第5話 豚汁



鈴木と早苗の関係は、確かに変化していた。

しかし、学生の頃のように連絡を頻繁に取り合ったり、常に一緒にいたがったりすることはなく、日中は同僚としていつも通り過ごし、業務連絡以外のやり取りはほとんどない。

ただ、「おはよう」と「おつかれさま」のやり取りが増えただけ。その短い文面だけだが、毎日送る相手がいることは心がこんなに踊るのか。と久々の恋愛に早苗は静かな喜びを感じていた。



週末に出掛けることも考えたが引っ越し準備もあり、物を増やしたくないだろうと遠出やショッピングは控えることにした。

その代わり、早苗を車で迎えに来た帰り道にスーパーで食材を買い、鈴木の家で一緒にご飯を作って食べることが日課になっていた。仕事が早く終わった日には鈴木の家で夕食の支度をして帰りを待った。遅くなる日は作ったおかずを冷蔵庫にしまい、そのまま帰宅した。

相手が待っているというのは時にプレッシャーにもなりかねない。出国前で慌ただしい時期に体調不良や仕事のトラブルがあってはならない。鈴木が仕事に邁進できるよう陰ながらサポートしようと早苗は決めていた。


付き合いたてのカップルというより新婚みたい。相手からの連絡に一喜一憂するような甘酸っぱさはないが、早苗には今が程よい距離感で心地よかった。


休日は、夕食の準備をしながら仕事のこと、最近あった出来事など色々な話をした。

鈴木の好みの味を知りたくて、料理を作るたびにキッチンで味見をしてもらった。私は出し巻き卵が好きだが、鈴木は甘めの卵焼きの方が好きだったことも付き合ってから知った。


ある日、「豚汁って味噌汁よりも具沢山で少し特別感あって好きなんだよな。牛丼屋でもプラスで払っても豚汁選ぶんだよな」と嬉しそうにいう鈴木。

豚汁に特別感を感じたことはなかったが、豚汁が出るたびに「おっ」と喜ぶ鈴木が好物を目にした小学生の男の子のように見えて可愛かった。


勢いよく豚汁を口に運ぶ鈴木。普段はコンタクトレンズをしている鈴木だが、家では眼鏡をかけている。熱い豚汁を飲むと、案の定、眼鏡が曇って前が見えなくなる。猫舌の彼は、熱いのが苦手なくせに、一生懸命ふうふうと冷ましながら、それでも美味しそうに豚汁を啜っている。その姿が、早苗には無邪気な小学生の男の子のように見えて、思わずクスッと笑ってしまった。


子ども扱いされたと思ったのかその瞬間、鈴木の表情が変わった。眼鏡を外し、早苗を見た。先ほどまでの無邪気な笑顔は消え、代わりに、熱を帯びた、大人の男の顔が現れた。瞳には強い光が宿り、早苗を射抜くように見つめている。


次の瞬間、鈴木は早苗の手を掴み、引き寄せた。そして、早苗の唇に自分の唇を重ねた。それは、優しく、甘いキスだった。豚汁の温かさとは違う、熱いものが早苗の体中を駆け巡る。早苗は、されるがまま、目を閉じた。鈴木の舌が早苗の口の中に滑り込み、絡み合う。さっきまで豚汁を冷ましていた舌が、今は熱を帯びて早苗を求め、優しく、そして深く、味わうように口づけてくる。


部屋には、料理とは違う、甘く、熱い空気が満ちていた。二人の間には、言葉では言い表せない、特別な感情が流れている。それは、友情とも、同僚としての関係とも違う、確かに恋人同士の、甘い時間だった。

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