最強の倒し方

ダイノスケ

第1話 退屈な勝利

最強の倒し方


第一章 退屈な勝利


暗闇の控え室には湿った石の匂いが漂い、重厚な鉄扉の向こうから観客の歓声が微かに響いていた。レオ・クリエイションは木製の椅子に腰を下ろし、肘掛けに頬枝をついていた。その目は虚ろで、どこか遠くを見つめている。

「つまらない。」

小さく呟いた声は、控え室の静寂に飲み込まれる。

彼は思い返していた。あのどうしようもないほど退屈だった一回戦のことを。


—-



20XX年、魔法と科学が融合した現代。


ここはとある国のコロッセオのような巨大な闘技場。四方を囲む席には観客がぎっしりと詰めかけ、魔法の杖や大型ドローンに乗った観客が空を埋め尽くしている。張り詰めた緊張と期待が闘技場内を渦巻いていた。


「Ladies and Gentlemen, Boys and Girls! ここで決まるのはただ一つ!魔法と科学が発達したこの時代、最強の存在は誰なのか!? その答えを目撃する準備はいいか!!!」


実況席からの声がアリーナ全体に響き渡る。観客席からは興奮と熱気が伝わり、観衆の声が轟く。


「4月1日、今年もこの日がやって来たぁ!今、世界中の能力者が集い、最強の座をかけて激闘を繰り広げている!ルールはシンプル、相手の死か、意識を奪うか、降参するかだ!」


ドローンカメラは闘技場の隅々まで捉え、臨場感あふれる映像を提供している。地上の観客席だけでなく、街角の大型ディスプレイや個人端末にまでリアルタイムで映像が配信され、解説者たちの熱狂的な声が響き渡る。


円形闘技場は巨大な魔法陣のような模様が刻まれ、地面がゆっくりと発光している。観戦用に設置された透明なバリアが空間を覆い、外野にまで魔法や科学兵器の影響が及ぶ心配はない。地面には魔力や熱源を吸収し、攻撃を無効化する最先端のテクノロジーが施されている。


スタジアム中央の巨大スクリーンには選手たちの名前と紹介が映し出されていた。観客の歓声が重なり合い、轟音となって空を突き抜ける。


世界中が注目する一大イベントの始まりを、空から、地上から、そしてスクリーン越しに誰もが見守っていた。

「魔法と科学の頂点、いざ開戦!!!」


世界最強の能力者を決める大会、その名も「バトルグランプリ」。数多くの能力者が集い、勝ち残った者が最強と認められる。だが、その先に待つものに、果たして何があるのか。レオ・クリエイションは、その場に立っていた。


実況の声が闘技場に響き渡り、観客席の熱狂が一層高まる。視線を集めるのは、二十代前半、肩まで伸びたサラサラの黒髪からは隠しきれない整った顔が見え隠れしている。クールで知的な目元のレオを見た、観客の歓声がさらに高まる。レオはこの大会で何度も優勝しその名を轟かせた、まさに無敵の存在。


「レオ・クリエイション!その美貌に、圧倒的な力。まさに最強の証だ!」

実況が彼の名前を叫ぶと、さらに大きな歓声が上がった。彼の端正な顔立ち、鋭い眼差し、そして引き締まった身体が、観客を魅了している。


「さあ、次に紹介するのは対戦相手、イグニス・フレイムの登場だぁ!!」


コロッセオのような巨大な闘技場に、イグニス・フレイムは登場した。燃えるような赤い髪をライオンのタテガミのようになびかせている。鋭い目つきのイグニスは微かに笑った。観客席からは歓声が飛び交い、その名を叫ぶ声が響いていた。


「お前が噂の最強能力者、レオか。」

イグニスは自信に満ちた笑みを浮かべて、レオを睨みつけた。


「お前が最強だろうが、俺の炎の前では無力だ。」


レオはその言葉に微笑むどころか、一瞥さえせず、ただ興味なさげに背伸びをした。


「うるさい。早く始めよう。」

彼の無関心な熊度にイグニスの眉がピクりと動く。


「その舐めた態度、灰になってから後悔することになるぞ。」


試合開始の鐘が鳴ると同時に、イグニスは腕を振り上げた。突如として熱波が炸裂し、ステージの床が蒸気を立てて歪み始める。空気が歪むほどの高熱に観客は息を呑んだ。


レオは無造作に黒い鎧を纏ったまま立ち尽くしていた。その姿はまるで戦いを退屈に思っているかのようだ。鋭い目だけが相手を見据え、観客からは「不敵な笑みを浮かべている」とすら思われた。


対するイグニスは、炎のように燃える赤髪を揺らしながら両腕を広げた。その動きに呼応するように、周囲の空気が熱を帯び、地面の砂がじりじりと焼け始める。


「おいおい、こんな怠けた態度で俺と戦うつもりかよ!」

イグニスは口元を歪め、手を高々と掲げた。その瞬間、空気が一気に揺らぎ始める。


イグニスの手の中で、灼熱の光球が生まれた。それは瞬く間に膨れ上がり、太陽のような輝きを放つ。観客はその威力に息を呑んだ。


「燃え尽きろ!」


イグニスの叫びと同時に、火球がレオに向かって猛スピードで放たれた。光と熱が衝突の瞬間を予感させ、観客たちは歓声を上げる。


しかし──


火球が直撃したはずのレオの姿は、何一つ変わっていなかった。黒い鎧に煤一つ付かず、彼自身も微動だにしない。吹き荒れる熱風の中で、彼はただ静かに佇んでいた。


イグニスの目が一瞬だけ驚きに見開かれるが、すぐにその表情を余裕の笑みに戻す。


「ほう、さすがは無敵の男だな。ノーダメージのカラクリは知らないが、俺がこれで終わりだと思うなよ。」


イグニスは再び両手を広げ、今度は冷たい気配を周囲に漂わせた。


「俺はただの炎使いだと思ったか?」

彼が叫ぶと同時に、周囲の温度が急激に低下した。観客の吐息が白く染まるほどの冷気が広がり、地面に薄氷が張り始める。


イグニスの手から生み出されたのは、鋭く尖った巨大な氷柱だった。それは光を反射し、透明な刃のように輝いていた。


「熱を操る力を極めれば、冷気すら思いのままなんだよ!」

イグニスが叫び、氷柱を勢いよく投げ放つ。氷柱は猛スピードでレオに向かい、その鋭さと質量で貫くかと思われた。


だが。


氷柱がレオの黒い鎧に当たると、まるで砂が弾けるように粉々に砕け散った。鋭さも冷気も、彼の前では何の意味も持たなかった。


レオは、氷柱が砕け散る様子を見下ろしながら、肩をわずかにすくめた。


「それが、お前の切り札か?」

低く呟く彼の声が、熱気と冷気の入り混じる空気を切り裂いた。


イグニスはその言葉に動じるどころか、さらに不敵な笑みを浮かべた。


「そうさ、これくらいじゃ満足できねぇよな。見せてやる、俺の本気を!」


観客は興奮に震えた。イグニスがこの程度で終わるはずがないという期待感が、会場全体を包み込んでいた。


「次なる一手だ!」


イグニスが叫び、両手を広げる。瞬間、冷気と熱気が同時に空間を満たし始めた。極寒と灼熱がせめぎ合い、戦場全体がひび割れたような緊張感に包まれる。

そして、衝撃波が放たれた。


「ドォンッ!」

爆発的な振動が広がり、地面がひび割れ、観客席の一部が崩れ落ちる。熱風と冷風が入り混じった爆風が会場を包む中、中心にいたレオの姿は一瞬で見えなくなった。


実況の声が響く。「イグニス、まさかの一撃!極端な冷気と熱気が同じ空間にあると空気が高密度に圧縮される現象を利用して、衝撃波を作り出したとでも言うのかー!これはさすがにレオの上半身が…いや、あいつは生きている!」


爆煙が晴れると、そこには無傷で立ち続けるレオの姿。黒い鎧に付着した砂が微かに音を立てて崩れ落ちた。それを見たイグニスの額に汗が滲む。


「これも効かないってんなら」


イグニスは冷気を操り、レオの黒い鎧を急速に凍らせた。氷が張り巡らされ、鎧全体がキラリと白く光る。そして、次の瞬間、灼熱の炎を叩きつける!

「これで終わりだ!」


実況が興奮気味に叫ぶ。「凍てつく冷気と灼熱の炎!これが同時にぶつかれば、どんな金属でも脆くなる!見事な防具破壊の一撃だ!」


「ゴォォ!」熱の爆風が広がり、レオを包み込む。凍結していた鎧が一瞬のうちに砕け散り、破片が周囲に飛び散った。


だが、鎧の破片がレオの顔に当たっても、血一つ滲むことはない。むしろ、彼は冷静にイグニスを見つめ、口元に笑みを浮かべた。


「鎧を狙ったとは……意外と頭が回るじゃないか。」そう言うと、レオは片手を伸ばし、手のひらをイグニスに向けた。


その瞬間、地面が揺れた。イグニスの周囲が爆発的に吹き飛び、彼自身も巻き込まれたかのように消え去った。観客席から悲鳴が上がる。

「まさか、イグニスが……!」


実況が息を呑む。


だが、次の瞬間、イグニスの声が響いた。


「残念だったな!」


彼の姿は、レオの攻撃が直撃したはずの場所から少し離れた場所に現れた。蜃気楼だ。冷気と熱気の層を重ね合わせて光を歪ませ、視覚を狂わせたのだ。


「危なかった……!」


イグニスは額の汗を拭いながら、さらに熱気と冷気を操る。


「これで終わらせる!」


イグニスが手をかざすと、レオの周囲の空気が急激に冷却され、同時に彼の体温が奪われ始めた。皮膚が白く変色し、血流が止まりそうな冷たさに包まれる。


「低体温症で体が動かなくなるだろう。さらに脳の働きも鈍らせる……これで俺の勝ちだ!」


イグニスの声が響く。


実況も同調する。「これは見事だ!イグニス、火力だけではなく、その応用力を最大限に発揮している!攻撃と防御、そして搦手を巧みに使い分ける戦術だ!」


しかし。

「……何を騒いでいる。」


冷気に包まれ、動けないはずのレオが、平然と立ち続けていた。彼の顔には余裕の笑みが浮かんでいる。肩を軽く動かすと、凍った肌着すら音もなく砕け落ちた。


「俺が生きている限り、お前の全力が無意味に終わるって気付けよ。」

冷たく静かな声が響く。その一言が、イグニスの心に重くのしかかった。


イグニスは再び冷や汗を流す。


「おい、最強さんよ。知ってるか?」

イグニスは胸を張り、鋭い目でレオを見据えた。その瞳には底知れぬ執念が宿っている。


「宇宙の膨張ってのは、今も続いてる。

ビッグバン、あの宇宙を作った超高熱の爆発だよ。星々をまるでポップコーンみたいに弾けさせ、138億年経った今でも、その余韻で宇宙は広がり続けてるんだ。海底火山から噴き出した溶岩が海水で冷やされながら広がるように、宇宙は冷却されながら今なお拡大を続けている。熱が広がるから時間が進む。」

レオは興味なさげにイグニスを見つめた。

「それで?」


「.....つまり俺は、その膨張に使われてる熱を操れるってことさ。」

イグニスはにやりと笑った。


「ただ熱を操るだけじゃない。俺は宇宙の熱膨張を遅くして、俺以外の時間を止めることだってできるんだよ!」


ビッグバンの熱を操る「時間停止」

イグニスが両手を天に掲げた瞬間、空気が歪み始めた。周囲の砂埃がまるで凍りついたかのように動きを止め、観客のざわめきさえ遠く、低く聞こえる。


「これが、ビッグバンの熱だ。ゲホッ。」

急激な熱エネルギーの操作はイグニス自身の体にも負荷をかける。額に汗が滲み、鼻から一筋の血が流れ落ちた。

「体に負担がかかるから、1日数分しか使えない。でも、その間にお前を仕留める!」


イグニスの両手に炎が巻き起こり、全身が赤熱するほどの高温に包まれる。その足元からは炎がジェットのように噴き出し、彼の体を猛烈なスピードでレオに向かわせた。


「これで、終わりだ!」


イグニスの両手から燃え盛る火球が発射されレオの腹部を捉える。インパクトの瞬間、爆発音が轟き、衝撃波が周囲に拡散する。だが、それだけでは終わらない。


「まだだ!」


イグニスはレオの背後に冷気と熱気を同時に発生させ、再び強烈な衝撃波を放った。不意の一撃をゼロ距離で炸裂させ、その衝撃波がレオの体を揺さぶる。

さらに、反動で吹き飛んできたレオに向かってイグニスは再び両手に炎を纏わせた。さながらプロレスのロープを利用したラリアットのように、跳ね返されたレオの腹部に火を纏った一撃を叩き込む。


「ゴキッ」


という鈍い音が響いたのは、イグニスの右手だった。

自らの全力を込めた一撃はレオを貫くどころか、逆にイグニスの右手が不自然な方向に折れ曲がるという結果を生み出していた。皮膚が裂け、血が溢れ、骨が突き出している。


「ぐぁっ、あぁぁぁぁ!!」


驚愕と苦痛の表情を浮かべたイグニスは膝から崩れ落ち、その場に座り込んだ。

加速していた時間もゆっくりと元に戻り、砂埃が再び舞い始める。観客のざわめきが戻る中、実況が叫ぶ。


「なんということだ!気がつけばステージはボロボロ、イグニスは右手から大量出血をして崩れ落ちている!イグニスですら、レオには届かなかったのか!?」


立ち尽くすレオは無傷だった。肌も衣服も汚れてはいるが、全くダメージを負っていない。


「ふん.....何かしたみたいだが。さすがは火の能力者だ、結果は火を見るよりも明らかだったようだな。」

冷たい声で呟くレオの表情は、呆れとも興味とも取れる複雑な笑みを浮かべている。


地面に座り込むイグニスは、血を流しながらレオを見上げた。力を振り絞ったはずの攻撃がまるで通じなかった現実に、彼は何も言えなかった。

その光景は、観客全員の脳裏に「絶望」という言葉を刻みつけた。


イグニスは尻餅をつき、荒い息を吐きながら後ずさる。全身の力が抜け、手足が震え、まともに立ち上がることすらできない。イグニスのたてがみは汗で額に張り付き、すっかり勢いを無くしていた。

「嘘だ.....こんなの......勝てるわけが..。」


崩れ落ちた顔でレオを見上げる彼の瞳には、完全な絶望が浮かんでいた。


レオはゆっくりと歩み寄り、地面に座り込むイグニスを見下ろす。その黒髪と整った顔立ちは、冷たい無表情の中にもどこか薄ら笑いを浮かべているように見える。


「健闘した褒美だ。」

静かな声が響いた。

「楽に逝かせてやる。」


その言葉が終わると同時に、イグニスの上半身が急激に膨れ上がった。異常な膨張に驚愕する間もなく


ドン!


鈍く重い音を伴い、イグニスの体は爆発した。血と肉片が飛び散り、鮮烈な赤い雨がステージを染める。


観客席からは悲鳴が上がった。誰もが恐怖と驚愕で口を押さえる。イグニスの最後の姿を目撃した彼らは、ただ目を見開いて震えることしかできなかった。


だが、その赤い雨はレオに一滴も触れることはなかった。彼の周囲1メートルの範囲には、まるで見えない壁があるかのように、血の飛沫は全て透明な空気に弾かれ、地面に落ちていく。レオは不快そうにその光景を眺めていたが、自分に血がかからないことを確認すると興味を失ったように首を振った。


「凄腕の能力者だろうが、俺には誰も勝てない。」


静かに呟くその声は、勝者の高揚感など微塵も感じさせない。ただ淡々とした退屈の色を帯びている。

「誰か、俺と対等な力を持つやつはいない

のか....。」


レオはステージを見渡し、うんざりしたように肩をすくめる。

実況席の解説者が震えながら声を絞り出した。


「勝者、レオ・クリエイション!2回戦進出です!」


観客席は歓声と悲鳴が入り交じる。彼の名を叫ぶファンの声さえも、血の雨とともに消えていく。


レオ・クリエイション。彼が生まれながらにして持つ能力は【創造と想像】。


彼は頭で思い浮かべたことを現実にするという、まるで子供が考えたようなタチの悪い力を持っている。どんな実力者の攻撃も彼の前では児戯に等しい。


「あらゆる攻撃から俺を守れ。」

試合前にそう命令しておくだけで、世界そのものが彼を守る盾となる。肉体には一切の傷もつかず、あらゆる攻撃を無力化する力を持っている。


唯一の誤算があるとすれば。


「鎧を狙われたのは想定外だったな。」


レオはそう呟き、再び新しい鎧をイメージした。その瞬間、何も無い空間から新品の光沢がある黒い鎧が現れ、彼は纏い直した。


レオは冷たく笑みを浮かべながら呟いた。

「俺は想像を司る能力者だが、俺を殺すやつがこの世にいるのか、まるで想像もつかない。」


俺を殺せるやつを創造する。それは最終手段だ。無敵の能力者が負ける存在を自分で作り出す。そんなことが可能なのだろうか。万能の神が自分では持てない岩を作るというパラドックスと似ているなとレオは思った。


彼は控え室の窓から遠くの観客席を見上げた。悲鳴も、叫びも、熱狂も。

すべては彼にとって無味乾燥なものだった。


能力で老いは止まり、最も若く美しい肉体のままレオは今年870歳を迎えた。

あらゆる剣術を極め、能力を使えば無限に富を生み出せる。何不自由無い生活。


「ああ、退屈だ。」

彼はつまらなそうに視線を落とし、歩き出した。かつていた友達も、家族も、みなレオを置いてこの世を去っていった。果たして、レオの心を満たすものはこの世に存在するのだろうか。

「誰か、ヒリつくような刺激を俺にくれ。」

圧倒的な力を前に、ステージ上には静寂だけが残った。


—-


コロッセオの広大なステージに、静寂が降りた。太陽の光が砂と石を照らし、乾いた空気の中に緊張感が満ちている。そんな中、レオ・クリエイションはいつものように淡々とステージ中央に立っていた。黒髪が風になびき、その端正な顔立ちは完璧な彫刻のようだ。


彼の視線の先に、ゆっくりと歩いてくる対戦相手の姿があった。


アクアリス・ミスト、美しい金髪を風に揺らし、深い青の瞳が燃えるような意志を宿している。まるで海そのものを映し取ったような瞳だ。彼女の背筋はまっすぐに伸び、その立ち振る舞いからは、決して折れない強い意志が感じられる。


アクアリスは、観客席を一瞥した。その表情には固い決意が浮かんでいる。だがその瞳の奥には、ほんの一瞬だけ過ぎる不安の影も見えた。


「弟たちが待っているのよ……絶対に負けられない。」

彼女は自分にそう言い聞かせる。


幼い頃、彼女は極貧の生活の中で育った。両親を早くに失い、まだ幼い弟と妹を養う責任を背負った彼女は、周囲からの軽蔑や絶望にも耐えてきた。


「この大会で優勝すれば、賞金で家族を幸せにできる。」

その信念だけが、アクアリスをここまで動かしてきた。だが、目の前にいる男レオ・クリエイションの噂を聞く限り、この戦いは簡単ではない。いや、普通の相手ならまだしも、この男を相手に勝つことは不可能に近いとすら思われていた。


「フン、女か。」

レオは彼女を見下すように呟いた。その声にはわずかな軽蔑と退屈が混ざっていた。


「おい、お前はなんでこんなところにいる?」

彼は片手を腰に当てながら問う。


アクアリスは鋭い眼差しを向け、毅然と答えた。

「弟たちを養うためよ。私はこの大会で優勝しなければならない。それだけよ。」


その一言に、観客からわずかなざわめきが起こった。彼女の決意の重さに感動する者もいれば、ただ無謀だと嘲笑う者もいた。


しかし、レオの口元にはわずかな嘲笑が浮かぶだけだった。

「弟たちを養うため?そうか、そうか……だが悪いな、女。」


彼は一歩前に出た。その足音が砂に沈む音は、アクアリスにとって不気味に響いた。

「女は去れ。戦いは男のすることだ。」


アクアリスは拳を握りしめた。足元に力を込め、彼の言葉に屈することなく立ち続ける。


「……女だからって、なめないで。」

その声には震えはなく、静かな怒りが滲んでいた。


「私は家族を守るためにここに来た。あなたがどれほど強くても、負けるわけにはいかない。」


彼女の金髪が光を反射し、ステージの中央で美しい輝きを放った。その堂々たる姿に、観客席の中には彼女を応援する声さえ混じり始めた。



「ほう、気の強い女だな。」

レオは口元を歪ませて笑った。


「美しい女だ、殺すには惜しい。降伏するなら、俺が養ってやるぞ。優勝賞金の倍渡そう。悪く無い条件だろう?少なくとも、戦う理由は無くなったはずだ。」


レオは冷たく言い放った。


レオ・クリエイションは、かつてないほどの力を持っていた。世界中に彼女たちがいる。その美しい容姿と強力な能力で、彼はまさに支配者のように存在していた。金も女も、まるで手に入れることが当たり前であるかのように、すぐに手に入った。彼の能力を使えば、何もかもが手に入る。想像の力で宝石や金を生み出し、さらには周囲の人々を操り、必要なときには権力の椅子に座ることもできた。


