君を、ただ助けたかっただけ。

樋本和己

第1話 サビ残

「さぁてこの次も、サービスサービスゥ!!」


 ってかふざけやがって、俺はサービスを受けるのは好きだがサービスを施すのは嫌いなんだ。

 カチャカチャ、ッターンと思いっきりエンターキーを鳴らし、勢いよく席を立つ。勤怠管理ソフトとタイムカードの打刻という二度手間であろうクソシステムはウチの会社だけなのだろうか、それともこの業界ならどこも一緒なのかと疑問符を浮かべながらも、鞄を手に取る。

 まぁ既にソフトへの入力もタイムカードの打刻も数時間前には完了しているんですけどね、フフっと一人で乾いた笑みを漏らした。

 

 残業を終え、すっかり暗くなった空を見上げ白い息を吐く。

 21時を少し過ぎた頃、今日はいつもより早く帰れたなぁなんて呑気な事を考えながら駅へと向かっている途中の事だった。


 何やら辺りがざわざわと騒がしく、人集りが出来ている。

 イベントでもやっているのだろうか、なんて思う余地もないほどに剣呑な雰囲気。キャーという女性の甲高い声が周囲に響き渡ると同時にある一点を中心に取り囲むように人が壁を作った。


 円の中心を見ると、高校生ぐらいだろうか、髪を明るめの茶色に染め上げた少女と、後ろ姿しかわからないが黒尽くめの中肉中背の男が、2~3メートル程離れて向かい合っていた。


「アカネちゃんが悪いんだ・・・」

「ひっ・・・」


 男の右手には鈍く光る銀色の刃物が握られており、ただ事ではないことを周囲に強烈にアピールしていた。

 アカネと呼ばれたその少女は見るからに怯えていて、逃げ出すことも出来ずに、立っている事が精一杯だろうことが伺えた。


「なんであんな奴と・・・クソっ!」


 男が握り込んだ刃物がプルプルと震える様子を見るに、正に一触即発。何かの拍子に逆上して襲いかねないだろう。そんな雰囲気にも関わらず、周囲の人間は遠巻きに眺めるか、スマートフォンを向けていた。

 

 まぁ、人間そんなもんだよな。自分の命が一番大事だ。この人達にだって家族はいるだろうし、無責任に首を突っ込んで命を張れなんて事を強要なんか出来ねえし。それでもスマートフォンはどうよ?とは思うが。


 正直なところ、そんな事はどうでもいい。

 ようやくだ。

 ようやく舞い降りてきたチャンスに心臓がドクドクと激しく脈を打つ。

 こんな日を夢見ていた。長かった。一日千秋とはこの事だ。

 これでやっと胸を張って

 そうと決まれば早速逝こうか。

 

 周囲の喧騒を気にも留めず、人を掻き分け男の背後から声を掛ける。


「なぁ、アンタ・・・」

「うるさい!! 近づくんじゃ・・・」


 男が振り向いた途端に、間髪を入れずに一直線に距離を詰める。

 何かを考えさせる猶予を与えなければ少女に意識が向く前に自分を刺してくれるだろう。その後の事はこれだけ周囲に人がいるんだ、どうとでもなるだろうというのは無責任だろうか。

 一瞬怯んだ目を見せた男だったが完全に頭に血が上っていたのだろう。俺の思惑通りにこちらに包丁の切っ先を向けた。

 ごめんな、と心の中で男に謝り、そのままの勢いで正面から突っ込んだ。

 

「ここは俺に任せて先に・・・グッ・・・」


 ちょっとふざけてみようと思ったがあまりの痛さにそんな余裕は一瞬で吹き飛んだ。痛いのだ。痛い、というか熱いというか、全身からお前は今から死ぬんだぞとアラートを鳴らされているかのような。

 死が急速に迫ってくる時が一番生を実感するってあれまじだなぁ。


 俺の腹に見事に刺さった包丁を唖然とした表情で見る黒尽くめの男。

 顔からは見る見るうちに血の気が引いていき、ブツブツと呟きながらその場にへたり込む。


「僕は悪くない・・・僕は悪くない・・・」

 

 ルークかよ、なんて心のなかで突っ込んでいると、次第に視界が暗くなってきた。血が足りなくなってきているのだろうか。思考する余裕も無くなっていった。

 あぁ、ようやくだ、長かった。これでやっとに会える。

 あの子は、まぁ・・・なんとかなるだろ・・・。

 

 薄れていく意識の中、女性の悲鳴とパトカーのサイレンが、遠くで響いていた。ような気がした。

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