わたしは、ミクティカ

 山道を歩く頃には、すでに黄昏。死ぬ覚悟ができているのかいないのか、あやふやなままに、彼女は、あの場所に向かっている。死への渇望と恐怖の交錯のなか、乾いた落ち葉を踏む、シャリッ、シャリッと響く音に吸い込まれそうな眩暈を感じ、彼女は卒倒しそうになる。

 誰かが、あとをつけてくるような気がして、背後を振り返るが、誰もいない。

 ただ、一人だ。孤独な行進を続けながらも、絶えず、誰かに後をつけられている気がして落ち着かず、彼女は死地へと急いだ。

 名も知らぬ鳥が、ひっきりなしに鳴いている。虫の音。土を踏む音。たまに、妙に生暖かい風が、肌をくすぐる。その風に、微かに血の匂いが、含まれている気がする。それは、あの場所から、流れ出て、下界へと降りてきているのだろうか。 

 あの惨劇は、本当に、あったことなのか?

 分からないが、彼女が今、こうして生きているという事が、殺されずに生きているという事が、なによりも、あれが現実に起きたことであるという証ではないか?

 やがて、廃墟が、彼女の眼前を覆い尽くすようにして現れ、その退廃的な美しさに圧倒される。まるで、この世という現実から隔離され、幽界に佇む古城のように、廃墟は、あのときのまま、そこにあった。かつては、子供たちの楽しい学び場だった校舎の残骸は、血塗られた魔城ごとく。

 空は、うっすらと青く、満月の気配を漂わせ、やがて、魔城を闇で覆うだろう。

 ここで、死ぬのだ。すべてを壊された、この場所で。

 彼女は進む。ただ一人、孤独に打ち震えて。


 泣いて、いるのだろうか?

 涙は、枯れ尽くして、もう出ないと思っていたのに。

 憎しみの果てには、絶望があるだけだった。

 そして、彼女は、見た。魔鏡を拝むように置かれている、三つの頭を。

 血の跡も、生々しく、まだ生きてさえいそうな、その三つの頭は、綺麗に身体から切り離され、整然と並べられていた。悪魔崇拝の儀式のための、お供え物を思わせて。

 黒い影が、一瞬、目の前を、さっと通り過ぎたような気がして、彼女は狼狽した。無理矢理に体を抑え込まれ、不潔なものを体に捻じ込まれたあの日の記憶が、まざまざと甦ってくる。穢れた体は、打ち滅ぼさねばならない。

 ここで、この悪夢の場所で。

 だが、何かが、彼女の中で変わろうとしていた。異様に、身体が熱い。いつの間にか、夜の暗い影が忍び寄り、中空に浮かぶ満月の光が、崩れた外壁の割れ目から、水鏡を照らしていた。

 彼女は、歩み寄った。

 三つの頭蓋へ。それは、まごうことなき、あの三人のものだった。

 血が、沸き立つ。

 まず、一つ目を、彼女は持ち上げた。茶色の髪は、腐ったペンキのような腐臭を発し、悪血でべたべたと汚れていた。それを、彼女は、水鏡へと放り投げた。頭は、弧を描き、水面で一度跳ねるような動きを見せてから、静かに水没していった。それから、スキンヘッドの頭を、それから、もう一つの頭を。


 あの日、殺されて沈められるはずだった自分の代わりに。


 水底で、髑髏になっちゃいな。


 彼女は、少年のような笑い声をあげて、月明かりに綺麗な、水面を見た。そこには、もはや、打ち萎れて死を望まんとする絶望の乙女はいなかった。美しく可憐で、優雅に微笑んで見返す、美しき殺人狂。そう――


 わたしは、ミクティカ、殺人狂。

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ミクティカ 黒木 夜羽 @kirimaiyoru

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