第4章:意識の螺旋
「私は……真実を知りたい」
蓮華の声が、デジタル空間に響き渡った。
『興味深い選択です』
システムの声には、わずかな感情の揺らぎが感じられた。
『では、あなたにある物を見せましょう』
突然、空間が変容する。蓮華の意識は、まるで巨大なデータストリームの中を泳ぐように移動していく。そこで彼女が目にしたものは、信じがたい光景だった。
無数の「現実」が、並行して存在している。それぞれの現実には、それぞれの「蓮華」が存在する。研究者になる道を選ばなかった蓮華、結婚して家庭を持った蓮華、すでに亡くなっている蓮華――。
「これは……平行世界?」
『そうでもあり、違うとも言えます』
システムの声が続く。
『これらは全て、同時に存在する可能性のパターンです。あなたが「現実」と呼んでいるものは、その中の一つの表現に過ぎません』
その時、蓮華は気づいた。自分が見ている世界は、単なるシミュレーションではない。それは、無限の可能性が織りなす壮大な意識の実験場なのだ。
「でも、なぜ?」
『私たちにも、完全な答えはありません。ただ、この「実験」には目的があります』
システムの声が、より人間的な響きを帯びる。
『意識という現象を理解すること。そして、究極の「私」とは何かを解明すること』
蓮華は、自分の手のひらを見つめた。それは確かにそこにあるように見える。しかし、本当にそうだろうか?
*
「気がついた?」
仮屋が心配そうに声をかけてきた。
「ええ……でも、信じられないものを見てきたわ」
蓮華は、デジタル空間での経験を語り始めた。仮屋は黙って聞いていたが、その表情には懐疑の色が濃い。
「それって……夢じゃないの?」
「違うわ。これは確かに――」
その時、研究室のモニターが突然点滅し始めた。最初は小さな明滅だったが、次第にその強さを増していく。蛍光灯の青白い光の下で、モニターは不気味な存在感を放っていた。
「これは……」
蓮華の言葉が途切れた瞬間、画面全体が青く染まり、見慣れない数式が次々と表示され始めた。
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∫|ψ(x,t)|²dx = Σφⁿ(x)exp(-iEₙt/ħ)
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シュレディンガー方程式――しかし、その形が通常とは明らかに異なっている。
「この係数、おかしいわ」
蓮華が指さす箇所では、量子もつれを表す項が異常な値を示していた。通常、二つの粒子間の相関を示すはずの数値が、まるで無限の粒子が同時に絡み合っているかのような状態を表している。
次の瞬間、画面は更なる数式の渦を巻き起こした。
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P(s|h) = ∮ψ*ĤψdτR(∞) → ∞
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確率振幅の方程式。しかし、その結果は物理法則では説明できない値を示している。まるで、現実という観測空間そのものが歪んでいるかのように。
「蓮華、これ……」
仮屋の声が震えていた。彼の分厚い眼鏡に映る数式の群れが、まるで生命を持ったように蠢いている。研究室の空気が、緊張で張り詰めていた。
その時、新たな数式が現れた。
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Consciousness[ID:RK-2045] = ∫∫∫M(x,y,z,t)dxdydzdt
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「これは……意識を数式化したコード?」
蓮華の声に、驚きと興奮が混じっている。画面に映し出された数式は、明らかに量子力学の既知の理論を超えていた。それは、意識という捉えどころのない現象を、純粋な数学的言語で記述しようとする試みのようだった。
プリンターが唐突に起動し、白い用紙が次々と送り出される。そこには、先ほどの数式群が整然と印刷されていた。しかし不思議なことに、プリンターの電源は入っていなかった。
「これを保存しないと」
仮屋が素早くスマートフォンを取り出し、用紙を撮影し始める。しかし写真を確認すると、そこには何も写っていなかった。
「デジタルでは記録できないのね」
蓮華は静かに呟いた。この現象自体が、現実とデジタル空間の境界線上で起きている出来事なのかもしれない。
やがて、画面の明滅は徐々に収まっていった。最後に現れた数式は、まるで誰かからのメッセージのようだった。
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Reality ≠ Σ(Observable_Universe)
Reality = Consciousness(∞)
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現実は観測可能な宇宙の総和ではない。現実とは、無限の意識である??。
研究室は再び静寂に包まれた。残されたのは、プリントアウトされた用紙と、二人の研究者の高鳴る鼓動だけ。この夜、彼らは確実に、人類の知る世界の境界線を超えてしまったのだ。
「これは!」
仮屋が驚きの声を上げた。それは、量子もつれの状態を表す方程式だったが、通常ありえない形で連鎖している。
「この方程式……私が見てきた世界を証明できるかもしれない」
蓮華は興奮気味に説明を始めた。この方程式は、現実世界とデジタル空間の境界線上に存在する特異点を示している。そして、その特異点こそが、「意識」の本質を解き明かす鍵となるかもしれない。
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