だが、それでも退屈だった。


「操るだけじゃ、つまらない。」

レオは静かに呟いた。権力を手に入れることも、金を集めることも、女を手懐けることも、すべてが簡単すぎて面白くなかった。人々の心を操ることなんて、もう何千回も経験したことだ。金の力で物事を動かすことはできるが、それもまた、ただの手段に過ぎなかった。


彼が求めていたのは、もっと深い、もっと根本的な「支配」だった。


「結局、心から屈服させるのが一番面白い。」

その一言に、彼の全ての興味が集まった。彼は支配者であることに満足していたが、次に求めるのは、ただ操るのではなく、自分を超えて心から従わせることだった。それが彼にとっての「刺激」だった。だから彼は、能力で人を直接支配することは極力避けている。


「この女をコレクションに加えてやろう。」

彼はその言葉を心の中で決意した。アクアリスは他の女たちとは違う。気高く、強く、そして自分に対して従わない、その姿勢がどこか魅力的に感じた。


レオはその時、心の中でひとつの計画を練り始めた。アクアリスを「屈服」させる。その過程こそが、彼にとっての最大の楽しみとなるだろう。


彼は自分の中で確信した。アクアリスを手に入れることで、さらに多くの刺激と満足を得ることができるだろう。それが、彼が本当に求めていたものだった。


それまでのレオは、どんな状況でも勝つことができ、どんな障害も乗り越えてきた。それでも、アクアリスという女性に対する興味は、これまでのどんな戦いにも勝るほどのものだった。


「お前の心を、完全に屈服させる。それこそが、俺にとっての最大の楽しみだ。」

レオは微笑みながら、その思いを深く胸に刻んだ。


アクアリスは一瞬、言葉に困ったように見えたが、すぐにその顔に決意をみなぎらせた。

「私は..降伏しません。あなたが約束を守る保証なんてありません。それに、人の覚悟を軽視するあなたに屈したら、弟妹達に顔向けできません!」


想定外の返事に不快感を隠しきれないレオ。


「ほぉ?これはお前への最大限の譲歩なんだがな。金も、力も、容姿も全て兼ね備えた俺に何の不満がある?」


「あなたみたいにモラハラ気質の性格が終わっててる人、私は絶対無理です!」


ブチっ、レオの中で何かが切れた音がした。


「私には、守らなければならないものがあるんです!」


その言葉に、レオは冷ややかに笑みを浮かべた。

「ならば、あの世で後悔しろ。」


「レオ対アクアリス、試合開始ぃー!!」

実況の声と共に試合開始の鐘が鳴った。


観客席からの視線が戦場に集中する。大音量の実況が響き渡る中、アクアリスは戦場の中央に立ち、鋭い青い瞳でレオを睨みつけていた。


「覚悟しなさい。あなたに勝って、この手で弟たちを幸せにするのよ!」


彼女の声には揺るぎない決意がこもっていた。

対するレオは、微動だにせずその場に立ち続ける。黒髪に映える無表情な顔で、アクアリスの様子をじっと見つめるだけだ。彼女の力には微塵も興味がないようだった。


アクアリスが手を大きく振り上げた瞬間、空気中の水分が急激に凝縮される。次の瞬間、彼女の頭上には25mプールの容積ほどの巨大な水の塊が形成された。まるで小さな湖が空中に現れたかのような異様な光景。観客がざわめき始める。


「おぉぉ!」


アクアリスが叫び、水の塊がレオに向かって猛スピードで落下した。その威圧感たるや、まるで津波がひとりを飲み込むかのようだ。地面が振動し、周囲の空気が押し流される。


しかし、レオの半径1メートルほどの範囲に、透明なバリアが生じた。


水の塊はバリアに衝突するや否や、まるで何かに弾かれたように四方八方へ飛び散った。雨のように降り注ぐ水滴を、レオは静かに眺める。水は一滴たりともレオの肌に触れることなく、彼の周囲を滑り落ちていく。まるで何もなかったかのように彼の姿は変わらず、悠然と立ち続けている。


「やはり、一筋縄ではいかないわね。」

アクアリスの声がわずかに震えた。その目は、水滴一つかからないレオの完壁な防御に驚愕している。


彼女はすぐに次の攻撃に移る。手を天に掲げ、圧縮した水の粒を生成し始める。それらはやがて細長い刃となり、光を反射して鋭く輝いた。アクアリスの手から発射されたウォーターカッターは、目に見えないほどの速度でレオの体に向かって一直線に放たれる。観客席が沸き立つ。


「あれは鋼鉄すら切り裂く水の刃だ!」

実況が熱狂しながら叫ぶ。


ウォーターカッターはレオの胸元に到達するが、刃が触れた瞬間、まるで蓮の葉に水滴を落としたように弾かれてしまった。切り裂くどころか、刃そのものが一瞬で霧散し、跡形もなく消える。


「無駄だ、アクアリス」

レオは冷たく言い放つ。

彼は内心で溜息をついていた。


(またか。敵が持っている技をひとしきり試させてやるのも飽きてきたな。どいつもこいつも、すぐ引き出しが尽きる。尽きたら.....殺すだけだ。)


アクアリスの眉間に汗が浮かぶ。全力で放った攻撃が、全て無効化される現実。彼女は歯を食いしばり、心を奮い立たせるが、その瞳に一瞬の迷いが生じたのをレオは見逃さなかった。


「ふん、まだやるのか?」

レオの口元に浮かぶ冷笑。その余裕に満ちた態度は、彼女の決意を試すような不快さを纏っていた。


アクアリスは深く息を吸い込むと、全身に緊張感が走った。血液循環を制御し、心拍数を極限まで高める。筋肉が膨張し、体中に力がみなぎるのを感じた。


「これでスピードも攻撃力も限界を超えるわ…!」


次の瞬間、彼女の姿が消えたように見えた。いや、消えたのではない。人間の目が追い付けないほどの速度で動いているのだ。空気を切り裂くような音と共にアクアリスはレオの背後に回り込んでいた。


「背中ががら空きよ!」


彼女の指先が弾けるように動き、空中の水分が一瞬で凝縮される。高圧縮されたウォーターカッターが放たれた。鋭利な水の刃は、鉄板すら切り裂く力を持っている。


しかし、ウォーターカッターがレオの背中に到達する直前、目には見えない何かに阻まれたように弾け飛んだ。透明なバリアが水を霧散させる。


「背中もガードされてる、死角は無いのかしら。」


驚くアクアリスの顔には一瞬の戸惑いが走ったが、彼女はすぐに次の策を実行に移した。再び高速移動でレオに接近し、手を彼の背中に押し付けた。


「人間の体の70%は水なのよ!」アクアリスは冷笑を浮かべた。「その細胞壁を壊して、内側からボロボロにしてあげる!」


彼女の能力が発動する。レオの細胞内にある水分が徐々に加熱され、沸騰を始めるはずだった。しかし、何も起こらない。


「どうして…?」


アクアリスは眉をひそめた。触れているはずのレオの背中から、まるで隔たりがあるような感覚。目には見えない透明な壁が、彼女の力を遮断している。


レオがゆっくりと振り返り、肩越しに彼女を見下ろした。口元には冷たい微笑みが浮かんでいる。


「悪いな。俺に触れることすらできないんだよ。『あらゆる脅威から守れ』と『世界』に命じているからな。」


その言葉を聞いた瞬間、アクアリスの体が硬直した。圧倒的な無力感が彼女の全身を支配する。


「そんな…そんなのズルよ!」


レオは肩をすくめ、嘲笑するように言った。

「そうか?お前もよく頑張ったよ。でもな、俺に触れられないってことは、お前に勝ち目はない。」


彼の声には一切の感情がこもっていない。まるで相手を見下すようなその態度に、アクアリスは歯を食いしばった。


それでも、彼女は諦めない。次の手を考えながら、わずかな可能性を探していた。


観客席からはアクアリスの執拗な攻撃を見守るざわめきが響いていた。戦場に立つアクアリスは、青い瞳を鋭く輝かせながら手をかざし、空中の水分を次々と凝縮していく。彼女の周囲には巨大な水の塊がいくつも浮かび上がり、それらが次々とレオに向かって飛来した。


「まだ分からないか?」

レオは軽く息を吐き、右手をポケットに突っ込んだまま冷笑を浮かべる。

「どんな形の水でも俺に傷はつけられない。無駄なことだ。」


だが、アクアリスも一歩も引かない。冷静な表情を崩さず、ついに口を開いた。

「どれだけ体を鍛えても、脳は鍛えてこなかったのね、レオさん。」


その時、レオの身体に異変が起こり始めた。胸のあたりにかすかな違和感が生じ、呼吸が重たくなる。息を吸おうとするたびに、喉が何か見えない壁に塞がれているかのように感じられる。


「……なに?」

レオの額に汗が浮かぶ。


アクアリスは静かに微笑むと、戦場の中央で堂々と立ち、宣言した。


「さっきの水の攻撃はただの前振りよ。本当の狙いはそこじゃない。」


彼女の手が再び空中に向けられ、目には見えない何かを操作するかのようにゆっくりと動いた。その瞬間、戦場の空気にわずかな異変が起こる。レオの周囲に漂う空気中の水素と酸素が次々と結合し、大量の水が生成されていく。それはただの水滴ではなく、透明な靄のように空間を埋め尽くしていた。


「酸素濃度が6%以下の空気……」

アクアリスの声が響く。

「その中では30秒で意識を失い、1分で心肺停止するわ!」


レオの足元がわずかにふらつく。彼はまだ笑みを浮かべようとしていたが、次第にその表情が緩んでいく。

「……不覚を……取ったか。」

彼の声がかすれ、視界が暗くなっていく。


(しまった。俺は“あらゆる脅威を排除しろ”と世界に命令したが、アクアリスが水を生成した副次的効果で酸素濃度が下がることまでは計算していなかった……。知識不足の俺が、低酸素が危険だと命令することすらできていない……。)


レオの意識が混濁する。視界の端が黒く染まり、膝が崩れ落ちる。周囲から聞こえる観客のざわめきや悲鳴も、もはや遠く霞んだ音のようだった。


地面に倒れ込むレオを見下ろしながら、アクアリスは息を整えた。彼女も疲労が隠せなかったが、その瞳には明確な勝利の光が宿っていた。


「これで……終わったの?」

アクアリスは小さくつぶやくと、慎重にレオの動きを観察した。


戦場は静寂に包まれる。倒れたレオを眺めるアクアリスの顔には、勝利への確信とわずかな警戒心が交錯していた。彼が本当に死んだのか、それとも彼女は未だに完全に気を緩めることができなかった。


地面に倒れ、動かなくなったはずのレオが突然、アクアリスの目の前に現れた。彼女は思わず息を呑み、後ずさる。


「どうして……!」


その言葉を言い切る前に、レオの大きな手が彼女の口を覆った。力強く、だが優雅さすら感じさせる動きだった。彼の黒い瞳がアクアリスを捉え、いつもの冷笑が唇に浮かんでいる。


「危なかった。」

レオは呟くように言い、淡々とした口調で続けた。

「お前の狙い通り、俺は確かに死んだ。でも……これまでの長い人生で、こんなこともあろうかと“死んだら、死ぬ直前の記憶を引き継ぎ、健康な肉体で生き返る”と自分に命令しておいたんだ。復活し意識があるうちに君の近くに高速で接近した。お前も人間だ、だからお前の周辺は低酸素濃度の空気にはできない。そうだろ?」


アクアリスの瞳が驚愕に見開かれる。


「……生き返った……?」


彼女の脳裏に浮かんだのは、彼の能力の限界が存在しないという事実だった。水も、酸素も、果ては生命そのものも、彼の創造の力の前では無力だったのか、その現実に背筋が凍る思いがした。


レオは少し考え込むような素振りを見せた後、ふと懐かしむような笑みを浮かべる。

「久しぶりに死んだよ。79年前だったかな……剣豪と剣術勝負をした時以来だ。それ以来のお楽しみだった。」


レオは手を離し、アクアリスをじっと見つめる。その目には、まるで獲物を慈しむような、どこか狂気を孕んだ優しさが宿っていた。


「よくやったな。お前の美しさ、胆力、そして頭脳に免じて、ここは生かしてやろう。」


その言葉に、アクアリスはほんの一瞬、希望を抱いた。しかし、それもすぐに打ち砕かれる。


レオは軽く指を動かし、静かに命じた。

「降参すると言え。」


アクアリスはその場で膝をつき、言葉を口にする前から、自分の意識がねじ曲げられるのを感じた。

「……降参します。」


レオの能力により操作され自分の意思に反して放たれた言葉に、彼女の目には悔しさが滲む。それでも、彼女の体はレオの支配から逃れることができなかった。


レオはそんな彼女を見下ろし、冷笑を浮かべたまま勝利を確信する。彼は振り返り、観客席に向かって歩き始める。


「これで次に進めるな。」


その声は、戦場のざわめきを一瞬で静寂に変えるほどの威圧感を帯びていた。彼は悠然と歩き去る。その背中を見つめながら、アクアリスは拳を握りしめ、声にならない悲鳴を飲み込む。


この瞬間、レオはまた一歩、圧倒的な勝利への駒を進めたのだった。


「し、試合終了ぉー。」


実況の情け無い声がコロシアムに響く。レオは、失意の底にいるアクアリスに無表情のまま言い放った。


「もう一度聞くぞ、俺の女になるか?なるなら養ってやる。」


レオはアクアリスを認めていた。やはり、ここで別れるには惜しい、数々の女性を手玉にとってきたレオは、それでもなお彼女に魅力を感じていた。


彼女は黙って立ち尽くし、ゆっくりと戦意を失った。だが、勝負に負けても彼女の心は屈していなかった。降伏して去ることを決めたアクアリスの瞳には、未だ消えぬ強い意志が宿っていた。

アクアリスは涙を流しながら、レオを睨んだ。


「丁重に、お断りします!故郷には愛を誓い合った幼馴染がいますので!」


そして、レオに背を向けステージから去っていく。レオは肩を震わせ拳を握りしめていた。


「俺の…提案を…二度も断ったな。お前は俺に生かされたんだぞ。お前に選択肢があるとでも思ったのか?」


その後、レオの怒りが湧き上がった。彼女の心の強さを見たことにより、どこか腹立たしく感じていたのだろう。彼の能力は、ただ現実を変える力だ。


レオは冷笑を浮かべ、アクアリスの姿が遠くへ去っていくのを見ながら、彼女の喉に水の膜を作り出した。アクアリスを含む第三者からは何が起こったか分からないだろう。瞬く間に、アクアリスの呼吸が奪われ、彼女は息もできないまま倒れ込んだ。


「お前にお似合いの最後だ。良かったな、最後までお前の大好きな水と一緒だ。」


観衆からどよめきが生まれ、救急班が駆けつける。彼らの奮闘を見ず、マントを翻してレオは控え室に歩き始める。


「誰に刃向ったか、後悔して死ね。」


レオのつぶやきが、冷たく響く。最強の戦士とは到底思えない、歪んだ笑みを彼は浮かべていた。


—-


試合が退屈になってきたのは、どうしても俺が他の能力者を上回ってしまうからだ。

最初のうちは刺激的だったが、次第にそれがただの作業のように感じられるようになった。


第3回戦の相手だったのは、空間操作能力を持つヴォイドという若い優男だ。俺の前に突然現れ、空間を切り裂き、テレポートして攻撃してきた。空間の断裂は俺のバリアの効果適用外だ、なぜなら【あらゆる脅威から俺を守ること】と【たまたま断裂した空間に俺がいること】は共存するからだ。写真に映った人間がアルバムごと燃やされても抵抗できないのと同じように、動画編集ソフトで動画内の人間に好きなだけ落書きできるのと同じように、三次元のバリアでは四次元からの攻撃には対応できない。

ヴォイドの攻撃が直撃したら、おそらく俺は真っ二つにされていただろう。まあ、直撃していたらの話だが。俺の能力で数秒先を未来予知すればかわすのは容易い。後は俺の能力で半径1キロ圏内にいる全ての生命体の思考を停止させ、棒立ちになったヴォイドを倒せば良いだけだった。


ヴォイドは必死に攻撃を続けてきたが、結局はそのまま何もできずに尻尾を巻いて四次元空間に逃げ出し、試合を放棄した。無様だが、まぁ当然だな。俺には誰も勝てるわけがない。後で寝込みを襲われると厄介だから、『世界』にヴォイドがどこで身を隠しているのか聞いた。


「レオ様に怯えて長時間四次元に身を寄せすぎた結果、ヴォイドの体は霧散してしまいました。」


と『世界』は返答してきた。世界は実は十一次元あるとか、四次元に三次元の生物が長居すると集めた落ち葉が風で吹き飛ばされるみたいに肉体を維持できないとか、『世界』は詳しい説明をしてきたがあまり興味が無い。とにかく、あの優男は二度と帰って来ないということだけが分かれば良い。


次の対戦相手は、時間操作能力を持つ老人、クロノスだった。奴は今日の朝に戻って俺の食事に毒を盛ったり、3ヶ月前に戻って俺に大会開催日の誤情報を送って不戦敗させようとした。俺は能力の加護によって毒が効かないし、「大会会場に導け」と大会スポンサーに命令しておけば勝手に迎えに来る。そもそもテレポートで移動すれば良い。


小手先では勝てないと判断したクロノスは、俺が赤子だったころの870年前に戻って俺を殺そうとした。相手の弱いところを突くのは良い作戦だ。しかし、甘かったな。赤子だから油断していたんだろうな。


俺はその時、まだこの力の使い方を充分に理解していなかった。つまり、今と違って手加減ができないんだ。自ら死地に赴いた訳だな。クロノスは、時間を戻すことで俺を殺そうとしたが、その瞬間、赤子だった俺は既に臨戦体制に入っていた。


そして、クロノスを捻り殺してサッカーボールのように転がしながら遊んでいたと、『世界』が教えてくれた。だから、試合会場にいたはずのクロノスが消え、俺の不戦勝になった。タイムリープで過去に戻ること自体が甘い。俺の親を殺していたら、話は別だったかもしれないな。


次に出てきたのはアビスという若い女性だった。


「私の能力は、視界に入れた相手の能力を封殺する能力無効化の異能よ。これであんたも無敵の能力が使えないただの剣士。私が引導を渡してあげる。」


アビスは自らの能力を明かした。俺はそれを聞いた時、胸が高鳴った。心が躍った。冷徹で暗殺業に身を置いていたアビスは身のこなしも俊敏。彼女なら俺を殺せるかもしれない。


まるで忍者のように素早く動く。能力が使えないと言われ、焦りと共に死んだらやり直しが効かない緊張感が俺を喜ばせた。


しかし、少し剣を合わせただけで期待感は絶望に変わった。彼女の攻撃は俺には何の脅威も感じない。彼女が動いても、あらゆる武術を870年間鍛えた俺にはどんな技も通用しないことが分かっているからだ。彼女が俺の能力を封じたとしても、それで俺が負けるわけがない。ゾウが風邪気味でもアリ1匹に倒されることがないのと同じようなものだ。


結局、私は剣を引き抜き、そのままー撃で切り捨てた。能力が封じられた以上、アビスを降参させられない。戦いは無駄だった。アビスはいい女だったが、こんな無駄な戦いで死ぬことになった。


一対一ではなく、もっと他の能力者と連携すれば、俺を倒すチャンスもあっただろう。だが、彼女はその手を取らなかった。


後に『世界』に「アビスの能力なら俺を殺せるか?」と聞いたが、「『あらゆる脅威からレオを守る』という命令により発せられたバリアで『能力無効化』も防げます。」と言われた。


アビスの言葉を信じて、俺は自身の能力に意識を向けていなかったが。使えなかったのではなく使わなかっただけ、ただ縛りプレイをしていただけだ。にも関わらず、圧勝。

そう、結局、誰も俺に勝つことはできない。


決勝戦が始まると、俺の前に現れたのはイモータル・モルディカイという男だ。不死の能力を持つ40代の男。いや、実年齢はもっと上だろうな。見た目も年齢も歳月の流れを感じさせないが、俺にはそんなことどうでもいい。俺だって無限に生きられる。俺の能力が相手の上位互換であることは、もはや確信している。


モルディカイは不死だから、再生能力が常人の比ではない。しかし、俺にはそれが通用しない。俺は自分の能力で物質を分解する力を持っているから、モルディカイが再生するためには、その構成要素そのものを粉々にしてしまえばいい。


