霜月

冬の寒さがピークに達するこの季節、うちの高校では少し変わった文化祭が行われる。

一般的には秋に開催されることが多いが、うちの学校は冬の文化祭が伝統だ。

その理由は諸説あるが、長い歴史の中でいつしか冬の寒さを吹き飛ばすような賑やかな行事として定着したらしい。


校内は文化祭の準備に追われ、どこもかしこも活気で溢れている。

色とりどりの装飾が施された廊下、立てかけられたポスターや看板、教室から漏れ聞こえる笑い声や話し声。

寒い冬の空気が校舎の中だけは温かい熱気で満たされていた。


「今年のテーマは『冬の物語』か……」


僕は掲示板に貼られたポスターを眺めながら、クラスメイトたちのざわめきに耳を傾けた。

ポスターには雪の結晶や夜空が描かれ、幻想的なデザインが目を引く。

どのクラスもこのテーマに沿った企画を立て、それぞれの工夫が詰まっている。


教室に戻ると、クラスメイトたちが机を寄せ集め、文化祭の準備に熱中していた。

今年、僕たちのクラスは「冬のカフェ」をテーマにした模擬店を出すことになっている。

雪をイメージした白いテーブルクロス、星形のオーナメント、温かい飲み物を提供するメニュー。

どれも冬らしい雰囲気を演出している。


「月島君、これ手伝ってくれない?」


クラスメイトの一人が声をかけてきた。

段ボールの山から装飾用のライトを引っ張り出し、それを壁に取り付ける作業を頼まれる。

僕は頷き、手際よくライトを配置していった。


教室には笑い声や話し声が飛び交い、冬の寒さを忘れるほどの活気があった。

どのクラスメイトも、それぞれの役割をこなしながら、少しずつ教室が完成していくのを楽しんでいる。


柊さんも、教室の隅で静かに作業をしていた。

彼女は誰とも特に会話を交わさないが、その指先は器用に動き、

紙のオーナメントを次々と作り上げている。

クラスメイトたちも彼女の集中力には一目置いているようで、誰も彼女の手を止めることはなかった。


文化祭当日、校内は人で溢れかえっていた。

玄関を入ると、ポスターや看板で飾られた廊下が目に飛び込んでくる。

訪れた人々の声や足音、温かい飲み物の香りが混じり合い、学校全体が賑やかな雰囲気に包まれている。


僕たちの教室も大忙しだった。

温かい飲み物や冬をイメージしたスイーツが飛ぶように売れ、飾り付けた教室の雰囲気も来場者から好評だった。

雪を模したデコレーションや星型のライトが、教室を幻想的な空間に変えている。


「次のお客さんの注文、これでラスト!」


クラスメイトの一人が叫びながら、トレイに並べたカップを渡している。

僕も配膳や片付けを手伝いながら、忙しいながらも楽しい時間を過ごしていた。


だが、午後に入ると突然大きなトラブルが発生した。


「電源が落ちた!?」


クラスメイトの声に振り向くと、教室の明かりが全て消え、装飾用のライトも真っ暗になっていた。

来場者たちが困惑し、ざわつき始める。どうやら校内全体で停電が起きているらしい。


「どうしよう……このままじゃお客さんも帰っちゃうよ。」


困り果てた声が飛び交う中、僕は教室の隅にいる柊さんを見つけた。

彼女は誰にも気づかれないように立ち上がり、静かに教室を出て行った。


気になった僕は後を追った。


廊下の曲がり角を曲がると、柊さんの背中が見えた。

彼女は静かに階段を上り、屋上への扉を開けて姿を消した。

僕はいそいでそのあとを追い、扉を開けた。


そして次の瞬間、屋上に立つ彼女は瞼を閉じ、手を静かに掲げるとた。

すると、広がる空気がまるで凍りつくように変化した。

冷たい風が廊下を滑るように走り、彼女の手元に透明な霧が柔らかく集まり始める。

その霧は淡い青い光を帯び、ゆっくりと形を変えながら、小さな氷の結晶へと姿を変えた。

それらの結晶は宙に浮かび、微かな鈴の音のような響きを立てながら踊り始める。


光を受けた結晶が反射する輝きは、まるで雪が舞い降りる夜空を切り取ったかのように美しかった。

その結晶たちは宙に浮かびながら、周囲の壁や天井に柔らかな光を反射し、淡い青と白の光のカーテンを作り出していた。


冷たい空気が僕の頬をかすめ、息をするたびに胸の奥が凍るような感覚が広がる。

