君と夢とハンバーガー

@rakuten-Eichmann

君と夢とハンバーガー

 彼女との日帰り旅行の帰り道、軽く腹が減り、偶然目に入ったマクドナルドへ車を進めた。駐車場は広く、ドライブスルーも併設してある。よくある田舎の国道沿いのマクドナルといった感じだ。ドライブスルーには5台ほどの車が並んでいて、全て家族連れだった。その疲れ切った美しさは、旅行帰りで半ば放心状態の心を揺さぶり、日常生活の寂しさを思い出させた。

 ドライブスルーの最後尾に並び、何を頼もうか考えていると、隣の彼女がスマホにクーポンをダウンロードしているはずだと騒ぎ始めた。そのクーポンがあればポテトがタダになるらしい。付き合って三年の彼女は生活に蝕まれてすっかり所帯染みてしまった。今年28歳になる僕たちはきっと結婚するのだろう。こんなつまらないものが幸せの正体なのか。そんなことを考えていると、注文の順番が回ってきた。僕はダブルチーズバーガーのセット(ポテトはM,飲み物はスプライトのLだ。)、彼女はクーポンが見つからなかったため、不貞腐れてチキンタツタとだけいった。商品を受け取り、そのまま駐車場で食べ始める。車内に油っぽい紙の匂いが広がる。

少ししけったダブルチーズバーガーを黙々と食べる。やっぱりダブルチーズバーガーは美味い、うますぎる。たとえ隣の彼女が不機嫌でも、車内に沈黙が満ちていても、明日からのクソつまらない仕事を思っても。ああ、けれど過去に一度だけ、美味しくないと思ってしまったことがあったはずだ。


 僕はその頃二十歳で、毎日が憂鬱で仕方がなかった。なぜならこれといった楽しみも不幸もなく、若さを浪費していくことだけを実感していたからだ。若さゆえに感じられていた喜び、悲しみが深い沼の底に沈んでいくのをただ眺める毎日だった。

 その頃から僕は毎日マクドナルドに通っていた。病める時も健やかなる時も、いつだってマクドナルドにいき、ダブルチーズバーガーセットを頼んでいた。普通の食事で得られる栄養以上のものが得られる気がしていた。

 それはもはや信仰心とか愛情に似た依存だった。これさえあればつまらない毎日がなんとかなる気がした。 

そんな僕の日常が崩れたのは20歳の秋、午後21時、親から離婚の話を聞いた時だ。粘ついた沈黙が広がっていくのを感じた。時計の針の音、乾いた唾の匂い、紙が擦れる音、それらが急に色味を増し、空間を満たしていった。

 次の日もマクドナルドに行った。サクサクのポテト、弾ける炭酸のスプライト、肉厚で柔らかいダブルチーズバーガー。いつもと変わらないけど何か違う、しばらく悩んだ末、ようやくわかった。味だ、味がどこかに行ってしまった。だけど味がなくてもマクドナルドのハンバーガーはハンバーガーだ、美味しいはずだ、そう思い込もうとしたが、信仰心は薄れて、醜いジャンクフードの姿が目の前にはあった。


 僕は家を出て一人暮らしを始めた。それからもマクドナルドに通い続けた。あいも変わらずダブルチーズバーガーを食べ続けた。その頃にはどこかに行っていたはずの味覚も戻ってきて、平穏な日々が帰ってきたかのように思われた。しかし何かが違うのはわかっていた。

僕の中で、感情と心が、形を失って暴れていた。おそらく子供の頃から溜め込んでいたモヤモヤが両親の離婚で爆発したのだろう。徹夜で散文と詩を書き、感情を言葉に翻訳できない愚鈍な僕にイラつき、暴食を求めてマクドナルドを訪れる。体重は半年で15キロ増えた。手っ取り早く世間とつながれる場所がマクドナルドだった。


 そんな時にy子と出会った。y子は僕の勤務先で、アルバイトをしている一歳年下の女子大生だ。(y子とは勿論偽名だ。彼女の名前を出したら、自分の中の思い出にピリオドを打ってしまうような気がしてならないから。彼女は物凄くくだらなくて、物凄く眩しい女の子だった。)