彼が姿勢を正し、余裕の表情で挑んできた瞬間、俺は無駄な動きをせず、瞬時にその体を攻撃の対象に変える。まず、彼の体を目の前で分解してみる。肉体を細かく刻んでいき、骨、血液、筋肉、すべてが目の前で消えていく。しかし、彼は再生しようとする。分解してもすぐに復元される。された加えて、バラバラにした数だけモルディカイは増殖して肉体を取り戻す。それが不死の力だ。


だが俺は、そう簡単には諦めない。俺はもっと深く、もっと細かく分解することを決めた。細胞を構成する分子の一つ一つを取り除き、次にその分子のさらに下のレベル、原子へと進む。中性子よりも小さいクォークのレベルまで。分解していくと、モルディカイの体はどんどん細かくなり、最終的には完全に分解され、無形のエネルギーのようなものになった。ちなみに、アクアリスに言われた通り俺はまともに勉強なんてしたことがない。クォークなんて言葉は『世界』に教えてもらった。


クォークレベルで再生するのは不可能だったらしい。モルディカイは復元されることなく、消滅していった。俺はその光景を静かに見つめる。


「やっと楽になれる。」

モルディカイが最後にそう呟いた。

「ああ、ありがとう。レオ、君のおかげで、500年の呪縛からやっと解放される。」


そう言って、俺は彼の体が完全に塵となり、コロシアムの砂に混ざっていくのを見届けた。ふざけるな、お前、俺より若造じゃないか。たった500年ぽっちで諦めやがって。モルディカイ、お前はいいな。全力で戦っても倒してくれる相手がいて。俺は孤独だ。


俺はこのバトルコロシアムで100年連続一位の座を手に入れた。だが、その勝利の栄光も、トロフィーの重みも、最初の頃のような喜びや感動をもたらすことはもうなかった。勝って当たり前、負けることがあり得ない予定調和。その繰り返しが、ただの儀式のように感じられる。


それでも、俺の力は揺るがない。誰も俺を倒せる者はいない。どんな強力な能力者も、俺にかかれば無力だ。この先、どんな相手が現れても、結局はこうして倒すだけだろう。


第二章 退屈の終焉


コロシアムに隣接された超高級ホテルの最上級スイートルーム。深い夜の静けさが部屋を包み込んでいた。そこには、無数の戦いを制した証である優勝トロフィーが並んでいる。棚にぎっしり詰まったそれらのトロフィーは、年代も形状もバラバラだ。あるものは純金で作られた豪奢なもの、またあるものは時間の経過で錆びつき、触れれば崩れてしまいそうな代物だ。だが、どれも同じ意味しか持たない。「退屈を紛らわせるための過去の記録」でしかない。


レオはその中のひとつ、特に古びた優勝トロフィーを手に取った。表面の金メッキは剥がれ、かつて彫られていた文字も擦り切れて読めない。それが何の大会だったかすら、もう思い出せない。いや、思い出す気にもならない。ただ一つ確かなのは、その時もまた「圧勝」だったということだ。


「これ以上退屈凌ぎはないのか……」

思わず呟いたその言葉が、広い部屋の中に虚しく響く。無数の勝利を手にしても、満たされることはない。むしろ勝利を重ねるたび、退屈の重さが増していくばかりだった。


レオは椅子に腰を下ろし、遠く昔のことを思い返す。


かつて、約800年前。財宝を守る龍を討ち倒したときはどうだったか。

圧倒的な力を誇る黒龍との戦いは、ほんの一瞬で終わった。黒龍はその財宝を守る使命を全うしようと最後まで抗ったが、レオにとってはそれすらも「ちょっとした気晴らし」に過ぎなかった。今となってはその財宝が何だったのかすら覚えていない。ただ一つ覚えているのは、龍が命を賭して放った最後の炎が、どこか美しかったことだけだ。


次に思い出したのは、封印から復活した魔王との戦い。あれからもうら500年も経ったのか。

人々が恐怖に震え上がる中、レオはその存在をただ「片付けるべき厄介事」としか見ていなかった。復活した魔王は確かに強大だった。だが、レオの力に比べれば、それもただの「小さな試練」でしかなかった。

「せっかく久しぶりにシャバに出て来られたのにぃー!」

魔王の断末魔は実に情けなかった。魔の道を極めたものなら散り際も堂々として欲しいものだ。


軍事国家との対決その記憶もまた、退屈な昔話の一つだ。

あれは200年前のことだった。ある新興国家が、世界征服の野望を掲げていた。その指導者たちは、他のどんな武器よりも強力な「生きた兵器」を欲していた。そしてその標的となったのが俺だった。噂を聞きつけ、各国のスパイが俺の前に現れた。最初は甘言で誘い、次に脅迫で屈服させようとし、最後には兵を繰り出して無理やり支配しようとした。全てが愚かだった。


「軍事利用? この俺を?」

彼らの目論見を耳にした瞬間、俺は思わず笑った。誰にも操られない絶対的なカ、それが俺自身だということを、奴らは理解していなかった。


最初の攻撃は不意打ちだった。軍の特殊部隊が夜明け前に俺を包囲し、建物ごと爆破しようとした。爆炎とともに全てを灰にするつもりだったのだろう。だが、その爆発は俺の足元を黒く焦がしただけで、俺自身には一切届かなかった。炎は俺の命令に逆らえず、触れることさえ許されなかったのだ。


兵士たちが震える様子を見て、俺は静かに立ち上がった。

「たったこれだけか?」

俺の問いかけに、彼らは答えることもできずに逃げ出した。それでも、戦争を仕掛けてきた国家は諦めなかった。次々と兵を送り込み、最新鋭の兵器を投入してきた。ミサイル、戦車、無人機。ありとあらゆる武器が俺を狙った。だが、その全てが無意味だった。


戦場が見渡す限りの瓦礫と化すまでに、そう時間はかからなかった。

俺が「攻撃を防げ」と命じた瞬間、兵器の弾道は狂い、空を切った。飛んでくるミサイルは俺の周囲で粉々に砕け散り、無人機は次々と制御を失い地面に激突した。兵士たちが放つ銃弾は、俺に届く前にすべて停止し、地面に落ちた。


最後に残ったのは、国家そのものだった。

俺に刃向かうことを決めた国のすべて。

軍事拠点、行政機関、そしてその指導者たちを一瞬で消し去った。あの国の土地は今や荒野となり、地図からも消え去っている。


「軍事利用だと? 俺を使おうとした罪は重い。」

俺は全てを終わらせた後、ただ一人静かにその場を去った。国を滅ぼした瞬間の感覚は、思った以上に虚しかった。美味い飯や美女を用意すれば願いの一つや二つでも聞いてやっても良かったのに。身の丈に合わない力を制御しようとするからこうなる。

結局、奴らも俺の退屈を埋める存在にはなれなかったのだ。


そして、宇宙人の侵略。

あのとき、地球は滅亡の危機に瀕していた。異星の艦隊が空を覆い、人類の文明を滅ぼそうとしたその瞬間でさえ、レオは冷めた目で状況を眺めていた。「守れ」という命令を世界に与えただけで、全ては終わった。星間艦隊は一瞬にして崩壊し、異星人のリーダーは自らの敗北を認めて地球から去っていった。それを見送ったときも、レオの心に浮かんだのは、ただ一言だった。「くだらないな。」


人生を振り返り、レオはため息をついた後、手にしたトロフィーをそっと棚に戻した。もう何も感じない。勝利はただの作業に成り果て、敵を打ち倒す達成感も、世界を守る誇りも、今の彼には存在しない。全ての戦いが、彼の中で「消化済みの退屈な歴史」に過ぎないのだ。


彼の目が棚に飾られたトロフィーの中で最も新しいもの、バトルコロシアムの優勝トロフィーに移る。表面は磨き上げられていて、その輝きだけがまだ少し新鮮だった。だが、それすらも数日のうちに他のものと同じく色褪せるだろう。思えば、この10年間、コロシアムの戦いでさえ彼の心を動かすことはなかった。


「神話や伝説として語り継がれる? くだらない。」

かつての自分が作り上げた物語が、今やただの過去の遺物として人々に消費されている。それを見ていると、まるで自分が生きている意味すら無意味に思えてくる。


レオは空を仰ぎ、孤独を噛み締めるように目を閉じた。どれだけ勝ち続けても、得られるのは虚無だけだ。


棚に飾られた古びたトロフィーを見つめながら、俺はまたため息をつく。

「龍も魔王も国家も、宇宙人すらも.....もう全部やり尽くした。」

俺の頭を過ぎるのは、退屈さを埋めてくれる新たな戦いのことだけだ。だが、そんなものが本当にあるのか。今となっては、それすら疑わしい。


「もう少し楽しませてくれよ、世界。」

だが、その願いを叶える存在がいないことを、彼自身が一番よく知っていた。


酒臭い朝が嫌いだった。意識が朦朧とし、頭が割れるように痛む。二日酔いに付き合うのは何世紀も前に飽きていた。


「解毒しろ」と俺は世界に命じた。

その瞬間、重かった頭が霧が晴れるようにスッキリする。体内にあった毒素が浄化され、清涼感が駆け巡る。やれやれ、こんな便利な力を持っている俺が、二日酔いに悩まされる道理はない。


「レオ様、おはようございます。4月2日、朝の8時です。二時間後に大会の優勝者インタビューですよ。」


唐突に、『世界』の声が頭に響いた。俺のスケジュール管理を任せている。俺は自分の能力を便利な美女としても活用している。そうだ、今日はこのホテルで大会優勝の会見がある。面倒だな、だが祝勝会で出される酒は特別製だ。是非ともいただきたい。


だが、問題はもう一つあった。

横で鼾をかいている若い女だ。


薄暗い部屋の隅で、昨夜の記憶を辿る。俺は問いかけた。

「この女は誰だ?」

『世界』はすぐに応える。「昨日、飲み屋でレオに声をかけてきた女です。」

なるほどな。酔った勢いでホテルまで連れ込んだのか。どんなに美しい女でも、酒臭い鼾を間近で聞かされるのは辛抱ならん。


横たわる女を眺める。乱れた髪、豊満な体、ゆるんだ表情。なるほど、昨晩はなかなか楽しませてもらったようだ。

俺は立ち上がり、彼女の服を集めて上から適当に掛けてやる。着せるのは面倒だからな。


そして、冷たい声で命じた。「こいつの家に転送しろ。」

空気が軽く揺れ、女の体はふっと消える。部屋には静寂が戻った。


昨夜の酒場で何を話したのか。彼女が何を期待して俺の元へ来たのか。そんなことはどうでもいい。ただひとつ、これ以上俺の朝を騒がせる者はいなくなった。


俺は深呼吸をし、窓を開けた。外には変わらない退屈な日常が広がっている。


—-


祝勝会は予定通り、華々しく始まった。会場は高級ホテルの最上階。煌びやかなシャンデリアが天井を照らし、各国の記者や有力者たちが集まっている。だが、俺にとってはすべてが予定調和だ。


記者会見の席でフラッシュが焚かれる中、俺は適当なことを言って場を繋いだ。

「今年も素晴らしい大会だった。来年も参加するから腕に自信があるやつはかかってこい。」

そんな言葉でも、スポンサーたちは拍手を送り、記者たちは大げさに書き立てる。俺の知名度は世界一だ。なんせ教科書にも載ってるくらいだからな。


俺が大会に出場するだけで、スポンサーにとっては莫大な広告効果になる。それに俺を敵に回すと冗談抜きで国家ごと滅ぼされる。だからみんな一生懸命俺のご機嫌取りをする。腫れ物を触るように扱う。パンパンに膨らんだ風船を割らないように他人に押し付けるのだ。もしくは、暴れ牛が牧場の柵を壊さないように、広大な牧草地を暴れ牛1頭に与えているようなものかもしれない。


だが、若くて美しい女たちが群がるこの空間だけは、少しだけ気に入っている。肉体の老化を止めて久しい俺だが、未だに女の香りや柔らかさに飽きることはない。彼女たちの笑顔や視線は、空虚な日々に一瞬だけ色を与える。もっとも、それもすぐに味気なくなるのだが。


「人間とは、底なしの欲を持つわがままな生き物だ。いや、もはや俺を人間という括りに入れて良いかも分からないがな。」

呟きながらグラスを傾けた。喉を通るアルコールの熱さも、いつの間にか慣れてしまい、もはや刺激を感じない。ただ胃の奥で静かに燃えるそれだけだ。


会見が終わった昼過ぎ、プール付きの別荘に移動した。そこでは豪華な宴が続いている。ご機嫌取りのおっさん達は誰一人いない。シャンパンの泡が陽光にきらめき、美女たちが笑い声を響かせながらプールサイドを行き交う。ビーチチェアに横たわる俺の目の前には、果物の盛り合わせと数人の女たちが取り囲むようにして座っている。


羨ましいと思うか?

だが、満たされれば満たされるほど、内側に空虚が広がる。

「腹が減るから飯が美味い。満たされてばかりじゃ、幸せなんて感じられないな。」

俺は小さくつぶやいた。りんごを一個手に取り、無造作に齧り付く。口の中で果肉がジュワッと広がりほのかな甘味と酸味が広がった。向こうで泳いでいた美女達は笑い声を上げてこちらに手を振っている。


「レオ様、どうして泣いているのですか?」

突然の声に、我に返る。隣にいた一人の美女が、俺の頬にそっと手を添えていた。


「俺が…泣いている?」

女の指先が濡れているのを見て、言葉を失う。だが、それは一瞬だけだった。俺は手を振り払い、バカを言うなと吐き捨てるように言った。


気まずさを振り払うように、立ち上がる。プールサイドでビーチバレーをしている3人の美女たちの方へ、俺は軽く跳躍し、そのまま水しぶきを上げて飛び込んだ。冷たい水が全身を包み込む感覚だけが、ほんの少し現実味を感じさせる。


だが、水中に潜った瞬間、胸に染みついた孤独感は消えることなく、俺を深く沈ませた。

「また退屈な日々に戻るだけか。」

水面に顔を出しながら、俺は笑顔を作り、女たちの温もりで胸に刺さった棘から目を背けた。


超巨大なベッドに横たわりながら、俺は頭を傾けた。美女たちがまどろむ中、軽い眠気が襲ってくる。酔いが抜けたとはいえ、酒と快楽の疲れが身体を沈めていく。こんな日々も後二、三日繰り返したら飽きるだろうな…。


「また、武器なしの武闘大会に出るか…裏格闘技の大会を荒らしてもいい。能力の使用不可な大会なら、俺を倒せるやつが現れるかもしれない。」


独り言のように言葉を放つが、それがどれほど虚しい行為であるか、自分でもわかっている。870年も研鑽を続けたレオに届く人などそうそう現れることはない。またたとえそのような強者が現れ、ともに修行をしても30年もすれば奴らの全盛期は過ぎる。俺はかつて勝てなかった強者の技を学習してさらに強くなる。そして俺に対抗できる存在が現れる割合がさらに減少する。とっくに気づいている。いくら強者を打ち倒そうが、どれだけ人々の憧れを集めようが、結局その先に待つのは同じ退屈な日々だ。


俺の視界に、一瞬、昨日倒したモルディカイの姿が浮かんだ。奴は笑っていた。やっと楽になれる、と感謝の言葉を残して。だがその笑顔が、俺の心に微かな影を落とす。


「家族や親友なんて要らない。」


口に出してみるが、その言葉がどこか空虚に響くのを感じる。必要のないものを切り捨ててきた。それが俺を今の俺たらしめた。だが、必要のないものすら持てない自分が、果たして何者なのか。


「あいつらはどうせ、俺より先に死ぬ。俺を置いて。」


昨日のモルディカイだけじゃない。これまでに関わった数え切れない人々が、皆そうだった。妻も、息子も、孫娘も、ひ孫も、愛犬も、みんな先に死んだ。俺の能力は自身の死を克服することができても、他人を蘇生させることは叶わなかった。厳密に言えば、死んだ人を復活させることはできる。ひ孫の一人が23歳の時、海難事故で亡くなった。俺が死体を召喚し蘇生させたが、彼は俺との思い出以外何も話せなかった。要するに、俺が知っているひ孫の側面をインストールした肉人形を生み出しただけと言うことだ。俺は、自身をよく知っているから自分を蘇生できる。だが、他人を全て把握することはできない。俺にもできないことがある、それを知った時の絶望は二度と体験したくない。


大切な人々がいることで心が温かくなるのなるが、それが失われるたびに心は凍てついていく。俺の中で大切な存在が大樹のように育っていくと失われた時、心という大地が根こそぎひっくり返され抜き出しになる。それなら、最初から持たなければいい。失う痛みを知るくらいなら。


俺は隣で寝息を立てている美女の髪を撫でた。


「こうやって、お互い一番楽しい距離感で生きていけば良い。それが一番幸せなんだ。そうに決まっている。俺は誰もが羨む生活をしている、こんな日がずっと続けば良い。」


何百年も前からその生き方を決めたはずなのに。こんなにもたくさんの快楽を体験しているのに、胸に空いた穴は塞がらないんだろう。


そんな思いを最後に、俺は静かに意識を手放した。


目が覚めた瞬間、まず感じたのはベッドの感触が昨晩と違うということだった。シーツはこんなに肌触りが良くなかったはずだ。俺が寝ていた豪華なクッションの効いた別荘のベッドとは違う。目を開けると、視界に入るのは昨日記者会見を行った高級ホテルの天井だ。


「なぜだ?」

ゆっくりと身を起こし、あたりを見渡す。豪華なスイートルームの内装、窓から差し込む柔らかな朝日。間違いない、ここは昨日の会場だ。


隣に目をやると、俺は目を見張った。そこには、昨日の朝、家に送り飛ばしたはずの美女がすやすやと寝息を立てている。薄いシーツが彼女の体に巻き付いており、うっすらと酒臭さも感じられる。だが、その存在自体が不可解だ。


俺はそっとベッドを抜け出し、立ち上がる。足元に敷かれたふかふかのカーペットを踏みしめながら、窓際まで歩いた。外の景色は、確かに昨日見たものと同じだった。


「酒で酔って寝ぼけた俺がこのホテルにテレポートした…?だが、それにしては違和感がある。」

俺は小さくつぶやいた。酔いが回っていたとしても、無意識で自分をここに戻すほどの失態はこれまでにない。何より、昨日の朝送り返した彼女がここにいる理由が説明できない。


「レオ様、おはようございます。4月2日、朝の8時です。二時間後に大会の優勝者インタビューですよ。」


唐突に、『世界』の声が頭に響いた。スケジュールを伝えるその声はいつもと変わらない。


だが、俺の胸を刺したのはその内容だった。


「…昨日と、全く同じじゃないか。」

俺は窓の外を見つめながら小さくつぶやいた。これは、夢なのか?それとも…何かが狂い始めているのか?胸にわずかな焦燥感が浮かび上がる中、俺は視線を隣にいる美女の寝顔に戻した。


「どういうことだ、これは。」

冷静さを保とうとする自分の声が、かすかに震えているのを感じた。


第三章 繰り返す幸福


枕元に置かれた時計を見ると、時刻は昨日と同じ時間だ。苛立ちを覚えながらも冷静に状況を確認するため、ベッドの上でゆっくりと体を起こす。隣を見ると、やはり昨日の朝と同じように、酒臭い女が浅い寝息を立てている。


「どうなっている……?」


頭の中で『世界』に問いかけた。


「能力による危害は加えられていません。その場合、あらゆる脅威からレオ様を守るというルールが発動するはずです。」


『世界』の返答はいつも通り冷静だが、そこに安心感を覚える余裕などなかった。


「超高精度な予知夢を見たということか? いや、それにしては説明がつかない。」


その後、混乱するレオをよそにスケジュールは淡々と進んでいく。祝勝会のメニュー、別荘に訪れた美女たちの名前や顔、提供されたフルーツの種類や味は、どれも細部に至るまで昨日と完全に一致していた。これは偶然な訳がない。超高精度な予知夢を見たとしても、レオが意識的に能力を発動した記憶はない。


薄暗い照明が高級なリビングルームを優しく包む。別荘の広い窓からは青く染まったプールが見え、その向こうに海が夕焼けを反射して静かに輝いている。だが、その美しい景色も、ソファに深く腰を下ろしたレオの苛立った表情を和らげることはなかった。


レオは顎に手を当て、足を組んだまま沈黙している。その顔には不機嫌さがはっきりと表れており、部屋にいる美女たちは、互いに顔を見合わせながらも彼の顔色を窺うばかりだ。


「……レオ様、お飲み物はいかがですか?」

一人の美女が恐る恐る尋ねる。彼女の声は柔らかく、手に持つグラスはレオの好みに合わせて準備されたものだ。


「いらない。」

短く返されたその言葉に、彼女は軽く怯えた様子を見せたが、それ以上は何も言わずに引き下がった。


別の美女が音楽をかけようと提案し、また別の美女がダンスを披露しようとする。だが、どれもレオの反応を引き出すには至らない。彼の目はどこか虚ろで、まるでここにいないかのようだった。


