私の少し遅いお笑月

不弁

第1話

 私は初笑いという季節が嫌いだ。

 店頭のテレビに映る芸人も、SNS上の有名人も、だれかれ構わず私を笑わせようとして来るこの期間が大嫌いだ。

 新しい年が来たんだから、幸せな事が起きたんだから、みんなで一緒に笑いましょう!という同調圧力。

 はっきり言って気持ち悪い。

 なんで笑わなきゃいけないんだ。

 今この瞬間、憂鬱な気分の人だっているんだ。

 そんな人たちにも平等に笑いを押し付け、笑っていないのが異常に見えるこの時期の事を、大人になった私はいつの間にか嫌いになっていた。




「いらっしゃいませ!」


 ガラガラの電車に揺られて数時間。職場での私は笑顔で接客をこなすアパレル店員だ。


「すみません」


 1人の壮年の女性に声を掛けられる。


「いらっしゃいませ!どうされましたか?」

「この商品はキャンペーンに含まれるの?」

「はい、含まれますよ!そちらの商品を購入されますとポイントが10倍になります!」


 新春キャンペーン。1月初旬の間続くこのキャンペーンのせいで、当店は連日人だかり。


「店員さ~ん、ちょっといいすか~?」

「は~い!ただいま!」


 私は人混みをかき分け、接客対応、在庫補充にレジ応援、店の端から端まで縦横無尽に動き回る。

 猫でもなんでもいいから手を借りたい気分だ。

 だというのに、インフルエンザでバイトは来ないし、クレーム対応はひっきりなしだし。これで笑顔を崩しちゃいけないとか、正直やってられない。でも、やらなければいけないわけで・・・。


「あーめんどくせー」




「ちょっとあなた」


 私は驚いて後ろを振り向く。

 そこにはド派手な赤色のコートを着たふくよかな中年女性が立っていた。


 さっきの独り言が聞こえてた?

