志明はそこまでおめでたい頭をしておらず、蒼のことばに同情もしない。
「騙されるのなんて、騙した方も悪いけど。だからって僕、騙されてたから〈根ノ国〉は何も悪くありませんとかそんな甘いこと、言うつもりないよ」
彼らによって、〈永劫ノ夜〉がやってきた。それは事実だ。そして〈骸ノ影〉もまた、〈根ノ国〉からやってくるものである。
「君ら〈根ノ国〉が、太陽を殺した。それは間違いないんだから」
「分かってる……」
ぐっと唇を噛んだ蒼が、居住まいを正して志明に向き直る。そして蒼は何を思ったのか、畳に手をついて、そして深々と頭を下げた。
「それでも、〈白焔〉を貸して欲しい」
「理由は?」
「それは……その……」
これで断れば、志明は悪人だろうか。とはいえ、蒼のその申し出には志明は頷けない。
「ま、何でも良いけど。残念ながら、〈白焔〉は貸せない」
「何故」
「何故って単純な話でね。貸せるものがないんだから、貸せるわけないだろ?」
ないものはないのだから、貸せない。それだけのことだ。
「え」
蒼の求める〈白焔〉は確かに、本来ならば陽新にあるべきものだろう。〈骸ノ影〉を焼き、浄化する、その白い焔を持って陽新の人間は生まれてくる。
「待って、そんなはず……」
「陽新の〈白焔〉は――僕の父親は、〈永劫ノ夜〉の日に死んだよ? 母と一緒に」
そして志明は取り残された。とかそんなことを言ったところで仕方のないことだが、これもまた事実だ。
つまり今はもう、陽新の〈白焔〉はない。
「君ら〈根ノ国〉が殺したってこと。自分たちの殺したもの探しに来たって?」
それがどういう死に様であったのかは知らないが、兄から聞いた話によれば、〈岩戸〉を塞ぐようにしてこと切れていたらしい。自分の身で〈岩戸〉の戸を押さえつけるようにして、命懸けでそこを守ったのだと。
けれど結局は〈永劫ノ夜〉がやってきたのだから、無駄死にと言えば無駄死にだ。
「なら、お前は」
「僕?」
わざとらしく、肩を竦める。
「お生憎様」
それだけで蒼は理解したのだろう、愕然とした顔をしていた。
志明は確かに陽新志明という名前で、そして陽新の人間である。とはいえ、陽新の人間だからといって、誰もが〈白焔〉を扱えるわけでもない。つまるところ志明は、扱えない側の人間だった、それだけのことだ。
「まあでもこのまま帰しても、君も困るのか」
蒼は困った顔をして、志明を見ている。そうしていると迷子の子供のようであるが、だからといって、志明に罪悪感が湧くかというと、そんなこともない。
少しくらいは罪悪感が湧くかと思っていたのだが、我ながら薄情なことだ。
「そもそも何で、君らが〈白焔〉を必要とするわけ?」
蒼は返答を躊躇っているようだった。けれど志明が腕を組み直してじっと見ていたからか、やがて観念したように口を開く。
「……夜明けの、ためだ」
「おかしな話だな。君らが招いた〈永劫ノ夜〉だろうに」
「違う!」
志明のことばに対して、蒼が鋭く叫んだ。
「いや、違わないけど、違うんだ」
「どういう意味?」
妙なことを言うものだと、その意味を問う。
太陽を殺して〈永劫ノ夜〉を招いたのは、〈根ノ国〉だ。死者にとって太陽の光は眩しすぎて存在できないのだから、自分たちのために夜にしたのだろうに。
「自分たちは、影だ」
「そうだね」
「影は、光がないと、存在できない」
光で照らせば、それを遮るものの後ろに影ができる。そして、光のないところに影ができることはない。それは確かに蒼の言う通りではある。
「〈永劫ノ夜〉に、〈根ノ国〉の住人の居場所はないんだ……」
だからどうした。
志明の中に湧き上がったものは、それだけだった。そもそも自分たちが招いて、夜がやってきたと歓喜していただろうに、何を今更。
「自業自得、お疲れ様でした」
「だが」
「あのさ、君らが騙されたからって、その尻拭いを僕らがする意味って何?」
睨むように蒼を見れば、う、と蒼は口ごもっていた。
後から騙されたと気付いたところで、事実としてもう太陽はない。〈永劫ノ夜〉に囚われた世界で何を〈根ノ国〉の人間が言おうとも、言い訳にしか過ぎないものだ。
そもそも、と志明はことばを続ける。
「未だに〈骸ノ影〉は、人間を襲うじゃないか」
「あれはもう、自分たちの手を離れてしまったものだ」
「じゃあ全部異形の天使のせいだって?」
「どうして、それを……いや、お前は陽新の人間だ、知っているのか」
「そりゃね」
直接見たわけではない。ただ、知っている。〈永劫ノ夜〉がやってきたその日、天から光が降り注ぎ、そして梯子のような光を降りて異形の天使が姿を見せた。
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