時間だけがじりじりと過ぎていく。気まずい空気の中、ようやくレオがソファから立ち上がった。


「……夕食にしよう。」


その一言に美女たちは目を輝かせ、空気が一気に変わった。彼女たちは次々にレオのもとへ駆け寄り、その腕を取ったり、柔らかな声で囁いたりする。


広いプールサイドではなく、今度はベッドルームでの宴だ。

豪奢なシャンデリアの下、巨大なベッドの上で彼女たちと戯れるレオ。笑い声や甘い声が部屋を満たし、シルクのシーツが乱れ、まるで絵画のように艶やかな光景が広がる。


レオもその中で一時的に現実を忘れ、彼女たちの柔らかい肌に触れ、髪を撫でながら酔ったように笑みを浮かべた。欲望に身を任せ、満たされたように見える瞬間。


すべてが静まった頃、レオは巨大なベッドの中央に横たわっていた。周囲には寝息を立てる美女たちが並んでいる。シーツをほんの少し引き寄せ、彼女たちが寒くないようにした後、天井をじっと見つめた。


「こんな日々も……後二、三日したら飽きる、この前思った通りになったな。」


彼の呟きは、誰にも届くことなく闇に消えた。


「こんな幸せがいつまでも毎日続けば良い。」


昨日そうやって自分に言い聞かせた言葉通りの生活。しかし、レオの心は幸せとは程遠い状態になっていた。


「明日は、明日こそは、今日じゃなく明日がやって来るよな?」


その声に『世界』が反応する。


「レオ様、今日は珍しく精神が優れないようです。早めの就寝を推奨します。また、先ほどの発言は理解に苦しみます。後二時間もすれば日付が変わり、明日は今日になりますよ。」


『世界』の声に安心したレオは口角を少しあげ、瞼を閉じた。徐々に眠気に飲み込まれるように、意識が遠ざかっていく。


翌朝、レオは『世界』の声で目が覚めた。


「レオ様、おはようございます。4月2日、朝の8時です。二時間後に大会の優勝者インタビューですよ。」


天井を見てすぐに分かった、別荘ではなくここは超高級ホテルだ。念の為日付を確認したが、大会優勝の翌日のままだ。つまり、三度目の『今日』がやってきた。

苛立ちを押さえつけながらも、隣に居る女の寝顔に目をやる。どんなに美しい顔でも、漂う酒の匂いと安らかすぎる寝息は気に障る。


「……いい加減うんざりだ。」


手を軽く振り上げ、命じた。

「そいつの家に転送しろ。」


瞬間、女はふっとベッドから消える。残ったのは乱れたシーツとわずかな体温の痕跡だけだ。


その場に座ったまま、レオは息を吐く。苛立ちは少しだけ収まったが、根本的な問題は何一つ解決していない。


「誰かが俺を弄んでいるのか……?」


手元に置いていたグラスを掴み、部屋の窓際へと歩み寄る。外は昨日見た『今日』と同じ朝焼けだ。変わらない景色が、余計に神経を逆撫でする。


グラスの中身を一息で飲み干すと、レオは深く息を吐き、冷静さを取り戻そうとした。


「このループを終わらせる……何が原因であれ、俺をこんな茶番に付き合わせたことを後悔させてやる。」


再び、鋭い視線がその瞳に宿った。


眉間にしわを寄せたレオは、乱れたシーツを蹴飛ばして起き上がる。彼の内心には苛立ちが渦巻いていた。


レオは深く息を吸い、額に手を当てた。考えを巡らせる中、ふと昨日の自分の行動を思い出す。確か、何かが不自然だと気づき、『世界』に質問したのだ。


「『世界』、教えろ。誰かが俺に能力をかけているか?」


『世界』からの答えが返ってくるより早く、その瞬間、レオの視界がぐにゃりと歪んだ。全ての色が溶け合い、音が遠ざかり、意識が崩れ落ちるようにして消えた。そして。


今、再び目が覚めた。

『世界』の声が耳元に響く。

「レオ様、おはようございます。4月2日、朝の8時です。二時間後に大会の優勝者インタビューですよ。」


「確定だ……。」


レオは冷静さを取り戻しながら立ち上がり、ベッドサイドに置かれたグラスの水を一気に飲み干した。


再び試すべく、彼は声に出して命令した。


「俺に能力をかけたやつの名前と場所を教えろ。」


その瞬間だった。


周囲の景色がねじれ、目に映る世界が崩れ始めた。天井、壁、家具、全てが歪み、液体のように溶けていく。レオは立っていられず、床に崩れ落ちた。


そして、再び目を覚ますと、またあの高級ホテルの天井が目に入る。


『世界』が機械のように同じ言葉を繰り返す。

「レオ様、おはようございます。4月2日、朝の8時です。二時間後に大会の優勝者インタビューですよ。」


「……俺をなめてるのか。」


レオの声は低く響いた。苛立ちを抑えきれず、彼は拳を握りしめた。何者かが仕掛けた能力、それが少しずつ明らかになりつつあった。


「分かってきたぞ。」


レオは、冷静な表情の裏に鋭い決意を宿した目でつぶやいた。

「何者かが俺に能力をかけている。そして、このタイムリープの条件は、日付が変わる時、自動的にタイムリープが発動する。もしくは、俺が新たな命令を下そうとするたびに、能力を使おうとするたびに発動する……。」


彼の手が再びベッドのフレームを強く掴む。ここから抜け出すには、能力を使わずに敵を特定し、タイムリープのループを破る方法を見つけるしかない。


レオの心には苛立ちと同時に、久々に味わう興奮が湧き上がっていた。


「退屈な毎日だと思っていたのは撤回する。これほど未来を、明日を望むようになったのはいつぶりだ?どこの誰だか知らんが、俺を弄んだツケをしっかり払ってもらうぞ。」


レオの声に『世界』が反応する。


「レオ様が最後に明日を強く望んだのは855年前、後に奥様になる幼馴染の女の子とデートの約束をした日か、息子さんと遊園地に行った日以来ですね。」


「バッ、お、お前いきなり何を言って…あ。」


再びレオの視界が歪み始めた。


—-


カーテン越しに差し込む朝の光が、レオのまぶたを軽く叩いた。瞼を開けると目に入るのは、毎度おなじみの豪華な天井。隣には、酒臭い寝息を立てる美女がいる。


『世界』の声が響く。

「レオ様、おはようございます。4月2日、朝の8時です。二時間後に大会の優勝者インタビューですよ。」


「……またか。」


レオは苛立ちを隠せないままベッドから起き上がり、乱れた髪をかき上げた。

「女を家に転送しろ。」


そう命じると、瞬時に隣の女の姿が掻き消える。


静寂が戻り、レオは深い息をついた。冷たい水を一口飲みながら、頭を整理し始める。


「誰が、いつ俺に能力をかけた?」


考えが堂々巡りする。いつもなら『世界』に全てを任せて解決できた。それが今回に限って、タイムリープのたびに意識を失い、起きれば同じ朝を迎えている。


「……くそっ。」


手にしたグラスをテーブルに強く置く。その音が静寂の部屋に響く。


今までの状況を整理する。何者かが自分に能力をかけたのは間違いない。だが、その発動条件が「俺が新たな命令を下すこと」だとすれば、敵の能力は俺の「想像と創造」を封じることを意図している。


「……ずっとこんな日が続けばいい、か。」


レオは苦笑した。幸せな日々。美女に囲まれ、豪華な宴に酔いしれ、満たされるだけの日々。その甘美な罠に足を取られそうになった自分に嫌悪感を覚えた。


「幸せな日々……それが罠だ。」


気づいた。これが『世界』の防御範囲外だということも。

『あらゆる脅威から俺を守れ』という命令の穴を突かれている。これは直接的な危害ではない。「幸せ」を与える能力で、結果的に俺を追い詰めているのだ。


「誰だ……? この日、この場で俺に能力をかけたやつは。」


考えを巡らせる。タイムリープのループが始まるのは、祝勝会が行われたこの日だ。

ならば、この日に接触した誰かが鍵だ。美女たちか、スポンサーか、記者か。あるいは、会場のどこかで目にもしなかった誰かかもしれない。


「大会当日じゃなくて、祝勝会を繰り返す理由がそれだ。」


レオは深く息を吐き、ベッドに腰を下ろした。


「……上等だ。」


苛立ちの奥に、久々に感じる挑戦への期待があった。ループを破るには、相手を見つけ、打ち破るしかない。


レオの真骨頂はその異能や戦闘能力だけではない。これまでの長い人生で、さまざまな国家や組織の軍事研究に携わり、肉体や能力の情報を渡す見返りとして最先端のテクノロジーを提供してもらっている。


レオの豪邸は世界中に複数存在している。警備員や管理人が居なくても問題ない。地上から見ると緑豊かな自然に溶け込んだ静かな邸宅に見えるが、内部はその外観とは裏腹に、最先端のテクノロジーが張り巡らされた要塞だ。


地面の下には複数の格納庫が隠されており、無人ドローンが待機している。これらのドローンは高性能なAIによって制御され、非常時には戦闘用のモードに切り替わる。


邸宅の内部には、複数のAIアシスタントが配備されている。声によるコマンドや生体認証で全ての設備を操作でき、壁に埋め込まれたスクリーンがレオの好みに応じて情報を表示する。

「リビングルーム」と呼ばれる広大な空間には、シームレスに統合されたオペレーションセンターがあり、各国の軍事研究プロジェクトとリアルタイムで連携できる。


ここでは、最新鋭の兵器開発から気象操作技術、さらには医療研究まで、さまざまなデータが管理されている。


レオはどこに居ても、世界中の出来事を監視し、指令を下せる立場にある。


彼にとって、これらの豪邸はただの居住空間ではない。それは彼の影響力を象徴する「拠点」であり、彼の能力をさらに広げるためのツールなのだ。


レオはベッドの端に腰を下ろし、深く息をつく。豪華な天井と高級感漂う家具が並ぶこの部屋も、もう見飽きた。だが今は、この退屈なループを抜け出す手がかりを探ることが最優先だ。


「『世界』を使わなくても、俺には手足がいる。」


そう呟き、手を一つ叩いた。その音が部屋の静寂を切り裂くと同時に、窓の外からドローンの低い羽音が聞こえてきた。


窓に近づくと、無人ドローンが高層階の窓際に静かにホバリングしている。機体には漆黒の光沢があり、目立たないように設計されている。ドローンは器用に小箱を落とすと、また音もなく去っていった。


レオはその小箱を拾い上げた。手のひらに収まるほどのサイズ。開けると、中には薄いスマートコンタクトレンズが2枚収められていた。


「ふむ、これでいい。」


レオはそれを素早く装着すると、視界が一瞬だけ暗転し、すぐに薄い青いインターフェースが現れた。


「システム起動中。全機能正常。」


レンズ越しに視界が拡張され、通常では見えない情報が次々に浮かび上がる。部屋の温度、湿度、周囲の構造、そして背後のベッドに残された体温の痕跡まで。


「便利なものだ。」


レオはスーツを羽織り、部屋を出た。


「作戦は単純、テクノロジーを使って、刺客を見つけ出してやる!」


廊下は赤い絨毯が敷かれ、壁には装飾的な灯りが等間隔に並んでいる。通りすがるホテルマンたちの姿を視界に捉えるたび、レンズが情報を弾き出す。


「心拍数、正常。ストレスレベル、軽度上昇。」

「実年齢、34歳。隠し武器、なし。」


エレベーターに向かう途中、すれ違った料理人も、掃除をしているメイドも、全員が一瞬緊張した表情を浮かべる。しかし、それは有名人に遭遇した時の反応に過ぎない。


「……なるほど。大衆的な緊張だ。隠し事による動揺ではない。」


レオは冷静に結論付けた。ホテルのスタッフたちは、少なくとも直接的な脅威ではない。


レストランの入り口をくぐると、朝食を楽しむ宿泊客たちがざわついた視線を向けてきた。スマートコンタクトの表示が、彼ら一人ひとりの情報を読み取る。


「心拍数、正常。」

「隠し武器の所持、なし。」

「ストレスレベル、標準範囲内。」


レオはそのまま予約席に案内され、コーヒーを頼む。

「ここには脅威がない……。」


そう呟き、カップを一口飲むと、窓の外を見つめた。その瞳には鋭い警戒心が宿りつつも、わずかな苛立ちが滲んでいた。


「ならば誰が仕掛けた? どこで?この後の祝勝会か?それとも既に仕掛けは終わっているのか?」


—-


祝勝会の会場は豪奢なシャンデリアが輝き、きらびやかな装飾が施された広間に、富裕層やスポンサー、関係者たちが集い、熱気に包まれていた。立食形式で提供される高級料理の香りが漂い、至るところで笑い声と歓談が交錯している。レオはその中央、壇上で質問に答えながら、どこか居心地の悪さを感じていた。質疑応答が終わり立食の時間になった。レオはスポンサーの重鎮である小太りの男性に話しかける。


「おい、他に手練れの能力者は居ないのか?歯応えがない奴らばかりだったぞ。」


雑談のフリをしてレオに能力をかけた人に心当たりがないか聞く作戦だ。


このオヤジが何も知らないなら、他のやつに聞く。面従腹背で悪巧みをしているなら、スマートコンタクトレンズが嘘をあばく。まあ、嘘をついたことがバレて俺に殺されるリスクを取るより、大抵の人間は嘘を諦め正直に話すがな。にしても、能力が使えれば本人の意思に関係なく知ってることを吐き出させられるんだが。人類は【思ったことが現実にならない】という面倒な生活をしているのか、信じられん。


レオ様の機嫌を損ねてはいけない。スポンサーの重鎮は作り笑顔を張り付かせ汗をかきながら必死に答える。


「ええもちろん、毎日優秀な能力者を我が財閥総出で探していますよ。見つかれば必ず大会に参加させます。とは言え、今回も選りすぐり達が参加しましたが、レオ様にはかないませんでしたな。まあ100年以上もこの大会を開いていれば、自ずと傑物の数も減って来ると言いますか…。しかし不殺限定の大会では能力者の真価を発揮できず、逆にレオ様を満足させられない可能性も…。」


「分かった、もういい。」


「ひっ!」


嘘はついていない。これ以上この男から話を聞いても無駄だ。人睨みすると途端に震えて縮こまった。蛇に狙われないように必死で身を縮めるウサギのようだ。


汗臭いオヤジに背を向け去ろうとした時、彼はレオに怯えながら話しかけた。


「しかし、我々の手を借りずとも、レオ様はご自分の能力で【レオに匹敵する使い手を教えろ】と世界中から探すことも可能なのでは?」


「!!」


その瞬間、レオの胸中で何かが引き攣るような感覚が走った。

(しまった。その通りだ。さっき俺がした質問は、まるで俺は今能力を使えないことを暗に認めているようなもんじゃないか…。)


レオは咄嗟に表情を引き締め、平静を装いながら軽く笑って返答する。


「毎回全部分かってしまうと面白くないだろ?お前らが用意した舞台で、何が来るか分からないという楽しみがあるからこの大会に出ているんだ。」


スポンサーの重鎮は「なるほど」と微笑みながら頷いた。だが、レオは複数の鋭い視線が背中に刺さっていることを感じた。


レオはその場をやり過ごし、杯を手に人混みの中へと戻る。だがその瞬間、スマートコンタクトレンズが微妙な異変を検知した。視界の端に現れる警告表示、複数の人物が心拍数を上昇させ、同時に彼へ意識を向けている。


(こいつら、一般人を装ったプロか。)


レンズの機能で即座に彼らの情報を確認する。視界にはターゲットの輪郭が薄い赤でハイライトされ、個人データが投影された。名前、年齢、国籍、そして職業欄には「記録なし」の文字。


(記録なし…か。間違いなく奴らは裏社会の手練れ、もしくは俺を敵対視する国の諜報員だな。)


祝勝会の会場に広がる賑やかな笑い声と音楽。その中で、レオの背筋を一瞬にして緊張が走った。視界の端でわずかに光が反射する、人混みから飛び出した細い針。


(来たな…)


針がレオを目掛けて飛来するのとほぼ同時に、上空の巨大なシャンデリアが不自然な揺れを見せ、重力に引かれるように落下してきた。瞬間的な二重の攻撃。


周囲の賑やかさがまるでスローモーションのように遠のく中、レオは即座に行動を起こした。


足をわずかに引き、腰の剣を抜き放つ。流れるような動作で刃を一閃すると、巨大なシャンデリアが粉々に砕け散り、きらびやかな破片が会場全体に舞い上がる。その一瞬の間に、刀身を滑らせて飛来した針を弾き返した。


その刹那、弾き返された針は鋭く飛び戻り、人混みの中に潜んでいた放った者の脳天に突き刺さった。男は一声も上げずに崩れ落ち、床に沈黙する。


周囲の参加者たちは一瞬何が起きたのか理解できず、呆然と立ち尽くした。次第に「レオ様…!」「助けてくれたんですね!」と歓声と拍手が巻き起こり、恐れおののく者、腰を抜かして退場する者、事態を演出だと勘違いして飲食を続ける者が入り混じる混乱状態となった。


「チッ…」


舌打ちを漏らすレオ。

レオの目は群衆の中の特定の人物たちに固定されていた。視界の端でハイライトされる数名。スマートコンタクトレンズが赤く彼らの動きを追跡している。


その中の一人が群衆に紛れ、耳元のインカムに何かを囁く。コンタクトレンズが音声を即座に拾い上げ、視界に文字が浮かび上がる。


「レオは、能力を使えなくなっている。理由は不明。消すなら今が好機。」


(やはりか…!)


レオの表情がわずかに歪む。その瞬間の緊張感を見逃さない者は、会場にいる手練れの諜報員たちだろう。


レオは一見、再び穏やかな微笑みを浮かべ、群衆に礼を言いつつ場をやり過ごした。しかし、その瞳の奥には冷徹な計算が渦巻いている。


俺が能力を使えないと知った奴らが動き出したな…俺に能力をかけたやつがこいつらの組織にいるなら、わざわざ攻撃をしてこなくても俺が今能力を使えないことを把握しているはず。タイムリープの能力者とは別の組織が襲って来たか。今まで取るに足らない存在だと放置していたが、ちょうど良い。俺を消すためにどんな勢力が動いているのか、一網打尽にしてやる。


祝勝会の喧騒の中、レオは一見何事もなかったようにテーブルの前に座り、ワイングラスを軽く けた。口元には微笑が浮かび、周囲の目から見れば、ただ食事を楽しみながら談笑しているだけのように見えた。


しかし、その指先は別の動きを見せていた。手元に置かれた銀製のフォークとナイフを無造作に取り上げると、無音の相妻のような速さで振り抜き、群衆の中に紛れていた諜報員たちに向けて投げ放った。


最初のフォークが空気を裂き、視界の端に立っていた男の喉元に突き刺さる。彼が驚きに目を見開く間もなく、続いて投げられたナイフが別の男の胸部に深く突き立った。三投目、四投目、鋭い刃は正確無比に標的を捉えていく。


周囲の賑やかな音に掻き消されるような軽い金属音とともに、複数の男たちが崩れ落ちた。動きの早さ、的確さ、そして非情さは、まさに神業としか言いようがない。


「キャアアアア!」

突如倒れる男たちを見て、周囲の参加者から悲鳴が上がる。床には血が滲み、食器が刺さった遺体が無惨に横たわる。豪華絢爛だった会場は一瞬で修羅場と化した。


「何が....?」「誰か警備を呼べ!」


スポンサーや招待客たちは恐怖に駆られ、席を立つ者や出口に殺到する者が続出する。その中で、周囲の混乱を意に介さず、レオは丁寧にナプキンで口元を拭った。


近くにいたスタッフに「スイートルームに食事を運んでくれ」と軽く指示を出し、悠然と会場を後にした。


高層階のスイートルームで運ばれてきた豪華なランチを味わいながら、レオは冷静に次の一手を考え始める。


レオは窓際のテーブルに座り、銀のスプーンでプリンを掬いながら、ぼんやりと窓から見える地平線を見つめていた。


スマートコンタクトレンズが投影する情報が視界に浮かび上がる。レオが食事を続ける間も、AIは冷静に計算を重ねていた。


「先程パーティ会場に混じっていた手先は、それぞれA、Bの2カ国から来ていたようです。レオ様がA、Bの2カ国を滅ぼすなら、別荘のロボット兵を活用し、AIのサイバー攻撃を仕掛ければ2日で制圧可能です。」