 結構小さい声でつぶやいたし、マスクもつけてから大丈夫だと思ったんだけどなぁ。またクレームかぁ。


「いらっしゃいませ~!どうされましたか?」


 とりあえず私は素知らぬ笑顔で、内心ではうんざりしながら、目の前のお客様の応対をする。


「あなたの笑顔素敵ね!」

「・・・え?」


 平謝りのシミュレーションをしていた私は、あまりにも予想外の回答に呆気にとられた。


「こっちまでいい気分になるわ!新年だもの、そうやって笑わないとね!」

「え、ええ。ありがとうございます」

「この後もお仕事頑張ってちょうだいね!」


 そう言ってその中年女性は颯爽と人混みの中へ消えていった。




 変な人だったなぁ・・・


 戸締りを終えた私は、ロッカーからアウターを取り出し、帰り支度を整える。


 そんなに私の笑顔は良い物だったんだろうか。


 備え付けの鏡に向かって笑顔を向けてみる。そこには薄っぺらな作り笑いを浮かべる自分の姿があった。


 それとも笑顔だったから良かったのか。笑顔じゃなければどうだったのか。

 私が笑う事で誰かが幸せになるなら、笑っているべきなんだろうか。

 そもそも『笑っている』ってなんなんだろうか。


 ロッカーを勢いよく閉める。


 とりあえず・・・明日から休みだ。お酒でも買って帰ろう。


 私は、私の頭の中で話す私を大きな音で黙らせ、重たい足を引きずるようにして帰路に付いた。




 翌朝、私は設定しっぱなしのアラーム音にたたき起こされた。

 仕事だと思って飛び起きた私は、洗面台の鏡に映る自分のひどい顔を視認してやっと、今日が休日である事に気づいた。

 部屋に戻ると、机の上にはコンビニの袋が置かれていた。中には弁当とお酒の缶が何本か。

 結局私は、帰宅してからお酒も飲まずベットに倒れ、そのまま朝まで眠っていたわけだ。

 何故か部屋着に着替えていたけど全然記憶にない。多分どこかで1回トイレで起きたんだろう。


 ベットへ戻ろうと足を踏み出すと、足裏に痛みが走る。足元を見ると、薄暗い室内で判然としないが、どうやらアクセサリーを踏んだらしい。

 部屋を見回す。床には脱ぎ捨てたままの衣類や出しっぱなしの化粧道具やアクセサリー。

 キッチンの方を見ると、一昨日の食器が水につけたまま。いや、あの皿は三日前だったような・・・。


 ちょっと汚いな。

 今日一日はゆっくりする予定だったけど、仕方ない。


 私はベットには行かず、カーテンを開けた。

 冬の晴れた空が嫌味ったらしく顔を覗かせ、なんだか損した気分になって溜息をついた。

 私は、年末年始の繁忙期に忙殺されて出来なかった大掃除を行う事にした。




 明けた窓から入る、隣家の昼食の匂いが私のお腹を刺激し始めたころ、押し入れの奥から一冊の本が出てきた。

 高校の卒業アルバムだった。


 実家においてあるものと思っていたけど、いつ持ってきたんだろう。ここに引っ越すときかな?


 おもむろに中を開き、自分のクラスのページを探す。


 あった!懐かし~!というか、みんな若~!


 集合写真に写る自分とクラスメイト達若く、黒板には当時流行っていたギャグなんかが書かれている。

 ペラペラとページをめくっていくと、体育祭や文化祭、修学旅行で取られた写真達が、私の楽しい記憶を思い出させる。


 そういえば今日の夜だっけ同窓会。皆元気にしてるかな~・・・。


 新年のあいさつはSNS上で行ったけど、彼ら彼女らと実際に会ったのなんてもう何年前だろうか。

 大学生の時に開かれた会に出席したのが最後で、社会人になってからは一回も顔を出していない。

 そうするともう3,4年はあってないかな?え、もうそんなに経つの!?信じられない。


 社会人になってからというもの、時が経つのがどんどん早くなり、気づけばそんな年数、友人達と会っていない事に驚いてしまった。


 ・・・今から帰ったら間に合うかな。


 毎年恒例のごとく誘いを断ってしまったけど、今から出席しても迷惑にはならないかな。

 いや普通に迷惑でしょ。でも、久々に皆に会いたいし~・・・!


 悶々と考えていると、目の端に捉えていた机の上に出しっぱなしの卓上鏡に、自分の表情が写っている事に気づいた。


 笑ってる・・・?




 突然、甲高く不快な着信音が部屋に鳴り響き、心臓が跳ね上がった。

 スマホを確認すると、上司からだった。


 なんとなく嫌な予感がした。この電話には出るべきじゃない。

 でも、予想と違ったら、昨日何かミスをして今日のシフトの人に迷惑をかけていたら。

 そう考えたら、出ないわけにはいかなかった。


「もしもし、ウツギです」

「お疲れ様、マツシタです。今大丈夫?」

「はい」

「明日予定ある?」


 やはり出るべきじゃなかった。


「すみません。もうクリスマス辺りから10連勤してるんで無理です」

「後2日はいけるから、頼むよ!インフルでみんなダウンしてて、明日出れそうなの君しかいないんだよ!」


 後2日行けるって何?なんであなたが私の体調分かるんですか?

 それに知ってますよ、明日のシフトが昨日と同じな事。私とあなたが入れ替わっただけな事。


「そりゃ休みたいのは分かるよ。でも、君が来れないなら明日の人たち大変だよ?お客さんだって困っちゃうし・・・」

「知りませんよそんな事。あなたは昨日まで正月休み満喫してたじゃないですか?あなたが何とかしてくださいよ。」


 こういった理不尽は社会に出てから幾度となく受けてきた。

 いつもなら愛想笑いを浮かべて、『仕事だし』と言い訳するところだ。

 内心を吐露すれば職場に居づらくなる。我慢して笑う事が正しい大人の対応だ。


 あなたは私の上司ですよね?なんで私より能力劣ってるんですか?役職名は飾りじゃ何ですよ。

 それにあなた、私に仕事させてたっぷり休んでたじゃないですか。体力有り余ってるでしょ?ふざけてるんですか?


