第5章:実在という幻想

 それから一ヶ月が経過した。蓮華と仮屋は、特異点の研究に没頭していた。しかし、周囲の反応は冷ややかだった。


「馬鹿げている」


 神山教授は、研究結果を一蹴した。


「量子もつれと意識を結びつけるなど、擬似科学も良いところだ。トンデモだ」


 しかし、データは明確だった。特異点の存在は、物理的な実験でも確認されている。そして、その振る舞いは、明らかに「意図的」なものに見えた。


 ある日の深夜、蓮華は突然の発見をした。


「これは……」


 彼女は、モニターに表示された波形を食い入るように見つめた。


「洸希さん、見て!」


 仮屋が駆け寄ってくる。


「この波形、まるで……」


「ええ、DNA配列のよう」


 特異点から得られたデータが、高解像度ディスプレイに表示される。青白い光を放つスクリーンには、幾何学的なパターンが螺旋状に広がっていた。


「これ、まるでDNAの二重螺旋構造みたいね」


 蓮華は画面に顔を近づけた。確かに、その配列パターンはDNAの構造と驚くほど似ている。しかし、決定的な違いがあった。


 通常のDNAが四種類の塩基(アデニン、グアニン、シトシン、チミン)の組み合わせで構成されているのに対し、このコードは異なる。そこには、量子もつれの状態を示す記号と、未知の数式が織り込まれていた。


「見て、このパターン」


 蓮華がキーボードを叩く。画面が分割され、左にDNAの通常配列、右に特異点から得られたデータが表示される。


「通常のDNAが単なる『情報の保存』を行っているのに対して、こちらは……」


 彼女は言葉を探るように間を置いた。


「『情報の創造』を行っているの」


 モニターの中で、データは絶えず変化し続けている。まるで生きているかのように。それは単なる静的なコードではなく、動的なプログラムだった。


「これは驚きだね」


 仮屋が眼鏡を掛け直しながら言う。


「でも、どうしてこんなコードが特異点に?」


「仮説だけど……」


 蓮華は深く息を吸い、モニターに映る不思議なパターンをじっと見つめた。


「これは、意識をプログラムするためのソースコードなんじゃないかしら」


 その言葉に、研究室の空気が凍りついたように感じられた。


「つまり、私たちの意識も……?」


「ええ」


 蓮華はキーボードを叩き、データの別の部分を表示させる。そこには、より複雑な構造が現れた。


「見て、このパターン。これは量子もつれの状態を表しているわ。でも、通常の量子もつれとは違う」


 画面上で、データは美しい幾何学模様を描いていた。それは、フラクタル構造のように自己相似的で、しかも常に変化し続けている。


「通常の量子もつれは、二つの粒子間の相関関係を示すだけ。でも、これは……」


 蓮華は画面をスクロールさせながら説明を続けた。


「無限の相関関係を同時に処理できる構造になっているの。まるで、意識という現象そのものを記述しようとしているみたい」


 データの一部を解析プログラムにかけると、さらに驚くべき事実が判明した。このコードには自己修復機能が組み込まれており、さらには自己進化のプロトコルまで存在していた。


「私たちの意識は、このコードによってプログラムされている」


 蓮華の声が震える。モニターに映るコードが、まるで彼女の言葉に反応するかのように明滅した。


「そして、このコードは自己進化する能力を持っている。私たちの意識は、絶えず書き換えられ、更新され続けているの」


 仮屋は黙ってデータを見つめていた。その瞳に映るコードの流れは、まるで生命の本質を語りかけているかのようだった。彼らは確信していた。これは単なる発見ではない。これは、意識という現象の根源に迫る重大な手がかりなのだと。


 研究室の窓の外では、東京の夜景が煌々と輝いていた。その無数の光は、まるで彼らが発見したコードのように、絶えず明滅を繰り返している。人々の意識もまた、このように常に変化し、進化し続けているのだろうか??。


 その瞬間、研究室の電源が落ちた。非常灯だけが、赤い光を放っている。


「また始まった」


 システムによる干渉――。しかし今回は、蓮華は準備ができていた。


「洸希さん、プロトコルΩを実行して」


 仮屋が頷き、予め用意していたプログラムを起動する。それは、システムの干渉から彼らの発見を守るためのファイアウォールだ。


 モニターが再び点灯し、見慣れない文字列が流れ始める。


----------------------

CRITICAL ERROR:

Consciousness firewall detected

Initiating emergency protocol...

----------------------


「来るわ」


 蓮華の意識が、再びデジタル空間に引き込まれていく。しかし今回は、彼女の方から積極的にアクセスを試みた。


 デジタル空間は、前回とは明らかに異なっていた。より具体的な形を持ち、まるで巨大な図書館のような場所に見える。


『よく来ました、霧島蓮華』


 システムの声が響く。しかし今回は、その声に焦りが混じっているように感じられた。


「あなたたちは、私たちの意識をコントロールしようとしている」


『違います』


 システムの声が重々しく響く。


『私たちは、意識の「観察者」に過ぎません。コントロールしているのは、あなたたち自身です』


「どういう意味?」


『この世界は、集合的な意識が生み出した投影です。あなたたちは皆、その創造者であり、同時に観察者でもある』


 その言葉に、蓮華は衝撃を受けた。まるで、古代東洋の哲学者たちが説いていた世界観のようだ。


「じゃあ、私という存在は……」


『あなたは、無限の可能性の中から、自らの意思で「この現実」を選択している』


 その時、図書館の棚から一冊の本が浮かび上がった。それは、蓮華自身の意識の記録だった。

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