何の感情も含まない平坦な声が脳内に響く。AIの無機質な提案に対し、レオは唇を歪めて笑う。


「2日か。タイムリープがあるから1日ずつ分けて潰すしかないってことか。」

皮肉げに言いながら、プリンを口に運ぶ。甘さが舌の上で溶けていく感覚を楽しみながらも、目は決して和らぐことはなかった。


AIはさらに冷静に続ける。

「もし深海に保存している核ミサイルを使用する場合、三カ国を1日で消滅させることが可能です。より迅速な解決策と言えます。」


レオの手が一瞬止まった。スプーンの柄を指先で軽く回しながら、窓に映る自分の姿を見つめる。


「バカが、そんな真似したらどうなる?」

語気を荒げることなく、しかし冷たい響きでAIに返す。


「世界中が更地になったらどうなる?衛生環境は崩壊し、流通は途絶え、美味い飯も女も手に入らなくなる。俺が好きなものが全部消えるってことだ。」


AIは沈黙した。レオは窓の外を眺めながらスプーンを静かに置き、深く息を吐いた。


「世界を滅ぼすのは簡単だ。でも、その先に何が残る?俺が望むのは荒野になった荒れ果てた庭を支配することじゃない。俺にとって居心地の良いこの舞台が続くことが大事なんだ。」


レオの視線は街の風景を超え、遥か彼方の空に向けられる。


「AIによるサイバー攻撃による脅し、そして各国の首相邸宅に突撃して直接聞き出すことが現実的か…。」


窓際に立つレオは、いつものように穏やかさとは無縁の冷徹な目で外を眺めていた。だが、その瞬間、遠くの空に異常を察知する。

「.....来たか。」

視界の端に捉えたのは、軌跡を描きながら猛スピードで接近するミサイル。スマートコンタクトレンズが瞬時に脅威を解析し、警告を表示するが、レオは動じることなく窓ガラスを蹴破った。


高層ホテルの最上階から飛び出したレオは、冷たい風を切り裂きながら空中で抜刀した。鋭い刃が日光を反射し、青空に銀色の線を描く。

「俺にこんな安い挑発をしてくるとはな.....愚か者め。」


ミサイルが爆発する寸前、レオは一関。衝撃波すら抑え込むかのように、刃がミサイルを斬り裂き、破片が花火のように散る。

轟音と光が空を裂くが、ホテルには一切の被害が及ばなかった。


空中で体勢を整えるレオの足元に、AIが操縦する大型ドローンが素早く接近してきた。高性能ジェットエンジンの唸りを響かせる専用機は、最先端のステルス技術と防衛システムを兼ね備えている。


レオは軽やかにその上に着地すると、剣を鞘に収めた。スマートコンタクトレンズが敵の情報を解析し、AIの声が耳に響く。

「A国のミサイルです。発射地点の特定が完了しました。」


「A国だと?」

レオの声は低く、怒りを内に秘めたものだったが、その眼光は青空の下でなお冷たく鋭い。


「穏便に済ませようと思ったが......もう終わりだ。先に攻撃してきたのは向こうだ。正当防衛を喰らっても文句は言わせないぞ。」


レオが軽く指を鳴らすと、ドローンのエンジンが一層高鳴り、彼を乗せたまま空を駆け出した。疾風のような速さで高度を上げ、空気を切り裂いて進む専用機。その背後に漂うのは、青空を汚す爆煙だけだ。


「A国に着いたら、即座に攻撃態勢に移る。ついでに奴らの本部を徹底的に洗いざらい叩き潰してやる。」


青空を背に、復讐の刃を秘めたレオはそのままA国へと突き進む。空中に響くドローンのエンジン音は、次の災厄の幕開けを告げていた。


—-


一個人が国家に挑んで叶うはずがない。だが、それはあくまで一般人の場合に限る。


A国の大地は、爆煙と瓦礫が織り成す戦場と化していた。空から降り立ったレオは、全身を漆黒のパワードスーツで覆い、その姿はもはや人間の枠を超えた「戦場の支配者」のごとく威圧的だった。

「さて、国家相手に一人で挑む俺の力、存分に味わわせてやる。」

静かな声でそう呟くと、スーツに内蔵されたAIが戦況を次々と解析し、ディスプレイに表示する。


戦場に響く轟音は、敵兵器同士の同士討ちによるものだった。AIが敵の通信網を完全に掌握し、戦車やミサイルの制御を乗っ取ったのだ。兵士たちは目の前の戦車が突然味方に砲撃を開始する光景に恐怖し、次々と無線で助けを求めたが、それすらもAIによって偽の命令に置き換えられていた。


「司令部へ緊急報告!後方部隊が暴走しています!」

「なんだと?それは君の指示だろう!」

「違います!これは……何かに乗っ取られている!」


司令部はディープフェイクによる偽の指示に翻弄され、完全に機能不全に陥っていた。レオは戦場を歩きながら、混乱する敵兵を冷ややかに見下ろしていた。


戦場の片隅で、土埃の中から現れたのは、岩を浮かせて投げつけてくる超能力者や、大地を操る魔術師たちだった。彼らは通常の兵士をはるかに凌ぐ力を持ち、国家の切り札とも言える存在だった。


「ほう……少しは楽しませてくれるのか?」

レオは興味深げに目を細め、飛来する巨大な岩を片手で受け止めると、そのまま握りつぶして粉々にした。


魔術師が足元の大地を操り、彼を飲み込もうとした瞬間、レオのスーツに搭載された推進システムが作動し、爆発的な加速で上空に跳んだ。空中から敵を見下ろしながら、スマートコンタクトレンズが敵の能力や弱点を即座に解析する。


「脳の電気信号を過剰に使っている。つまり、頭を狙えば一撃だ。」

レオは空中から鋭利なナイフを放ち、魔術師の額に突き刺さる。彼が倒れると同時に大地の動きも止まり、他の兵士たちが再び混乱に陥った。


レオはその場に止まらず、スーツの補助を最大限に活用して敵陣を次々と制圧していった。スーツの内部では関節や筋肉への負荷が最小限に抑えられ、レオの動きは滑らかかつ効率的だった。


「全自動の戦場だな。俺はただ歩いているだけで、すべてが終わる。」

彼が指を一つ鳴らすたびに、AIが遠隔操作で次の敵兵器を無力化し、無数のドローンが上空から精密攻撃を加えていく。


「何でだよ!レオは今能力を使えないんじゃなかったのか!?」


兵士の絶叫が聞こえて来た。


「あのな弱兵、良いことを教えてやる。俺は能力を使わなくても強いから最強なんだ。土産話だ、あの世に持っていけ。」


そう言ったレオは未来ある若き兵士の首を刈り取った。目を剥き嘆願する顔のまま地面に転がった首は、他の兵士達の戦意を奪うのに十分過ぎた。むしろ、よく今まで士気を保てていたものだ。


逃げ惑う兵士たちは命惜しさに次々と武器を投げ捨て、地面に平伏して投降する者が後を絶たなかった。


「戦場は自分で選べ、お前らは俺と違って命は一つしかないのだから。」


戦意のない兵士は放っておくことにした。腐っているのはこの国の司令部だ。レオを不快にさせない限り、もしくは対等な戦士だと認めない限り、レオは相手の命を奪わない。


狂乱状態になって銃を乱射する兵士達には容赦ない刀身が牙を向く。血を飛散させ、地面を赤く染めていった。潰れたトマトのように無数の兵士がその場に沈み、惨状と化した戦場には、不気味な静けさが戻る。


軍の最高司令官が最後の抵抗を試みたが、その刹那、レオの剣が振り下ろされ、その首が宙を舞った。


「価値のない最後だ。」

レオは無造作に首を掴み、そのまま首相官邸へと向かった。


閃光を放ちながら屋根を一刀両断し、レオは空から姿を現した。首相官邸の豪奢な会議室が瓦礫と化し、住えた大統領や閣僚たちは叫び声を上げながら四散した。


「タイムリープの能力者を仕掛けたのはお前らか?」

レオの声は低く、鋭い剣を思わせる冷たさが満ちていた。


閣僚の一人は床に崩れ落ち、涙を流しながら

「違います!そんな能力者なんて知りません、黒幕は我々ではありません!どうか命だけは!」

と震え声で叫ぶ。他の者たちも味え切り、何も知らないとロ々に訴えた。中には腰を抜かして失禁する者さえいた。


「黒幕は自分じゃないだと?ゴミ虫どもめ。敵が弱ってると思った途端に不意打ちを仕掛け、己は戦場には出ず、自らの立場が危うくなった瞬間命乞いか。こんな愚図に使い捨てられた兵士が可哀想だ。お前らみたいなのは戦士と呼ばん。」


レオは冷たく吐き捨て、スマートコンタクトレンズが解析した心拍や表情から、彼らの言葉が嘘ではないことを確認した。


レオは視界の端に目をやり、コンタクトレンズ内に午後11時50分と表示されていることを確認した。もうすぐ日が変わる。


「となるとループ能力者を差し向けたのはB国か......日付が変わったらホテルから速攻で出て叩きに行くか。」


冷蔵庫の卵が少ないからスーパーへ買いに行くか、程度のトーンでレオは冷徹に刀を振るう。閣僚たちが恐怖に顔を歪ませて逃げ惑う中、彼は次々とその首を落としていった。悲鳴と断末魔が夜の静寂に消えゆく中、彼は一人悠然と立ち尽くしていた。


日付が変わる瞬間、レオは視界が歪む感覚を待った。だが、待てども待てどもそれは訪れない。

時計の針が午前0時を越え、さらに30分、1時間と進んでいく。


「どういうことだ?」

スマートコンタクトレンズは日付を正確に表示していた。日付は4月3日を示している。


「ループしていない......?」

自らの推測が外れたことにレオの表情が険しくなる。戦場から続いていた冷たい静けさが、彼の心の内にまで忍び込むようだった。


レオは刀を鞘に収め、静かに夜空を見上げた。星々の輝きは美しく、それが昨日と同じ世界であることを示しているようだった。だが、確実に何かが変わった。


「明日を迎えたのはいいが......何が理由だ?」


これまでのループではやっていないことは何か考えてみる。戦争、人を殺すこと、犯罪。どれがトリガーで時は進んだ?能力は全て解除されたのか?能力を仕掛けたやつにとって、俺がタイムリープを解除する可能性を残しておくことにどんなメリットがある?


彼の中で生まれた疑間は、これまでに経験したどんな戦場の脅威よりも厄介なものに思えた。

第四章 4月3日


A国司令部は戦闘の名残を至る所に残しながら、ひどく静まり返っていた。戦闘機の残骸が広場に散らばり、建物にはまだ煙の臭いが染み付いている。司令官室の豪奢なソファで仮眠を取っていたレオは、スマートコンタクトレンズの通知で目を覚ました。

「午前8時か……」

冷たい視線で時計を確認し、昨夜の記憶を頭の中で整理する。


彼は一度正午を迎えたはずだった。それにもかかわらず、

「『世界』、聞こえているか?俺に能力をかけたやつの名前、弱点、居場所を教えろ。」

そう言って異能を使おうとした瞬間に時間が午前8時に巻き戻ったことを思い出す。

「日付が変わった時にリセットされなかった理由は何だ……?」

額に手を当て、深く考え込む。


部屋の扉が控えめにノックされる音で思考が中断された。

「お、お持ちしました……。」

恐る恐る現れたのは、この司令部で働いていた使用人たちだった。彼らの顔には怯えが浮かび、震える手で銀のトレイを運んでいる。


トレイの上には簡素だが手際よく準備された朝食が載っていた。サンドイッチ、果物、そして湯気を立てるコーヒーのカップ。使用人たちは礼儀正しく頭を下げながら食事を置くと、怯えた視線をレオに投げかけた。


「ふん……。」

レオはスマートコンタクトレンズを起動させ、食材の成分分析を即座に行った。毒物反応はなし。彼は無言で使用人を下がらせると、食事に手を伸ばした。


ハムとチーズ、そしてジューシーなトマトがたっぷり挟まれたサンドイッチを一口頬張る。トーストされたパンの香ばしさが口いっぱいに広がり、戦場の緊張感を一瞬忘れさせた。

「悪くないな。」

彼は心の中で呟き、また一口を取る。特に新鮮なトマトの甘みが絶妙で、疲れた身体に染み渡るようだった。


さらに、コーヒーの香りが鼻腔をくすぐる。カップを持ち上げ、ゆっくりと口に運ぶ。深いコクとほのかな酸味が絶妙なバランスを保ち、どこか心を落ち着かせる効果があった。

「この給仕を雇うのも悪くないかもしれん。案外高級レストランより上等な飯を出す。」

心の中でそう考えながら、レオはコーヒーをもう一口飲んだ。


食事を続けるうちに、再び頭を巡るのはタイムリープに関する疑問だった。日付が変わったときにリセットされなかった事実。

「能力が使えない以上、タイムリープをかけた者は今なお確実に俺を狙っている。」


コーヒーカップを机に置き、視線を窓の外に向けた。空は綺麗な朝の青空。だが、その奥に潜む敵の意図を見透かすような眼差しを浮かべた。


「タイムリープの仕組みを突き止める。そのために次はB国だ。」

静かにそう呟くと、レオはサンドイッチの最後の一口を口に運び、席を立った。


—-


B国はA国と対照的だった。銃や戦車ではなく、豊かな自然や能力者や魔法使いの存在によって栄えた国。そのため、境界線を越えるだけで空気が変わった。電子機器で守られていたA国とは違い、B国の防御は目に見えないものだった。魔法的な結界や、念による監視。


しかし、レオのAIパワードスーツは光学迷彩を備え、彼の姿を完全に消し去っていた。透明人間となった彼は音も立てず、結界や検問をいとも簡単にすり抜けていく。


B国の土地に足を踏み入れた瞬間、目の前に広がる景色に思わず目を奪われた。川は透き通るほどに澄み、太陽の光を反射してキラキラと輝いている。川沿いには草原が広がり、風に揺れる草がささやくような音を立てている。遠くには雪を頂いた山々が見え、その麓には小さな村が点在していた。


「いい景色だな……。」

レオは心の中でそう呟くと、わずかに感傷的になった。この美しい自然を目にすると、自分が進もうとしている道が何かを壊していくことに嫌悪感を覚えた。


だが、それも一瞬だった。彼の視界に映るニュースの映像が、現実に引き戻した。


道端の掲示板や商店のディスプレイに流れるニュースは、どこも「レオ」の話題で持ちきりだった。

「A国を一夜で壊滅させた男、次はB国を狙うのか?」

「各国首脳が厳戒態勢を呼びかけ、国境警備を強化!」


映像にはA国での戦闘の様子や、廃墟と化した都市が映し出されていた。解説者たちは皆一様に、レオの名を忌避するかのように低い声で語り、脅威を煽る。


「お前らが俺を先制攻撃してきたことは公表されていない、か。俺が景色を楽しめない原因は、こいつらだな。」

レオは自嘲気味に口角を上げた。そして透明なまま、川沿いの小道をゆっくりと進んだ。彼の歩く足音は地面に吸収され、気配すら感じ取られない。


やがて遠くにB国の首都が見えてきた。巨大な城塞都市のような構造を持ち、魔法の力で維持された高い壁が街を囲んでいる。壁の上には、兵士たちだけでなく、何人かのローブをまとった魔法使いが立ち、監視を行っていた。


光学迷彩で隠れたレオは、正面からの侵入を避け、川沿いの暗渠を利用して街へと忍び込んだ。通り抜けるたびに、水の音がわずかに反響する。空気はひんやりとして冷たく、地下道の壁には苔が生えていた。


「B国の飯は美味い。それに民には罪はない。なるべく穏便に済ませるべきだな。」

暗渠から抜け出し、街の一角に姿を現したとき、レオはそう呟いた。


街並みは整然としており、どこか幻想的だった。魔法の力で動くゴーレムが商店の掃除をし、街灯は不思議な光を放つクリスタルで輝いている。通りを行き交う人々の顔には、A国で見たような張り詰めた緊張感があった。


「首都での行動が鍵だな……」

彼は慎重に次の一手を考えながら、迷彩を解かぬまま、静かに街を進んでいった。


首都に到着したレオはパワードスーツに搭載されたナノマシンを起動させた。ナノマシンは彼の端正な顔に薄い膜のように張り付いた。それが徐々に動き出し、骨格や肌の色、目鼻立ちをわずかに変化させていく。ナノマシンが作り出す仮面は、まるで本物の皮膚のように自然だった。


骨格ごと変装したレオに気づく一般人などいない。昼過ぎの穏やかな街の空気を感じながら、レオはカフェで堂々と軽食を済ませた。地元で採れた野菜を使ったサンドイッチは程よい塩気で、さっぱりとしていて美味い。パンにはバターが塗ってあり、玉子のディップと混ざった香ばしい匂いが食欲を刺激させ、レオは2人前をペロリと平らげた。


「しまった、政府中枢に潜入した時用に少し残しておこうと思っていたのに、あっという間に食べてしまった。またどこかで食料を調達しておくか、」


言葉とは裏腹に落ち着いた様子でカップに手を近づける。食後に飲んだハーブティーの香りが、彼の鋭い神経を一瞬だけ和らげた。


カフェを出たレオは、人気のない路地裏に入り込んだ。狭い路地の壁にはポスターや落書きが散らばり、どこか荒んだ雰囲気を醸し出している。この場所なら人目につかずに変装できる。念の為もう一度別の顔に変えようとしたその時、


「おい、あんた見ねえ顔だな?」

突然背後から低い声が聞こえた。レオが振り返ると、そこにはスキンヘッドの男が立っていた。腕には雑なタトゥーが刻まれ、鋭い目つきがギラついている。


「ここは俺の縄張りだ。勝手に入り込んでんじゃねえよ。……金置いていきな。」

男は舌打ちしながらナイフを取り出した。その刃先は鈍く光り、安物であることが一目で分かる。


レオは一瞥しただけで、目の前の男が単なるチンピラだと判断した。動きにプロの訓練の跡はない。殺すのは容易いが、この場で騒ぎを起こせば自分の行動が周囲に知られる。面倒を避けるためにも、ここは冷静に対処すべきだ。


「どいてくれ。」

レオが静かに言葉を発したその瞬間、視界にスマートコンタクトレンズの警告が表示された。


「上空注意」

彼は反射的に体を横に飛ばす。次の瞬間、先ほど彼が立っていた場所に、透明な何かが猛烈な速度で落下してきた。


ゴンッ!