その中で、結晶がさらに輝きを増し、再び微かな鈴の音のような響きが静寂の中に響く。


屋上全体が凛と張り詰め、下の校舎にまでその冷たい静寂が伝わるようだった。

彼女の作り出した氷の結晶がきらめきながら周囲の光を受け、その反射光が校舎全体を淡い青と白の光で彩り、文化祭の空間を幻想的で神秘的なものへと変えていく。

まるで無数の星が夜空に輝き、僕はその光景に完全に心を奪われていた。


「……なんだ、これ。」


僕はその光景を呆然と見つめていたが、彼女が振り返る気配に慌てて身を隠す。


彼女が何事もなかったように戻ろうとしたその瞬間、僕の存在に気づいたようだった。

その瞳が驚きに揺れ、そして冷たい風が僕の髪を乱した。


「……見ていたの?」


その声はいつもより低く、どこか警戒心が混じっていた。

僕は何も言えず、ただ頷いた。


彼女は少しの間、僕をじっと見つめていたが、やがて視線を外し、屋上の手すりにそっと手を置いた。


「どうして……怖がらないの?」


彼女の声には微かな震えが混じっていた。その質問がどれだけ深いものなのか、彼女自身の心にどんな傷を刻んできたのか、言葉の端々から伝わってくる気がした。


その問いは、まるで遠い昔に誰かに言われた言葉を反芻するような響きを持っていた。


「普通なら……気味悪がるはずなのに。」


僕は一瞬言葉を探した。あの美しい氷の結晶、冷たさの中に感じた温かさ。それを思い出しながら、静かに言葉を紡いだ。


「……なんていうか、ただすごいと思った。怖いとかじゃなくて、本当に綺麗だと思ったんだ。」


彼女の瞳が僅かに揺れ、僕を見つめる。その瞳には、微かな疑念と期待が入り混じっているように見えた。僕はその視線を受け止めるように、言葉を続けた。


「それに、別に人それぞれだろ? 誰だって、普通じゃない部分はあるんじゃないかって思うし。」


彼女は微かに息を吐き、再び僕の方を見た。その目には、何かを探るような色が浮かんでいた。


「……変な人。」


そう呟くと、彼女は小さく微笑んだ。その微笑みは、これまで決して見せなかった柔らかいものだった。


しかし、その微笑みの奥には、どこかためらいが混じっているようにも見えた。柊さんは視線を一度遠くに向けてから、再び僕を見つめた。


「私、少し変わっているの。……というか、普通じゃない。」


その言葉に、僕は黙って続きを待った。


「この力、ずっと前から持っていて……いつからかは覚えていない。ただ、小さい頃から、雪を呼んだり、氷を作ることができた。でも、この力を使うと……周りの人たちに怖がられる。」


彼女の言葉は静かだったが、どこか重みがあった。


「私がこうして力を使って何かをすると、みんな離れていった。……それで、ずっと隠してきたの。」


彼女の手がぎゅっと握られているのが見えた。その仕草に、彼女がどれだけこの力を恐れ、隠してきたかが伝わってくる。


「でも、君は……違う。」


その言葉に、僕は目を見開いた。


「君は怖がらない。それどころか、綺麗だなんて……そんなふうに言われたの、初めて。」


彼女の瞳が微かに潤むのを見て、僕は思わず口を開いた。


「それは、きっと君がこの力をどう扱うか知っているからだよ。それに、誰だって特別な何かを持ってる。それがたまたま、人とは違う形だっただけで……君が怖いとか、そんなふうには思わない。」


彼女はしばらく僕を見つめていたが、やがて小さく頷いた​。


「……ありがとう。でも、この力がいつか君にも迷惑をかけるかもしれない。それでも、まだそう言える?」


彼女の問いに込められた真剣さに、僕は一瞬戸惑った。

風が二人の間を吹き抜け、屋上の静けさがその問いをさらに重くした。それでも僕は彼女の瞳をまっすぐに見て、答えた。


「その時は一緒に考えよう。君が一人で悩まなくてもいいように。」


彼女は驚いたように僕を見た後、また微笑んだ。それは、これまで見たどの微笑みよりも柔らかく、暖かかった。


*    *    *


あの頃、私は自分の力についてほとんど何も知らなかった。ただ、冬の寒い日に手を広げると、雪が私の手に吸い寄せられるように集まってくるのが嬉しかった。それが楽しくて、何度も雪を掴もうとした。


