第3話 幸せな日々


「……あんた、怪我してない? 大丈夫?」


「……あ、えと、右頬を少々」


 彼女の手を借り、立ち上がる。


「ジェシカ? さん。ありがとう、ございます」


「いいのよ。それよりあんた、大丈夫? 見るからに気弱そうだけど」


 第一印象はちょっと失礼な人だな、というものだった。


「そ、そうですか……ね」


「……ま、泣いてないなら大丈夫そうね。なかなかやるじゃない」


「それは、どぉも」


「……もう今日は帰んなさい……!」


 と、彼女は明後日の方向を指差す。


「え?」


「……またゾルたちが来たら大変じゃない! 私もずっとそばにいてあげられるわけじゃないのよ……!!」


 彼女の言うとおりだ。今日は帰るとしよう。


「それも、そうですね。では、今日は本当にありがとうございました」


 深くお辞儀をした後、俺が彼女に背中を向けた時だった。


「待ちなさい……! 一応、家まで着いてってあげる」


「え?」


「いいから、いくわよ」


 そう言うと彼女は俺の手を引いて、歩き出すのだった。


「って、そっちじゃないですよぉおお」





「ここが、あんたんち?」


「はい、そうです」


「ふーん、ここあんたの家だったんだ」


「では、これで……今日は本当にありが……」


 俺が手を離そうとすると、彼女は強く握り返してくる。


「待ちなさい……! 私があんたの親に事情を説明するわ」


「え、そこまでしてもらわなくても……」


「こういうのはね。第三者が言う方が説得力あるのよ。それにあんた、いじめてきたやつのこと何も知らないでしょ」


 大人びてるな、この子。それに、意思も強そうだ。


「で、では……お願いします……」



 コンコン。


「はぁーい、どちら様?」


「アインクラッドです」


「やだ、あなた早く片付けないと……」


 聞こえてますぞ、母上。


「ちょっと待っててくれー。アイン」


 わかりました、父上。


「わかりました」




 まだ、か……。中からは物音がしている。




 まだ、なの……か。ジェシカさんの貧乏ゆすりが大きくなっている……。



 まだ……か……。今にもジェシカさんが爆発しそうなんですけど……。



「いつまで、待たせるのよ!!!」


 爆発した。彼女は勢いよく家の扉を開ける。

 ちょうど、片付けが終わったのか中は片付いている。


 それにしてもいい匂いがするなぁ。


「君は……誰だい?」


「アインのお友達……?」


 そうなりますよねぇ……。


 父たちの目がこちらに向く。



「……アイン……どうしたのそのアザ……」


「アイン、何があったんだ? まさかこの子が……」


 父の視線がジェシカに戻る。


 まずい、止めなくては。


「違うんです……父さん、母さん、実は……」


「私が彼を助けたのよ……ゾルにいじめられていたところを助けたの……ただ、それだけ」


「本当なのか……アイン?」


 うん、うんと首を縦に振る。


 次の瞬間、俺は強く抱きしめられていた。


「大丈夫か……アイン……! 辛かっただろぉ……」



 この時、俺は視界が滲んでいくのを感じた。


 泣いていたのだ。


 いじめられるのは慣れている。そんなことは些細なことだ。

 だけど、こうやって本気で心配されるのは初めてのことだった。しかも親に……前世では考えられない。


 俺は泣きじゃくった。前世のことまでが思い出されたから。

 いじめられた記憶を、暗い過去を、洗い流すように俺は泣いた。



「なぁんだ、あんたもやっぱり子供ね」


 ジェシカはそう呟いていた。



 *******



「今日は本当にありがとうございました」


 今はジェシカを外まで見送っている最中だ。


「いいのよ。それよりあんた。明日から私が一緒にいる時だけ外に出るのよ! 明日、また来るから一緒に遊びましょ!!」


 え?


「じゃあ、バイバイ」


 彼女が手を振るのに合わせて、手を振ることしか俺にはできなかった。

 明日から彼女と一緒に……まぁいいか、良い子みたいだし。それに、かわいい、し。


 キィイ。


 扉を開ける。


「ジェシカさん、見送ってきたよ」


「おかえり、アイン。ちょうど出来たとこよ」


「え?」


「今日の夜ご飯……ほんとはサプライズで家の中、飾ろうと思ってたんだけど間に合わなくって……でも、今日はアインの大好物のビーフシチューに、それからぁ……」


「ほぉら、アイン。誕生日ケーキだぞ」


「え、これって」


 父が手にしていたのは、クリームの塗られたケーキ。正真正銘、誕生日ケーキだ。

 でも、クリームは高価でそれを使ったケーキなんて……。


「お父さん……これ……」


「大丈夫、お前のだよ。ほら、席に着いて。食べよう」


「はい……!」





 それから俺はとても楽しいひとときを過ごした。束の間のひとときを。

















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