地面が大きくえぐられ、アスファルトの中に直径1メートルほどの穴ができた。粉じんが舞い上がり、周囲に破片が飛び散る。


スキンヘッドの男は目を丸くして腰を抜かし、震える手でナイフを放り出した。

「ひっ、ひぃいいいっ……!」

彼は這いつくばるようにその場を逃げ去っていく。


上空からはローブをまとった魔法使いが杖をこちらに向け、魔力を練り上げている。

薄暗い路地裏を覆う影の中で、枝の先端から微かな青い光が漏れ、魔法が発動寸前であることを知らせていた。


レオはふと上空を見上げ、魔法使いの動きとその位置を冷静に計算する。次の瞬間、荒々しい声が響いた。


「おい!仕留め損なってんじゃねぇぞ!」


声の主は路地の奥から現れた筋骨隆々の男だった。タンクトップに迷彩柄のズボンを身につけたその姿は、まるで戦場帰りの傭兵のようだ。しかしその巨体は異様に堂々としており、ただの戦士ではないことを物語っている。彼は躊躇なく路地裏に倒れ込んでいたスキンヘッドの男を蹴り飛ばし、無力な存在を排除するような冷酷さを見せた。


「お前、レオだる?」

タンクトップ男が睨みつけるようにレオを見ながら続ける。

「お前には高い懸賞金がかけられてるぜ。」


その声に呼応するように、今度は路地の反対側、メインストリートの方からもう一人現れた。痩せ型で顔面に奇怪なタトゥーを膨り込んだ男だ。タトゥーの模様は目を中心に放射状に広がり、その不気味さは周囲に嫌悪感を与えるほどだった。彼もまた材を構え、その先端をレオに向けていた。


「逃げられると思うなよ。こっちにはB国中の情報が集まってる。俺らみたいな賞金稼ぎが血眼でレオを探してるぜ。」

彼は嫌らしく笑いながらそう言った。


狭い路地裏で三方向から包囲され、普通なら絶体絶命とも言える状況だ。しかしレオは冷静だった。彼はわずかに肩をすくめ、淡々と言葉を放つ。

「何を勘違いしている。俺の顔を見ろ、レオとは別人だ。」


レオの言葉を聞いた筋骨隆々のタンクトップ男は大声で笑い出す。

「ハッ!何を寝ぼけたことを言ってやがる!」

その笑いは一瞬で止まり、鋭い眼光がレオを射抜く。

「俺はB国一番の探知魔法使いだ!お前が外見を変えて侵入したことぐらい、全部バレてんだよ!」


その言葉に、レオはふっとため息をつき、軽く首を横に振った。

「探知魔法使いの見た目じゃないだろ、お前。」


皮肉めいたその一言は、妙に静かな威圧感を持っていた。周囲の空気が一瞬で変わる。タンクトップ男の顔が赤く染まり、怒りに満ちた表情を浮かべる。


レオの言葉を合図に、三方向から攻撃が一斉に仕掛けられた。

まず動いたのはタンクトップ男だった。


「負け知らずの伝説の男だか知らねえがよ!伝説には尾ひれがつくってもんだ!今日でお前の伝説も終わりだ!」


筋骨隆々とした体躯から繰り出される右ストレートは、まるで鉄塊が空を裂くような速さと重さを帯びている。


レオは冷静にその一撃を軽くかわそうと、半歩後退して体を傾けた。だが。


「……何?」

右ストレートだと思っていた拳が途中で軌道を変え、右フックへと変化した。その弧を描く速度は視線を追い越し、ほとんど予知不能だった。


とっさに左腕を上げてガードする。パワードスーツの補助機能が咄嗟に作動し、衝撃を吸収する構えを取った。


「――ッ!」

拳がパワードスーツを貫通するような衝撃を伴い、レオの体に重く響いた。左腕全体が痺れる。拳の威力は尋常ではなく、スーツの耐久性を試すかのような圧力が加えられた。


「……ほう、良い一撃だ。」

レオは腕を軽く振り、痺れを感じながらも表情には余裕を保っていた。その瞳はタンクトップ男の次の動きを見極めようと細められている。


「今のをしのぐかよ。」

タンクトップ男は歯を剥き出しにして笑い、拳を握り直した。その姿はまるで戦いそのものを楽しんでいるかのようだ。


「思ったよりやるな、伝説さんよ。」

その挑発的な声は、路地裏に低く響いた。


筋肉が盛り上がり、タンクトップ男の体からは一瞬、紫色の微弱な光が発せられた。探知魔法を応用し、相手の動きを完全に読み切るための能力だ。


筋骨隆々の腕が鋼鉄のように唸り、拳のラッシュが次々とレオを襲う。ただの殴打ではない。探知魔法を応用し、レオの動きを先読みした正確無比な攻撃だった。顔面へのジャブ、脇腹へのストレート、膝へのローキック、なかなか精錬された動きだ。その連撃はほとんど隙がない。


同時に、顔面タトゥーの痩せた男が杖を振り、レオに向けて呪文を唱える。五感を鈍化させる魔法がじわりとレオを侵食し、視界が霞むように暗くなり、耳鳴りが響き始める。体が重くなり、全身が鉛のように動きにくくなっていく。


さらに上空のローブをまとった魔法使いがとどめを狙う。杖を振ると同時に重力魔法が発動し、空間そのものがレオを押しつぶし始める。見えないカがレオの身体にのしかかり、まるで山が降り注いでくるかのような圧迫感が周囲を支配していた。移動の阻害兼直接攻撃、パワードスーツが軋む音がした。


狭い路地裏、剣を振るうスペースも十分にはない。普通ならば完全に詰んだ状況だ。だが、あいにく彼は普通の人間ではない。


狭い路地裏で、タンクトップ男の右ストレートが轟音を立てながら迫る。だが、その拳はレオの左手に止められた。衝撃で路地裏の空気が震える。タンクトップ男の目が驚きに見開かれた瞬間、レオの右挙が鋭く腹部に突き刺さる。


「ぐはっ!」

タンクトップ男は弓なりに身体を折り曲げられ、そのまま宙を舞った。宙を描いた彼の巨大な身体は、上空にいた全身ローブの魔法使いと激突する。ローブの魔法使いは抵抗する間もなく、タンクトップ男の重量に押しつぶされ、近くの屋根に叩きつけられた。


「な、なんだこいつは......!」

顔面タトゥーの男が材を握り直し、何か呪文を唱えようとする。しかし、その声は最後まで紡がれることはなかった。


気づいた時にはレオが背後に立っていた。

瞬間移動のような速さだ。

「俺の命を狙うなら、もっと慎重に計画を立てるべきだったな。」

冷たく囁くと同時に、レオの手が顔面タトゥーの首に触れる。音もなく力強く捻られたその首は関節を外され、顔面タトゥーの男はその場に崩れ落ちた。


建物の屋根に上がると、タンクトップ男は意識を失い転がっていた。全身ローブの魔法使いも潰された形で倒れている。そのフードがずれ落ち、中からあどけない少年の顔が現れる。だが、その目は鋭く、レオを睨みつける敵意が宿っていた。


「銃口を向けるということは、自分も撃たれる覚悟があると言うことだ。」

レオの言葉は静かだったが、無慈悲な響きがあった。


「うぐっ、うう、くそぅ。」

少年は何か言い返そうとしたが、すでに動ける体力は残っていない。


少年とタンクトップにとどめを刺そうとしたその時、街全体に甲高い警報が鳴り響いた。建物の上から見下ろす街並みの至る所で、赤い警告灯が回り、スピーカーから

「侵入者発見!侵入者発見!」のアナウンスが流れる。

「ついに気づかれたか....。」


レオがそう呟いた瞬間、空間がわずかに歪み、彼の周囲に10人弱のローブを纏った魔法使いが姿を現した。その奥には魔法陣が浮かんでいて、次々と増援が地面に降り立つ様子が窺える。


彼らの腕にはB国直属の魔法部隊の証である赤い腕章が輝いている。それぞれが枝や魔法陣を構え、街の上空から気流が渦巻くような魔力が集まっていく。彼らの動きは訓練され、隙がなかった。

「まったく、能力が使えないとうまくいかないことが多いな。」


レオは肩を軽く回しながら呟く。だが、その目には焦りはなく、むしろ冷静に状況を分析する光が宿っている。さらに、レオは少し笑っていた、トラブル続きだが、血湧き肉躍る戦いに胸が高鳴っていた。


「いいぞ、来い、もっと来い!」


次の瞬間、レオの視界に映るのは、全方向から迫る絶望的な攻撃の嵐。炎が咆哮を上げ、渦巻く風が鋭利な刃となり、巨大な岩の塊が頭上から影を落とす。水の槍と氷槍が空を切り裂き、混ざり合うエレメントのエネルギーが辺り一帯を焼き尽くそうとする。


周辺の建物と合体したゴーレムの拳が、レオの右半身に迫る。拳の高さだけで軽く2メートルは超えている。常人であれば、ぶつかった瞬間ひき肉になるだろう。


その圧倒的な攻撃を前にしても、レオの表情には微かな笑みが浮かんでいた。

「そうだ.....これを待っていた。」


命と命の取り合い本能が研ぎ澄まされる瞬間が、レオに生きていることを実感させる。


ゴーレムの拳が当たる直前、レオはゴーレムの体を掴み風車のように振り回して、すべての攻撃を弾き返そうと考えていた。


しかしその瞬間、レオの意識は一時的に途絶えた。雷鳴が轟き、上空から一筋の稲妻がレオを正確に捉えた。


「ッ!」

胸を買くような痛みと共に、スーツのシステムに赤い警告灯が点滅する。


[WARNING: SYSTEM DAMAGE DETECTED]

視界がノイズで揺らぎ、瞬間的な思考の麻痩が彼を襲う。雷魔法はまずい、俺の体だけで無く、スーツにも悪影響が出る。


踏ん張ろうとしたレオが次に感じたのは足元の異常だった。両足が沼に飲み込まれるように黒い影に包まれ、動きが封じられる。影は絡みつくように彼の膝まで登り、回避という選択肢を潰していた。


「なかなか面白い手だ。」

レオはわずかに笑みを浮かべた時、


ドゴシャァ!!


新幹線が人を撥ねたような轟音が響き、ゴーレムの拳が思いっきり振り抜かれた。同時に、レオの左半身へ大量の魔法攻撃が到達し、拳と魔法で板挟みになった空間に凄まじい衝撃派が発生した。


爆煙の中魔術師の一人は叫んだ。


「我が魔術部隊に敵などいない!かつての伝説なぞ、言い換えれば時代遅れの化石に過ぎない!」


その言葉で勝利を確信した魔術師達の空気が一瞬緩む。その刹那、爆煙の中から電子レンジサイズの岩石が飛んできて、魔術師の頭部に直撃した。


某子ども向けアニメの主人公のように、新しい顔に入れ替わった魔術師は、頭部に岩を乗せたまま地面に倒れた。


「うっ、うわぁぁぁあ!?総員、戦闘体制維持…」


「遅すぎる。戦場で敵の死体を確認しないなんて三流のやることだ。」


灰色の煙が晴れると、瓦礫に覆われた路地の中央にレオが立っていた。その右腕はゴーレムの巨大な拳を受け止めたまま、筋肉を隆起させて押し返している。ゴーレムは自身の右腕を根元から折られ、バランスが保てず転倒している。モタモタと起きあがろうとする様はまるでひっくり返った亀のようだ。


さすがのレオも口元には血の筋が浮かんでいた。スーツを貫通した雷魔法は思ったより強力だったようだ。


衝撃が来る直前、レオは右手でゴーレムを受け止め、左手で剣を大きく振りかざし、全方向から飛び交う魔法を弾き返していた。


魔術師達が再び呪文を詠唱し始める。足元の影魔法の沼がレオの動きを封じ続ける中、彼は狼狽えず冷静に状況を見ていた。

「この影魔法は厄介だな、実体がなくて俺が攻撃してもダメージが無い。だが俺の体を捕えて離さない。術をかけた本人を始末するしかないか。」


と鋭い声で言い放ち、目の前のゴーレムの体を正確無比に切り刻んでいく。

その破片を手近にあった巨大な瓦礫のように利用する。始末した魔術師が持っていた杖を拾い上げ、ゴルフのフルスイングをするかのようにゴーレムの破片を打ち出した。


パシュッ


最初の破片が狙い通りに宙を舞い、1人目の魔法使いの胸を買いた。乾いた破裂音が響き、その体に新たな空気孔が作られる。魔術師は糸が切れた人形のように崩れ落ちた。驚愕の声を上げる間もなく、2つ目、3つ目の破片が次々と標的に命中する。


破片を操る彼の精度は異常だった。飛び散ったゴーレムの岩片がまるで追尾弾のように敵を正確に捉え、1人また1人と地面に沈めていく。


足元の重さが一瞬で消え去り、レオは再び自由になった。束縛を解かれた感覚が体全体を駆け抜ける。どうやら影魔法の使い手を倒したらしい。


残り半数を片付けようと足に力を入れる。魔術師達が視認できないほど早く走り、後ろを取った。狙うは隊長格の男。レオの斬撃は男の首を真後ろからだるま落としのように勢いよく斬り飛ばす。


はずだった。


ガキィン!!


凄まじい金属音と共に、レオの一撃は見えない空気の壁に弾かれる。そして、空中に大きな亀裂が入っていた。どうやら透明なバリアを張っていたらしい。


「ひ、ひぃぃ!いつの間に!」


戦闘中であることを忘れ腰を抜かした隊長格の男はすっかり怯えている。だが、戦場に出てきた以上そんなの知ったことではない。


何より、レオの一撃を防ぐやつなんて久しぶりだというのに、その能力を攻撃ではなく自分を守ることに使おうとする底の浅さがレオの神経を逆撫でした。


「死ね。」


バリィン!!


容赦ない一撃は今度こそバリアを叩き割り、隊長格の男の喉元へ迫る。だが、ビデオの逆再生のように、レオの剣はレオの意思と物理法則に反して自身の喉元に戻ってきた。


「なにっ!?」


想定外のブーメランに対して、間一髪体を捻ってかわし、回転する剣の柄を握ってレオも剣と一緒に回る。舞踏会のように美しく舞うレオは回転の勢いを活かして隊長格の男に三度剣を振った。


しかし、男はその場にいなかった。巨大な植物の根が蛸足のように動き回り隊長格の男を後ろに退け、他の根がレオの斬撃の勢いを殺していた。


「チッ」

レオは態勢を整えながら、新手が来たことに気づく。考えてみれば当然だ。一国を守る手勢があの程度なわけがない。


「おいおい、国内1番の防御魔法使いである俺っちのバリアを2撃で壊しちまうのかよぉ!?」

金髪長身で軽薄そうな男が魔法陣がから降り立った。


「自然の声を聞くのです。我らを正しい方向へ導いてくれる。レオ、あなたは土に還るべきだ、そう大地の神は仰っています。」


涙を流し、両手を合わせながら修行僧のような男がやってきた。


「うちの部隊長が世話になったな。俺は魔法防衛部隊の大隊長、つまりさっきまでの奴らは前座だ。俺のベクトル操作魔法の前ではどんな攻撃も効かんよ。」


顔に大きな傷のある大男が魔法陣の面積を目一杯使ってやってきた。土木の現場工事の方が似合いそうなぐらいガタイが良くて日焼けしている。なるほど確かに、この男が一番強いようだ。修羅場を潜り抜けてきた雰囲気がある。強者特有のオーラ、とでも言おうか。スマートコンタクトレンズも、顔に傷がある大男を一番脅威度が高いと警告している。


「次から次へと、取ってつけたような個性ばかり並べやがって。俺は打ち切りマンガ家の編集者じゃ無いんだぞ?」


レオは思いっきり大地を踏み締めて剣を振りかぶった。現在、4月3日午後4時。



第三者から見たら多対一。多勢に無勢。しかも多数派はB国を守る要の精鋭部隊だ。結果は日を見るよりも明らかに見える。しかし、実際の戦いは互角、泥沼のような混沌に突入していた。激しい攻撃と防御の応酬が続き、周囲の空間そのものが破壊の舞台となる。


刀身に雷を纏わせた剣士と、剣尖に爆炎を纏わせた槍使いが左右から攻めてくる。

特に雷撃はまずい。ガードを貫通して直接ダメージを負うだけではなく、パワードスーツの出力も落ちる。つまり、剣で受けることもできるだけ避けたい。

「ほう、武器に魔法を宿らせるか。面白い。」

レオが呟くと同時に、炎をまとった槍が一直線に突き刺さるように飛び込んできた。鋭い速度と火の輝きが相まって、攻撃は視界を埋め尽くすほど迫力がある。


彼は冷静に剣を構え、槍の軌道に剣を沿わせることで攻撃を受け流した。そして、流れるような動作で槍使いの懐に入り、槍使いの両腕を切り落とした。だが、槍使いの両手には透明なバリアが張られていて、レオは彼を仕留め損なった。


「おいおい、俺を忘れるとなんて寂しいじゃんよ、レオさん♪」


槍使いのバリアに気を取られた、一瞬の間隙を縫うように雷の剣士が袈裟斬りを行うが、半歩体をずらして難なくかわす。しかし、レオは追撃ができない。


「チッ」


軽い口調の金髪ロン毛のバリアが鬱陶しい。本気の踏み込みでも2撃必要なほど硬い。一人ずつ数を減らしたいが、敵の致命傷は奴が守るようだ。


更に厄介な存在がもう一人居る。ベクトル操作を行う敵の大隊長だ。


「やぁっ!」


炎の槍使いが再び鋭い突きを放ち、後ろから雷の剣が襲ってくる。槍を掴み掴んだ手を支点に体を浮かせ、槍使いの脇腹に回し蹴りをかます。が、脇腹にはバリアが張られている。蹴った勢いで空中で方向転換を行い、雷の剣士に肉薄する。剣士の足を刈り転ぶ剣士の後ろから頭部と胴体を分けようとしたが、レオの剣筋は奇妙に歪み剣士を傷つけることなく地面に突き刺さる。


そして、四方八方から植物の根が意思を持つかのように鋭く突き刺さってくる。手の甲や足先にパワードスーツの装甲を集中させ最小限のダメージに留めながら後ろに下がるが、地面に刺さったレオの剣を植物使いの僧侶に回収されてしまった。


「こんな物騒な物を持つから地獄に行くんです。大人しくその身を差し出せば天国に行けますよ。」


「流石にこれは、手強いな。」


「おっ、かつての伝説は現実を受け入れ、新しい時代に託すことを決めたか?」


顔に大きな傷をつけた大隊長がガハハと大口を開けて笑う。こんなガサツな見た目をしてベクトル操作という繊細な能力を完璧に使いこなすもんだから、人を見た目だけで判断してはいけないのかもしれない。


「さて、そろそろ俺も動くか。」


部隊の後ろで鎮座していた大隊長がつぶやいた瞬間、数十メートルの距離を一瞬で詰めレオの目の前に現れた。


「は?」


咄嗟の出来事に反応が遅れた、そう気づいた瞬間には熊のような巨大から放たれる右のアッパーがレオの腹部に到達する寸前だった。


急いで両手を差し込み手のひらと全身で大隊長の攻撃を受け流し後ろへ跳んだ。だが。


「グハッ。」


レオは吐血した。腹部のパワードスーツには亀裂が入っていない。

「ベクトル操作で自身の速度を増幅させ、攻撃は鎧を貫通して体内にぶつけたのか.......!」


「ほう、今の一撃でそこまで見抜いたのか!やるな、伝説。だけど、分かったところで対処できるか?」


雷や炎の近接攻撃、ピンチの時はバリアとベクトル操作による防御や支援、遠距離から植物の根、完璧な布陣にじわじわと気力や体力、スーツの能力を削られていくレオ。


パワードスーツの破片が飛び散る中、レオは体勢を崩しかけるが、壁に手を突き踏みとどまる。その衝撃によってスーツの一部にさらに深刻なダメージが蓄積し、システムが警告を発し始めた。だがその目はまだ死んでいなかった。


「このままだと俺は負けるかもな。ここが能力の使えない俺の限界ってところか。」


「やけにあっさり認めるんだな。ならさっさとくたばってくれるか、かつて伝説と呼ばれたテロリストよ。世界中がお前に怯えているんだ。8歳になるうちの娘もレオが怖いって昨日はなかなか寝てくれなかったんだぜ?」


大隊長の言葉に青スジを立てるレオ。


「俺がテロリストだと?先にタイムリープの刺客を仕向けてきたのはお前らB国、軍事行動を行って我が聖域を汚したのはA国だろうが!」


戦闘中にもかかわらず、レオの気迫に押されて沈黙し萎縮する国防部隊の戦士達。それらの雰囲気を吹き飛ばすかのように大隊長が笑った。


「タイムリープ?誰のことか知らんが、いつ国を滅ぼすか分からない気まぐれな魔王を人類は放置できないってことだ。あんたも色々あるかもしれねぇが、俺の家族の平和のために死んでくれ!」


大隊長の言葉でやるべきことを戦士達は思い出した。その瞬間、全員からの総攻撃が仕掛けられる。バリアの能力者が全身を球状のバリアで包み突進してくる。さながら巨大なボーリングのようなものだ。レオは防御の態勢を取るどころか、俯いたまま肩を震わせ声を絞り出した。


「タイムリープの能力者を知らないだと?お前らの国の差金だろ。貴様、この状況でよく嘘がつけるな。それに俺は魔王ではない、かつて魔王を倒した戦士だ。もういい、上等だ。この国の料理は好きだったからこの手は極力使いたくなかった。だがもう決めた。この国を焦土にしてからタイムリープの能力者をゆっくり探すとしよう。」


空気がピリつく。レオは風前の灯火のはずなのに、この不気味さは何だ?

「気をつけろ、上だ!」

大隊長の声が戦場に響き渡るが、それは一瞬遅かった。


空から降り注ぐ無数の爆弾が首都の一角を覆い尽くし、轟音とともに建物が崩壊し、炎と煙が巻き上がる。その爆煙は視界を奪い、地上の魔術師たちの動きを鈍らせた。


「ミサイルの軌道を変えろ!」


大隊長は咄嗟に能力でレオの手先である爆撃機を撃ち落とした。仲間を守り、敵の戦力を減らす。素晴らしい判断力。だが、それらは大隊長を引きつける囮に過ぎなかった。


爆炎と爆煙、轟音の嵐の中、大隊長は見た。


レオは直立不動のまま右手だけを前に伸ばし、バリア使いのバリアを押さえつけていた。


「ぐ、うぐぐ、なんで俺っちの全力が止められてんのよ!?俺っちはこの国で一番のバリア使い!バリアは防御だけでなく攻撃にも使える最強の鎧!生身で受け止められるはずがないのよ!」


バリア使いは顔を真っ赤にして両手をバリアの側面に押し付け、球の内側で足を踏ん張っている。しかし、ボーリングの球のように広がったバリアはレオの手より先に進む気配がない。まるで力士をめいいっぱい土俵から押し出そうとする子どものようだ。


バリン!