「結奈、外で遊びすぎないでね。冷えちゃうわよ。」


母の柔らかい声が、今でも耳に残っている。母はいつも優しく、私を温かく包み込んでくれる存在だった。その安心感が、どれだけ大きなものだったのか、今になってようやく分かる。


ある冬の日、私の周りで異変が起こった。雪が静かに降っていたはずなのに、私が遊んでいるうちに急に激しい吹雪になった。どうしてそんなことが起きたのか、当時の私は全く分からなかった。


周囲の大人たちは驚き、そして恐れた。私が泣き崩れる中、彼らの視線が冷たく、怖かった。 その日を境に、私の周りは少しずつ変わっていった。


「ごめんね、結奈ちゃん。今日は遊べないの。」


友達だと思っていた子たちが距離を置くようになり、私を避ける声が増えていった。雪を作り出す力を持つ私は、いつの間にか『変な子』と見られるようになっていた。


母だけが、そんな私を変わらず受け入れてくれた。

「大丈夫よ、結奈。あなたは何も悪くない。」

その言葉がどれだけ私を救ってくれたか分からない。でも、私の力は次第に大きくなり、制御できなくなることが増えていった。


 吹雪の中、母が私に向かって微笑んでいた記憶がよみがえる。その笑顔はどこか悲しげで、何かを決意したような強さがあった。


「結奈、あなたはこれから一人で頑張らなくちゃいけないの。お母さん、ずっと見守っているから。」


その言葉の意味を、当時の私は理解できなかった。ただ、それが母との最後の時間になるとは夢にも思わなかった。私の力が暴走しないように、母は自分の命を代償にして私を守ってくれたのだと、ずっと後になってから知った。

 私は……誰も傷つけたくないのに。


あの時、屋上で月島君に話した言葉が胸の中に響く。私は手元を見つめ、自分に与えられたこの力について、再び考え込んでしまう。


いったいこの力がどうして私に与えられたのか。何が鍵となって暴走を引き起こすのか――それを知る術はなく、答えが見つからないことが、いつも心の奥底に不安を残している。


でも、あの時の彼の言葉が、不思議と心を軽くしてくれる。

「きっと大丈夫。」

小さく息を吐き、私は冬の空を見上げた。過去の孤独は消えない。それでも、今は隣にいてくれる誰かがいる。そう思うだけで、少しだけ未来に向かって歩き出せそうな気がしていた。


*    *    *


その日の夜、僕はベッドの上で天井を見つめていた。暖房の効いた部屋の空気は心地よかったが、心の中はどこか落ち着かなかった。


屋上での柊さんの姿が何度も頭をよぎる。あの光景は、現実離れしていた。氷の結晶が宙を舞い、光を反射して世界を彩ったあの瞬間。あれがどうやって起こったのか、彼女がどうしてそんなことができるのか、僕には全く理解できなかった。


だけど、分かることもあった。何かを恐れているようなあの時の彼女の表情、隠そうとしているような目。その奥にある孤独が、言葉にせずとも伝わってきた。

『どうして怖がらないの?』

彼女の問いが、胸の中で何度も響く。怖がるべきだったのだろうか。普通の人なら、驚いて距離を置くのが当たり前かもしれない。でも、僕は怖くなかった。


それどころか、あの光景は美しかった。冷たいはずの氷がどこか暖かく感じられたのは、彼女自身がその光景の中心にいたからだと思う。


『……変な人。』


彼女の微笑みが脳裏に浮かび、僕は思わず小さく笑った。確かに、変なのは僕の方かもしれない。彼女の力を見たからといって、彼女のことを否定しようなんて気にはなれなかった。


机の上に置かれた宿題に目を向けるが、まるで手につかない。ペンを握ってみても、彼女の姿が頭から離れない。


「彼女は……一体何者なんだろう。」


ぽつりと呟いた声が、暖かな部屋の中で虚しく響く。

彼女には何か秘密があり、普通の人じゃない。それは間違いない。でも僕は彼女のことをもっと知りたいと思った。


ふと窓の外を見ると、冬の夜空には星が瞬いている。冷たい空気の中に静けさが漂い、その中で僕は柊さんについて考え続けた。


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