冬至
東京タワーのイベントから二か月、冬の寒さは街に深く根を下ろし、降り続く雪が景色を白く染めていた。例年よりも厳しい寒さが続く三月の終わり、その冷たさがどこか彼女のこれまでの孤独と重なって見える気がした。それでも、柊さんの表情には少しずつ変化が表れ始めていた。
ある日の昼休み、僕は彼女が珍しくクラスメイトたちの話に耳を傾け、時折微笑む姿を見かけた。その微笑みは控えめで、ぎこちなさを感じさせるものだったが、それでも彼女が少しずつ心を開き始めている証のように思えた。
それと共に、彼女の力が誰かの役に立つたびに瞳が少しずつ柔らかくなる様子にも表れていた。まるで冬の寒さの中で慎重に花を咲かせるように、一歩ずつ進む彼女の心情を映していた。
やがて、彼女は自分の力をもっと肯定的に使おうとしているように見えた。帰り道では、彼女と一緒に力をどんな風に役立てられるかを考えることが増えた。
「月島君、これって少し変わったかもね。」
そう呟いた彼女の声はどこか穏やかで、自分を受け入れ始めた小さな兆しが感じられた。その言葉を聞きながら、僕は彼女の隣にいることの意味を改めて考えていた。彼女がこんな風に変わり始めるなんて、少し前の僕には想像もできなかったからだ。
だが、そんな日々が続く中で、彼女がどことなく疲れやすくなっていることに僕は気づいていた。まだ厳しい寒さが街を覆う中、授業中に窓の外を見つめる彼女の視線には、どこか遠くを見つめるような寂しさが混じっているように感じた。そして、放課後に肩を落としながら歩く姿が、以前よりも目立つようになった。
ある日の夕方、僕と一緒に学校を出た後、彼女は急に足を止めた。
「どうしたの?」
振り返ると、柊さんは少し息を切らしているように見えた。額にうっすらと汗が滲んでいて、普段の落ち着いた表情とは違う疲れた様子が目に映った。
「ごめん……なんだか、少し……」
彼女が何か言おうとした瞬間、ふらりと体が傾いた。
「柊さん!」
僕は慌てて駆け寄り、彼女の体を支えた。驚くほど彼女の体は冷たく、震えている。手のひらに伝わるその冷たさに、不安が胸をよぎった。
「大丈夫か?無理しすぎたんじゃないか……!」
周囲を見渡したが、既に時間帯も遅く、人通りはほとんどなかった。街灯が静かに明滅する中、僕は柊さんの顔を見つめ、彼女を支えながら決意を固めた。
「とにかく、僕の家に行こう。」
彼女の体調を気遣いながら、僕は彼女を支え、ゆっくりと歩き始めた。彼女の足取りは重く、僕は彼女の冷たい体をできるだけ支えようと力を込めた。
僕の家に着く頃には、柊さんの顔色は少し戻っていたが、依然として弱々しい。その瞳には疲れと、ほんの少しの安堵が浮かんでいた。
「ここに座って。おばあちゃんの作ったお茶があるから、それ飲んで。」
彼女をソファに座らせ、僕は急いで台所に向かった。湯気の立つお茶を急いで用意しながら、彼女の様子が気にかかって仕方がなかった。
彼女は薄く笑いながら頷いたが、その表情にはどこか申し訳なさそうな色が混じっていた。
「ありがとう……迷惑かけちゃったね。」
その声は小さく、今にも消え入りそうだった。
「そんなことないよ。無理しないで、今は休むのが一番だよ。」
僕のその言葉に、彼女は小さく頷き、目を閉じた。ソファに沈む彼女の姿は、どこか儚げで、それでも安心しているようにも見えた。
その閉じた瞼の奥に、東京タワーでの夜や、僕たちが一緒に過ごしたささやかな時間が映し出されているのだろうか。僕は彼女が安心して休めるよう、何かできることはないかと考え続けながら、そっとお茶を差し出した。
「少し休んでいて。僕、軽い食べ物でも買ってくるよ。」
そう言って家を出た僕に、彼女は小さく頷いた。
* * *
月島君の家の中には、彼の祖母が大切にしているだろう古い本がいくつも並んでいた。その中の一冊に、結奈は目を留めた。表紙には「雪女伝承」と書かれている。
彼女の手が自然とその本を開く。そこに書かれていたのは、雪女が持つ特別な力、そしてその運命についての詳細な記述だった。
『十七歳を迎えると、力が暴走し、周囲に大規模な雪害をもたらす……』
その一文が目に留まり、彼女は息を飲んだ。記されている症状や兆候が、自分の状態と完全に一致していることに気づくと、胸の奥に冷たいものが広がるような感覚に襲われた。
「これって……私のこと?」
本を握りしめた手が震える。彼女の頭の中には、自分の力が制御を失い、周囲に迷惑や災害をもたらす光景が浮かび上がった。それが月島君に及ぶかもしれないと考えると、恐怖はさらに膨れ上がった。