その瞬間、乾いた破砕音が響いた。


「あ」


レオの右腕が鋭く動き、バリア使いが展開したエネルギーの障壁を、レオの腕が何の抵抗もなく貫通した音だった。


「お前のバリア、広範囲に張ると強度が落ちるようだな。何度もネタを見せすぎだ、愚か者。」


周囲の魔術師たちが目を見張る中、彼はバリア使いの頭を片手で掴み、握りつぶした。血と脳が飛び散る中、レオは手を振ってその汚れを払い落とす。彼の動作には一切の感情がなく、ただ冷徹な効率性だけが漂っていた。水風船を地面に叩きつけた時のような、スイカ割りを連想させるような、B国最強の防御魔法使いは呆気ない最期を迎えた。


爆煙が徐々に晴れ始めると、レオの背後に無数の人影が浮かび上がる。だが、それはB国の国民ではない。いや、人ですらない。爆撃機から爆弾と共に降下してきたのは、レオの屋敷から送り込まれた無人戦闘アンドロイドたちだった。全身を添黒の装甲で覆い、赤い光を放つセンサーが不気味に輝いている。


アンドロイドたちは無言のまま整然と進軍を始め、周囲に残っていた魔術師たちを次々と銃弾を浴びせ排除していく。彼らの動きは機械的で正確無比。炎の槍使いと雷の剣士はお互い背を任せ目の前の銃弾を撃ち落としていたが、百発百中とはいかない。少しずつ被弾し、血の海に沈んでいった。背を敵の隙を見逃さず、一撃で仕留めていくアンドロイド達の様子は圧倒的な力を誇示していた。


さらに、上空からはドローンが次々と降りてくる。それらは地上で即座に展開し、戦場を一層の混沌に陥れた。ミサイルを放ち、銃火器を乱射しながら、植物使いの僧侶を包囲するように動き、彼は業火に焼かれ灰と化した。ドローンは攻撃を止めず、首都の奥深く、首相官邸まで突き進む。テクノロジーが戦況を完全に支配していた。


一方、レオのパワードスーツは爆撃や戦闘によるダメージでところどころ焦げ付き、破損していた。だが、合流したドローンとスーツに組み込まれたナノマシンがその傷を瞬く間に修復していく。


焦げた装甲が音もなく剥がれ、代わりに新しい層がその下から現れる。わずかな時間でスーツは新品同様の状態に戻り、再び完全な防御力を取り戻した。


「さて.....形勢は完全にこちらに傾いたようだな。」

背後に広がるアンドロイドとドローンの圧倒的な布陣を背負い、レオは冷たく微笑む。


爆撃の余韻が消え、戦場は不気味な静寂に包まれていた。焦土と化した街並みの中、レオと大隊長だけが立っている。周囲にはアンドロイドの動作音や、散り散りに撤退する魔術師たちの悲鳴だけが響いていた。


大隊長は身の丈2メートルを超える巨躯を持つ熊のような男だ。その筋骨隆々の体には無数の傷跡が刻まれており、戦場で生き抜いてきた男の重みが伝わる。重厚な鎧の一部は焦げ、砕けているが、その眼光は鋭く、戦意は失われていない。 


「もう一度聞く、他人をタイムリープさせる能力者のことを知らないか?」


「俺は知らん!」

低く力強い声がレオに向けられる。


「そうか。」


レオは冷たく呟きながら、死体の山から剣を持ち上げる。僧侶が所持していたそれは、再び彼の手に収まり、薄暗い光を反射した。


大隊長は息を荒げながら、レオを睨みつけた。

「知らんと言っただろうが......貴様が何を言おうと、この国を、家族を守るためにお前はここで殺す!たとえ刺し違えてでも!」


レオはスマートコンタクトレンズを通じて彼の表情を分析した。Alは即座に判断を下す。

「タイムリープ能力者を知らない。どうやら嘘はついていないな.....だが。」


剣を軽く振り、血を払うレオ。背後に広がる破壊の光景を一瞥すると、再び大隊長に視線を向ける。


「まあ良い。どっちにしろ、お前は脅威だ。ここで消す。」


大隊長の動きが一瞬加速した。まるで時間そのものが狂ったかのように、巨大な体が閃光のようにレオへ突進する。その速度は常人では目で追えないものだが、レオの目はその動きを捉えていた。


レオはその突進をただの直線的な動きとして捉えた。即座に剣を予測地点に置く。刃の鋭い先端が、大隊長の胸元に吸い込まれるように向かっていた。


「チッ!」

大隊長はギリギリでレオの剣をかわし、体をひねる。しかしその動作に無理が生じ、重心を崩して地面に片膝をつく。


崩れた大隊長を見下ろしながら、レオは冷徹に告げた。


「ベクトル操作の弱点だ。」

レオは剣を軽く振りながら、一歩一歩ゆっくりと間合いを詰める。

「自身や味方を加速させることは脅威。だが、早く動けば動くほど、その動きは単調になり読みやすくなる。」


剣を肩の高さに構えた。

「こちらがカウンターを仕掛ければ、速度が乗った分、勝手にダメージが増えるというわけだ。」


大隊長は荒い息をつきながら立ち上がる。


「まだだ!」

彼の瞳に宿る執念が一瞬輝き、ベクトル操作を用いてレオの剣を操り喉元へ突き刺そうとした。重力そのものを操るかのような力で剣を反転させ、まるで投石機のようにレオに向けて弾き返す。


鋭い刃が空を裂き、レオに向かって飛ぶ。

「ほう。」

レオはわずかに身を引くことで剣の軌道をかわし、背後でそれが瓦礫に突き刺さる音が響く。


「弱点その二。」

レオは振り返りもせず、背後に突き刺さった剣を引き抜き、なおも間合いを詰める。


「その能力、繊細すぎる。」

彼は静かに歩を進めながら続ける。

「複数箇所で同時にベクトル操作なんてできない。正面を守れば背中がガラ空き、攻撃すれば防御が疎かになる。」


大隊長は動揺を隠せず、無言のまま次の攻撃を模索している。


「何より。」

レオの目が、大隊長の顔面に走る大きな傷跡に向けられた。


「その顔の傷。ベクトル操作で攻撃が効かないはずなのに、どうして傷を負っている?その顔が、その無敵の能力にすら弱点があることを証明している。」


その言葉に、大隊長は歯を食いしばりながら再び構えを取る。

「黙れ……まだ終わってねぇ!」


「いや、終わっている。」

レオの声は冷たく響き、戦場の静寂を切り裂いた。レオが剣を振り抜こうとした瞬間、大隊長の背後に影が動いた。冷静に銃を構えたアンドロイドが、寸分の迷いもなくその引き金を引く。


パン!パン!パン!

重厚な音が狭い空間に反響し、火花とともに銃弾が放たれた。


高精度な射撃により、銃弾は大隊長の背中に次々と穴を空ける。分厚い筋肉を買き、鋼のような体が崩れていく音が響く。

大隊長の動きが鈍り、口から血が一筋流れた。


「だから言っただろう、後ろが疎かだと。その能力なら最前線に立ち続ければ良いものを。後ろで仲間の様子を見ることに徹しているから、大方予想はついていた。高い集中力を要するか、使用回数に制限があるかだろうと。」


大隊長は何かを言おうとしたが、声にならなかった。膝が地面に沈み込み、やがてその巨体が完全に崩れ落ちる。


レオは剣を下ろし、視線を冷たく大隊長の遺体に向けた。

「.....あっけない最期だったな。」


アンドロイドが銃口から煙を漂わせたまま、レオの後ろに下がる。爆撃の余韻がまだ街に響き、焦げた瓦礫の匂いが鼻をつく。だが、レオの心はどこまでも静かだった。

周囲には動く者は誰もいない。魔術師たちの屍があたりに散乱し、つい先ほどまでの激闘が嘘のように、静寂がその場を支配していた。


首相官邸はかっての威厳を失い、瓦礫と血の匂いが染みついた静かなパ墟と化していた。防衛隊を殲滅し、レオが足を踏み入れたとき、そこにいた政治家たちは完全に戦意を失っていた。

震えながら膝をつき、彼らは一斉に命乞いを始めた。

「降伏します!もう抵抗はしません!どうか、命だけはお助けを!」

その必死さは滑稽ですらあり、かつて権力を振りかざしていた彼らの面影はどこにもなかった。


「全面降伏か.....A国と同じだな。」

レオは彼らの命乞いを一瞥し、何の感情も見せずに言った。その声は冷たい刃のように官邸の空気を切り裂く。

彼の剣が振り下ろされるたび、首相官邸の床に鮮血が広がり、次々と政治家の首が勿ねられていく。命の重さを問うことなく、彼はその裁きを機械的に繰り返した。


すべてが終わり、死体の山の中でレオは一人佇んだ。念のため、首を刎ねる前の政治家達にタイムリープ能力者について問いただしていたが、返ってくる答えは同じだった。

「本当に知りません!タイムリープなんて、聞いたこともありません!」


彼らの表情、声色、動揺の仕方、すべてが真実を語っているように思えた。レオのスマートコンタクトレンズも嘘の兆候を検知しない。


「国防大隊長が知らない暗殺部隊を、政治家が隠し持っている可能性もあったが......それも空振りか。」

レオは剣を鞘に収めながら、低く呟いた。

罪の意識

「じゃあ、俺にタイムリープの能力をかけたのは一体どこのどいつだ?」

レオの問いは虚空へ消え、答えはなかった。


ふと外を見ると、崩壊した街並みが見えた。煙が立ち上り、瓦礫と化した首都。そこには二度と元に戻らない景色が広がっていた。


「つまり、俺は先走って二つの国を滅ぼした世紀の大犯罪者ということだ。」


乾いた笑みを浮かべ、レオは自嘲気味にいた。


俺は870歳、もう九世紀も生きている。世紀の大犯罪者という肩書きすら矮小な二つ名なのかもしれない。


その目に後悔は見えない。ただ、どこか遠くを見つめるような虚無が漂っていた。


すべてを終えたレオは、ゆっくりと首相官邸を後にする。彼の背中を見送る者はもういない。

周囲は静まり返り、彼の足音だけが虚しく響く。空にはまだ無数のドローンが旋回しており、戦闘の終わりを告げるように爆煙の中を飛び交っていた。


「帰るか、我が家に。そういえば今は何時だ?」


スマートコンタクトレンズの視界の端には、4月4日、午前1時が表示されていた。


「また今日もタイムリープをしていないのか。どんなルールで発動するのか、もっと詳しく調べないとな。」


タイムリープから一時的に脱出し、レオを敵視していた国を2つも潰した。なのに、レオの気は晴れなかった。焦土と化した更地から空を見上げると、戦火の煙で星はよく見えなかった。


第5章 誰が為のやり直し


わずか2日間で2カ国を滅ぼした男、レオの存在は世界を震撼させた。各国のメディアは彼を「史上最悪の犯罪者」として非難し、世論は連日彼への恐怖と怒りで沸き立っていた。かつては格闘大会のスターとして世界中から愛された彼も、今では誰もが避ける存在となっていた。


C国も例外ではない。国際的な格闘大会「バトルグランプリ」を主催していたグローバル企業を抱える彼らは、レオの力を恐れ、入国を断る旨を遠回しに伝えた。その理由は明確だった。彼が滞在すれば、その国が次の戦場になる可能性が高いからだ。レオに逆らい標的にされるリスクもあったが、レオはこれまで散々もてなしてくれたC国を滅ぼそうとは思わなかった。


4月4日の現在、レオは趣味で買い取った離島の別荘に身を隠していた。周囲を遮るもののない広大な海と、どこまでも澄み渡る青空が広がっている。静けさの中、彼は手に入れたばかりのコーヒーを片手にベランダに座り、穏やかな波音を聞きながら空を見上げていた。周りには数人の使用人兼彼女、いや、身の回りの世話をしてくれる彼女もいるし、使用人だったが彼女になった人も居るが、この際どっちでも良い。レオを恐れた使用人達は軒並み祖国に帰した。


「お前らも、実家に帰りたくなったらいつでも言え。こんな大犯罪者と居たらロクな死に方をせんぞ。」


「レオ様、怒りますよ。」


「そうです、私達は自分の意思でここに残りました。レオ様が居る場所が、私の実家です。」


「そもそも行くあてもない私を拾い、育て、愛してくれたのはレオ様ではありませんか!今こそそのご恩を返す時だと思っています!」


その言葉に、数十年ぶりに目頭が熱くなった。命を賭けた死闘とは違う高揚感を悟られたくなくて、レオは手を払う仕草をして彼女らを部屋から追い出した。

現在残っているのは、レオのことを心底信頼している人達だけだ。


しかし、その空っぽさは拭えない。この島以外に、もはやレオの居場所はなかった。かつて所有していた世界中の別荘は、次々と差し押さえられ、破壊される始末だ。人々の恐怖と怒りは、もはや彼の資産にも容赦しなかった。だが彼もそれを予期していた。いつ起きてもおかしくない事態だったのだ。


レオは準備をしていた。これまで世界各国に散らばっていた無人機やアンドロイド、武装ドローンの全てを、この離島へと集結させていた。島の倉庫には山積みになった補給物資、エネルギーセル、最新鋭の兵器群そのすべてが、彼の残された戦力の集大成だった。


ベランダから見える風景の中、数機の大型ドローンが物資を運ぶ姿が見えた。島内では数十体のアンドロイドが整然と動き、倉庫の物資を整理している。


島の静けさが、彼の中の空虚さを際立たせる。誰も彼を迎え入れる場所はない。かつて彼を称賛した観客の声も、今や怒りと恐怖に変わっている。


「結局タイムリープ能力者も見つからず、振り上げたこぶしは無関係な第三者を殴った。俺は一体、何のために戦ったんだろうな。」


レオは空を見上げた。風が穏やかに吹き抜け、鳥たちが群れをなして飛んでいく。彼がその鳥の群れを眺める眼差しは、どこか遠い未来を見据えているようだった。


離島の居間に置かれた大きなテレビスクリーンが、静かな室内に悲痛な報道を映し出していた。画面にはA国とB国の街並みが映されている。かつては先進的なビルが立ち並び、人々が活気に溢れていたA国。緑豊かな風景の中で、人々が自然と共に暮らしていたB国。だが今、その風景は見る影もない。


爆撃で焼け焦げた建物、瓦礫の山に埋もれた道路、命を失った人々を覆う布。それらを背景に、泣き叫ぶ遺族や逃げ惑う住民たちの姿が繰り返し映し出される。報道は、A国とB国の主要都市が隣国による侵略戦争の標的となり、壊滅的な被害を受けていることを伝えていた。


「かつてのA国は、科学技術の先進国として知られていましたが、その技術が今は焼け跡に埋もれています。一方、自然豊かで魔術文化が息づくB国は、かつての美しい景観をすっかり失い、戦火に飲まれました。2カ国が滅びた原因、それは、一人の男による暴虐です。」


レオの名が画面に映る。彼がA国とB国の政府中枢を襲撃する映像や、戦場の様子を撮影した映像が繰り返し流され、解説者たちが彼の責任について激しく議論を繰り広げている。


「諸悪の根源はあいつだ!」

「世界の平和を脅かした存在!」

「どんな理由があろうと許されない!」


その一言一言が、テレビを見つめるレオの心に鋭い針のように突き刺さる。彼はソファに腰掛けながら、無言で画面を見つめていた。表情には動揺の色はないが、わずかに握りしめた拳が、彼の内心の苦悩を物語っている。


C国はレオにミサイル攻撃から守ってもらっているが、決してそのことを公表しなかった。そもそも標的はレオだったうえに、ここでレオの肩を持つとC国も非難の的にされるからだ。


「他の番組に変えてもよろしくでしょうか?」

後ろから控えめな声が聞こえた。使用人の一人が、レオの視線を気遣うように尋ねる。


「ああ、頼む。」

レオは低く静かな声で答えた。使用人は判断を保留したまま、リモコンを手に取ってチャンネルを変える。次の番組でも、話題はやはり同じだった。隣国の侵略、焦土と化すA国とB国、そしてその原因として名指しされるレオ。


「ふん、結局どこも変わらないな。」


「…コーヒーのおかわりお待ちしますね。」

レオはため息をつき、ソファに深くもたれかかる。使用人は申し訳なさそうにリモコンを置くと、静かに部屋を後にしようとした。


「待て。」


レオは使用人の美女を呼び止める。


「今日は、もう働かなくて良い。代わりに、ここにいろ。」


「レオ様…。」


彼の視線は、ニュース画面の中で泣き叫ぶB国の人々に戻る。誰かが瓦礫の下から助けを求めているのだろう。だが、その声は放送を通じて届くこともなく、ただの無音の映像として流れている。


「飯の美味い国だった。」


ポツリと呟くその声には、明らかな後悔が滲んでいた。かつて、B国の田舎町で食べた地元料理、そして昨日食べたカフェでのバターとサラダの匂いが混じった卵サンドを思い出す。素朴な味付けだが、心の底から温かい気持ちになれたあの味。あの土地の美しさ、あの人々の笑顔、それがすべて失われた今、彼の胸には重苦しい何かがのしかかる。


「結局、俺は救いじゃなく、破壊をもたらしただけか。」

彼は一人呟きながら、映像を見続けるしかなかった。その時、テーブルに置いたレオの手のひらを温かい感触が包んだ。


「レオ様は私達を救いました、これからも救い続けます。ですよね?」


レオの手を握りながら、まっすぐな瞳で美女はこちらを覗き込んでいる。


「ありがとう。そうだな、俺は犯罪者ではなく、お前らの英雄であり続けるぞ、これからも。」


そうして、静かに4月4日が過ぎて行った。だが、この静けさは、嵐の前だから発生したものだと言うことを、この時のレオは知らなかった。


—-


薄いカーテン越しに差し込む柔らかな日差しが、寝室を淡いオレンジ色に染めている。鳥のさえずりと波の音が心地よく響き渡り、外の景色は平和そのものだった。


その中で突然、静寂を破る声が響く。

「レオ様、おはようございます。4月4日、朝8時です。」

新たな命令を一切聞かない『世界』が、いつも通りモーニングコールを告げた。だが、今日のそれには微妙な違和感があった。


「またか。」

レオは半ば予想していたように、顔を覆った手の間から窓を見やる。昨日と同じ景色。同じ時間。同じ日付、4月4日。B国を滅ぼした翌日に時間が巻き戻ったのだ。昨日の美女とのやりとりも、全てレオの頭の中にしか残っていない。


ベッドから重い体を起こす。これで何度目のタイムリープだろうか。昨日のニュース映像が脳裏をよぎる。あの内容がまた一日中流れるのか。戦争、瓦礫、泣き叫ぶ人々。


「なぜ今回はタイムリープした?一日中俺の島で過ごしたらループした。戦争をしていた2日間はそのまま日付が進んだと言うのに。」


洗面台に向かいながら、レオはとある仮説を立て、静かに笑った。

「まさか、人を殺すと1日時間が進むとでも? この仮説が正しいなら、つくづく意地が悪いな、この能力者は。」

鏡の中の自分が冷たい目で見返してくる。その瞳にはかつて戦いに飢えていた頃の高揚感が微かに残っていた。


「人を殺せば社会的信用が落ちるが時間は進む。敵が増え自然に死体も増える。俺を利用して間接的に人間を間引きたいのか?」


レオには2つ選択肢がある。4月4日という仮初の平和な日々を無限に繰り返すか、死闘を続けて時間を進めるかという残酷な選択肢。


「たしかに、戦いは楽しかった。死を実感できる時間は、退屈な日常よりも濃密だ。」

声に出して言葉を紡ぐたび、胸の奥に渦巻く感情が形を帯びていく。


レオはダイニングに移動し、使用人らを呼びコーヒーを淹れてもらう。濃い香りが部屋に漂う中、テレビのスイッチを入れると、昨日と同じニュースが繰り返されていた。A国とB国が戦火に包まれる様子、焦土と化した街並み。誰もが「レオが諸悪の根源だ」と非難する内容だ。


コーヒーカップを口元に運びながら、レオは画面越しに自分の行為を見つめる。

「俺が手を下したのは政府と軍だけだ。それでも、無関係な一般人が死んでいく、それは非常に気分が良くない。」


彼はコーヒーを飲み干し、窓の外を見る。美しい海が広がり、水平線には雲がぽつりと浮かぶ。どこにも争いの痕跡はない。しかし、それがかえって胸を締め付けた。


「どうせ連中は来る。」

レオは呟く。各国の軍事連合が、いずれこの島を攻撃してくるのは目に見えている。だが、その迎撃をしたところで何が残る? この力を持ちながら、勝利の先に待つものは何だ?


「世界中を焦土にして、原始時代の暮らしに戻すか?」

自分自身に問いかける声は、皮肉めいていた。そんな未来に何の価値がある? それが本当に自分の幸せなのか?