仕事終わりに彼女と食べるダブルチーズバーガーの味は、今までにないほど鮮やかだった。後日一人で食べたダブルチーズバーガーの味気なさに驚くほどだった。

 その時、僕の中の信仰心と愛情が彼女に切り替わってしまったことに気がついた。自分の中のモヤモヤは素直な言葉になって吐き出すことができた。それを受け止めて笑ってくれるy子のなんと美しかったことか。y子の背中にマリアの円光を見た気がした。

 彼女と向き合う内に、僕の中のハンバーガーへの依存は薄れ、過去の思い出になりかけていた。もうそろそろハンバーガーを食べるのも飽きたな、そう思うことができた。


 しかし、幸福は特別なことだった。現状維持は大人ができることじゃない。彼女はそれとなく私に好意を伝えてきた。しかし両親の離婚の影響もあり、愛などという不確かなものを信じられなくなっていた僕は、それに応えることができず、逃げることにした。

 しばらくして彼女に彼氏ができた事を知った。また、僕は一人になった。 

 失うものもなくなり、幽霊のようになった僕は、気がついたら国道沿いのマクドナルドにいた。目の前にはダブルチーズバーガー、スプライトのLにポテトのM。僕は無心で食らいついた。この時食べたハンバーガーは今までで一番美味しかった。結局ここに戻ってきてしまった。いや、一度明るい人生を知ってしまった分、さらに深い穴の底にいることに気がついた。

 もう誰かに恋をすることはやめよう、そんなことを思いながら今日も僕はハンバーガを食べた。


 「ねえ、そろそろ帰ろうよ。何ぼんやりしてるの。」

 彼女からの呼びかけで夢想から目覚めた。ぼんやりとしたまま彼女を見つめる。喋る彼女の口端にはチキンタツタのカスがこびりついている。

 なぜかはわからないが、彼女が酷く醜悪に思えてしまい、慌ててティッシュで彼女の口元を拭った。

 いきなり口元を拭われた彼女はついに爆発してしまい、助手席で怒鳴り始めた。その怒り方は壮絶だけどどこか温かい、長く付き合った異性にしか見せない怒り方だった。

 僕は彼女を必死で宥めながら、いつプロポーズしようか悩んでいた。


 ごめんなさい、y子。ごめんなさい、マクドナルド。僕は君たちを置いていくしかないみたいだ。心の底から好きだったと思う。けどその気持ちは輪郭もぼやけてしまった。

 頼むからもう一度僕の前に来てくれ。そしてあなたの口から言ってほしい。私は幻だったんだ。私は嘘だったんだ。

 そうしたら僕は言うんだ。あなたのことを夢に見ると。

 あなたは答えるだろう。私も夢も、あなたのことを見ていると。

 ゆっくり暗くなっていく過去に背を向けて、僕は明るい方に歩いていく。その光がスポットライトだとしても。


 『さあ、ここで新郎新婦に馴れ初めを聞いてみましょう!!二人の出会いを教えてください!!』

 「はあ…なんというか、友人の紹介ですね。」

 「もっと詳しく喋りなさいよ!!共通の友人が紹介してくれまして。最初はなんだか頼りない人だったんですけど、私が困った時に助けてくれて。いざという時の男気に惹かれて、私の方から告白しました。」

 『へえ〜、素敵な馴れ初めですね。やはり男気が大事ですよね!!新郎さんも一本芯のある感じでいいですね!!…


 みんな張り付いたような笑顔だ。その一つ一つに人生があると泣きたくなる。式場の端でカメラマンがカメラを構えている。今の僕はどんな表情をしているのか、想像がつかなかった。

 テーブルの上には見たこともないような料理が所狭しと並んでいる。湯気も立ち、いい匂いもするが、なぜかちっとも美味しそうには見えない。

 幸せだと思い込もうとすればするほど、納得しようとすればするほど、ダブルチーズバーガーが食べたくなった。しかし、しばらくは妻の手料理が続くだろう。

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