「これ以上、迷惑をかけたくない……」
そう自分に言い聞かせるように呟いた。
* * *
その夜、僕が帰ってきたとき、家の中は静まり返っていた。リビングに入ると、そこには彼女の姿はなく、代わりに机の上に一枚の手紙が置かれていた。
「迷惑をかけたくないので帰ります。本当にありがとう。どうか私を探さないで。」
手紙を握りしめた僕は、その言葉の意味をすぐには理解できなかった。ただ、彼女が急いでどこかに行ったのだろうという漠然とした不安だけが胸に広がった。「どうして急に……?」混乱しながらも、何か大事なことが隠されている気がしてならなかった。
「柊さん……」
僕はその場で手紙を握りしめた。
翌日から、柊さんは学校に来なくなった。クラスメイトたちは不思議がり、「体調でも崩したのかな」と噂していたが、僕の中では違う理由があると確信していた。置き手紙と、彼女が抱えている力。それが繋がり、彼女が自分の意思で距離を置こうとしていることがわかった。
その日、僕は祖母と夕食をとりながら何気なく冬の話題を振った。
「今年、雪が多いよね。いつもこんな感じだったっけ?」
祖母は少し考え込むような顔をしてから、語り始めた。
「そうね、こんな風に雪が続くと、昔の人は雪女の話を思い出したものよ。雪女は、
人とは違う 特別な力を持っているけれど、その力が時に周囲に大きな影響を与えることもあるってね。
「影響って、どういうこと?」
「力が暴走してしまうと、周りを巻き込んでしまうって言われているわ。だから、雪女は孤独に生きることを選ぶことが多かったんだって。でも、暴走を防ぐために自分を犠牲にする決断をすることもあったとか。」
祖母の話を聞いているうちに、僕の頭の中に柊さんの顔が浮かんだ。彼女が置き手紙を残して去った理由が、なんとなく見えてきた気がした。
「雪女……」
その言葉を胸に抱えながら、僕はリビングの本棚に目をやった。そこには、祖母が大切にしてきた古い本が並んでいる。その中の一冊に手を伸ばした。「雪女伝承」と書かれたその本を開くと、柊さんが読んだであろうページがすぐに目に飛び込んできた。
『雪女は孤独の中に生きる存在。その力は周囲を巻き込むことを恐れ、誰とも関わらないことを選ぶ。だが、時にその力は人を助け、救うものともなり得る。しかし、力を抑えきれなくなるとき、雪女はその存在を消すことで暴走を防ぐ。』
「孤独……」
その言葉が、頭の中で何度も繰り返された。柊さんがずっと抱えてきたものの正体が、ようやく少しわかった気がした。
ページをめくると、さらに具体的な記述が続いていた。
『十七歳を迎えるとき、力の暴走が起こる可能性が高まる。その際、周囲を守るために、雪女は自らを犠牲にすることを選んだという伝承がある。』
「そんな……」
本を握る手が震えた。柊さんが置いていった手紙、祖母の話、そしてこの本の内容が一つに繋がり、彼女が何を考えているのか、少しだけ見えた気がした。
「孤独なんかじゃない……」
その時、これまで柊さんがしてきたことが次々と思い浮かんだ。体育の時間に凍った水道をそっと溶かしてくれたこと。文化祭の準備で寒さに震えるみんなを陰ながら助けたこと。そして、東京タワーの冬イベントで、美しい光を作り出して周囲を笑顔にした彼女の姿。
一緒に過ごした日々も、頭の中に浮かんでくる。初めて話したときのぎこちない会話。放課後、一緒に歩いた帰り道の静かな時間。そして、彼女が少しずつ心を開き、僕に笑顔を見せてくれるようになった瞬間のこと。
『柊さんは孤独なんかじゃない。こんなにもたくさんの人を助けてきた。僕だって、彼女に何度も救われた。』
僕はそっと本を閉じ、胸の奥に強い決意が芽生えるのを感じた。彼女がどんな運命を抱えていたとしても、それを一人で背負わせるわけにはいかない。僕は決心した。
『君はここにいていいんだ、柊さん。』
僕は彼女を探しに行こうと決意した。
「絶対に見つける……」
外に出ると、雪は横殴りに吹き付け、視界を遮る。道もほとんど人影がない。それでも僕は足を止めなかった。冷たい風が顔を叩き、手足が凍えるようだったが、柊さんのことを思うと、不思議と力が湧いてきた。
「どこにいるんだ、柊さん……!」
彼女が一人で抱え込んでいるであろう運命の重さを思うと、胸が締め付けられるようだった。
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