 でも今日はいつもよりも、内から漏れ出る自分の声を煩く感じていた。


「ちょ、ちょっと怒らないでよ。スマイルスマイル。落ち着いて」

「スマイル?笑顔?笑えばいいんですか?」

「そうそう。とにかく落ち着いて。僕の話を————————」

「笑ってますよ、いつも!いつもいつもいつもいつもいつも!!笑ってますよ!!笑ってなきゃいけないんでね!!」


 私は頭の中の煩すぎる声を我慢する事ができなかった。大声を上げて、上司に抗議していた。

 私の怒声に慄いてか、電話の向こうの上司は黙ったまま、暫くの沈黙が流れた。


 他人に言う前に、自分が笑えよ。


「ハハッ」


 思わず出てしまった笑い声。

 少し驚いた後、慌てて口を手で押さえるが、後の祭りなのは分かり切っていた。

 確実にスマホのマイクは私の笑い声を拾っている。

 そしてそれを聞いた上司は、私に嘲笑われたと思っている事だろう。


 あ~あ、やっちゃった。次出勤したときにでも退職届出すかな~・・・。


 そんな自暴自棄な考えを最後に、私の頭の中は静かになった。

 すると、今まで考えていた事や体験したことが一つの塊となって、心の中にストンと入り込んだ。

 そして、今私に足りないものが何なのか、今すぐすべき事が何なのかはっきりと認識できた。




「とにかく出勤は無理です。明日の予定は埋まってます。それじゃ」


 私は相手の応答を待たずに電話を切り、上司の電話番号を着信拒否した。

 押し入れの引き出しを片っ端から開けて、旅行鞄に衣服を詰め込んでいく。

 そして同窓会の幹事のSNSに連絡を入れる。


「ごめん!今日やっぱり出席していい!?ご飯とか自腹で払うから!」

「おお、構わんよ!ウェルカムウェルカム!人数は多いに越したことないからな」

「助かります!よろしくお願いします!」


 よかった。次は母に電話だ。


「急でごめんだけど今日そっち帰ってもいい!?」

「・・・ビックリした。はい、気を付けてね。夕飯はいるの?」

「同窓会出るから大丈夫!ありがとう!」

「しかし急ね。何かあった?」


 まぁ帰らないと言っていた娘が突然帰省すると言い出したら、そりゃ気になるか。


「う~ん。話すと色々あったんだけど、何というか、ちゃんと初笑いしたいなと思って」

「どういうこと?」

「端的に言うなら笑いたいって事」

「よくわからないけど・・・まぁとにかく、気を付けて帰ってきなさいね」

「は~い!」


 そう。今私に足りないのは笑う事だ。

 いつも笑っているのに変な話だけど、まだ私は今年に入ってから1度も初笑いをしていない。

 そう思っている。

 だから、ちゃんと心から笑いたい。ちゃんと笑って、またこの季節を好きになりたい。


 そのために私は同窓会に出る。これは足掛かりだ。

 さっき卒業アルバムが私に教えてくれた。

 昔を思い出し、懐かしむと人は口元が緩むことを。

 だから同じなんだと思う。

 この季節の中で、もう一度私が笑うためには、幸福な季節で合った事を思い出さなければいけない。

 友達と遊び、家族と語らい、おせちを食べ、お餅を食べ、こたつでうたた寝をして、年末年始の特番を夜遅くまで見る。

 そういう幸福だったころの記憶を再体験すれば、きっとこの季節の事をもう一度好きになれる。

 ちゃんと笑えるはずだ。


 中途半端に掃除しかけの部屋はそのままに、私は勢いよく玄関を開けた。

 目に映る冬晴れの空は、窓越しに見た時とは打って変わって、すがすがしさを感じさせた。

 冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んで、私は歩き出す。


「待ってろよ!私の初笑い!」

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