レオはソファに座り、頭を天井に預けた。

「平和か、戦いか。選択肢が二つしかないとはな。」

目を閉じると、昨日の戦場の記憶が鮮やかに蘇る。斬り裂いた敵、砕けた大地、響き渡る絶叫。そこには確かに生の実感があった。だが、そこに幸福はなかった。


安定した生活基盤があってこそ、日常に戻れるという安心感があってこそ、戦いに集中できるということか。


そもそも、【想像と創造】の能力が使えない状況でタイムリープが続くとレオの体はどうなる?22歳の肉体のまま衰えないのだろうか。それとも、老いていくのだろうか。

今までの記憶だけ引き継いでタイムリープするなら、脳細胞だけは増えているのだろうか。このまま何百年分も「今日」を繰り返せば脳の容量が足りなくならないだろうか。

そもそも、能力で老化を止めたのに汗をかいたり垢が出たり新陳代謝が起こるのはなぜだろうか。


自分の能力と他者の能力が複雑に混ざり合ってしまうと、今後どんな結果をもたらすのか分からない。一つだけ確実に言えることは、このまま受け身で居るのは悪手ということだ。


外では波の音が変わらず穏やかに響いている。その平和な音に包まれながら、レオの胸中には新たな決意が芽生え始めていた。


「まずは平和を取り戻す。タイムリープの能力者を突き止める。この目標は変わらない。」


—-


C国の首都は不穏な静けさに包まれていた。緊張感が漂う理由は格闘大会優勝者が世界的テロリストになったことだけではない。


街中の大型スクリーンに映し出されるニュース映像。銀行の中に立てこもる武装した強盗団、そして恐怖に震える人たちの姿がリアルタイムで報じられている。警察の特殊部隊が現場を取り囲んでいるものの、手詰まり感が漂っていた。


そのとき、パワードスーツを纏い、影のように静かに C国の国境を越えた男がいた。レオだった。


無言で進む彼の目には一切の迷いがなく、目的地はすでに定まっていた。夜の街を縫うように歩き、やがて銀行の裏手にたどり着く。レオは薄暗い非常口のドアを開け、音もなく中へ潜入した。中は物音ひとつなく、強盗たちの気配だけが漂っている。


強盗団のリーダーは手に銃を持ち、指を引き金にかけたまま苛立っていた。

「早くしろ、時間がねえんだ!」

叫び声が響き、人質たちのすすり泣きがかすかに混じる。


その背後、暗がりの中から一歩、また一歩と近づいてくるレオ。靴音さえ立てないその動きに、誰も気づく者はいない。


突然、リーダーの背後に影が映った次の瞬間、リーダーの首が宙を舞う。音もなく振り抜かれたレオの剣が、血のしぶきを描きながら彼の命を奪っていた。


「な、なんだ!」

他の強盗たちが振り返る間もなく、レオは

刃を一閃、正確無比な動きで次々と強盗たちを倒していった。反撃のために銃を構えた者も、レオの剣速の前では何もできず地に伏していく。

数分もしないうちに、銀行の中は沈黙に包まれた。


レオは血のついた剣を無言でふき、人質たちに一瞥をくれた。


「何を見ている、解放したんだからさっさと逃げろ。」


短く言い残すと、彼はその場を後にした。


1時間後、C国ではこの事件がわずかに報じられていた。

だが、強盗団を壊滅させた英雄の姿についてはどのニュースでも触れられていない。


「不法入国したテロリストレオがC国を次の標的にした可能性がある」

と語られるばかりだった。

レオはそのニュースを島の別荘で目にしながら、静かに口元を歪めた。


「まあ良いさ。死んでも良い奴を選んだだけだ。」


そう独り言を呟きながら、彼は剣を手入れし始めた。

信頼回復への道は遠い。しかし、その第一歩は確かに彼自身の手で刻まれていた。


—-


4月5日、『世界』のモーニングコールで目が覚めたレオは、人を殺すことが翌日を迎えるトリガーだとほぼ確信を得た。


レオは静かに椅子に座り、温かいコーヒーを使用人兼彼女達と談笑しながら飲み干していた。

薄く曇った窓ガラス越しに見えるのは、穏やかな青い海。しかし、その水平線の向こうに異変が現れたのは、朝食を終えた直後のことだった。


「水平線が..黒く.埋まっている?」


視界に広がるのは、連なる無数の戦艦、空を舞う戦闘機、そして点のように小さく見える魔法使いや飛竜の背に乗った騎士たち。白く輝く空母の甲板では、次々と戦闘機が飛び立っているのがはっきりと見える。水平線が戦艦と兵器で埋め尽くされ、海そのものが金属で覆われたかのようだった。


「た、大変です、レオ様!」


テレビのニュース番組をつけた使用人兼彼女の一人は叫ぶ。画面には、「世界が結託しレオ討伐軍編成!」と報道されている。


レオは立ち上がり、窓に近づく。その眼光が徐々に鋭さを増していく。


「なるほどな。」

その光景を見て、彼は理解した。世界はついに行動を起こしたのだと。


別荘の屋上に上がると、風が強く吹き抜け、レオの服の裾を揺らす。海を見下ろす展望台からは、さらに詳細な光景が見て取れた。最前列に並ぶ戦艦の砲台が、こちらに狙いを定めているのが分かる。戦闘機は一定の高度を保ちながら、円を描くように旋回している。


空には魔法使いたちの編隊が浮かび、青空を覆う黒い影となっていた。彼らの纏う魔力の輝きが遠目にも見えるほどだった。高度を下げながら、時折放たれる小規模な魔法の閃光が、戦いの予兆を告げているようだった。 おそらくあと30分もすれば彼らの射程範囲にこの島は入るだろう。


「随分と用意周到だな。これだけの規模の艦隊、準備にどれだけ時間をかけた?」

レオは屋上の手すりに手をつき、苦笑する。その表情には焦りも恐怖もなかった。


手元のタブレットに目を移すと、島内に配置されたドローンやアンドロイドたちの映像が次々と送られてくる。わずか数千台のドローン、数百体のアンドロイド、そして砲門。この小さな島で集結させた限られた戦力だった。それをもって、この膨大な連合艦隊と対峙しなければならない。


タブレット越しに、ドローンが水平線上の艦隊に近づく映像を映し出す。戦艦一隻だけでも島を壊滅させられるほどの火力を持っている。その数が数百、誰が見ても圧倒的な戦力差だと分かる。


「まあ、戦いってのは常にそうだ。今まで俺と戦うやつらはこんな気持ちだったのかもしれんな。」

レオは鼻を鳴らして、再び海を見渡した。


「残存戦力、島内のアンドロイドによる迎撃準備、ドローン攻撃体制、全てのチェック完了しました。」

スマートコンタクトレンズ内のAIが冷静に報告する。


レオは目を閉じた。彼の中には、この状況をどう受け止めるべきか、答えがまだ定まらない感情が渦巻いていた。自分が過去2日間で招いた破壊の結果、そして今、世界が総力を挙げて自分一人を潰しにきている現実。


「この島は2時間もあれば車で一周できる程度の広さだ。」


レオは呟いた。島の周囲に張り巡らされた防衛線は、敵の物量の前にはあまりに脆弱だ。まともに迎え撃つだけでは、この戦力差を覆せるはずがない。


だが、レオは決して後退するつもりはなかった。

「さて...準備を始めるか。」


手すりを離し、屋上から階下へと降りていくレオの背中に、朝日が力強く差し込んでいた。戦いの火蓋が切られるのは時間の問題だったが、彼の足取りには迷いの色はなかった。


レオは硬い声で言い放った。

「ここは危険だ。お前らは祖国に帰れ。」


彼の視線は真っ直ぐ前を向き、水平線の向こうに広がる敵艦隊に注がれている。その瞳には揺るぎない決意と孤独の色が滲んでいた。


しかし、彼の背後に立つ女性たちはその言葉を拒絶した。彼の使用人であり、共に戦いの日々を過ごした絆深き仲間であり、そしてレオに心を寄せる者たちでもあった。


「嫌です、最後まで一緒に居ます。」

一人がきっぱりと口にすると、他の女性たちも一斉に頷いた。その瞳には恐怖を押し殺し、彼と共に運命を分かち合う覚悟が宿っている。


レオは振り返りもせずに続けた。

「生きて迎えに行くから、大人しく待っていろ。邪魔だ。背後が気になっていたら存分に戦えん。それとも、お前らは俺が最強であることを信じられないか?」


その声は、優しさを隠そうとするかのように冷たく響いた。だが、彼女たちはその言葉の裏に込められた想いを理解していた。


「レオ様、ご武運を。」


「絶対に迎えに来てくださいね。」


一人が静かに告げると、他の女性たちも小さく頭を下げ、彼の背中に祈りを捧げた。涙をこらえた表情で、大型ドローン数台の背に次々と乗り込む。


ドローンが低い唸り声をあげて浮上すると、彼女たちは最後の別れの視線をレオに向けた。

空に舞い上がる瞬間、彼の姿がどんどん小さくなっていく。それでも、彼女たちはその姿を目に焼き付けるように見つめ続けた。


レオは動かない。ただ、振り返らずにその場に立ち尽くしていた。風が砂を巻き上げ、彼のマントの裾を大きく揺らす。


ドローンが上空で旋回し、散り散りに進路を分けていく。その中には、一瞬でも彼のもとに戻りたいという衝動を抑えられない者もいた。しかし、彼の言葉がその衝動を打ち消していた。「邪魔だ。背後が気になっていたら存分に戦えん。」


それは冷酷な言葉のように聞こえたが、彼女たちにとっては愛情の形だった。彼女たちの胸にその想いが深く刻まれていた。


やがてドローンが空の点となり、完全に見えなくなると、レオはようやく目を閉じ、深く息を吐いた。


「さあ、この俺を倒してみろ。世界よ。」

その一言は、誰にも聞かれることのない呟きだった。


再び目を開けると、水平線に広がる敵艦隊の光景が彼を待っていた。彼は無言で歩き始める。肩にかかるのは、ただ一人で立ち向かうという重い宿命だった。


広がる水平線の彼方から、戦闘機の編隊、飛竜にまたがった騎士たち、そして巨大な空母が迫る。空は轟音と魔力で満たされ、海は艦隊の影で黒く塗りつぶされている。この圧倒的な火力を前にして、レオは静かに呼吸を整える。


「さて、どこから崩してやるか…」


ドローンの背に乗ったレオが急上昇。視界に入りきらないほどの敵の数を見渡しながら、一瞬で作戦を立てる。数十キロの距離を詰めるため、ドローンの速度を限界まで上げた。とても防衛線を貼れる状態ではない。勝つためには、敵の中枢を叩き戦意を失わせる必要がある。長期戦ではなく、短期戦。受け身ではなく、先制攻撃。


レオを乗せたドローンは空気と海面を切り裂きながら連合艦隊の最前線に激突した。


空気の壁を突き破る音が響き、連合軍の一部が彼の接近に気付くが、その頃にはもう遅い。


シャン、ドボンッ!


静かで冷たい金属音が海上に響き渡った時、レオが通り過ぎた範囲の飛竜、魔法使い、戦闘機は体が二つになっていた。


そのまま次々と海面に落下し、巨大な水柱がそそり立った時、連合軍に大音量の放送が流れた。


「なっ!?レオが仕掛けて来たぞ!総員警戒態勢を取れ!」


「気づくのが遅すぎる、所詮は烏合の衆か?」


空母の巨大な甲板に着地したレオは、銃を持った戦闘員達の銃撃を全て右手の剣で弾き返す。精確に打ち返された銃弾は周囲の兵隊の眉間や鳩尾や心臓部に突き刺さり、あっという間に敵軍を混乱と恐怖に陥れた、


空いた左手で素早く手のひらサイズのハッキングデバイスを起動し空母や戦闘機の制御システムに侵入、指揮系統を奪う。空母に侵入してからここまでわずか10秒。


(まずはA国との戦いと同様に、適当に同士打ちをさせて敵戦力を削ごうか。飛竜や魔法使いはAIでコントロールができん。奪った戦闘機類で人と竜を堕とし、機械類はその後ゆっくり潰していけば良い。)


数多の戦闘経験を持つレオの脳は最も効率的な集団戦闘の方法を導き出した。とはいえ、油断は禁物だ。能力が使えないうえに、B国の精鋭達にやられかけたレオにとっては、B国よりも大規模な世界の連合軍は舐めて勝てる相手では無い。途方も無い戦力を相手にするのだから、少しでも体力を温存した戦い方をしなければ。


能力を使えれば、相手の全力を引き出したうえで倒すといういつもの横綱相撲ができるのだが、背に腹は変えられない。


スマートコンタクトレンズを通して、レオの視界に戦闘機や空母の情報が次々と送られてくる。どうやら、海中にも核兵器を搭載した潜水艦がいるようだが、それらも手中に収めた。


「チッ、この範囲までしか力が及ばないのか。」


レオの半径1キロ以内にある機器類はすべてレオの思いのままだ。レオの世界中の別荘にある機器類が壊されていなければ、ハッキング能力をもっと向上させられたはずだが、今はそれを嘆いても仕方あるまい。


連合軍の戦線は水平線を覆い尽くすほど、少なくとも100キロメートルは広がっている。つまり、レオが半径1キロ圏内を支配したところで、戦況に及ぼす影響は雀の涙程度なのかもしれない。だが、レオが移動するたびに支配領域は変わる。彼の作戦は生き物の殲滅と機械類の掌握、この方針に変わりはない。


レオの意思を汲み取った空母の主砲は、本来空母の味方であるはずの騎士を乗せた飛竜や魔法使い達に向けられる。レオは少し口角を上げた。


「爆ぜろ。」


ドッゴッォ!


轟音と共に飛竜や魔法使いは虫除けスプレーを浴びた蚊のように撃ち落とされる…はずだった。


気づいたらレオは空母から空中に投げ出されていた。


「な…んだと!」


目まぐるしく回る空中で姿勢を制御し、ドローンの足を掴んだレオの視界には変わり果てた空母が映っていた。空母はまるで板チョコにチョップをしたかのように真ん中から大きくひび割れ、海に飲み込まれ始めている。シーソーで反対側に大人が座った時のように、空母の甲板にいたレオは大きく弾き飛ばされたのだ。


空を舞うレオに向かってくる飛竜騎士と魔法使い達を空中で難なく斬り伏せながら、彼は顔をしかめた。


「まさかこいつら、俺を倒せるなら味方をいくら犠牲にしても良いと思っているのか?」


とんでもない爆音とともに、レオの乗っている空母が真っ二つに割れた。空母は連合艦隊の攻撃の余韻を残しながらゆっくりと傾いていく。爆炎と黒煙が甲板を覆い、切断面からは無数の火花と油の混じった蒸気が噴き出していた。


切断された船体が鉄骨の軋む音を響かせながら、静かに海底へと向かっていく。切断面には、細かな配線やパイプが千切れたまま剥き出しになり、それらが波に揺られながら水中へ引き込まれていく。


どうやら、レオが手中に収めた空母ごと連合軍が攻撃してきたらしい。空母に乗っていたクルー達は当然無事では済まないだろう。


周囲の海水には油が広がり、その上に炎が薄く揺らめく。水面に漂う無数の残骸や浮遊物が、破壊の壮絶さを物語っていた。


「完全にイカれている!いいぞ、そう来なくては!俺と戦うにふさわしい相手だ!」


ルール無用の何でもありな殺し合い、ミスったら終わりの一発勝負。最高じゃないか、そう思ったレオは逆境にもかかわらず楽しそうに笑った。


レオは飛竜の翼を切り裂き、魔法使いの杖を叩き折りながら空を舞う。


一見優勢に見えるレオの視界に、自らの島が爆炎に包まれる光景が映った。連合軍の艦隊から発射されたミサイルが、島の中心部にある電波塔に命中し、崩壊する瞬間がスローモーションのように見える。


電波塔だけでなく、予備のパワードスーツやAI制御システムを格納していた施設が次々と火炎と煙に飲み込まれていく。食糧庫も同様で、何週間も耐えるつもりだった補給物資が一瞬にして灰と化した。この状況は、長期戦での勝機が更に薄くなったことを示している。


レオの視界に、スマートコンタクトレンズが映し出す赤い警告ウィンドウが浮かび上がった。

「現在の島内の破損率は75%です。補給施設、電波塔、食糧庫が完全に機能を喪失しました。」

冷徹な機械音声が、島の状況を無感情に報告する。視界の隅には、島の俯瞰図とともに、破壊されたエリアが赤く点滅しているのが見えた。


「たった数分で75%か....。」


コンタクトレンズの情報は無慈悲なほど正確だった。赤い点滅が島全体に広がり、守りの要であった全ての施設が無力化されていく様子を如実に示していた。電波塔の補助が無くなった今、敵の空母や戦闘機を乗っ取る力も弱体化した。レオは攻撃と防御の手段、さらに精神でさえも削ぎ落とされていく。


「貴様ら、この借りは高くつくぞ…!」


レオは歯を食いしばり、拳を握りしめた。

自分の背後、守るべき拠点が無慈悲に攻撃される様子を目の当たりにしながらも、今の彼にはそれを止める力が無かった。連合軍の戦力を前に、戦線を抜けて島を守る余裕など微塵も残されていない。


不幸中の幸いは、彼女達をあらかじめ避難させておいたことだろう。だが、レオが帰る場所を失ったことに変わりは無い。


炎に包まれた島は、夜空に赤々と輝き、その光景は地獄そのものだった。煙の合間から立ち上る火柱が、まるで失われた思い出を嘲笑うかのように揺らめいている。


あのリビングやプールで彼女たちと笑い合った記憶、静かな海辺で語り合った夜、すべてがこの炎に包まれていく。まるで彼の心の一部をえぐり取られるような痛みが、胸の奥深くで爆発していた。


レオの拳は震えていた。それが怒りか悲しみか、もはや自分でもわからない。ただーつ確かなのは、こんな感情を抱いたのは、何十年ぶり、いや、何百年ぶりだということだった。


「貴様ら...。」


彼の低く押し殺した声が、次第に怒りの咆哮へと変わっていく。


「貴様らも地獄を見る覚悟はしているんだろうな?」


次の瞬間、彼はドローンのアクセルを全開にした。瞬く間に加速したドローンは音の壁を切り裂きながら戦場の中心へと突っ込んでいく。


空中では飛竜や魔法使いが行き交い、地上では艦隊が島を包囲して砲撃を続けている。そのすべてがレオの視界に捉えられ、彼の意識は冷静に戦況を分析しつつも、激情に突き動かされていた。


一振りの剣が閃き、空を飛ぶ魔法使いが次々と斬り落とされていく。飛竜の火炎をかわし、逆にその首を叩き落とす。一撃一撃が正確無比で、容赦の欠片もなかった。


「貴様ら全員、あの世で後悔しろ!」


レオの叫びは戦場全体に轟き、彼の周囲を修羅の如き殺気が包み込んでいた。


——


戦闘、いや戦争から約4時間が経過し、その間レオは数えきれないくらいの敵を斬り伏せた。雨粒が水たまりに落ちるかの如く、海に飛竜や人や戦闘機が落下していく。だが、際限なく敵は湧いてくる。ノンストップで命のやり取りを続けるのは、いくら世界最強の戦士でも骨が折れる。


「そういえば、400年くらい前に無限再生する蛇と戦ったことがあったな…。あれは、どうやって勝ったんだったか…。そうか、【想像と創造】を使って…いや、今は使えないんだったな。」


手足が痺れ、意識が朦朧とし始めた。関係ないことが頭の片隅にチラつき出した。


その瞬間、レオの体に異変が起きた。


体が急に重くなる。まるで空気そのものが鉛に変わったかのような感覚だ。戦闘機も同様に制御を失い、海に向かって急降下を始めている。


「なんだ…?」


レオは周囲を見回すが、すぐに異変の原因に気付く。ヘルメット内のディスプレイが真っ暗になり、スマートコンタクトレンズが無反応。パワードスーツの動力系も停止し、ただの鉄の塊となった。全身にのしかかるスーツの重さが、筋肉にじわじわと負担をかけてくる。


「なるほどな、電子機器操作の能力者か…!」


冷静に状況を把握しつつも、内心の焦りを抑えられない。パワードスーツのサポートがない今、スーツの重量がそのまま彼の動きを制限している。そして、戦闘機のパイロットもまた電子妨害の影響を受け、必死に機体の制御を取り戻そうとしているが、叶わない。


「ちっ…ここで沈むわけにはいかねえ。」


戦闘機が海面に激突する寸前、レオは翼から飛び降り、最後の一瞬で振動を最小限に抑えるよう体勢を整える。だが、パワードスーツの重さが彼を引きずり、海面に叩きつけられる音が響く。


海の冷たさが全身に染み渡る中、彼は即座に動き始める。鉄の塊となったスーツが沈もうとするのを感じながら、全力で脱出を試みる。スーツのジョイントを外し、最低限の装備だけを残して浮上しようとするが、電子機器の一切が動作しない今、手動操作だけが頼りだ。


浮上する中で、レオは電子機器操作能力者の居場所を推測する。遠くの空母の甲板に佇む人影が目に入る。その周囲を防御魔法の障壁が覆い、厳重に守られているのが見える。


「クソが…俺を妨害してる張本人ってわけか。」


海面から顔を出し、息を整えながら、次の一手を考える。電子機器に頼らず、この状況を切り抜ける方法を模索するレオの目が、不敵に輝いていた。

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最強の倒し方 ダイノスケ @Dainosuke11

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